ウッドストックがやってくる<2>
「ウッドストックがやってくる」<2>
エリオット・タイバー /トマス・J.モンテ 2009/08 河出書房新社 単行本 309p
その夏の終わり、大勢の人たちがとうとう立ち去ってしまうと、ぼくらは<エル・モナコ>を閉鎖し、そのシーズンの営業を終えた。しかし、ぼくは心の底で知っていた。自分がどこに行こうと、なにをしようと、ぼくはウッドストックをそこに連れていくだろうと。ウッドストックはこの世界を変えなかったかもしれない。けれど、ぼくの人生は大きく変えた。いまでもぼくは、絞り染めのシャツを見たり、ウッドストックに出演したバンドの曲を聴くと、微笑まずにはいられない。p291
この本はもともとフィスティバルとしての「ウッドストック」をレポートしたものではないので、その全体像は見えないが、そもそもその全体を把握できている者などいないだろう。その膨大なひとつひとつなど把握しようがない。著者は、現地の当事者として、個人として、私人として、そして極めてナイーブに当時を振り返っている。
この本に書かれていることは、当ブログとしては容易には納得できない点が多くある。ゲイ、ドラッグ、人種問題、環境からみた場合などなど、現在のセンスから考えれば、とても公言できないことが多くある。しかし、それらひとつひとつが「愛と平和の祭典」の中に呑み込まれていく。
40年前のことだ。映画にもなったらしい。ことほど左様に、この後のコンサートやカウンターカルチャー、若者文化に「ウッドストック」が与えた影響は計り知れない。ジミ・ヘンドリックスやジャニス・ジョップリン、サンタナやザ・フー、CSN&Y、CCR、ジョーン・バエズ、グレイトフル・デッドなどなど、数え上げたらきりがない綺羅星たちが出演した。
私はこれだけ大きなイベントに参加したことは勿論ないが、同じ傾向の延長線上にあるイベントやコンサート、シンポジウムなど、さまざまな企画に参加した。規模は限りなく小さく、その影響は限りなくローカルなことがほとんどではあったが、著者が感じたようなドキドキ感はつねに味わってきた。
ながながと練りに練った企画より、著者が体験したような、たった一カ月の期間に、降って湧いてきたというようなハプニング的イベントのほうが、よりお祭り性が強く、興奮度が高いと思う。70前後の政治的集会、75年前後のカウンターカルチャーのイベント、82年に感じたオレゴン州のフィスティバル、91年の六ヶ所村や、環境心理学シンポジウム、98年の沖縄の米軍軍事演習の国内移転に反対するコンサート、2002年のPTA役員として体験した甲子園体験、そして数えきれないさまざまな小さな体験があった。
これらの小さな体験から、著者の体験を類推することはできる。しかし、そのスケールは桁が極端にはずれている。国も違えば、世代もすこし遅れてきた私などには、その実態は、単に話に聴くだけだが、映画「イージー・ライダー」をみた時と同じように、限りない憧れとともに、限りないまがまがしさも感じる。整理がつかない感情が湧きあげてくる。
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