ウッドストックがやってくる<1>
「ウッドストックがやってくる」<1>
エリオット・タイバー /トマス・J.モンテ 2009/08 河出書房新社 単行本 309p
Vol.2 No783★★★☆☆ ★★★★★ ★★★☆☆
日曜日のNHKテレビ番組「週刊ブックレビュー」をみていたら、この「ウッドストックがやってくる」を紹介していた。その時、おやぁ、と思ったのは、すでに私の傍らにはこの本が転がっていたからだった。図書館の新刊コーナーで見つけて、借りてきたは見たけれど、小説なのかノンフィクションなのかさえ分からず、読むか読まないか決定しないまま放置しておいた。
テレビ番組をみてからも、どうもいまいち手がつかないでいた。「週刊ブックレビュー」で取り上げる本と、「読書ブログ」である当ブログで読み込む本のタイトルが重なることはほとんどない。年に何冊あるかどうか、というくらいだ。この辺は傍らで一緒にテレビを見ている奥さんの趣向とは大いに異なる。彼女はむしろ、番組で紹介されたり、紹介されそうな本を読み続けており、この番組は彼女のマイ・フェバリットになっているのだった。
「ウッドストック」という名前を聞いて、そのタイトルの前を通り過ぎることはできない。ビートルズがやってきたのは1966年の6月。この時、中学一年生だった僕たち(と言うほうが似合っているか)はテレビで同時体験したが、「ウッドストック」のことを知ったのは、ほぼ一年遅れの1970年だった。高校1年から2年になった僕たちは、4軒長屋の公立住宅に住んでいた友達の部屋に集まり、「ウッドストック」の4枚組(だったと思う)のLP版に針を下ろした。
たった3畳の畳部屋にスシ詰めになり、もうもうたるハイライトの煙のなかで、想いをアメリカ大陸に馳せた。当時は1970年。おりからの68~69、そして70年安保の政治的盛り上がりのなかで、高校生の僕たちも、ひそかに「共犯幻想」を抱きながら、「ウッドストック」を聴いた。
ロックフェスティバル「ウッドストック」、正確には「第一回アクレリアン・エクスポジション」は、開催された地名「ウッドストック」で呼ばれているが、実は、最初の予定地での開催が不可能になり、さらに80キロほど離れたホワイト・レイクというさびれた観光地で開催されたのであった。
ところが突然、状況が一気に変わる可能性が出てきたのである。ウッドストック・フェスティバルは開催地と開催許可を必要としている。ぼくは思わず心のなかで叫んだ。ぼくは許可を出せる立場にいるじゃないか! それだけじゃない。開催地だって提供できる。脳がいきなりダンスをはじめ、クリエイティブな脳波を生み出した。これまでのこの脳波は、想像力豊かなセックスをするときや、ムーラン・ルージュかニューヨークのSMクラブでロマンティックな夜を過ごすときにしか使ったことがなかった。おお、すごいぞ! ぼくらはこのコンサートの開催地を提供できるんだ! p122
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