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2009/10/28

「自然との共生」というウソ

「自然との共生」というウソ
「『自然との共生』というウソ」 
高橋敬一 2009/04 祥伝社 新書 194p
Vol.2 No801★★★★☆ ★★★★★ ★★★☆☆

 全編アイロニーとペシミズムに彩られた一冊。

 変わることができないのなら、たとえ人間でも滅びるしかない。そしてそれこそすべての生物が受け入れてきた宿命である。
 この地球上で綿々と繰り返されてきた進化という「絶滅と誕生の物語」を、人間も受け継ぎ、次の生物へ引き渡そうとしている。人間による環境破壊が、知らず知らずのうちに新しい進化を推し進めているのだ。
 私たち人間もまた、進化という物語の中で生まれ、他の生物の進化を推し進め、そして消えていく、無数の登場人物の一人にすぎないのだという認識こそ、今、何よりも必要なのではないだろうか。
p150

 著者は、冒頭で、足尾銅山、ビキニ環礁、チェルノブイリなど、「人間が自分の手で人間が住めないようにしてしまった土地」を取り上げ、人間が住まなくなったおかげで、むしろ自然は野生の王国と化し、自然本来の姿に戻ったのではないか、と考える。自然とはなにか、人間とはなにか、共生とはなにか、が問われる。

 自分の死を常に真正面に見つめて生きるかどうかで、個人の生き方は大きく変わってくる。人間は死に方を定めることによって、初めて生き方を定めることができるのだ。
 同様に、人間という種も自らの死に方を定めることによって初めて、自らの生き方を定めることができるようになる。
 人間が、人間という種の死を見つめて生きることがもし可能となるならば、私たちの社会のあり方もまた、近い将来、大きく変わっていく可能性はあるだろう。
p164

 農学部を卒業したあと農林水産省に入省。試験場や研究センター、研究所を経て44歳で退職。パラオ共和国などボランティアとして滞在した。農学博士という科学者のひとりである。科学者である著者は、科学者たちに期待しつつも、期待できない現状に嘆く。

 この本は功罪半ばで、評価に窮す。主に東京新聞出版局「岳人」に2008/1~12に連載された文章に加筆訂正が行われている。著者の全体像を知るには、他の著書も合わせ読まなければならないだろう。

 その上でストレートに現在の印象を残しておく。このような「哲学」に至った著者は今後どうするのだろう。結局は自殺への美学へと導きだされていくのではないだろうか。あるいは、自殺願望者たちの自らの目論見の正しさを裏付けするものとして、有用な「哲学」になるやもしれない。

 巻頭にパウロ・コエーリョの言葉を引用し、全編、科学的データやルポを採用しながらも、結局は、科学とは別な結論へと流れていく。科学者としての著者は科学に絶望し、人間としての著者は人間に絶望する。宗教に望みを持つほどでもなく、またそれを軽視する。人間としての幸福や歓喜、達成感なども、著者においては、単なる愚かさの象徴とさえなる。

 この本は読むべき価値はあるが、重視すべき価値はない。
 

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