今さら聞けないクラウドの常識・非常識
「今さら聞けないクラウドの常識・非常識」
城田真琴 2009/10 洋泉社 新書 221p
Vol.2 No792 ★★★★★ ★★★☆☆ ★★☆☆☆
「今さら聞けない」とか「サルにもわかる」とか、10年前ならパソコン関係書物のタイトルとしてはかなり闊歩したコピーではあったが、ここに来て、ましてやクラウド・コンピューティングの解説書として書かれているとすると、はて、中身も陳腐なのではないか、と思ってしまう。
この10月にでたばっかりだし、クラウド・コンピューティングも話題と言えば話題である。まして、レポートされている内容は、最新のものであろう。しかし、クラウド・コンピューティングという概念は、どこか陳腐なのではないか、とはてな?マークがつく。
巨大コンピュータが中心に鎮座ましまして、末端がつながる、というのがもともとのコンピューターの姿だった。その姿を根本から変えたのがインターネットだった。集中から分散へ。限りなく分散されれば、一個人としての自由度は限りなく拡大する。分散されればこそ一個人のもとにコンピュータはやってくる。
もともとスタンド・アロンであったパーソナル・コンピュータは、日本で最初マイ・コンピュータという形で工作キットとして販売されたように、それは限りなく個人的なものだった。それだからこそ爆発的な流行になり、周辺機器も激安化した。
そして、それがインターネットとして繋がったがゆえに、さらに実態化した。新しい形で展開したパソコンの世界だったが、ここに来て、ひとつひとつのパソコンを単に入力端末として劣化させて、中央コンピュータを巨大化しようというのが、クラウド・コンピューティングの実態だ。またまたモンスター・サイエンスが首をもたげ始めたのではないか、と私なら違和感を持つ。
最近、ウィニーの開発者が高裁で無罪を勝ち取った。検察側が控訴して最高裁判所にまでいく争いなので、最後の結論がでるまで、その動向が注目されるが、当ブログとしては、このウィニーのようなP2Pシステムに一筋の光を見る思いでいる。P2Pがどのように使われ、どのような「非合法」的傾向性があるのか知らない。あるいは技術的な疑問点もどのようなものがあるのかは知らない。しかし、一元的ななし崩し的なクラウド・コンピューティング化は拒否したい。
この本はそのクラウド化の「メリット」ばかりを連呼する陳腐なセールスマン風情であるが、「クラウドの衝撃」のようなしっかりした関連本を持っている著者は、その「デメリット」についても書いている。いわく・・・
1)セキュリティ
2)プライバシー
3)データの保管場所が不明
4)ネットワークの待ち時間
5)相互接続性
6)信頼性 p152~159
よく一長一短と言われるが、私には一長九短に思える。ここに書かれている「デメリット」の方がはるかに「メリット」を上まわる。著者は、クラウドの身近なサンプルとして、Googleのg-mailから話を展開するが、私はそもそもこのg-mailには登録しているが、個人としては、このメール機能を活用していない。その理由は、ことごとく、上の1)~6)に連なるデメリットによる。
自分が関わる企業が、数年来に社内の端末をすべてハードディスクのないパソコンに切り替え、100%自社クラウド化すると発表した。関連事業を営む身としては、その影響を受け、関連業務は今後限りなくクラウド化するだろう。その「メリット」は確かにある。一定条件つきなら、これが100%の正解だ。
しかし、個人として使うパソコンは、もっと自由度があっていい。数万台とも数百万台とも言われるクラウド会社の巨大サーバー群は、税金の安い立地条件を求めて、徘徊しはじめているという。サーバーの熱を冷ますため、寒冷地が好まれ、グリーンランドとか北海道が候補地になっているともいう。
クラウドを運営する側ではそれは正しい論理だろうが、発熱量は全体として変わらないので、それは最終的なソリューションにはならない。地球の温暖化を加速する。
クラウド・コンピューティングに対して、以前として当ブログは懐疑的である。集中・巨大化の「伽藍」パワーの再結集のように見えるクラウド化。だが、時代はこれでは終わらないだろう。分散・自立化である新たなる「バザール」派の回復を待ちたい。
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