終身刑の死角
「終身刑の死角」
河合幹雄 2009/09 洋泉社 新書 190p
Vol.2 No786 ★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★☆☆
裁判員制度の話題がでてから、もし自分が指名されたら、喜んで参加してみようと思っていた。大体において、裁判ってよくシステムが分からないし、なんでもやってみよう精神から考えれば、そのようなチャンスは少ないのだから、手を挙げてまで参加できないか、とさえ思っていた。
しかし、その裁判制度がこの8月からスタートし、さまざまな角度から取材が進み、情報が提供されてくるにつれて、はて、これはそうそう簡単なことではなさそうだぞ、と思い始めた。単なる興味本位や一時的な野次馬精神で関わることは相当に危険だ。いまでは、もちろん指名されれば積極的に参加するつもりでいるが、指名されなかったら、むしろ、ほっと胸をなでおろす、という心境になるのではないか、とかなり変化している。
9月に発足した鳩山・民主党政権の初代法務大臣は千葉景子。「死刑廃止を推進する議員連盟」に参加している。この問題に深く首を突っ込んだことのない当ブログとしては、最高刑罰としての「死刑」について、うかつにコメントを加えることは差し控えるべきだろう。
ただ、麻原集団などによる凶悪犯罪を同世代に抱え込んだ現代日本に生きる私たちは、この問題から決して目をそらすことはできない。被害者の立場に立ってみれば、理不尽な理由で事件に巻き込まれ、大きく人生を狂わされたわけだから、加害者側への厳罰を期待するのは当然のことのように思える。
<新人類>は、どんな刑務所も持たない。そして、どんな裁判官も、どんな法律家ももつことにはならない。こういうものは、まったく不必要な、社会という組織に巣くう癌細胞のようなものだ。新人類がまちがいなく持つことになるのは、同情心にあふれた科学者だ。ある男性が強姦を犯すということがどうして起こったのかを究明しようとする、瞑想的で、慈愛に満ちた存在だ。彼にほんとうに責任があるのか? 私に言わせるなら、どんな意味でも彼には責任がない。彼が強姦を犯したのは、禁欲主義を教える聖職者たちと宗教、そして何千年にわたる抑圧によるものか---これなら禁欲的な道徳の結果ということになる---あるいは彼が強姦を犯さざるをえないような生物学的に強制するようホルモンを持っていたかのいずれかだ。
あなたがたは現代社会に生きてはいるが、人類の大部分は現代人ではない。なぜならあなた方は、科学が発見しつづけている現実に気づいていないからだ。教育体系が、あなた方がそれを知ることを妨げている。宗教が、あなた方がそれを知ることを妨げている。政府が、あなた方がそれを知ることを妨げている。OSHO「新人類 未来への唯一の希望」p55「法と秩序か、愛と理解か?」
Oshoによれば、人間が十分に進化して、黄金の未来が到来すれば、そもそも犯罪がなくなり、それを裁く法がなくなり、それに携わる専門職がいなくなる。従って、死刑もなければ、牢獄もなくなる。あえて言えば、ごくごく少数に減少してしまった犯罪に対する科学者や、ごくごくシロートの代表である裁判員は残る可能性はあるだろう。ただ、そこには罰はなく、教育が残るということになるだろう。
ここまで見てきたとおり、全体として犯罪は減ってきている。いまや日本中がとても安全になって、だれがどの時間帯にどこを歩いていても総体として安全であることは疑いがない。河合 p31
耳を疑うような話だが、実際に統計的に現れている現象としては、日本における犯罪は減り続けているように見える。メディアを通して理解している日本社会は、とてつもなく凶悪犯罪が続発しているように思える。亀井静香金融相などは「親族間の殺人は大企業に責任がある」と日本経団連の御手洗冨士夫会長に噛みついた。政治家としての亀井にはパフォーマンスが大きく含まれているとしても、日本社会に暮らす一般人としての感覚は、むしろ、こちらに近いだろう。しかし、一歩退いて、この本の著者である河合の言に従えば、日本の犯罪事情は大きく異なる。
本書は、無謀な法案阻止のための緊急執筆としてはじめたが、裁判員のための無期、死刑判断の材料提供も視野に入れたものに変更した。p190
本書は、死刑と無期の間の刑罰として、終身刑、あるいは「仮釈放なしの終身刑」が議論されるにあたって、その議論の材料を提供している。身近な問題として、死刑、無期などのテーマを深く追っかけたことのない当ブログとしては、著者がどのような意見を持ち、どのような可能性があると考えているのか、さえ、十分に読みとれない。いや、むしろ、読者として読みたくないと、拒否してしまっている。
最近「福田君を殺して何になる--光市母子殺害事件の陥穽」という本が話題になった。事件自体が大きく報道されたし、被害者側の心情にも大きく情動的に共感する。しかし、死刑制度や少年法から考えた場合、この事件のこの解決はこれでいいのかどうか、と問われれば、正直、答えに窮する。
当ブログの、未来社会への「マニュフェスト」として、「法と秩序か、愛と理解か?」と問われれば、Oshoのいうところの「愛と理解」を掲げることにする。それを現実化することは至難の技だろうが、これ以上、牢獄が増え続ける未来は、すでに「未来」と言えないだろう。
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