昆虫にとってコンビニとは何か?
「昆虫にとってコンビニとは何か?」
高橋敬一 2006/12 朝日新聞出版 全集・双書 232p
Vol.2 No802★★★★☆ ★★★★★ ★★★☆☆
「『自然との共生』というウソ」という本がちょっと気になったので、こちらの本もめくってみることにした。手にとってみれば、なるほど、たしかにこの本のタイトルを何処かで見たことがあるぞ、と思った。「昆虫にとってコンビニとは何か?」・・・なるほど、うまいタイトルをつけるものだ。このタイトルだけで、なんだか書いてある内容が脳裏に浮かんできそうだ。いや、自分ならこういうことを書きそうだぞ、と創造性もくすぐられる。
こちらの本は、「昆虫にとって***とはなにか?」というシリーズで28項目に渡ってまとめられている。コンビニばかりでなく、ペットの糞、ゴルフ場、ファーブル、昆虫マニア、戦争、人間の性欲、などが槍玉にあがる。すべてが生物学者としての視線から書かれているが、それはまるで昆虫目線で書かれているので、なるほどと思うことが多い。
前著のようなアイロニーとペシミズムはぐっとおさえられているが、人間社会に対する冷徹な目は依然として鋭い。「昆虫にとって生まれてきた目的とはなにか?」、「昆虫にとって人間の持つ価値観とは何か?」など、最終大団円にちかづくと、やはりこの人の本質が露わになり、読者としてはグっと構えたくなる。
往々にして科学者たちは、時間と空間のスケールを極端な割合で引用する癖がある。一個の人間にしてみれば、大体測れるのは100年程度のこと。生まれたばかりの少年ならば、10年と言うスパンでも想像しにくい。あるいはそれを想像することは意味をなさない場合もある。
宇宙の無限大の広がりや、いつかはやってくる地球や宇宙の死を、一個の人間のスケールで測ることは所詮無意味なのではないか。生活空間と宇宙空間では比較のしようがない。一個の人生と、宇宙の生と死を混同しながら説明すること自体、ちょっとしたペテンなのではないか。
科学に遊ぶのもいいし、悠久の時間の流れに思いを馳せるのも構わない。しかし、結局、人間は人間のスケールしか持たないのではないだろうか。現代なら、せいぜい空間的な広がりはこの地球だろう。この空間とこの時間の中に生きる地球人としての生命軸を全うすれば、物事は足りるような気がするのだが。
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