森はあなたが愛する人を守る
「森はあなたが愛する人を守る」
宮脇昭 /池田明子 2009/10 講談社 単行本 215p
Vol.2 No804★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆
この本はタイトルからイメージするよりはるかに真面目で科学的な本である。かつ実践的でもある。森とはなにか、森の本来の姿とは何か、森がなくなるとどうなるのか、森が増えるとどうなるのか、などが具体的に書かれている。そして、森をどう作るのか、どうすれば森は作れるのか、実際にどのようにして森が作られたかなどが、丁寧に具体的に書かれている。
見かけ上の緑、飾りの緑だけではなく、いのちを守る緑が必要だということです。いま最も大事なのは、生きているあなたの、あなたの家族の、恋人のいのちを守る本物の森です。p22
必ずしも真摯なる自然愛好者ならぬ、やや不届き者の一読者でしかない私には、この「本物の森」なるものという言い回しが気になってしまう。
豊かな森とはどういう森をいうのでしょうか。それは垂直的には高木、亜高木、低木、下草などがそれぞれ層をなし、また平面的にはまわりを「マント群落」「ソデ群落」と呼ばれる林緑群落が取り囲んでいる森、すなわち土地本来のおもな樹種と数十種の構成種からなる多様性に富んだ多層群落の森のことです。p82
そう言われてみれば、私なんぞ、生まれてこの方55年、本当の豊かな森なんぞ、みたことも聞いたこともないのかもしれない。すくなくとも、これが本物だ、と意識したことなぞない。
いま、私たちの生活域には緑が多いように見えますが、そのほとんどはニセモノといえます。芝生に外来種の成木がぽつんぽつんと植えられている都市公園などの緑は、一見モダンで恰好よく見えるかもしれませんが、その語源である公園景観(パルクランドシャフト)は、実は荒野を表しています。p116
たしかに都市の中には、ちょっと気がつくと決してふさわしいとは言えない植物群が植えてあることがある。工事業者のための道路やダムがあるように、造園業者や都市設計業者のための公園?と思ってしまうような、実に不自然な自然があることは確かだ。
本来の森が伐採されたりしてできた裸地には、いっせいにセイタカアワダチソウやオオアレチノギク、ダンドロボロギクなど帰化植物が大繁茂します(刈り跡群落)が、またあっという間に消えてしまいます。その後に、陽性(日向を好む)のパイオニア樹種ともいわれる早世樹(早く育つ種類)のキイチゴ類などの低木が生息し、ついでエゴノキ、ミズキ、コナラなど落葉樹が樹林を形成するようになります。伐採、枝打ち、下草刈りなど定期的な人間活動の影響で、遷移の途中相である落葉広葉樹林の段階で足踏みしているような状態が里山の樹木林です。p116
高橋敬一がいうような、足尾銅山やビキニ環礁、チェルノブイリなど、「人間が自分の手で人間が住めないようにしてしまった土地」にこそ自然な森が復活するのかと思うと、ちょっとぎょっとする。それでは一体、本物とか、豊かとは、誰が一体判断しているのか、ということになる。結局は、人間の視点から考えてみた場合の価値判断であり、結局、愛する人を守る「森」は、人間にとってよい「森」ということになる。
この本では、以上のような視点から、行政やボランティアなどに訴えかけながら、ある種のムーブメントとしての森づくりが語られている。高橋敬一ならずとも、その真摯な発想や具体的な効用を認めつつも、結局は人間の側からの勝手な自然界へのリクエストであり、思い上がった「共生」なのではないか、と、ややニヒルな気分にならないこともない。
わが家のネコの額よりさらに狭い庭にも、何本かの木が植えてある。ヒイラギやコノテカシワ、小さな樅の木、などに交じって、二本のビワの木がある。これは植えたのではなく、実生の木だ。つまり、スーパーで買ったビワを食べたあと、他の生ごみと一緒に庭に埋めておいたビワの種が自然に発芽したのだ。
思ったよりはやく成長し、桃栗三年柿八年とは言うけれど、いつの間にかわが家では夏の風物詩として、毎年、大量のビワを収穫することができる。これは外来種であるかいなか、を考えたことはなかったが、本物の森、豊かな森、という範疇から考えると、すこし邪道であるのかなぁ、と、考えてみたりする。
そのほか、子どもたちが小さい頃に、人口100万の都市に水を供給しているダムの上流の伐採あとに植樹したことがある。地元の放送局が主催したバスツアーで楽しいイベントだったが、あれから20年も経過して、いつか機会があったら、あのはげ山がどれほどの森に成長したか、見に行ってみたいとも思う時がある。
また、仕事で関わるある企業では、マングローブの植樹活動を行っている。決して悪いことではないだろう、程度の認識ではいたが、はて、この本の著者のような視線で身の回りをみなおしたら、きっと「偽物」だらけなのだろうな、と思う。
ただ、私は、運動や義務のような活動としての森づくり活動からは、やや距離を置いて眺めていたいと思う。ヘッセの「庭仕事の愉しみ」のような、ひそやかな個人的な営みとしての自然とのふれあいも捨てがたいのではなかろうか。
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