デジタルネイティブの時代
「デジタルネイティブの時代」
木下 晃伸 (著) 2009/05 東洋経済新報社 単行本 212p
Vol.2 No778★★★★★ ★★★★☆ ★★★☆☆
民主党が政権交代を実現してから、当ブログの読書傾向も少し変わった。どう変わったかというと、より現実的な話題にシフトした、と言えるだろう。ちょっと前までは、小説やら哲学やら、なんだかちょっと逃避的と思えるような隠遁的傾向にあった。ああ、それなのに、現実的に面白そうなことが起きると、すぐ方向転換してしまうのが、当ブログの良いところでもあり、おっちょこちょいなところでもある。
毎月送られてくる「FPジャーナル」のバックナンバーはだんだん溜まっていくが、それこそ読まずにツンドクになってしまっていたのだった。ところが、この政権交代劇があってから、またCFPの勉強をはじめようかな、と思った。さっそく最近の10月号を取り出して読みだしてみたのだが、やっぱり、いまいち集中できない。
そこで、FP執筆陣の著書でも読んでみようかなと思って、今号のトップ記事「どうなる日本経済--企業業績から先行きを読む」の木下晃伸の著書を検索してみた。いまいち気が乗らなかったのだが、これが意外とヒットした。この「デジタルネイティブの時代」。おお、これなら、当ブログでもなんとか読めそうだぞ。もっとも「FPジャーナル」路線からは外れるけれど。
世代というのは、時代背景がつくると考えています。ちなみに、私は1976年生まれのいわゆる「ナナロク世代」に属します。p32
写真でみると、結構若そうなので、自らをデジタルネイティブと呼ぶのかなと思ったら、彼自身は自らをノンデジタルネイティブと呼ぶ。著者の概念としてのデジタルネイティブの概念は、平成元年(1989年)生まれ以降の世代のことを言う。
先日、NHK取材班の一人が書いた「デジタルネイティブ」を読んだ。デジタルネイティブというネーミングは日本では定着するかどうか疑問だが、世代としてはいわゆる「ケータイ世代」ということができるだろう。いわゆるデジタルネイティブなら、いわゆる往年のパソコン少年たちだって、自らをその草分けと豪語するだろうが、いわゆるケータイ文化には、ちょっと違和感を感じている元祖パソコン少年たちは多くいるだろう。
この本では、日本の状況を主に取り上げているので、「ケータイ世代の時代」と読み換えてもおかしくはないだろうが、本来はデジタルネイティブとケータイ世代では意味が違う。この本では、この世代に焦点を合わせて、社会論やマーケット論を展開しているわけだが、どこか、その根拠に皮相なもの感じる。
その環境が劇的に変わったのは、2001年に孫正義社長率いるソフトバンクがスタートさせた「ヤフーBB」による猛烈な攻勢からでした。この技術は「ADSL」と呼ばれ、従来の電話線を使いながら、サクサクとインターネットを利用することを可能にしたのです。p81
一般的にはそうとらえておいてもいいのだろうが、私は当時ISDNからすでに光ファイバーに乗り換えていたから、ADSLにお世話になることはなかった。むしろ、当時の不安定なADSLでは、ちょっと業務用のオンライン作業は恐くてできなかった。島 聡の「政治とケータイ ソフトバンク社長室長日記」を読んだりすると、その舞台裏は、とてもデジタルネイティブなどというほど隔世の感のあるものではないのだが、この本の著者は、ちょっとそのあたりを大くくりでまとめてしまっている。
私たち「ノンネイティブ」の従来の常識では測れない「デジタルネイティブの時代」がすぐそこまできています。そうしたなか、私たち「ノンネイティブ」に求められていることは、「デジタルネイティブ」のことを理解できないということを理解するということなのです。p209
そうなのかなぁ。それほど恐れることもあるまい。いつも子供たちはアンファンテリブル、恐るべき子供たち、でいいのではないか。この本を読んでいて、昔、三菱レイヨンの「現代っ子ルック」というコマーシャルがあったことを思い出した。Youtubeでは探せなかったので、似たような同じ会社のコマーシャルを貼り付けておく。
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