こころでからだの声を聴く<21>
「こころでからだの声を聴く」<21> ボディ・マインド・バランシング
OSHO /マ・アナンド・ムグダ 2007/11 市民出版社 単行本 247p 附属資料:CD1目次
身体から始め、次にゆっくりゆっくりと、より深く進みなさい。最初の問題を解決しないうちに、別のことを始めてはいけない。身体が緊張しているなら、マインドから始めてはいけない。待ちなさい。まず、身体かに取り組むこと。覚えておくといい、小さなことが事柄が途方もなく役に立つ。
あなたは特定のペースで歩く。それは習慣になり、自動的になっている。さぁ、ゆっくり歩いてごらん。仏陀はよく弟子たちに言っていた。「ごくゆっくりと歩きなさい。ごく意識的に一歩一歩踏み出しなさい」。一歩一歩をごく意識的に踏み出すなら、必然的にゆっくり歩くことになる。もし走ったり、急いだりしたら、意識的に行うことを忘れてしまうだろう。だから仏陀は、ごくゆっくりと歩きなさいと言った。
とてもゆっくり歩いてみてごらん。すると驚くだろう----新しい気づきの質が、あなたの身体に芽生え始める。ゆっくり食べてごらん。するとそこに、大いなるくつろぎがあるのを発見するだろう。あらゆることをゆっくり行う・・・・・。古いパターンを変え、古い習慣を捨てなさい。
まず、身体は幼い子どものように完全にリラックスする必要がある。そうしてやっと、マインドについて始めることができる。科学的に進むといい----最初はもっとも単純なものから始め、次に複雑なもの、最終的にはより複雑なものへと。そうしてはじめて、究極の核をリラックスさせることができる。
くつろぎは、もっとも複雑な現象だ----実に豊かで、多次元に渡る。これらはすべて、くつろぎの一部分だ。
ゆだねること(レット・ゴー)、信頼、明け渡し、愛、重要、流れと共に進むこと、存在との合一、無自我、法悦(エクスタシー)。これらはすべて、くつろぎの一部であり、くつろぐすべを身に付ければ起こり始めるものだ。
いわゆる宗教的信条は、あなたをとても緊張させてきた。なぜなら、それらはあなたの中に罪悪感を生みだしてきたからだ。ここでの私の努力は、あらゆる罪悪感、あらゆる恐れを、あなたに捨てさせることだ。言わせてほしい----地獄はないし、天国もない。だから地獄を恐れてはいけない。天国に対して貧欲になってもいけない。
存在するのは、この瞬間だけだ。あなたはこの瞬間を、地獄にも天国にもできる----それは確実に可能だ。もっとも、天国や地獄は他のどこかにあるわけではない。あなたが緊張だらけになると地獄があり、あなたが完全にリラックスすると天国がある。全面的なくつろぎは楽園(パラダイス)だ。OSHO p126~127
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