なぜ「科学」はウソをつくのか 環境・エネルギー問題からDNA鑑定まで
「なぜ『科学』はウソをつくのか」 環境・エネルギー問題からDNA鑑定まで
竹内薫 2009/11 祥伝社 単行本 204p
Vol.2 No824 ★★★★☆ ★★★★☆ ★★★☆☆
当ブログは、大まかに、科学、芸術、意識の三つの指標を持っており、現在は、科学としての「クラウドソーシング」、芸術としての「表現からアートへ」、意識としての「私は誰か」の三つのカテゴリのなかに、読んだ本を次々と振り分けている。ただ、芸術というには、ちょっと幅広すぎるので、表現や生き方を含む、芸術としての「地球人として生きる」を加えている。
これら4つのカテゴリは、それぞれ108のエントリーに達すれば、そこで終了とし、次なるカテゴリ名でもって、再スタートすることになる。必ずしも、同じカテゴリだからと言って、ひとつの連なりのテーマを追っかけているわけではないが、同じ時期に読んだ同じような傾向の本、という意味では、類似性が見られないわけではない。
さて、この本、どのカテゴリに入れようか。東大の理学部物理学科を卒業し、マギル大学博士課程を卒業した科学作家だけに、本来であれば、現在進行形の科学分野のカテゴリである「クラウドソーシング」にいれるべきであろうが、いまいち、この本、「科学」的、とは言えない。むしろ、「科学」にまつわる、いろいろな表現、と言ったほうがよさそうなので、今回は敢えて、「表現からアートへ」に入れておくことにする。
科学作家を自称する著者ではあるが、欧米でいうところのサイエンスライターの分野であろう。ところが、著者が本書でなんども嘆くように、日本にはサイエンスライターという確立された分野が存在しない。それにはいくつかの理由がある。
ひとつには、科学雑誌などが極端にすくない。アメリカと比較すると、人口比率を考慮しても10分の1のキャパシティしかないらしい。つまり、日本ではサイエンスライターは食べていけないのである。二つ目には、日本では「疑似科学」が横行しているらしいということ。マイナスイオンがどうしたとか、クラスターが小さい水はおいしいとか、本来、誇大広告や虚偽記載になるようなコピーが横行しているという。さらには、日本教育界の理科(科学)ばなれが後押ししているという。
きまぐれに図書館や書店で手に取った本をめくってはその印象なりを書きとめている当ブログではあるが、たしかに、欧米のサイエンスライターの手による、コッテリとした本に出会うことが、ちょくちょくある。なかなか読みごたえがあるのだが、ちょっとコテコテな感じがする。せめて新書本やブルーバックスのレベルで止めてくれておいてくれればいいのだが、トルストイかドストエフスキーでも読むかのごとき科学書も、時々みかける。
正直言うと、あれは重すぎる。他の著者たちの類書を何冊か重ねて読もうとすると、同じような文章を何度も読まされることになる。なにもこんなに厚くして、同じことを何度も繰り返さなくてもいいのに、とは思うのだが、文化の違いなのであろう。自分で調べたことは、すべて書かないと、字数が稼げないとばかり、とにかく仔細にわたる描写が続く。
竹内薫という1960年生まれの「科学作家」には100冊を超える著書があるということだが、当ブログでは初出である。茂木健一郎と同輩でもあるようだから、世が世であれば、どこぞの教授か、売れっ子マスコミ科学者としてもてはやされていたかもしれないが、運命は著者には、そのような華やかな道を与えはしなかった(ようだ)。
著者なりの意味を込めての「なぜ『科学』はウソをつくのか」というタイトルではあるが、本来、科学にウソがないものであるなら、残る「芸術」や「意識」のカテゴリなど不必要となる。科学には科学の限界があるのであり、科学にはウソをつかなければならない「限界」がある。であるがゆえに、他のカテゴリも生きているわけである。もちろん他のカテゴリにも「限界」があり、であるがゆえに「科学」の存在意義もある。相互依存し、相互補完しあっているともいえる。
いま日本では、政府が主導して「チーム・マイナス6%」といって、二酸化炭素を減らそうとしている。これは、2005年に発効した京都議定書によって、日本は、2008年から2012年の間に温暖効果ガスの排出量を1990年時点よりも6%減らすことを義務付けられたことによるものだ。それを達成するために、国民に「冷房の設定温度を上げよう」、「過剰包装をやめよう」といった取り組みを勧めている。
ボクが疑問に思うのは、そもそも二酸化炭素の排出量を減らすことが可能かどうかという点だ。2008年の最新統計で、日本が排出する二酸化炭素は、どのくらいマイナスになただろう?
驚くべきことに、(マイナスどころか)プラス8.7%になってしまったのだ(環境省による)。これだけみんなが、がんばって、オフィスの冷暖房を倹約し、エコバッグを持ち歩き、クールビズをやった結果、二酸化炭素は増えてしまった(汗)。p127
そういえば、私もチーム・マイナス6%の一員なのであった。毎週MLで情報も配信されてくるし、エコバッグも中国製のものを業界団体で発注して顧客に配った。その他、コピー用紙を裏表使っているし、コンポストで生ごみは庭に返しているし、もちろんエアコン使用は最小レベルの使用にとどめている。でも、一番よかったのはクールビズかな。6月から9月まで、ノーネクタイで暮らせるのは、とても気持ちがいい。
1、計算や数値シュミレーションをうのみにするな!(前提が間違っている可能性がある)
2、学会のコンセンサスを鵜呑みにするな!(時代とともに別のコンセンサスが形成されることがある) p136
もとより当ブログでは、数字マジックを眉唾で見ているし、情報源についてはステレオ効果を狙って、複数のソースに当たることを常に心がけているつもりではいる。そういった意味では、インターネットの検索機能はとてもありがたいと思っている。しかし、インターネットや情報として外部にもれないもののようが、より最新であることも多いので、なかなか「真実」を把握することは容易なことではない。
この本の原稿を出し終わってから、民主党が政権を取り、新総理の鳩山由紀夫は温室効果ガスの25%削減という驚くべき政策を打ち出した。科学には「クレイジーなアイディアでなければ使い物にならない」という標語がある。中途半端ではうまくいかない、というのである。
その標語にしたがったわけでもあるまいが、25%という数字には、正直恐れ入った。「オペレーションズ・リサーチ(戦略研究)」が専門で、常に最適戦略を念頭に政治活動をしている鳩山由紀夫が世界に向けて公言したのだから、何か秘策があるのか。P147
マイナス6%から一気に25%まで挙げたのだから、やはりこれは「クレイジー」と言えるだろう。
実は、鳩山内閣は日本初の「理系」内閣だ。総理の鳩山由紀夫は東大工学部を出て、アメリカのスタンフォード大学で博士号と取っている。女房役である内閣官房長官の平野博文は中大理工学部卒、そして、国家戦略担当大臣の菅直人は東工大理学部卒なのだ。P191
「かすかな期待をもって、ボクは政権の動きを眺めている」著者にとっても、あるいは当ブログにとっても、興味深い事態が進行している。「ファインマン」などについても著書のあるこの人物の本は、この次、機会があったら、もうすこし積極的に読んでみたい。
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