だから、楽に走れない! 目からウロコのマラソン完走新常識
だから、楽に走れない! 「目からウロコのマラソン完走新常識」
飯田 潔 (著), 牧野 仁 (著) 2009/10 実業之日本社 新書 204p
Vol.2 No838★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆
10年ほど前にウォーキングを積極的にやっていた時は、赤信号になる前に、横断歩道を渡り切ろうとして小走りになったりすると、そのまま止まらずに走り出してしまい、いつの間にかウォーキングのつもりがジョギングになってしまったりしていた。あの頃は、確かに今よりも10歳若かったのだ。
最近、ようやく重い腰を挙げてウォーキングを少し始めてみたが、なんとも体が重い。信号で赤になる前に、確かに以前のように小走りに渡り切ることは度々あるが、そのまま走りだすなんてことはない。そのことに、我ながら、時間の経過をズシリと感じることになる。
年齢を重ねてからジョギングを始める人もいるし、村上春樹などのように還暦を迎えながら、フルマラソンに挑戦しようという人も多くいるようだ。だから、彼らよりまだまだ若い自分としては、まぁ、そのうちジョギングを始めて、いつかフルマラソンへ挑戦、なんて夢もないわけではないが、まるで真実味がない。
フルマラソンどころか、近くで毎年行われているハーフマラソンの見物にも行ったことがない。いやいや、我ながら、普段からのものぐさぶりに呆れてしまう。なんてったって、自己流エレクトリック・コテッジの職住一致で、そもそも家の中も、動線を研究して、できるだけ移動を少なくして「快適」に過ごそうと設計してある。
玄関を開けて数歩歩けば、決して豪華とは言えないが、きちんと定期点検している営業車兼マイカーが待っている。最近こそ真面目に腰に万歩計をつけているけれど、意識しなければ、一日数百歩も歩かないでも、十分暮らしていけるライフスタイルになってしまっている。
いやいやこれじゃぁ、いけない、と、自転車踏みを考えたり、ジョギングを考えたりするが、まさかロードバイクやフルマラソンまで、一気に過激なことは考えることはできない。まぁ、せいぜい、世の中の人々は、このような努力をして、健康づくりに励んでいるんだなぁ、と感心するのが関の山である。
シューズの選びかたや水分補給の方法、フォームの留意点、ストレッチ、筋トレ、読めばなるほど、うなづける技や裏技があちこちに散りばめられている。この数日は、腰を痛めて整骨院通いの身であれば、今すぐ今日から即採用というわけにはいかないが、注目すべきポイントとは、常識といえば常識的な部分であり、当たり前なことが多いようだ。
しかしその常識もやってみなければ分からないことがいっぱいある。致命的な失敗に終わって再起不能になる前に、すこしは予備知識を入れておいて、「被害」を最小限にとどめる必要はあるだろう。「いつまでもデブと思うなよ」でもないけれど、いつまでもウォーキングばかりではないかもしれない。
いつかはジョギングになって、持久走になって、フルマラソンとはいかないまでも、5キロとか10キロくらいは走れるようになるかもしれない。まぁ、そのくらいの可能性と、ささやかな希望は残しておいてもいいのではないだろうか。
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