脳のなかの身体 認知運動療法の挑戦
「脳のなかの身体」 認知運動療法の挑戦
宮本省三 2008/ 02 講談社 新書 254p
Vol.2 No812★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆
理学療法士から見る脳と身体の関係である。
どうしてこんなにも骨・関節・筋・反射といった身体への物理的な治療を重視する「運動療法の時代」が続くのであろうか。現代の科学は、怪物の正体が「脳の異常」であることを突き止めている。恐ろしい怪物の正体は、患者自身の脳の中に潜んでいることは明白なのである。
正常な脳が異常を生じた脳と戦い、それを意識的にコントロールしないかぎり、怪物はずっと暴れ続ける。リハビリテーションに治療によって、脳に生物学的な変化(神経細胞の可塑性)を引き起こさないかぎり、運動麻痺の回復は生じない。つまり、治療の標的は目に見える身体の運動麻痺ではなく、目に見えない「脳のなかの身体」なのである。p14
幸か不幸か、私は一般的な身体障害があるとは判断されていないが、だいぶ前に、交通事故で4カ月入院したことがある。最初の一か月はベットに張り付けられたまま、天井を見て暮していた。なんだか悲しくなって、涙が、両目の端から、左右に分かれて、耳のほうに落ちていった。
その後、リハビリテーションを受けるようになり、次第に機能も回復し、数か月後には自宅に戻れるまでになった。あれから20年以上も経過しているのに、その後遺症はわずかにあるものの、日常の生活に支障があることはない。他人にはまったく分からないし、自分も忘れてしまっていることがある。
あの数カ月の間に、垣間見たリハビリテーションの療法室の世界からしか類推できないが、理学療法士たちの努力にも、ひたすら頭がさがる思いだ。その障害にもさまざまあるだろうし、今後の私の生活態度いかんによっては、ふたたび彼らのお世話にならないとも言えない。
身体を動かすだけでは不十分です。感じるために動くことが必要です。運動というのは、自分自身あるいは外部世界を認知するためのものです。大きな力を要する運動、すばやく大きな移動を要するような運動の練習はあまり役にたちません。
脳は、あなたが世界を認知しようと運動した時にもっとも活性化します。ですから、あなたは動きを「感じる」練習をしてください。p17
当ブログの現在進行形の、基本的なプラットフォームは、「地球人として生きる」だ。さて、地球の上で、人間は何をしていればいいのだろうか。座っているのか、寝ているのか。もっとも基本的なことは歩いている姿であろうと、最近、思うようになった。二本足の走行こそ「人」の象形であるし、もっとも基本的な行動であろう。しかし、その歩きまわることによって、人は、いろいろなことを「感じる」必要がある。脳があるからこそ感じるのであり、感じるからこそ、脳は進化する。
脳のなかに世界を表象する「ニューロン人間」がいるのだろうか。それは誰なのだろうか? おそらく、その誰かとは、私自身のことであり、あなた自身のことである。けれど、まだ誰も、その本当の姿を発見してはいない。p85
最新の脳科学ばかりではなく、基礎的な医学知識においても、私の様なきまぐれ読者には、なかなか理解できないことも多い。難しい専門的な領域はそれぞれお任せするにしても、やはり、いずれは「私は誰か?」という根源的な問題へと回帰してくる。
著者は、「脳のなかの身体」論の立場から、「リハビリテーション治療の現状」を踏まえ、批判する。
身体を死んだ肉塊におとしめてはならない----マッサージ治療 p128
身体をもの言わぬ物体としては扱ってはならない----関節稼動域訓練と筋の伸張訓練 p129
身体を自動的に動く解剖標本として理解してはならない----筋力トレーニング p130
身体を刺激に反応する物体と解釈してはならない----日常生活動作訓練とファシリテーション p132
現場の実際を知らない立場としては、ちょっと変だなぁ、と思う程度でやりすごしてしまうことも多いが、よくよく考えてみれば、深いテーマを抱えていると思う。話はかなり飛躍するが、私はこの部分を読んでいて、インターネットのクラウド・コンピューティング化のことを考えた。ある部分が中枢として集中化するのは仕方ないとしても、もし端末が単純な入力出力端末となり、雲の上だけが巨大してしまったら、結局、それは進化の後退を意味するのではないか。
木々の葉っぱや小枝たちが感じ、動くからこそ、幹も根も育つように、インターネット端末も、もっともっと、感じる創造的なものであってしかるべきなのではないか。全体的なネットワークとしてのクラウド・ソーシングこそ、この最新脳科学の「身体論」と重なってくる部分ではないか。そんなことを思った。
人間は身体を生きる。日々の臨床で「経験と科学」がダンスを踊るように、主観的な身体の発する苦悩する言葉に耳を澄ましながら、客観的な脳科学の知見との整合性を探求すれば、リハビリテーションの世界は「ロマンティック・サイエンス(主観と客観が融合した科学)」へと大きく変わってゆくはずである。p184
いつの時代も、どの分野においても、常にこのような意欲的な先駆者たちによって、未来は切り開かれていく。私は何処かモンスター・サイエンスの陰におびえているところがあるが、ロマンティック・サイエンス、というイメージには、すばらしい創造性を感じる。
21世紀のリハビリテーションは「脳のなかの身体」を治療する時代に入る。それは、真の人間再生に向かう、身体の可能性を旅する旅になるだろう。p236
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