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2009/11/17

ゆらぐ脳

ゆらぐ脳
「ゆらぐ脳」
池谷裕二 /木村俊介 2008/08 文藝春秋 単行本 252p
Vol.2 No834  ★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 「脳科学」に強い関心があったわけではないのだが、「脳ブーム」とかいわれる風潮を、当ブログなりに触れておくことも必要かな、と思ったのが最初であった。それは、つい一年ほど前のことである。まずは、巷にあふれている茂木健一郎シンドロームの実態を見ておこう、と、おっとり刀でスタートした。

 茂木の「意識は科学で解き明かせるか」「プロセス・アイ」、あるいは「今、ここからすべての場所へ」などは、とても面白く読めたので、ひょっとすると、もっと奥があるかもしれないと、茂木追っかけを始めてみたのだが、その期待は、わりと早く簡単に薄らいで行った。茂木の「脳科学」も結局は、どこか中途半端で、途中から「科学」から「芸術」に転向してしまったような、物足りなさを感じた。

 そんな時、池谷の「単純な脳、複雑な『私』」 をめくることになり、お、こちらの「脳科学」のほうがおもしろそうだぞ、と勝手に思い込み、やおら、池谷追っかけを始めた。しかし、もともと基本的な素養と理解力がなければ脳科学の先端など、話を聞いてもチンプンカンプンになり、なにがなにやら落ち着かない気分になった。

 2001年当時の池谷が糸井重里との対話した本「海馬」を読みだしたのだが、どうもタイミング合わず、途中でほっぽり出して、全然別なジャンルの本に手を伸ばしていた。だが、こちらの本も返却期限が近付いてきた。なにはともあれ、ひととおり目を通しておこう。

 茂木健一郎と、池谷裕二に、「なぜ『科学』はウソをつくのか」 の竹内薫、この三人を横に並べてみて、考えた。たとえば、池谷と竹内を分けてしまったものはなにか。それぞれに若い新進の科学者として、将来を有望視された存在であったことは間違いない。しかし、この二人の道は大きく分かれた。

 池谷は、大学の薬学部の准教授として、アカデミズムの中でその人生を歩んでおり、かたや竹内は、とかくトンデモ科学を扱うようなサイエンスライターのひとり、と目されている。この二人を大きく分けたものは、もともとの持って生まれた才能や運命、努力やチャンス、ということもあっただろうが、池谷は学会の研究誌に論文を掲載することに成功し、かたや竹内は、アルバイトで書いた記事が、トンデモ本の中に収録されてしまった、という偶然の出来事からであった。

 この「ゆらぐ脳」と竹内の「なぜ『科学』はウソをつくのか」に共通するものは、科学、あるいは科学者というものに対する疑問、批判である。あるいは、科学者として生きるということに対する、曖昧さ、茫漠とした不安のようなものである。同じような感想を抱えながら、片や「体制側」に生き、かたや「反体制側」に生きている。しかし、一般人が考えている「科学」や「科学者」というものが、現在のところ、どのような状況に陥っているのかを、それぞれの立場から表現しているように思う。

 この本において池谷は、「科学」から、より真理へ向けての「神秘の扉」を開いているように思う。科学には科学の力があり、また、科学には科学の限界がある。そのことを暗に読者に広く告知しているかのようだ。盲目的な「科学」信仰を慎まなければならない、そう言っているかのようだ。

 茂木おっかけにあきて、池谷おっかけを始めようとした当ブログではあったが、結局は、茂木がなぜあのような「道草」的行為をしているのか、すこし分かった気がする。つまり、脳科学はブームであり、一般人はそこから何か無限の可能性を感じているのだが、その期待とは裏腹に、その先端にいる研究者たちは、その期待に「答えられない」ことを、知ってしまっているのではないか。

 少なくとも、科学者と、科学者たちに期待している一般人の間には、大きなギャップがある。科学がどこまでも科学であり得るかどうかなど、定かではない。いつ疑似科学に落ちるかわかったものではない。あるいは、トンデモ科学と思われているものと、真正な科学と思われているもの違いは、ホンの小さな違い、たとえば、論文が認められたであるとか、誰かが権威づけたとかであったりする。現場に近いところにいればいるほど、その危うさが分かるのだろう。

 当ブログは、科学、芸術、意識、の三つの総合的に融合した世界の在り方を求めている。決して「科学者」になることや、「科学者」であることを至上とするものではない。もちろん「芸術家」や「神秘家」であることで、なにかが達成されたとも思えない。この三つの要素は、多分、ひとつのものとしてメルティングされていく必要があるのだ。

 「意識」といえば、今は花型の研究です。意識のことは多くの研究者が解明したがっています。だから、自発活動と意識の関係が示唆された時、期待と注目を集めました。しかし、意識への強い関与が否定されるというこのやりとりを見て、私は「自発活動は、意識の源泉じゃないんだなぁ。がっかりしたなぁ」とは思いませんでした。むしろ、自発活動は意識なんていう表層的なものであってほしくなかったので、よかったなぁと思いました。私にとっては、反論の登場で余計に「ゆらぎ」の重要性が増したわけです。意識は人間の活動のほんの一部の現象で、意識を重要視しすぎることは、いわば滑稽と言ってもよいくらいのものですから。p200

 なにはともあれ、私はこの本を面白く読んだ。そこにあったのは、科学から神秘への「ゆらぎ」であり、そのゆらぎをなんとか表現しようとする芸術に似た努力だ。ひとつひとつの事象や記事内容は理解できないまでも、「なに」かと真正面から取っ組み合いをしようとする著者の姿には、好ましいものを感じた。

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