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2009/11/06

地球の授業

地球の授業
「地球の授業」
ユベール・リーヴズ /高橋啓 2009/08 飛鳥新社 単行本 178p
Vol.2 No818★★★★★ ★★★★★ ★★★★★

 フランス語の原題は「空と命のコラム」2005という。もともとは2003年に一年間に渡ってラジオ・コラムとして放送されたものを語り手の1932年生まれの宇宙物理学者が加筆して編集しなおしたものである。地球環境、二酸化炭素、森林伐採、温室効果、オゾン、酸性雨、化石エネルギー、核エネルギー、生態系、科学技術の危機、人類を救うのは誰か、など、いわゆるこの手の環境啓発本として、コンパクトであり網羅的でもあり、誰でも読める良書と言える。

 この本の目次をめくって、最初に目がとまったのは、「民主主義の限界」というところ。この問題について、あまり多くが議論されていないように思う。

 政治家は「私の任期中には無理だけれども」という表現をよく使いますが、議会制民主主義という制度のなかで働く政治家の態度をこれほどよく言いあらわしている言葉はないでしょう。大きな問題に直面したとき、それをつぎの内閣に先送りするわけです。

 わたしたちの政府の動き方の特徴には、さらにもうひとつの問題があります。政策決定とそれを実施に移すまでの手続きに時間がかかりすぎるということです。省庁特有のお役所仕事は、具体的な行動にとりかかれる場所までたどりつくのに数カ月、ときには数年かかることさえあります。内閣が変わることで時間が早まるかといえばそうではなく、むしろさらに遅くなるのです。地球の環境破壊が驚くべきスピードで進行しているというのに、お役所仕事とお役所間の遅々とした仕事ぶりを目の当たりにすると、わたしたちはいっそう不安になります。

 このような危機的な状況にあって、はたしえ政治は長期的展望をもち、必要な政策決定をすみやかにおこない、この緊急事態に対処するためにてきぱきと行動に移すことができるようになるのでしょうか? わたしたちの未来はそこにかかっているのですが・・・・・。p104 「民主主義の限界」

 日本やアメリカに限らず、民主主義というの政治システムが現在のところ最良のシステムであることは間違いないのだが、最高のシステムではない、ということが言われ始めている。次のシステムが生まれ出てくる必要が日々強くなっている。

 「新・平和学の現在」「15歳のためのグローバリゼーション」などと並ぶ、当ブログ、今年後半のベスト本入りするであろう一冊だ。トータルであり、難しくなく、問いかけに満ちている。高橋敬一の「『自然との共生』というウソ」あたりまでペシミスティックになって皮肉屋になるのもどうかと思うが、事態の危機はすぐそこまでやってきている、ということは忘れてはならない。

 著者は人間について、進化の頂点にあると考えるのは人間のおごりだとしている。この辺は高橋敬一などのペシミスト達と同じ傾向があるようだが、当ブログは、以前、人間は現在のところ想像のつく限り、生命進化の頂点に立つものである、という考えに賛同する。でなければ、人間そのものの責任はどこにあるのか、ということになる。

 地球から人間が退場すれば、それですべてはうまくいくことになるのか。そんなことはあるまい。人間という「未完成」、あるいは「進化途上」の存在を包含してこその、大自然、大宇宙であろう。最新の脳科学などの究明している人間のもっている可能性は、まだまだ無限大である。そこから知性やスピリチュアリティが解明されて、この難局に対処する知恵を生みだす必要がある。人間には人間としての責任がある。

 また、「15歳のためのグローバリゼーション」などに比較すると、向こうは複数の人々はランダムに参加して作り上げた本なので、そこから立ち上がる本としての「人格」、つまりキャラクターがいまひとつ分からないところがあるが、本書は、一人の書き手が話しかけてくる形なので、全体的でまとまりがある。もっとも、その半面、「15歳」などでは大きく評価されているインターネットやリナックスへの言及はない。ひょっとすると、現在76歳の著者はデジタル社会はお好みではないかもしれない。

 二千年前のサーカスでは、大勢の興奮した群衆の前で人間同士が斬りあい、殺しあったりしていました。飢えた動物に食い殺される人間を見て、観客が喝采を送ることもありました。戦争で捕虜になった兵士は奴隷のように売り買いされたり、「勇敢な勝者」が凱旋する街道に立てられた十字架にはりつけになったりしました。p133

 最近、トヨタがF1ビジネスから撤退することを表明した。ホンダもブリジストンもBMWも撤退の予定だ。よくよく考えてみれば、スピードとその運転テクニックを競うあうFIレースも、すでに過去のスポーツとなっているのではないか。群衆の前で時にはドライバーが命を落とす場合もある。もう人間同士が競いあうのは、スピードではないのではないか。

 F1レースを考えていると、あの超音速ジェット旅客機コンコルドの盛衰を思い出す。枝葉の末端まで行ってしまったモンスター・サイエンスの先にはいったい何があるのか。勇気ある撤退も必要であろう。

 道徳心の向上を声高にさけぶよりは、ある種の行動を社会的に受け入れられなくし、そのことによて人間の行動様式全般に影響を与えるような、人間らしい感受性の発達について語るできではないでしょうか。他人の不幸を思いやる気持ちが人類的に規模で湧きあがっていることについて語るべきなのです。それはすでに大きな声になっています。そしてそれについて語ることだけでも価値あることなのです・・・・。p134「人間は人間らしくなっているのだろうか」

 「人間は菜食に向かうのか」p138なども面白い。「人類を滅亡させるのは誰か」p167、「人類を救うのは誰か」p169。答えは自ずと明確である。しかし、その問いかけは禅の公案のように、体全体で全存在を賭けて取り組まれる必要がある。

 

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