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2009/11/10

ザ・シークレットを超えて 幸せメイキングの超スピリチュアルなレシピ

ザ・シークレットを超えて
「ザ・シークレットを超えて」 幸せメイキングの超スピリチュアルなレシピ
ブレンダ・バーナビー /斉藤宗美 2009/06 徳間書店 単行本 230p
Vol.2 No820 ★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 書店のトンデモ・コーナーになら、この手の本は何冊も見つけられそうだが、公立図書館の新着本コーナーにこのようなタイトルが並んでいると、ついつい珍しさも手伝って、手にとってパラパラとめくってしまう。

 言葉の端々に面白そうなところを見つけては借り出してきて、傍らに積んではおくのだが、次から次と他の面白そうな本が登場してきて、この手の本はついつい後回しになる。貸し出し延長をしておきながら、最後の貸出期限が近付いてきていることに気がついて、仕方なく(笑)、またパラパラとめくることになる。

 私たちはいま極めて稀な機会を生きている、と私は確信したので本書を書こうと決心しました。この革新は、頂点を極めつつあるメンタリズム(唯心論。ロンダ・バーンの哲学的理論の中で言及されたメンタリズムの引用から)の教義の中にも見ることができます。このような動きがまさに第三千年紀の初期に起こっているというのも偶然ではありません。明らかに、この現象を最もよく示している例として、「ザ・シークレット」の著者ロンダ・バーンによって提案されたメッセージが、本や映像を通じて大きな成功を収めているということなのです。p001

 あ、たしかにトンデモ・コーナーに「ザ・シークレット」という本が平積みしてあった。ちょっとにぶそうな本であったが、パラパラと数ページをめくっただけで元の位置にもどした記憶がある。なるほど、あの本がかなりヒットしたおかげで生まれた、この本は、いわゆるコバンザメ商法の一冊なのかな。

 呼吸の重要な効力とは、身体とマインドの間を電送器のようにつなぐ役割を果たしているということです。私たちの臓器に酸素を送り込むことは、生きるために絶対に欠かせませんが、自分自身を深めるためにも有効に利用することができます。深呼吸のエネルギーが、内なる意識の完全なる領域に達すると、私たちは心の振動を認識することができるようになります。そして、すべてのレベルにおいて私たちの存在を瞬時に強化し調和していくのです。p061「身体とマインドをつなく呼吸練習を始めましょう」

 こまかいことを言うのはやめておこう。でも、それにしても、いまひとつ文字面を追っていてハラに落ちないのはなぜなのか、と、こうして一字一字キーボードに打ち込んだ時に、ハッと気づく。

 身体は魂の目に見える部分であり、魂は身体の目に見えない部分だ。身体と魂は、まったく分離していない。それはお互いの一部であり、それらはひとつの全体の一部だ。あなたは身体を受け容れ、あなたは身体を愛さなければならない、あなたは身体を尊重しなければならない、あなたは自分の身体に感謝しなければならない・・・・。OSHO「ボデイ・マインド・バランシング」まえがきp5

 あえて抜き書きまでして比較すべきところでもなさそうだが、ブレンダ・バーナビー が「呼吸は、身体とマインドの間を電送器のようにつなぐ」という時、Oshoはさらに飛躍して「身体は魂の目に見える部分であり、魂は身体の目に見えない部分だ」と言ってしまう。互いに、いわゆる純粋な現代的な科学的な検証可能な見解とは言えないだろうが、その違いは面白い。身体をマインドから切り離されているものとみるか、もともと魂と同じものの違う側面とみるか。

 新進気鋭の脳科学者・池谷裕二も「呼吸という行動はちょうど意識と無意識の境目にある不思議な行動だ」と述べたりしているから、その見解は池谷独自の見解であり、必ずしも現代科学の主流になっているものではないにしろ、大脳生理学の最前線の研究者の一人の意見として価値ある立場だろう。

 東洋の瞑想における伝統的な技術において、瞑想のときの体勢が非常に重要な役割を持っています。もっともよく知られているのが、床の上で脚を組み、腿(もも)の上に足を置く形で、胴体を真ぐに起こした状態を保つ<蓮の花>です。また、すでに本書の中でエジプトが起源の<ファラオの姿勢>についても説明しました。椅子に座って瞑想を行いたい人にお勧めしたい姿勢です。その他、規範となる姿勢は、パタンジャリがヨーガ・スートラの中で説明したハタ・ヨーガの姿勢、西洋でもよく知られている仏教の座禅、チベットのクム・ニェ法、グルジェフ・ムーブメンツ、そして、道教の信徒が想像の柱を抱いて歩きながら行う瞑想法などです。p139「クリエイティブ・ヴィジュアライゼーション」「姿勢」

 この本全体が、あちこちの印刷物や発行物からの切りだしたアフォリズムで成り立っている。読んだ本を抜き書きしてようやく成り立っている当ブログが、自らのことを棚にあげて冷やかしている場合ではないが、それにしても、人に何かの道をすすめているだけに、この本はさらなるチューニングが必要と思われる。

 岡田斗司夫のレコーディング・ダイエットにしても、ただ食べているものをメモするだけでやせられる、という触れ込みではあるが、ごく単純にメモしているだけではない。そこに気づきや変化がある。メモをし続けていると、食べ過ぎているものを食べなくなるし、合わせてウォーキングもしたくなるだろうし、体脂肪計も買いたくなる。筋トレもストレッチも、ときにはサプリメントも気になりだすだろう。

 スピリチュアル・ワールドも、結局は、みなさんおっしゃることは、単語の種類や数や傾向性としては似たようなものにならざるを得ない。しかし、「道は多く、旅する者は少ない」OSHOという現象が起きている限り、自戒を込めてヘッドトリップに注意しなければならない。

 もし誰かが、図書館の新着本コーナーや、トンデモ本コーナーでこの本を見つけ、ただこの一冊の本を入口として、神秘家の道を歩み始める、という可能性はゼロではないだろう。ゼロでない限り、この本の努力は、それ相応に評価されるべきものであろう。

 「来なさい、来なさい、誰もでもかまわないから来なさい!
拝火教徒でも、偶像崇拝者でも、放浪者でもかまわないのです。
私たちのキャラバンは、絶望のキャラバンではありません。
希望のキャラバンです。
 たとえあなたが千回の誓いを破っていたとしても、来なさい!
 来なさい、そして、いつでも戻ってくるのです!」
p201「超スピリチュアルな哲学の源泉」

 この本にも、ジャラルーディン・ルーミーの「マスナヴィ」のこの有名な言葉 が引用されている。ほかにも「バガヴァット・ギーター」、仏陀、レイキ、ピタゴラス、老子、などなど、名だたるマスターたちがたくさん引用されている。

 道を歩いて旅する探究者たちにとっては、道しるべは有難いが、乱立する立て札から、自らが歩むべき道を探し出すことが、むしろ困難になることもある。結局は、道の道たるものは内にあり、本来の道しるべは自らの中にあった、という結論になることも、少なくない。

 

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