脱デブ なぜ一年以上たってもリバウンドしないのか
「脱デブ」 なぜ芸能人はレコーディング・ダイエットにはまるのか なぜ一年以上たってもリバウンドしないのか
岡田斗司夫 2008/08 ソニー・マガジンズ 新書 187p
Vol.2 No811★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★☆☆☆
一年間で50万部売れたという「いつまでもデブと思うなよ」 の一年後にでた姉妹編。「なぜ一年以上たってもリバウンドしないのか」というサブタイトルを持つかぎり、著者は一年間で50キロダウンのダイエットに成功したあとは、特段にあの不埒な日常へとは戻らなかったらしい。
今回は前著と違い、自分の体験をもとにはしているが、よりマニュアル化されており、本としてのインパクトは弱まっている。書いてある内容は、前著のおさらい、ということになろう。こまかく箇条書きに書いてあるが、はて、これは・・・・というものもある。
61)飲み会やパーティは、1時間遅れの参加で目標カロリーを守る。p117
さぁ、こんなのはどうだろう。たしかに、この数十年のダイエット失敗歴を考えてみると、この飲み会で崩れた、という回数はかなり多い。多分、私の計画が失敗した回数のもっとも多いものだろう。
飲み会自体は、積極的に参加しなければそう多くはない。しかし、月に一度くらいはどうしても参加しなければならない飲み会というものが存在する。実に、これがいけない。普段はタバコを吸わない自分でも受動喫煙の結果、隣の席の友人から一本いただいて、ひさしぶりにタバコを味わうなんてことにもなる。飲んだ時のタバコがまたうまい。
飲めばそれだけ食欲も旺盛になるし、理性も緩慢になる。ましてや目の前に、色とりどりのご馳走が並ぶとすれば、当然ながら、据え膳食わぬは男の恥、ということになる。まぁ、明日からまた減らせばいいや、と毎回思うのだが、これができない。次の日から、食生活が完全にもとにもどる。一カ月かけて減量しても、私の場合は3日でもとに戻る。そしてさらなる3日で、もとより体重が増加する。
いけない、いけない、このような失敗パターンを思い出すべきではない。もっとポジティブに考えなくてはならない。しかし、本当にそういう失敗だらけであった。ただ、私には1時間遅れでパーティや飲み会に参加することはできない。みんなが出来上がっているところに、ひとりだけシラフで途中参加なんて、できない。無理だ。最初から行かないほうがいい。
82)運動を選ぶなら、やった結果が万歩計で数値化できる「ウォーキング」。p145
これは賛成できる。最近再スタートしたところ。なかなか生活に組み込むまでが大変だが、慣れてくると、一万歩はいけるようになる。最近、自分の場合は、いきつけの図書館を含んだ散歩コースが、ちょうど1万歩に値する。ショートカットしたり、遠まわししたりすれば、その日の調子に合わせて増減できる。途中に電車の駅がふたつあるから、いやになったら、電車で戻ってくればいい。
この距離、いつもは車でいっていたが、数年前あたりから自転車でいく時もある。しかし、しっかりしたダイエット効果を計算するとすると、この距離を時点では足りない。ウォーキングにちょうどよい距離だ。今日も歩いてみたが、快適だった。だが、靴が合わなくなっていて、両足に豆ができたのには参った。
100)卒業後も、体重だけは毎日はかる。小さな異変に早く気づけて修正がきく。p174
この体重計、という奴が魔物である。減量しつづけている時は、ほんの100グラムの減量でも励みになる。しかし、停滞期やリバウンド期には、もう、全く見なくなる。当面見ないでいると、見事に1週間後には、トンデモないことになっている。もうトンデモないことになっていれば、あとはもう知らんぷり。「タイジュウケイ」って、なんだっけ・・・・? 卒業どころか、一回休んで、はい、振り出しに戻ります。
今回の体重計はデジタル表示であるばかりか、ただただ計測するだけでいい。メモすらすることない。何キロあるかさえ忘れていてもいい。あとでまとめてパソコンに落とし込めば、記録はすっかりグラフ化される。ただただ、一日一回体重計に「乗る」努力をすればいいはずなのだが・・・・。まぁ、うまくできるかなぁ。
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