オバマは何を変えるか<1>
「オバマは何を変えるか」<1>
砂田 一郎 (著) 2009/10 岩波書店 新書: 223p
Vol.2 No817★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★☆☆
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この11月4日で、ちょうどオバマが大統領選に当選したあの劇的な日から一年が経過したことになる。1月の就任式から、それほどの日数が経過しておらず、その政治的姿勢や業績を判断するにはまだまだ早すぎるが、今後もあらゆる角度からオバマ政権についての評価が下され続けることになるだろう。
かたや日本においても、この9月に民主党・鳩山政権が発足し、さまざまな新政策や議論が物議を呼んでいる。こちらもまた、いまだ海のものとも山のものともわからない状況が続いており、日本新党の細川政権のように8カ月で倒れるなんてことがなければいいがな、と心配している向きも少なくあるまい。
小沢一郎は、「民主主義において、主権者たる国民がその主権を実行するのは、唯一選挙だけである。民主主義は数である。選挙に勝たなければ民主主義においてはなにもできない」というようなことを語っている。そして、来年にある参議院選挙に向けて全力の構えで活動していると言われる。
5年前、私はひょんなことで、参議院選挙の運動員となった。投票の1カ月ちょっと前にいきなり連絡があり、沖縄出身の某ロック歌手の選挙活動を手伝ったのである。そもそも彼のコンサート企画にも複数回関わったこともあり、個人的にも面識がある。彼の本に文章を寄せたこともある。言われなくても投票は彼にしようと思っていたし、少なからず応援しようとは思っていた。
しかし、DMづくり、チラシまき、ポスター貼り、街頭でのビラ撒きと、短期間の中で考えられることはほとんどやったが、はて、後から考えた場合、一か月の間、仕事もそこそこにしてあの活動をして、私が得られたものはどれほどのものであっただろうか、と疑問になった。
このような活動はほとんどしたことがなかったので、一度はやってみようとは思っていたので、活動したことについては別段に後悔はない。やっている最中はそれはそれで楽しかった。しかし、このような活動は幅広い参加者を必要とするものだが、私の呼びかけも上手でなかったせいもあろうが、選挙となると、身近な友人たちでも、ほとんど手伝ってくれるものはいない。ごくごく少人数でその活動を終えた。
活動したエリアは、他の地域に比べ推薦する候補者の獲得票の比率が多かったから、まんざらその活動はムダではなかったとは思うものの、どこか釈然としないものが残った。まず、自分たちの活動している地域に候補者自身がこなかったこと。最初、遊説の予定は入っていたが、その芸能人としてのキャラクターから、他の候補や政党の客寄せパンダ的に扱われて、十分にその意見を主張する場を与えられなかったこと。
あるいは、この5年間での一参議院議員の活動というものは、全体からみれば実に小さなものであるということ。すくなくとも、彼が議員であったことで、私が直接的に得たものはほとんどなにもない。いちど政治報告のような冊子が送られてきたが、それはお決まりの印刷物であり、それ以上のものではない。あとは政党へのカンパと党員参加の呼び掛けのDMくらいであった。
もっともそれ以上のなにを期待するのか、と問われても答えに窮するが、すくなくとも政治に没頭して、身を捧げても、はて、それがどうした、と冷やかな気分がどうしても残ってしまう。先日、NHKスペシャルで「証言ドキュメント・永田町・権力の興亡」を三日連続でやっていたが、権力の中枢にいたり、首相を経験したりした人々でさえ、その人生を忸怩たる思いで振り返っていることが多いことがあらためて分かった。
チェンジを叫んで大統領になったバラク・オバマに対する評価はまだまだ早い。医療保険制度問題では、共和党ばかりか民主党内部からの反対にさえあっているオバマだが、確かに支持率は低下しても、まだまだ彼に期待されていることは多い。
もし、未来に「ひとつの世界政府」というものがあるとするならば、オバマこそ、その未来像を垣間見せてくれる存在になるのではないか、と期待する。ブッシュにも、プーチンにも、胡錦濤にもない、魅力と可能性を感じさせる。
しかし、ふと考える。制度としての民主主義はすでに限界にきているのではないか、と思いつつ、政治というものが、新しい地球人たちに与えてくれるものは、どれほどものであろうか、と。政治はなくてはならないものだが、全部ではない。政治には及ばない世界がある。地球が一つになるとともに、人は、それぞれひとりでなければならない。とくにスピリチュアリティにおいて、人間は、ひとり自らの内部への下りていく必要がある。
そんなことを考えていたら、先日読んだ「デジタル社会はなぜ生きにくいか」のなかの、生きて行くための「心構え」を思い出した。あれは、デジタル化する社会を生きて行くための個人の心構えであったが、意趣を変えてみれば、これはこのまま、政治社会を生きていくための「心構え」そのものにも使えるのではないだろうか。
心構え(1) 半分信用し、半分信用しない
心構え(2) 必要な知識や情報を得て、自分を守り、他人の立場を尊重する
心構え(3) 自分ですることの境界線を定める
心構え(4) 利用することと利用しないことの境界線を定める
心構え(5) 危険性を分散し、代替の方法を持つ
心構え(6) 依存しすぎない
オバマも魅力あるし、鳩山政権もまだまだ期待できる。ただ政治家に「国民が主権を行使するのは選挙の時だけだ」と決めつけられては困る。数の論理に押し潰されてしまうのが政治の世界なら、数の論理が絶対に入り込めない世界が人間にはある。「コンクリートから人へ」のスローガンにある「人」には、どれだけのスピリチュアリティが含まれているだろうか。決して数を頼まず、人は人として自らのなかに安心の境地を求める必要がある。
オバマには、さらに地球大の「政治」の中で活躍してもらいたいが、また、人が人として静かに内面暮らせるような局面を多く増やす機会をつくってもらいたい。外側の地球大の政治と、個人のひとりひとりのスピリチュアリティとのパランスがうまくとれるような、そのような社会や世界を創ってほしい。そのように変えてもらいたい。
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