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2009/11/18

海馬 脳は疲れない

海馬
「海馬」 脳は疲れない
池谷裕二 /糸井重里 2002/07 新潮社 文庫 344p
Vol.2 No835★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 本には、読むべき時期、読まれるタイミング、というものがあるのだろう。この本がでた当時、池谷は独身の31歳。若き新進の脳科学者に、54歳の老練なる少年・糸井重里が「挑む」という形だ。社会的には、例の9.11同時多発テロ事件の直後、ということになる。この本には仕掛け人がいる。ほぼ日新聞のスタッフ(乗組員)の木村俊介だ。木村はこのあと、池谷と共著という形で「ゆらぐ脳」を企画・出版している。

池谷 ええ。うちの研究室だけでも、(ネズミ)が数百匹はいます。一気に反乱したらどうしようとか、たまに思うと怖くなりますねぇ。p181

 「海馬」とは、脳の中でもさらに奥の潜んでいる親指ほどの大きさの部分。この海馬が池谷の目下の研究課題だ。この研究をするために、多分、ネズミを飼っているのだろう。その実験室で何が行われているのかは想像するしかないが、すくなくとも、ペットで飼っているわけではない。そこではさまざまな外科的、あるいは、電気的な「生物」「実験」が行われているのであろう。

 ベジタリアンならず、熱烈なるクジラ保護者でもなく、動物愛護精神にも特に優れているわけではない私ではあるが、このような科学者たちの手によって、多く葬りさられていく「命」たちの運命をふと思う。高橋敬一は「『自然との共生』というウソ」のなかで、この動物実験に触れていたと思う。

 池谷は「自然との共生」を唄い文句にしているわけではないが、多くのネズミやその他の実験の中から、脳科学や、「意識」を研究しようとしている。多くの犠牲のなかから「意識」についての新しい研究成果があがるとして、はて、それは生命倫理からみた場合、どうなのか、という反論があって、当然であろう。

 選抜された数人の高校生と語り会った「進化しすぎた脳」のなかで、池谷は、戦争が人間の脳科学の進歩に貢献していることを紹介していた。

 戦地に赴いた兵士たちは、負傷して帰ってくる。現代の兵器は極めて進化していて、敵弾が兵士の体を貫いて、ピンポイントで損傷はしても、生命そのものは生き残る可能性があるのだという。つまり、敵弾を浴びた兵士が脳の一部だけを損傷して機能を失っているが、他の部分は健全に機能している。このような場合の、「異常」な機能状態を調べていくと、人間の脳の研究に大いに役立つというのだ。

 私はこの話は直視できない。ネズミに電極を付けたり、負傷戦士をサンプルとして集めることで、解明される「科学的」成果とはなにか。あまりに痛ましい光景を思い浮かべてしまうのは、科学者ならざる小児的平和主義者の憂いでしかないのだろうか。

 当ブログ、Osho「私が愛した本」の中の「東洋哲学(インド)」編が進んでいない。一時的に中断したまま、いつ再開するとも目途がたっていなかった。しかし、もし、人類が自らの「意識」を研究するのに、ネズミなどの実験や負傷兵士たちの異常状態に学ぶより、「意識」そのものに入っていった、先人たるブッタたちにこそまなぶべきなのではないか。脳科学の現実を思い知らされた時、私なら、そちらのほうに舵をとることになるだろう。

池谷 マジックナンバー7と言って、人間が同時に意識できる限界は7つ程度なんです。
 たとえば、やかんの火をつけながら、歯を磨きながら、テレビを見ながら、さらに電話をかけて・・・・とかやっていったら、いずれは最初のやかんのことを忘れたりしますよね。人が意識できる記憶は、かなり少ないのです。意識にのぼらせることのできる記憶というか「現在はたらいている記憶」を「ワーキングメモリー」と言います。それはほんとうにかぎられています。
 p130

 ちょっとこじつけのようにも思うが、自然発生的に「7」がでてきたとするならば、それはそれで面白い。

池谷 (前略) ぼくは学生たちに、「脳は複雑に見えるけれども、脳の機能を分類していくと、たったふたつしかないんじゃないか」と言います。
 「情報を保存する」と「情報を処理する」・・・・・煎じつめると、これしかない。そして、さらに一歩話を進めるんです。
 「情報を保存する」と「情報を処理する」とでは、どちらが大切だと思いますか?と訊くんです。
 p111

 池谷の話は面白い。話上手なのだろう。あるいは、他に見られない独創性があるに違いない。うえの質問では、「情報を保存する」ほうが大切だ、という結論になるのだが、私はふと、いや「情報を処理する」ほうが大切なのではないか、と思う。

池谷 実は今糸井さんがおっしゃった方向に、科学のあり方も変化しているんですよ。
 昔の科学は結果勝負的なところがあって、全部を証明してつくりあげたあとにはじめて発表していたんですが、今は仮説のまま公表しちゃうんです。
 仮説の発表後に人が寄ってきて、その仮説を証明していくというように、科学全体がプロセス重視に変わっているんです。
 インターネットの発展に伴って、情報の行き来が速くできるようになったために、科学のあり方も変わってきています。閉鎖系から開放系に移っていますよ。
p279

 この本はすでに7年前の本である。当ブログは、著者の近著「単純な脳、複雑な『私』」を読んでから、フィルムを逆回しするように、著者の過去の本を読み返してみたので、すこし整理つかないところがあるが、すくなくともこの「海馬」がでた当時よりも、池谷本人は、かなり全体性を取り戻しているように思う。

 池谷さんと脳の話をして、ぼくは「勇気」をもらったように思います。『道理として、人間はあんまり哀しい生き物じゃない』んだと、わかったような気がしました。科学は人のためにあると思えました。いい時間を共有できて、ほんとうに感謝しています。p293 糸井

 いつから脳科学や脳ブームがこれほど一般的になったのか、気がつかなかったが、すくなくとも、この本は、そのブームの立役者の一冊であることは確かだろう。しかし、最近の茂木健一郎の振る舞いをみても思うのだが、やはり、脳は海馬だけではなく、人間は脳ばかりではない。

 脳を調べれば当然身体性へと還らざるを得なくなり、身体性に帰れば、人間とは何か、人類とは何か、地球とは何か、宇宙とは何か、生命とはなにか、と大きな、全体的な課題への帰っていくことになる。そして、究極のテーマは意識、であり、最終的には「私は誰か」に帰結するのではないだろうか・・・。

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