ヘルマン・ヘッセを旅する
「ヘルマン・ヘッセを旅する」
南川三治郎 2002/08 世界文化社 単行本 143p
Vol.2 No845 ★★★★☆ ★★★★★ ★★★★☆
ヘッセ生誕125周年の2002年、1945年生まれの写真家、南川三治郎が、その詩人の足跡を追い、写真に収めた。たしかヘッセの編集者、 フォルカー・ミヒェルスにも似たような一冊があったと思ったが、こちらは、日本人的な感覚で、しかも、写真家の手になる一冊である。
写真とともに、その文章も素晴らしい。もともとヘッセの持っているメロディに同調するように、さらにその余韻を広げてくれる。
まず、027ページの一丁のピストルと三発の弾丸の画像には驚かされた。およそメルヘン的なコスモポリタン、ヘルマン・ヘッセに似合わない一枚の写真である。
ガラス細工のような過敏な神経の持ち主だったヘッセがカンシュタット高校時代、自殺用に買ったピストル。p29
繊細な青春時代のヘッセの感性は「郷愁」や「車輪の下」にも表現されているが、生涯に渡る「隠者」のような生活は、このような内面的な性格によるものであったのだろう。
(1916年の春)、あれやこれやと心労が重なり、身も心もすっかり消耗し、ヘッセ自身もく極度のノイローゼに陥った。この鬱状態を治療するため、ヘッセはユングの弟子である精神分析医ヨゼフ・ベルンハルト・ラング博士の診察を仰ぐ。p085
この治療の結果は「デミアン」の中で結実している。
博士は、精神的な危機を乗り越える治療の一環としてヘッセに絵を描くことを勧め、すでに絵筆をとり始めていたヘッセもこの意見を取り入れ、ますます絵画に傾倒していくこととなった。p085
「へッセの水彩画」でも、たくさんの絵を見てきたが、実は彼が絵を描きだしたのは40代になってからだった。どこかニコライ・レーリヒのシャンバラの絵に連なるようなヘッセの水彩画は、一貫した波長を放ち続ける。
モンタニューラに移り住んだあと、ヘッセはガーデニングを瞑想の場としてとらえ、地球との繋がりを感じ取れる場所として理解したようです。ガーデニングを通じてヘッセは、炎、地球、自然の素晴らしさに出会ったのです。そして、植物の栽培をすることによって、ヘッセは「魂」について考察するようになりました。「魂」は彼の「信仰」とも深く関わっています。彼は何年もガーデニングを続けました。恐らく、ガーデニングはヘッセの一部だったのでしょう。p106
そもそも当ブログがヘッセを読み始めたのは「庭仕事の愉しみ」を偶然に手にしたからであった。
ヘッセの庭仕事は、ヘッセの心を静めさせるメディテーションであったのだ。p0107
「シッダルタ」や「ガラス玉演戯」で分かってしまっていた気分になっていたヘッセであるが、ここに来て、また、その足跡を追いかけてみたくなった。
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