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2009/12/26

ふりかえったら風1 きたやまおさむの巻

ふりかえったら風(1(きたやまおさむの巻))
「ふりかえったら風1」 (きたやまおさむの巻) 対談1968ー2005
北山修 2005/11 みすず書房 単行本 256p
Vol.2 No886★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

さて、当ブログにおけるログ・ナビにおけるフロイト--ヘッセ--グルジェフの旅も徐々に前に進んでいる。ヘッセは一連の単行本と、一連の全集をかいま見ることによって、大体のアウトラインをつかんでおいた。「最後のガラス玉遊戯者」で一旦フェードアウトしておいて、あとはすこしまとめておけば、まずはひとつの極としてのヘッセはこれでいい。

 グルジェフについては、ウスペンスキーを含んだ形で要所要所を再読していかなければならないが、それでも、単に再読モードに入ったからと言って、なかなか読書は前に進まない。ここは新たなる展開軸が必要となる。そこで、もっとテーマを絞って、つまり「ブッダたちの心理学」の要素をすこし前に推し進める時期が来ているようである。

 となると、ここで問われてくるのは「ブッダ」とは何か、「心理学」とはなにか、ということであるが、やはり心理学とくれば、まずは「フロイト」を避けては通れない。フロイトは心理学というより「精神分析」という手法のイメージが強く、こちらもすでに100年前の人なので、ヘッセと同じように全集などでみることができるのだが、どうも古臭い。

 そこで、今回は、フロイト洞窟探検隊のナビゲーションを、精神分析「医」、北山修にお願いしようと言うわけである。当ブログとしては、この人はまったくノーマークだったのだが、探してみれば著書の類は多い。どうしていままで気づかなかったのだろう。どうやら、この、気づかなかった、というところにも、なんらかのミソが隠されていそうなので、ゆっくり紐といていくことにする。

 さて、ヘッセの「全詩集」の次は、北山修の「百歌撰」とつないでみたのだが、狙いは巧くいっただろうか。自己採点は35点くらい。あんまり巧くはいかなかった感じがする。

 当ブログで、現在進行形のカテゴリとして、この北山修とフロイトは、「私は誰か」カテゴリにいれるつもりでいた。しかし、実際に一連の北山修の著書を見てみると、必ずしも「私は誰か」カテゴリとは言えない部分も多くある。むしろ「地球人として生きる」カテゴリの要素が大きい。

 だから、現在、考慮中ではあるが、やはり、フロイト+北山かたまりは、「私は誰か」カテゴリに入れていこうと思う。たしかに、最近の当ブログを見ると「地球人として生きる」カテゴリの要素が強かった。とくに「2009年下半期に当ブログが読んだ新刊本ベスト10」などを見たりすると、我ながら、その思いがますます募る。

 しかしながら、やはり当ブログの眼目は「私は誰か」カテゴリなのであり、具体的には「ブッダたちの心理学」へのいざないなのである。だから、フロイトや北山かたまりが、あちこち誘惑してくる可能性があるが、うまいこと角をためて調教しながら、「私は誰か」カテゴリに追い込んでやろうと思う。

 ジャーナリストと精神科医の仕事はよく似ている? p246

 さぁ、きたぞ。こういう言葉自体が「私は誰か」カテゴリに追い込みたくなる構えなのである。そもそも当ブログでは、プログラマ--ジャーナリスト--カウンセラー、というトリニティできていたところ、それをフロイト--ヘッセ--グルジェフ、と言いかえたばかりである。つまり、最大限、プログラマ要素と、ジャーナリスト要素を、落とすことにしたのである。残るはカウンセラー的要素のみだ。

 もちろん精神科医はカウンセラーとは違うが、大カテゴリとしては同じジャンルにいれておいてもいいだろう。つまり当ブログにおいては、ジャーナリスト的部分は排除していく。いや、ジャーナリストも精神科医も、究極の問いかけ「私は誰か」の前のおいては、なんの意味もない。むしろ邪魔になるだけだ。1987年当時の対談の中の言葉なので、しかたないが、そこにはもう時代読みしている暇などはない。不要な要素は削っていく。

 この本は、三部作である。きたやまおさむ、キタヤマオサム、北山修、この三つの名前を使い分けるという。これもまた「私は誰か」カテゴリにはふさわしくない振舞いである。あなたは「きたやまおさむ」でもなく、「キタヤマオサム」でもなく、「北山修」でもない。さぁ、あなたは誰か。

 名前を三つ使って、二面性どころか三面性を使って何事かをなそうというのは眩術である。三つも五つも百個も同じこと。それでごまかしてはいけない。あなたには名前はないのだ。名前をつけて語れるようなものは、「あなた」ではないのだ。さぁ、あなたにとっての「私は誰か」。

<第2巻>につづく

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