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2009/12/12

ヘルマン・ヘッセ全集(第1巻) 青春時代の作品 1

ヘルマン・ヘッセ全集(第1巻)
「ヘルマン・ヘッセ全集(第1巻)」 青春時代の作品 1 
ヘルマン・ヘッセ /日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会 2005/08 臨川書店 全集・双書  371p
Vol.2 No858★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★☆☆

 そもそも今回あらためてヘッセ追っかけを始めたのは、アクセスログ解析における検索ワードに「シッダルタ」がたくさんあったからだった。もともと、当ブログへのアクセスルートにおけうキーワードはそう多くはない。大体30語くらい、範囲を広げたとしても7~80語位をカバーすれば、おおよそのところの指向性がわかる。

 そのなかにあって「シッダルタ」あるいは「シッダールタ」は、トップにこそならないが、かなりの高位に常にあり、少なくともベスト10の中には毎月入っているのである。最初そのことに気づいた時は、その理由がよくわからなかった。なぜ「ヘッセ」や「ヘルマン・ヘッセ」ではないのか。なぜ「車輪の下」や「ガラス玉演戯」ではないのか。「デミアン」や「クヌルプ」、あるいは「荒野の狼」ではないのか。

 アクセスしてくる人々(今後、この人々のことを、あえて「読者」と呼ばせていただこう)の真意は定かではない。しかし、そのアクセスログのグラフや数量的記録を見る限り、読者のかなりの割合は、「シッダルタ」を求めているのである。

 「シッダルタ」の中には、当然、仏陀の幼名である「ゴータマ・シッダルタ」を求めているのであって、作家ヘルマン・ヘッセの小説「シッダルタ」を求めているのではない人々も含まれているに違いない。しかし、であるなら、なぜに「仏陀」あるいは「ブッダ」を求めず、「シッダルタ」を求めるのであろうか。

 新しい世界宗教として見直されつつある仏教の、その開祖とされるゴータマ・仏陀には、限りない魅力がある。ひょっとすると、この存在なしには、地球人スピリット、などという当ブログの探索冒険自体、成り立たないかもしれない。それほどに大きい存在である。

 しかるに、人々は、この「完成」された存在、「成就」した存在、「解脱」した存在、そのものに直接向かおうとはしない。「完成」の前には「未完成」があり、「成就」の前には「不成就」があり、「解脱」の前には「煩悩」があることを知っているかのようだ。そして、不完全なものから完全なものへと向かう、そのプロセスにこそ、もとめるべき「真理」が隠されている、とでも言いたげだ。

 だから、もし当ブログの読者が「シッダルタ」というリクエスト語に、仏陀そのものを込めていたとしても、それに至るプロセスにこそ思いを重ねたいとするなら、やはり、ヘルマン・ヘッセの「シッダルタ」は、決して的はずれではないはずなのだ。

 ヘルマン・ヘッセを慕う当ブログの旅は、今回この「ヘッセ全集」と「エッセイ全集」を杖として、今後も続くであろう。その旅を支えてくれるナビ役としては、これほど強い味方はない。だが、全部で24冊になろうとするこの二つのシリーズ本を全部精読することなど、現在のところ不可能だ。せいぜい、その本の存在を確認し、全容を、遠く眺めるにとどまるだろう。

 この第一巻「青春時代の作品1」も、いつかは目を通すことになるだろうが、当ブログのアクセスログ解析による「再読モード」状態からすれば、必ずしも現在、こまかく読み込む段階には至っていない。

 当ブログにおける同じようなナビ本の一冊に「かもめのジョナサン」がある。その物語のストーリーを大きく外れるが、そのカモメの喩えを借りれば、たとえば、魚の群れを探しにでた小さな漁船を当ブログであると仮定して、その進路を定める時に、餌を求めて群がるカモメたちの飛び方を見て、漁船の船長はその舵の方向を決めるという。

 当ブログの読者をカモメの大群に喩えるのは大変失礼とは思いながらも、当ブログへアクセスした読者たちの90%は一見さんたちである。一度アクセスはするものの、自分のお好みのテーマでなければ、二度と戻ってこない。これは、自分の他サイトへのアクセス行動を考えれば当然のことである。だが、ここに当ブログは少し哀しい思いをする。

 一期一会とはいうものの、互いに知り合い、関係を深めてこそ到達し得るなにかがあるはずだ。残りの10%の人々に、かすかなその思いを託す。しかし、この数字はまだ少ない。せめて、「80対20の法則」に従って、20%の読者と、80%程度の内容物を共有したいと思うのだが、それは贅沢であろうか。

 たとえば「レクサスIS」というキーワードで当ブログに到着する読者がいるとする。その先には「45歳からのクルマ選び」という記事がある。この読者は、当ブログの洒落がわかるだろうか。「プレミオ」というキーワードで検索してきた読者なら、この「45歳から」というところになにほどかの共感を持ってくれるかもしれない。でも実際にいるのだが「アストンマーティン V8 ヴァンテージ」とか、「マセラティ グラントゥーリズモ」などのキーワードで検索してきた人々に対しては、大変な失望を与えているのではないだろうか。

 クルマは趣味だし、面白い。これからも読んでいきたい。しかし、当ブログのメインのテーマにはならない。たとえば「テラフォーミング」などもアクセス数は多いが、当ブログの興味からは大きく外れていくだろう。だが、たとえば「シッダルタ」というキーワードで検索してきた人々となら、次なるテーマを共有できるのではないか。あるいは「シーシュポスの神話」や「ゴドーを待ちながら」でもいいのだが、決して当ブログの得意なジャンルではないのだが、これらのキーワードに関心ある読者となら、次のテーマを見つけにいくことができるのではないか。

 当ブログ、当初からの目標は、多くの読者を求めてはいないが、せめて200のリピーターを持ちたいと思っている。この200には大きな仕掛けがあり、6次の隔たりを考えると、地球上の70億の人々と繋がり得る可能性があるからだ。もちろん、これにはその200のリピーターたちも、当ブログと同じ発想で200の読者を求めている必要があるが・・。

 とまぁ、そんなこんなで、これから歯医者に行かなくてはならない。言い足りないが、今朝はここまで。当ブログがヘッセや「シッダルタ」にこだわる理由の一旦を説明してみたのだった。

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