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2009/12/09

デーミアン<2> ヘッセ

<1>よりつづく

ヘルマン・ヘッセ全集(第10巻)
「ヘルマン・ヘッセ全集」 第10巻
ヘルマン・ヘッセ /日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会 2005/10 臨川書店 全集・双書 362p

「デーミアン」<2>

 この小説はどのくらいの長さなのだろう。単行本と違って、全集の中に収録されていると、長いのか短いのか、よくわからなくなる。小説読みが得意ではない自分としては、このくらいの小説は長くも短くもないので、適当という感じではあるが、しかし、読み終わってみれば、率直な印象は「小品」というのが正直なところである。

 なぜにそう感じるか、と言えば、まずは少年の心象風景として書かれていること。そして、登場人物が複数いるけれども、それは、登場人物たちの人生が語られているわけではなく、主人公の心象風景に具体性を持たせるためにだけ使われている。

 笑え、友人たちよ、笑え、ののしれ! 私はそれでもまた古い小道を行く。繰り返し何度でも。感傷と呼ぶがいい。幼稚と呼ぶがいい。それでも私はこの道を行くのだ。p141「遺稿の断章」

 なるほど、青春の感傷、と言ってしまえば、それが一番ぴったく来る表現であろう。この小説を読みながら、ところどころのエピソードに、あまりにぴったりな自分の体験を思い出したりする。女性の顔を記録するために絵を描くのだが、その女性の顔を思い出せないとか、よく見る夢が具体的な現実と重なったりするところなど、まさに自分の体験を抉り出されているような、快感とも不快感ともいえない感触がときどき現れる。

 しかしながら、ほかの部分は、あまりに走り過ぎて、小説が小説として形づくられるために、しかたなくストーリーが展開するような、空疎なシーンをいくつも発見したりする。この小説に対する我が共鳴度は、まだら模様だ。ところどころがあまりにも酷似しつつ、他のところは、まるで絹のように軽い。

 それはまるで、ヘッセの水彩画のようだ。キャンパスの上で、要所要所は画鋲で止められているが、それは一枚の淡いキャンパスであり、そこに描かれているのは、水色や、黄色や、ピンクや、灰色と言った、パステルカラーが多く使われているような、数枚の絵だ。決して、油絵のようなゴテゴテしたものではなく、また、切り絵のような、輪郭がはっきりと際立っているものではない。

 Sで過ごした時代が私にもたらした最上のものはピストーリウスとオルガンの側で、あるいは暖炉の前で過ごした時期だった。私たちはアブラクサスに関するギリシャ語のエキスとを一緒に読んだ。彼はバラモンの聖典ヴェーダの翻訳の中から幾編か朗読してくれ、聖なる祈祷語「オーム」を唱えることを教えてくれた。だが私を内面から成長させたのはそういう博識ではなく、むしろそれとは反対のものであった。私を元気づけたのは自己の内面の発見が前進したことであり、自分の夢や考えや予感への信頼が増したこと、自分の中にある力をますます自覚したことだった。p103

 この小説に限ったことではないのだが、ヘッセを読みながら、いつもどこかで、Oshoがヘッセについて彼は光明を得た人間ではなかった。ましてや光明を超えて行った人などではない。」と言及していることに、引っかかっている。その評価に確たる共感を持ち得ないものの、その評価は決して不当なものだとも思えない。ヘッセは神秘家や神秘的な現象に親和性をもちつつも、ひとりの人間、として「とどまった」。あるいは、その存在を「詩人」としてあることに賭けた。

 そのことの良し悪しについては、ここで語るには準備不足だ。だが、ヘッセ側から考えてみれば、ヘッセが「人間」としてとどまったことは妥当であったように思える。ひとりの人間に止まり得ることは、良くも悪しくもあるまい。人間であることが批判される要素にはならない。人間が人間たり得ているということは、至極まっとうなことであろう。もちろん、そのことは実に祝福されている、ともいえる。

 しかし、ある種の人々は「人間」でなくなってしまうことがある。「人間」に止まってはいられないのだ。それは自らの要求というよりは、存在が、その存在をその方向に流していくのだ。爆発する。その爆発音が、ともすれば、ヘッセの作品から聞こえてこない感じがする。

 ヘッセの世界が、ともすればモノトーンのように思え、中性的なユニセクシャルな、あるいはホモセクシャルで、水彩画のような、パステルカラーの淡い色調を特に連想させるのは、このところあたりに原因があるのだろう。「小品」と言ってしまうのは、決してほめ言葉ではないだろうが、しかし、また、ヘッセの側から考えれば、これだけ重たいテーマを「小品」にとどめておくことこそが、ヘッセの力量であり、ヘッセのやりたかったことなのである。このあたりに、芸術家と神秘家の境目がありそうだ。

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