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2009/12/28

ふりかえったら風2 キタヤマオサムの巻

<第1巻>よりつづく 

ふりかえったら風〈2〉対談1968‐2005 キタヤマオサムの巻
「ふりかえったら風2」 対談1968‐2005 キタヤマオサムの巻
北山 修 (著) 2005/12 みすず書房 単行本: 275p
Vol.2 No887★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 「きたやまおさむの巻」の第1巻につづく全三巻のうちの二冊目。いわゆるジャーナリスティックな目でみたら、もっともっと面白く読めるだろうと思う。1968年からこの本のでた2005年までに北山修が対談として刊行されたものを再構成して並べ直してみようという企画だから、つまらないはずはない。対談者も一級どころが多い。

 だが、当ブログは、この「ジャーナリスト」読みはやめよう、と決意したばかりである。社会時評のような、あるいは社会的な現象と自らの個体史を重ねて、事象を論じようとするベクトルをいったん引っ込めようという流れになっている。だからタイミングが悪い。うろうろしていると、前いた地点へと押し戻される。

 ログ・ナビからもらったお題は「フロイト 精神分析」である。しかも、フロイト--ヘッセ--ぐグルジェフ、というトリニティの中でフロイトをとらえてみようという趣向だ。そのフロイトを同時代的に理解するために選んだのが北山修というナビゲーターだ。まずは「主役より目立つなよ」、といわざるを得ない。今回は脇役だ。しかも、その喉元に「私は誰か」という公案をつきつけている。いかなるかこれ祖師西来の意。

 千万語使って「北山修」を説明されても、現在の当ブログへの答えにはならない。ただ、もし妥当な一声があれば、そのことをもって当ブログとしては了解することになる。渇。

 三部作の全部を読まず、また、読むというよりぱらぱらと風を起こした程度なので、よくわからないが、対談1968‐2005というふれこみなら、その期間のなかに、いくつかの重要な話題が含まれている必要がある。まず期待したいのは、彼の1995年当時の「麻原集団事件」についての対応、あるいは自らの問題としての自覚だ。

 この辺は、たとえば、当ブログにおけるヘッセの後継者として選定している村上春樹などは、もともと組織的には事件はまったく無関係であることはもちろんだが、事件当時外国にいたにもかかわらず、この事件のために帰国し、その後ノンフィクション的手法で「アンダーグラウンド」という大作をものしている。作品の出来不出来は別にしても、このような姿勢には、大いに共感することができる。

 このような形で北山には即時的に、しかも「自らの問題」として「麻原集団事件」に取り組んだものがあるだろうか、探してみたい。「戦争を知らない子供たち」や「ビートルズを知らない子供たち」のように、「麻原集団を知らない子供たち」をもし万が一、北山が名乗り、そのそぶりをするのであれば、それは決してジャーリズム的視点からも、かなりずれた世界に生きていた、ということになる。(いや、そうであるかどうかわからないが、まだそれを翻す文章に出会っていない)

 なにも、かの事件だけではなく、かりに9.11であってもいいし、環境問題でもいい。我がこととして、どれだけの取り組みがされていたのか、それを知りたい。

 精神分析は出会いと生き方を取り扱う。精神分析の一般向け自己紹介がこれまで十分ではなかったと思うので、精神分析家が人との出会いにおいてどういう考え方をするものなのかについても「再読して」に少し盛り込んでた。我が国の文化には、自分は出したくないが他人のことは覗きたいという強い傾向があるので、私の場合すでに自分が公開されているところがあり、これを生かして自己分析を試みたというわけだ。私なりに露悪趣味にならないようにしたつもりだが、精神分析運動のための実験的試みであり、いかがなものだろうか。p273「あとがき」

 ことこまかく履歴書を披瀝されても、それは「私は誰か」にはつながらない。それは詳しく細かければ細かいほど、なおいっそう「私は誰か」という問いの答えからは遠く離れていく。編集者が傍らにおり、雑誌類に掲載されたものをもって「出会い」というものとするとしても、それは「自己との出会い」にはならない。精神分析医という白衣や袈裟など、どうでもいい。北山修にとって、フロイトの精神分析とはなにか。

 問う。いかなるかこれ祖師西来の意。

<第3巻>につづく

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