わがままこそ最高の美徳<2> ヘッセ
「わがままこそ最高の美徳」 <2>
ヘルマン・ヘッセ /フォルカー・ミヒェルス 2009/10 草思社 単行本 278p
ふと思った。「当ブログ、想定外の『定番本』たち、その1」の中に、なんとノーベル文学賞作家が何人もいるではないか。タゴール、カミュ、ベケット、そして、このヘッセと、実に4人。随意に取り上げた13冊のうち、じつに4冊がノーベル賞作家のものであったことに、実に驚く。それだけ貴重な存在でもあり、高名な人物たちであるからこそ、当ブログにおいても、そのチャネルでのアクセスが多いのだろう。
これは必ずしも、当ブログがノーベル賞ものだ、ということではもちろんないが(爆)、考えてみれば、ほかの9冊にしたところで、そのレベルに十分達していそうな本たちがピックアップされてきている、と判断することも可能だろう。
当ブログ<1.0>は「村上春樹にご用心」を最後にして終了しているのだった。その時点では気がつかなかったが、村上はその直後に「1Q84」で大きな社会現象を起こしている。当ブログ<2.0>に残された宿題のひとつに「村上春樹シンドローム」解明、がある。「1Q84」については、すでに斜め読みして、その概略は知っているが、すこし社会的なコーフンが冷めかかりつつあるので、ようやく当ブログとしても「再読モード」でのんびり取りかかる準備をしているところだ。
さて、ここに気がついたことであるが、村上春樹にはノーベル文学賞の呼び込みの声が高い。これは日本のひいき筋だけではなく、翻訳を読んでいる外国からの評価も多くありそうなのである。毎年そのような話題が噴出しつつ、昨年も今年も、その選からはもれている。しかし、数年内に仮に村上春樹がノーベル賞を取るとするなら、間違いなく、この「1Q84」がその該当作品に選ばれることだろう。
そのためには、翻訳がもっと進んで多くの国で読まれる必要があるだろうし、ノーベル文学賞そのものが、国際社会に与える影響のもっとも大きなタイミングのピークの到来を待つ必要があろう。とするなら、作品いかんよりも、国際社会の情勢がどのように変わっていくかにも大いに影響してくるだろう。
ときあたかも、オバマのノーベル平和賞受賞が話題になっている。ノーベル賞そのものの持っている問題点があることは当然であるが、あるいはオバマがノーベル賞に値するかどうかも、もちろん問題ではあるが、そのような賞が存在し、国際社会が、地球人全体が、一体どのような方向にすすむべきか、と熟考するには、ノーベル賞も貴重な機会であると思える。当ブログはオバマの受賞を支持するし、村上春樹の「可能性」も真剣に探ってみたい。
さて、われらがヘルマン・ヘッセである。この本、後半は、思った以上に重い。「青春の作家、老いと死についての叡智を語る老賢者、反体制的でアナーキーな反戦平和主義者」の中の、「反体制的でアナーキーな反戦平和主義者」としてのヘッセの顔がむき出しになる。
ナチ台頭の時代に、その全体主義に背をむけて、個人的な「わがまま」な詩人として行動したヘッセ。異国に亡命しながら、なおその姿勢を貫いた。そこのところにこそ、戦後、ノーベル賞が贈られたのであろうが、当ブログにおいて、一冊の本、ひとりの詩人の文学、として通り過ぎるには、重すぎるテーマが横たわっている。
考えてみれば、現在、不思議な世界が展開している。アメリカ大統領が核兵器の時代を終わらせようとし、日本の首相が、オキナワから軍事基地を排除しよう、としているのに、それができない。なぜ・・・・・・・・・・・・・・・??????
不思議だ。かつての時代なら、政治的なリーダーがこぞって軍備を増長することを誇示し、一気に戦争へと突っ走っていった。大衆は、リーダーたちに追随した。人々は戦争に酔い、戦争に絶望した。戦争はいやだ、と。
現在、人々は戦争はいやだと思い、戦争をやめさせるリーダーたちを選びだした。そしてリーダーたちが、「戦争はやめる」と言っている。しかし、「戦争をやめる」ことができない。なぜ・・・・・・・?
ヒットラーの圧政下において、ヘッセは異国へ亡命することで、みずからの「わがまま」を貫いた。その反戦的姿勢は高く評価された。それは、戦争の悲惨さが地球を覆い尽くした後のことであった。
現在において、「わがまま」な美徳を持った地球人たちは、ヘッセを見習って、政治の世界から遠く離れて亡命するのだろうか。あるいは、いまこそ「戦争をしません」宣言をしたリーダーたちを支持し、盛りたて、自らのワークとして、この地球を考えようとしているのだろうか。
この21世紀に来て、ふたたび、みたび、ヘッセ・ブームが起きているとすれば、ヘッセの文学がひとり素晴らしいから、というだけではない。人々がみずからの「わがまま」を貫いて、「戦争しません」宣言をし、あの悲惨な愚かな行為をストップさせようとする時、ヘッセの「人間」としてのスピリチュアリティが共鳴するからに違いない。
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