わがままこそ最高の美徳<3> ヘッセ
「わがままこそ最高の美徳」 <3>
ヘルマン・ヘッセ /フォルカー・ミヒェルス 2009/10 草思社 単行本 278p
「青春の作家」としてのヘッセの「わがまま」につきあうことは、そう難しいことではなかったが、「反体制的でアナーキーな反戦平和主義者」としてのヘッセを読む進めることは、そうたやすいことではない。当時の社会情勢について調べなければならないし、ひとつひとつの事象についてのじじつ関係を再認識しながら読み進めなければならないからだ。
前半スラスラと進んできた読書も、中段になって、いきなりストップしてしまった。「私たちは何をすべきか」p157は、1919に書かれた「ツァラトゥストラの再来」からの抜粋であり、もともとの文章は「ヘルマン・ヘッセ エッセイ全集3 省察3」の中に収録されているので、後日、あらためて再読することにする。
君たちはツァラトウストラを崇拝すべきではない。君たちはツァラトゥストラのまねをするべきではない。君たちはツァラトゥストラになろうとすべきではないのだ! 君たち各自の中には、まだ子供の深いまどろみのうちに寝ている隠れた姿があるものだ。その姿を生あるものにするのだ! 君たち各人の中に、ひとつの呼び声が、ひとつの意志と、自然の構想が、未来と、新たなものと、より高いものへと向かわせる構想があるのだ。それを実らせたまえ。それをゆっくりと完結させたまえ、それに心を配りたまえ! 君たちの未来は、恣意的に選んだのではなく、金や権力ではなく、知識や商売上の幸運ではない---君たちの未来、君たちの難儀で危険な道は、この道である。すなわち、成熟し、君たち自身の心に神を見いだすための道である。p175「ツァラトゥストラの再来」より
明らかに高揚した気分の中で、高揚したニーチェの著者に刺激されながら、高揚した時代に書かれた文章のように思われる。ヘッセ、32歳。その趣旨はそれほど変化はないにしても、いわゆる「ヘッセ」らしさ、というものを求めて、編集された書簡集を読んでいると、いきなり飛びこんでくる、このような変化球を、読者としてはすぐにキャッチできない。
1928年のヘッセ40歳の頃には、こんな文章がある。
彼は若い女性読者から、彼の写真が欲しいと頼まれ、中年の女性からは、彼女らの生活のさまざまな秘密と、神智学とか、クリスチャン・サイエンスに入信することになった理由を打ち明けられる。p206「水泳の寄り道」1928年
いままで気がつかなかったので、多分他には出ていないだろうが、ここに来て、「神智学」と言うフレーズがでてきている。これは1928年のヘッセ自身の身の回りのことだと推測される。さて、この神智学の団長の役を押し付けられ演じていたクリシュナムルティは、1929年8月2日、この「神智学」協会を解散してしまう。
別な日の情景についてヘッセはこう書いている。
神智学にこる女性たちからも、マスダスナンを信奉する女性たちからも、手紙は来ていなかった。(中略)それは驚くべきことであった。それはすばらしい日であった。p209「水泳の寄り道」
この文脈においては、婉曲な書き方ではあるが、ヘッセは明らかに神智学を批判しており、自らへの波及を迷惑がっており、避けたがっていたことは明らかだ。
p230からの「ある共産主義者への手紙」もなかなか強烈だ。1931年に書かれたこの書簡は、その時代を生きるヘッセが、時代と向き合いながらも、自らの「詩人」としての立場を明らかにしながら、自らはどう生きようとしているかを明確にする。
兄弟となり仲間となって、同じ志を持った人びとの世界と連携するという見通しは十分魅力的なものであっても、党員として入党したり、私の文筆活動をあなたの党の綱領に役立てたりすることは、断乎として拒否いたします。p231「ある共産主義者への手紙」
そして、こうも言う。
詩人というものは、大臣やエンジニアや群衆相手の演説家などより優れた者でも劣った者でもありません。けれどもこれらの人びとと彼らとは完全に異質の人間なのです。一丁の手斧は一丁の手斧です。それで木材は割れるし、また人の頭だって割れます。けれど時計とか晴雨計は別の目的のために存在します。そして私たちが時計や晴雨計で木材や頭を割ろうとしたら、それらは壊れてしまい、それで誰が得をすることもありません。今ここで人類の特別な道具のひとつとして詩人の任務と機能を数え上げて、説明するつもりはありません。詩人はおそらく人類という身体の中の神経のようなものであり、おだやかな呼びかけと要求に反応するための器官、覚醒させるための、警告するための、注意をうながすための器官なのです。p233「ある共産主義者への手紙」
思春期に「詩人になれなかったら、他のなにものにもなりたくない」と思ったヘッセは、青年期も中年期も、「詩人」であろうと努めていた。
本当の芸術家と詩人というものは、もしあなた方がそういうことをいつか気にかけることがあった場合、次のようなことから判断できるでしょう。つまり、彼らは自主独立への抑えがたい要求を持っていて、ただひとり自分の良心にのみ従ってする以外の仕事を強要されれば、すぐさま働くことをやめてすまうとこうことです。彼らは甘いパンや高位の役職などで買収されず、悪用されるくらいならむしろ撲殺されることを望むでしょう。こうしたことで彼らが本物の詩人であることを見分けることができるでしょう。p236「ある共産主義者への手紙」
当ブログにおける、科学者、詩人、神秘家、のトリニティにおける詩人の立場を、この書簡においてより強く、明確に示しているように思われる。しかし、ヘッセ自身は自らを詩人と規定し、詩人としての人生を全うしたが、当ブログは、それだけでは十全であるとは思っていない。詩人は科学への目を持っていなければならないし、神秘への可能性もひらかれている必要がある。
ここに来て、ヘッセを読みながら、先日クリシュナムルティを連想したのもあながち間違っていなかったと思う。世界を思う感性を持ちつつ、いかなる団体や運動からも独立した自由な立場を貫こうとする姿勢は、この二人に共通するものではないだろうか。
そして直感が正しければ、その角度から見た場合、もしヘッセに「死角」というものがあるとすれば、それはクリシュナムルティの「死角」であり、クリシュナムルティに「限界」があるとすれば、それはヘッセの「限界」をも示しているのではないか。
解決することのできない問題について思い煩うことはおやめなさい。神あるいは世界精神の本質に関する問題や、宇宙の意義と支配に関する問題や、世界と生命の発生に関する問題は、解決できないものです。それらに関して考えること、議論することは、ひとつの素敵な面白い遊戯でしょうけれども、私たちの生活上の問題を解決できるものではありません。p237「タカハシ ケンロー氏に」
タカハシ ケンロー氏がいかなる人物かは、すぐには分からないが、はて、この手紙にあることこそ、詩人としてのヘッセの毅然とした自立の精神である。そして1961年7月に書かれたものであることの意味も重い。ヘッセはこのちょうど一年後の1962年8月に亡くなっている。ヘッセ最期の心境と言ってもそれほど違いはないだろう。
既知、未知、不可知、の三つのレベルでいえば、ヘッセは「不可知」への目を十分発達させなかった。「ガラス玉遊戯」のなかで、ヘッセは、「神あるいは世界精神の本質に関する問題や、宇宙の意義と支配に関する問題や、世界と生命の発生に関する問題」と取り組んでいたのではなかったか。
しかるに、最晩年のヘッセはそれを「素敵な面白い遊戯でしょうけれども、私たちの生活上の問題を解決できるものではありません。」と締めくくっている。
ヘッセには、手斧や時計、晴雨計のような道具は見えていたかもしれないが、次なる道具、次なるステップが見えなかった。いや、見えていた可能性もあるが、自らを「詩人」と規定したヘッセは、「不可知」や「神秘」への目を、敢えて摘んでしまった、と言えるかも知れない。
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