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2009/12/14

魂の科学<3> Osho

<2>よりつづく
魂の科学
「魂の科学」 <3>パタンジャリのヨーガ・スートラ
OSHO/沢西康史 2007/04 瞑想社 /めるくまーる 単行本 301p

 ここ一ヵ月ほど、どういうわけか、この「魂の科学」へのアクセスが増えている。多分、検索サイトのランクの異動でもあったのだろうと思うが、せっかくの機会でもあり、すこしづつこちらも読み進めてみようと思う。

 当ブログは、科学、芸術、意識、の三本柱をテーマとしてそれぞれ読書を手段として、その時々のメモを遺してきた。その中でも、科学分野については、このブログそのものが「ウェブ進化論」を読んだことがきっかけとなってスタートしたものだから、「科学」=IT技術の進化、のようなものとしてとらえてきた。

 そして、その象徴的なな現代的職業として、プログラマー、ジャーナリスト、カウンセラー、をイメージし、それらの融合したスタイルとはどんなものだろう、と暗に模索してきた。しかし、ここに来て、一般的な社会ではともかくとして、当ブログにおいては、たとえばプログラミングやIT技術などは、すでにブラックボックス化していて、おっとり刀の初老の男などに手の出せる状況ではなくなっている。ましてや、最近の「クラウド・コンピューティング」とやらで、川下でおこぼれにあずかるだけの姿に成り下がっているところもある。

 かたや「芸術」だが、ひとつの文芸のジャンルとして「ジャーナリズム」を取り上げ、たとえば「科学」と「芸術」のコラボレーションのようなものとして「サイバー・ジャーナリズム」のようなものをイメージしてきた。ましてや、この頃の日米の政権交代劇で、社会的な動きにも関心を持った当ブログではあったが、こちらもまた、取材を直接できるわけでもなく、錯綜する情報の荒波の中で、ひとり個人ブログができる範囲など、ごくごく限らえていることも分かってきた。

 そして最後の「意識」についてだが、これもまた、目下の最大課題であるはずであったのに、あちらこちらに関心が散漫に動くものだから、テーマや方向性はある程度固まってきているのに、なかなか深化しない嫌いがあった。なんとかしなくっちゃ、と思っていた。

 そして、この春から、ブログの提供サイトを変えて、比較的アクセスログ解析を利用しやすい環境に引っ越してきた。引っ越してきた最初はあまりにアクセス数が少ないので、「解析」などそもそも出来るような状況ではなかったが、半年も経過してみると、それなりの定数が見られるようになってきた。

 そして、そのアクセスログの中から拾い出してきたのが、フロイト--ヘッセ--グルジェフ、の検索ワードであった。当ブログにおいて、これらの三つのキーワードはお得意でもなければ、十分に検討してきたわけではない。しかし、せっかくこの入口から当ブログにアクセスしてくる人々があるとするならば、それを契機に、あらたな当ブログなりの展開があってもいいのではないか、と思うようになった。

 それは、まるで、通りにどんなお店をだすか、の企画のようなものだ。もし職種が決まっていれば、最初から適した立地環境を整えて行けばいいのだが、当ブログのような曖昧ブログは、なにをどうすればいいか、よくわかっていない。行き当たりばったりだ。だから、たとえば、親から相続した土地があったとするなら、その土地を有効活用するにはどうするか、のような問題が発生する。

 引っ込んだところだが駅が近いのでアパートにするか、郊外だがロードサイドなのでコンビニでもつくるか、都心の一等地なのですぐに売り払ってしまうか。裏の商店街なら床屋でもやるか、マンションの一室なら学習塾でもやるか、さまざまな可能性がある。

 どうやらそのような喩えでいうと、当ブログは、現在のところフロイト--ヘッセ--グルジェフ通りの一角にあるらしい。この界隈に出没する来訪者たち向けにお店を開いていかなければならない。なにをどう売ればいいのか。いろいろマーケティングをしてみる必要がある。

 そこでいろいろ考えてみると、結局はメインテーマは「意識」である。そこで考えた。科学するのは意識についてではないのか。芸術するのは意識についてではないか。意識するのは意識についてではないか。つまり、今後、当ブログは、「意識を科学する」、「意識を芸術する」、「意識を意識する」という風に意趣変えしていこうと思う。「意識を意識する」では語呂がわるいので、「意識を瞑想する」とでもしておこうか。「意識を芸術する」では落ち着かなければ、「意識を表現する」でもよかろうか。

 とするならば、「意識を科学する」も、もっと語彙を広げて「魂を科学する」とでも言い直してもいいのではないか。最近はやりの「脳科学」とやらも、一種独特の実験室科学になってしまっており、一般人の手の届かないブラックスボックスのなかでの研究になってしまっているが、本当はそうではないのではないか。

 そんなこんなで、長いことモノローグ状態にある当ブログではあるが、アクセスログに残された手掛かりを頼りに、ダイアローグ状態に入っていきたい。そして、いつかはクラウドソーシング環境へと移行できればいいと思う。

 実はこの本、なんどか再読モードに入ったのだが、なかなか進めない。こちらの準備ができていないようだ。次第に波長を合わせて行こうと思う。

<4>につづく

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