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2009/12/12

ヘルマン・ヘッセ エッセイ全集(第4巻)

ヘルマン・ヘッセ エッセイ全集(第4巻)
「ヘルマン・ヘッセ エッセイ全集(第4巻)」 追憶(忘れ得ぬ人々)・随想1(1899ー1904) 
ヘルマン・ヘッセ /日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会 2009/10 臨川書店 全集・双書 347p
Vol.2 No857★★★☆☆ ★★★★★ ★★★★☆

 ヘッセ追っかけの方法論が少しづつ分かってきた。つまりは、新訳なった「ヘッセ全集」と「エッセイ全集」にひととおり目を通せばいいのである。分かってみれば簡単なことで、コロンブスの卵ではあるが、実は、これがなかなか大変な作業であることも分かってきた。

 これら全集は、実にコンパクトで、小脇に抱えて歩くにはちょうどいい大きさなのだが、二段組みの小さな文字を追いかけることは、老眼鏡を手放せなくなって久しいわが肉体には、かなり過酷な作業である。そして、ひとつひとつの作品が実は相当な分量であることも、実体験上、痛感するようになってきた。

 これらの全集を読み終えるまでに、どれだけの時間がかかるだろう。今は計算不能だ。それにどのような順序で読んでいくか、などと考えてみたが、もともと配本だって、ナンバー通りに出版されているわけではない。これはとにかく、自分の興味ある範囲をあちこち読み進めて、次第に全体が埋まるように読んでいけばいいであろう。

 ということで、図書館に予約を入れてもなかなか自分の番まで回ってこない本も多いので、回ったきた本から、簡単な印象を書いておこうと思う。大体の感触をつかんでおけば、いずれ熟読しようか、という時に、きっと役立つはずである。

 今回は、「エッセイ全集」第4巻。全8巻のうちの4巻目なので、ちょうど中間に位置しているということになるか。後半はまだ刊行されていないので、この巻が最新ということになる。追憶(忘れ得ぬ人々)、あるいは随想1(1899~1904)と銘打たれ、それぞれ数ページに収まるような、小さな書簡やエッセイ集がたくさん収められている。

 ひとつひとつ貴重な資料であろうが、今回は「ロマン・ロランについて」p170や「アンドレ・ジッドの思いで」p192、「トーマス・マンへの惜別の辞」p222、「マルティン・ブーバーの80歳の誕生日に」p237などを興味深く読んだ。

 とくに、トーマス・マンやロマン・ロランはジグムント・フロイトとは肝胆相照らす仲だったと言われているから、ヘッセ---フロイト、ラインをつなぐ意味で、興味深いところに思う。また、マルティン・ブーバーのハシディズム、というキーワードは、当ブログへのアクセスに使われることの多い用語なので、この辺にも、何ごとかの糸口を見つけていきたいものだと思う。

つづく・・・だろう。

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