精神分析学がわかる。<1> AERA Mook 43
「精神分析学がわかる。」<1> AERA Mook 43
朝日新聞社 1998/11単行本: 176p
Vol.2 No859★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆
当ブログにおける読者からのリクエスト(こちら側の勝手な思い込みによる)に基づく、フロイト---ヘッセ---グルジェフのトリニティ構造を認知し、あるいは解明すべく、現在はヘッセ全集を読み始めたのところだが、通りがかりにこの本を見つけ「精神分析学」の文字が飛び込んできたので、軽い気持ちでパラパラとめくってみた。
この度の政権交代劇の中で、久しぶりにマスメディアの乱舞の中に入っていって、いろいろ楽しんだのだが、私自身は、どうやら今だに朝日系列の新聞、テレビ、週刊誌等の波長が一番合うようだ、ということを再認識した。最近はどうも面白くないので、政治ニュースはまた見なくなってしまったし、どの系列がどうのという意識も遠くなってしまった。
AERAという朝日系列の出版物があるらしい、ということは今回あらためて認識したのだが、雑誌そのものとしては、あまり面白くなく、各種でているようだが、よく見てもいない。だから、好感度を維持しつつも、特段にこのAERAムックと言う奴に共感を持っているわけではないのだが、お手軽そうだな、というイメージはあった。ところが、この本を開いてみると、まさにパンドラの箱を開いてしまったような、とてつもない世界がすぐ隣の部屋に展開していることに、あらためて気づいてしまった。
当ブログへの「リクエスト」されているキーワードは「フロイト 精神分析」である。あるいは、せいぜい「精神分析学入門」を読み込む程度の姿勢で足りるはずなのであるが、多分、それはたんに見せかけであり、実は、それは奈落への一歩の、ほんの始まりにすぎないのではないか、というキョーフに満ちた予感が襲ってきた(笑)。
幸か不幸か、この本はすでに10年以上前に出ている本である。ましてやムック形式なので、一部の図書館以外には保存されておらず、現在使用する資料としては万全ではない。しかしながら、「1998年」当時の「精神分析」を取り巻く状況をうまく取り入れており、ある意味、95年に発覚した麻原集団事件のあとを継いだ「精神分析」がおかれていた状況を感じ取るには、なかなか面白い資料なのではないか、と思うようになった。
いわゆる「精神世界」や「ニューエイジ」はこの時代において、大ダメージを受けたのであり、自らのトンデモ性、偽科学性を見せつけられて、原点に戻って自らを再点検する必要を痛感させられていた時代だったと言える。
その時代にあって、実はこの「精神分析学」の世界は、割とのんびりしていたように感じられる。こんなのんきなことでいいのか、とさえ思う。なぜにこれだけ社会的に隔離されていたかというと、いわゆるフロイトを原点とした「精神分析学」は、いつの間にか極めて保守化していたのであり、自らの身を社会の奥座敷へと隠し、権威とわずかばかりの過去の業績の砦にこもっていたからである。
あれから10年以上が経過し、このムック本で展開されているような状況はかなり改善されているはずだし、当然のことながら、当時からすでにこのようなこの「業界」の実勢をなんとかしようとする動きはあったはずなのである。当ブログは、今後その辺の動きを注意深くみていきながら、心理学にまつわる最新ニュースに流れるのではなく、むしろ「フロイト 精神分析」にこだわって、地中探索を試みようとするものである。
まず、巻頭言を書いているのが小此木啓吾であることがまず時代を感じさせる。一時代を築いた彼の業績は大きいものであるし、私自身も彼の講義などを聞いて感ずるところも多かったのであるが、時代が求める「精神」あるいは「スピリチュアリティ」においては、その取り組みは、あまりにも古色蒼然としすぎている。
その他、数十人の執筆陣の顔ぶれがなかなか面白く、と突然ながら末永蒼生や香山リカ、あるいは、きたやまおさむ、などの名前が並んでいるのは、なかなか意表が突かれて興味深い。しかしながら、現在ヘッセ追っかけ中の当ブログとしては福島章の「文学/フロイトは現代文学の父となった」あたりが、一番面白く感じられた。
フロイトは、数ある芸術のなかでは、文学と彫刻には強烈な印象を受けていたが、絵画にはそれほど動かされず、音楽にはほとんど無関心だった。フロイトは音痴だったこともあって、音楽の都ウィーンに半世紀も住みながら、オペラ劇場やコンサートホールに足を運ぶことはほとんどなかった。
天才音楽家マーラーに接したのは、神経症の治療を求める患者としてで、数時間の精神分析によって彼の神経症を癒した。しかし文学者のトーマス・マン、シュテファン・ツヴァイク、ロマン・ロランらとは、友人として肝胆相照らす中となった。文学者と思想家に対する強い尊厳と傾倒があったからであろう。p60
「精神分析学」は、フロイトから始まるのであり、彼を抜きには語れないのはもちろんのことであるが、彼の個性に基づく限界が、精神分析学と呼ばれる世界の限界をも意味していて、時折窮屈になる。だからこそ、アドラーやユング、あるいはライヒ、アサジョーリ、たちは、その枠組みをどんどん換えていかなかければならなかったのである。
いずれにせよ、この領域のフロイトの代表作は、晩年に書かれた「ドストエフスキーと父親殺し」であろう。これは長編小説「カラマーゾフの兄弟」を主たる素材とし、エディプス・コンプレックスをキー概念として分析したものである。p62
当ブログにおいても、亀山郁夫の新訳によって、ようやく「カラマーゾフの兄弟」をひととおりめくり終わったところだった。孤島のように切り離していたフロイトの世界が、このような形で新たにリンクしてくることは歓迎すべきことである。
「シュールレアリス宣言」を書いたアンドレ・ブルトンは、医師として精神病者を扱った経験の後でフロイトの「精神分析入門」に接し、その「自由連想」の技法にヒントを得て、「自動書記」の実験を始めた。(中略)
不幸なことに、古典文学に深い教養と理解を示したフロイトも、同時代の前衛的・実験的な文学運動には共感をまったく覚えなかったらしい。フロイトに会いに行ったブルトンは、先覚者の冷淡な応対に失望したといわれる。p63
最初からフロイトの「がめつさ」と「保守」性が表れているようで、興味深い歴史的事実である。
フロイトの精神分析に批判的・攻撃的な態度を取りながらも、実際の創作ではフロイト理論の範例のような作品を書いたのはイギリスのD・H・ロレンスであった。p63
D.H.ロレンスの「精神分析と無意識」は、当ブログにおいても読みかけているところであり、フロイトがらみのこの辺の文脈から、読み直していく必要があるだろう。
ドイツの作家トーマス・マンも、フロイトを「未来のヒューマニズムの開拓者」と呼んで称揚し、フロイトを知ったことに触発されて劇的な自己理解をなしとげた。彼は後にフロイトの決定論の限界を指摘するようになるが、同時に「トーテムとタブー」に示された父親の機能の理論に導かれ、ゲーテを範例として自分の作品を創造することの意味を理解するにいたるのである。p63
このような形で、他にもたくさんの当時の文学者や芸術家とフロイトとの接点がかかれていて興味深いが、フロイト---ヘッセ、の直接ラインは確認できない。ヘッセ側からのトーマス・マンやユングなどへの言及などをたよりに、すこしづつ糸口を手繰り寄せていこう。
巻末には「精神分析学の手引きブックガイド50冊」がついている。すでに10年前のものなので、やや古臭いが、もし他書にて、もっと新しいガイドがなければ、このガイドを使って読書を進めるのもやむなしかな、と思う。
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