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2009/12/27

人間に可能な進化の心理学 <8>

<7>よりつづく

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  「人間に可能な進化の心理学」 <8
P.D.ウスペンスキー , 前田 樹子 1991/03 めるくまーる 単行本 162p

 当ブログのログ・ナビにおける、フロイト--グルジェフ、ラインを考えると、その間をつなぐものはウスペンスキーになるだろうし、ウスペンスキーを読み進めるなら、やはり、この「人間に可能な進化の心理学」は欠かせない。欠かせないどころか、今のところは、この本をなくしては、そのラインを想定するのはほとんど不可能ではないか、とさえ考えている。

 心理学を新しい科学と呼ぶこともあるが、見当はずれもはなはだしい。心理学はおそらく最古の科学だろう。だが不幸にも、そのもっとも本質的な特徴が忘れ去られた科学になってしまったようだ。p11

 当ブログでは、ヘッセ全集をひととおり手にしてから、次なるフロイトに取りかかっている。与えられたお題は「フロイト 精神分析」。古色蒼然としたフロイトを21世紀に読み直すなら「現代フロイト読本」などが役に立ちそうだし、その編集者である北山修は、同時代的なナビゲーターを務めてくれそうだ。

 フロイトは現代心理学の祖、という捉え方をされているが、ウスペンスキーの言に従えば、心理学は人類最古の科学であり、フロイトのような今日、心理学と呼ばれているものは、見当はずれもはなはだしく、本来の心理学を落とし込めた姿、ということになってしまうだろう。

 はて、その表現や評価がただしいかどうかは、今のところ即断しないでおこう。ただ、言葉としては混乱してしまうので、当ブログにおける心理学とは、基本的にはウスペンスキーの言に従うとしても、フロイト的枠組みも、本来の古代からつづく心理学という「秘められた」体系を理解するには、役立ち得る入口である、ということにしておく。

 だから心理学をフロイトありきではなく、「フロイト 精神分析」のほうこそ正しい表現で、精神分析とくれば、それはフロイトの心理学、ということにする。そして、ここでウスペンスキーが言っていることを、当時の同時代人として、フロイトやその門下であるユングやライヒ、あるいはアサジョーリなどがどう見ていたか。そしてヘッセはどう見ていただろうか、その辺を注意深くみていきたい。そして、これらの全体を見渡すことのできる現代の「精神分析医」、北山修は、21世紀のフロイトの弟子(勝手にそう名付けておく)として、どう見るだろうか、というところが気になってくる。

 フロイトとヘッセをつなぐラインの間には、ヘッセの「芸術家と精神分析」という一文が役立ちそうだ。フロイト自身がその分を読んでおり、その感想が当時の新聞にも掲載されたようだし、その記事に対してヘッセ自身がフロイトにお礼の手紙を書いている。

 さて、逆方法の、ヘッセとグルジェフをつなぐラインを見つけることはかなり難しそうである。同じドイツの同時代的人物としてのシュタイナーや神智学についての文章は若干見つかったが、かならずしも好意的ではなかった。他には「ヤーコブ・ベーメ」についての言及などに期待しているところだが、その著書「アウローラ」なども役立つかなぁ、と思うが、どうもまだよく分からない。

 心理学に関する優れた書は、地域や時代が異なっていても、正統派の宗教文学には数多く見られる。例えば初期のキリスト教に属するものとして、異なる著者の作品を一冊にまとめた「フィロカリア」という本があるが、今日では東方教会で主として修道僧の教育に使われている。p13

 「フィロカリア」に関して言えば、ネット上には情報があるが、近くの図書館に蔵書としては収まっていない。いつかチャンスがあればめくってはみたいが、いまはグノーシス的なものの一種か、と想定しておこう。

 心理学が哲学や宗教と繋がりをもっていた時代には、心理学は芸術という形としても存在していた。詩や演劇や舞踏、さらに建築でさえ、心理学的知識の伝達手段であって、たとえばゴシック式聖堂は、心理学的作品という点に主眼の置かれた建造物であった。
 哲学、宗教、芸術が、今日のように別個の形態で独立していなかった古代では、エジプトや古代ギリシャに見られるようになり、心理学は秘儀の形態で存在していた。
p13

 宗教、という用語は、誤解を招きやすく、当ブログではなかなか使いきれないので、注意深く排除してきたが、ここで使われているようなセンテンスでなら、なにも避けるべき用語でもない。また、いきなり古代エジプトとか古代ギリシャとかに時代的スパンが飛んでしまうことは、当ブログの好みではないが、それらが、現代までどのように繋がってきているか、その時々の検証をしてみることや、21世紀の現代として、どのようにそれらが理解されているかを確かめてみることには、大いに関心がある。

 人間に可能な進化という観点から人間を研究することが、いかに重要であるかを理解すれば、心理学とは何か、といった問いに対してまず得られる回答が、心理学とは人間に可能な進化について、その原理と法則と事実を研究する学問である、という事実はおのずと明らかになる。p15

 当ブログとしても、心理学をフロイトの精神分析から始まるものではなく、ウスペンスキー(あるいはグルジェフ)のいうように「人間に可能な進化について、その原理と法則と事実を研究する学問」と定義しておこう。そして可能な進化を遂げた存在をブッタとか、カビールたち、と当ブログでは呼び慣わしているのだが、その細部についても、すこしづつ解き明かしていかなければならない。

 すくなくとも「フロイト 精神分析」という検索ワードを当ブログなりに消化するには、このウスペンスキー=グルジェフ的見地をアンチテーゼとして対置させて、検証していく必要性を強く感じる。

<9>につづく

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