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2009年12月の60件の記事

2009/12/31

劇的な精神分析入門<1> 北山修

劇的な精神分析入門
「劇的な精神分析入門」 <1>
北山修 2007/04 みすず書房 単行本 301p
Vol.2 No892★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 北山修リサーチは、もうすこし続けなければならないが、おおよそだいたいの概略が見えてきた。リクエスト中の本も数冊あるし、手元にあった本もある。また、いくつかの本は再読しなければならないだろうが、彼の多面性、彼の時代性、彼の専門性から見た場合、どれか一冊に絞り込むとするなら、この「劇的な精神分析入門」が、適当と思われる。

 07年04月と言えば、すでに2年半以上前のことであるが、彼の「専門」分野での単独の著書というとこの本がもっとも最近刊ということになろう。また「精神分析」と出しているかぎり、彼の姿勢が見えるはずだ。そしてなによりこの「劇的」としたところが、いかにも北山修らしい、という結論になるだろう。

 「入門」とはいうが、はて、劇的な「精神分析入門」なのか、「劇的な精神分析」入門なのか。たぶん後者であろう。「入門」というからには次なるアドバンスコースがあるのかもしれないが、それはつまり「フロイト 精神分析」のことであろう。だから、精読すべき北山修の一冊とすれば、この書は今のところ、ベストのように思える。

以下に「北山修関連リスト」をアップしておく。

「戦争を知らない子供たち」1971/03ブロンズ社

「精神分析学がわかる。」1998/11朝日新聞社

「心のカタチ、こころの歌」1999/04講談社

「幻滅論」2001/04みすず書房

「こころを癒す音楽」2005/07講談社

「ふりかえったら風1きたやまおさむの巻」2005/11みすず書房

「ふりかえったら風2キタヤマオサムの巻」2005/12みすず書房

「ふりかえったら風3北山修の巻」2006/02 みすず書房

「劇的な精神分析入門」2007/04みすず書房

「現代フロイト読本<1>」2008/05みすず書房

「現代フロイト読本<2>」2008/07みすず書房

「北山修/きたやまおさむ百歌撰」2008/12ヤマハミュージックメディア

「日本人の<原罪>」2009/01講談社

「ビートルズを知らない子どもたちへ」2009/09アルテスパブリッシング

加藤和彦ラスト・メッセージ」 加藤和彦 /松木直也2009/12文藝春秋

<2>につづく

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幻滅論 北山修

幻滅論
「幻滅論」 
北山修 2001/04 みすず書房 単行本 253p
Vol.2 No891★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 これは何のための本かを一言で言うなら、私自身の悩ましくも楽しい旅の記録であり、それに公共性を付与するべく、人生におけるいくつかの不幸に強くなるためにという思いでまとめた本だ。具体的には、この十年くらいの間に錯覚と幻滅の精神分析に関して書いたエッセイや論文を、書き直して一冊に集めたものである。元は、臨床で人の不幸や悲劇を取り扱う専門家に対して書かれたものではあるが、そうでない人にも読んでもらえることだろう。p249「あとがき」

 この人はいよいよ、まとめたり、書き直したりすることがお好きなようだ。それにしても、この「十年くらいの間」に書いたものを「まとめた」わりには、つまり「失われた90年代」をソーカツしているわりには、バブル崩壊もでてこないし、インターネットも、阪神淡路大震災も、麻原集団も、グローバル化も、環境問題もでてこない。ひたすら「私自身の旅の記録」であるようだが、はて、当ブログのこの「私は誰か」カテゴリでいうところの「私」が書かれているとは、ちょっと思えない。これに「公共性」を付与することに、どれだけの意義があるのか、現在の私にはわからない。

 私自身は広い意味でいうと「臨床で人の不幸や悲劇を取り扱う専門家」の一人でもあるが、また「そうでもない人」も読んでかまわないということだから、決して読者層のターゲットからははずれてはいないだろう。ジャーナリストと精神科医の仕事はよく似ている?」とまで思いを逡巡させる人なのに、この同時社会性の欠如は、ただごとではないという気がしてきた。

 いくつかの名前を使い、いくつかの社会的立場を活用し、持てる才能を多方面に発揮しながら、生きてきたこの著者とは一体誰なのだろう・・・。この人はどこかで70年前後の社会的枠組みの中で、ひとつのパラダイムにはまってしまい、そこから脱却しないで、一生を終えようとしているのかもしれない。

 狙い目どうり「フロイト 精神分析」を、現代的日本風にとらえるとすれば、この人物は価値あるし、ひょっとするとこの人を抜きには進まないところもあるかもしれない。しかし、それはどこか逃げ道にすぎないのではないか、と強く思う。問われるべきは「フロイト 精神分析」でもなければ、「現代日本」でもない。問われるべきは「私」だ。

 この人の自家撞着、ナルシズム、あるいは身勝手さは、彼の持て余すほどの才能と社会的環境によって、限りなくカバーされているが、実は相当に悲劇的なものではないか、とさえ思えてくる。この本にも挟まれているいくつかの流行歌は、私もかつてなんども歌ったものではあるが、こうしてみると、彼の詞についていた故加藤和彦たちによってフレームアップされてきたところが大きかったのではないか。

 別にこれまで期待してきたわけでもないので、彼に「幻滅」したとまでは言わないが、彼の世界は彼の世界で「完結」してしまっていることに驚く。うん、たしかにこれでいいのだ。たしかに彼のいうとおりだ。しかし、彼と別れたあとに、ひとりになって考えると、やはりおかしい。いや、ぜったいにおかしい。この感覚は、実は私がカウンセラーとしてクライエントとあって別れたあとにたびたび感じる感覚によく似ている。ひとつの「世界」を作り上げてしまっているのではないか。それが彼の(とりあえずの)可能性であり、それが彼の限界でもあるし、病原でもある。

 これはなにも著者だけに限られるものではないが、当ブログが「フロイト 精神分析」をそれなりに消化しようとした場合、いわゆる彼ら=フロイト「派」が、同じドツボにはまっていないかどうか、見ていくのも興味深いところだ。

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2009/12/30

北山修/きたやまおさむ百歌撰

<1>よりつづく

北山修/きたやまおさむ百歌撰
「北山修/きたやまおさむ百歌撰」<2>
北山修 2008/12 ヤマハミュージックメディア 単行本 355p

 この年末年始を利用して、「1Q84」を読み始めている。以前、パラパラとはめくっておいたが、一度ゆっくり読んでみたいと思っていた。そのことについてはあとでまとめて書くとして、自分の中では、村上春樹を読みながら北山修を思いだし、北山修をめくりながらちらちらと村上春樹のことを思い出しながら、知らず知らずにその比較を続けている。

 もうひとつの極、グルジェフについてはどうしようと、突然困ったりする。漠然とケン・ウィルバーとか中沢新一ウスペンスキーになぞらえてみようか、と思ったり、この二人にさらに「覚醒の舞踏」をぶつけて、しばらく混乱が沈殿していくのを見つめていようかと思ったりする。すべては、あまたある本達を自分なりに整理するために方便ではあるのだが、自分の思考のなかの整理でもある。

 そんななかで、北山修を読んでいるのだが、彼の個体史に振り回されないようにしようと思いつつ、フロイトとのつながりを、つまりより純度の高い鉱脈を探してやろう、としつつ、個的な試掘をつづけている。

 北山にこんなに詩があったのか、と思いつつ、あの歌もこの歌も、北山だったのか、といまさらながらびっくり。でも後半部分の「歌によせて---作品回想」p263はちょっと興ざめかなと思う。一曲一曲を作者自身が解説している。詩をじっくり味わったあとでないと、あまり読む気にはなれない。これはもちろん、ヘッセについても同じで、彼もずいぶんと自分の作品を回想している文章があるが、作家たちは作品そのもので勝負すべきで、公表したかぎりは、あとはその受け取った読者なり視聴者にお任せというのが本当だろう、とも思う。

 そんなことを考えながら、「1Q84」を読んでいると、北山は一体どのようにこの小説を読むだろうと思う。同じ時代を生きてきた同世代(北山の方が数歳上だが)の表現者たちなのに、北山の「時代性」は、村上の「時代性」と、ここにきて、かなり違っている。一口に言うなら北山はすっかり懐古趣味になっており、村上は、ここからさらに時代に鋭角に突き刺さろうとしている。北山のもっと先鋭な部分は、どこにあるのだろう。

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2009/12/29

心のカタチ、こころの歌

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「心のカタチ、こころの歌」
きたやま おさむ (著) 1999/04 講談社 単行本: 215p
Vol.2 No890★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 この本は1999年に出た本だが、そこからさらに10年前ということだから1989年当時に雑誌に連載されたエッセイを、「すこし時代に合わせて書き直し、テーマごとに並べて、本の体裁にしたエッセイ集」p213である。つまりは「失われた90年代」を十分に意識した本づくりであり、21世紀への意欲的な姿勢をみせようとする一冊と見て良いだろう。

 しかしながら、当ブログ眼目のテーマは微妙にはずされており、売れ残りのしなびた野菜でつくった餃子のようで、どこか新鮮さがない。さめたピザなら暖め直せばおいしいかもしれないが、素材がどうも間に合わせもの、という気がしてならない。この一冊が失敗すれば、明日の北山修はない、というような緊迫感が伝わってこない。

 異常な心で、異常な心をとらえようとすると、決して追いつくことのない堂々めぐりが始まる。この堂々めぐり、つまり、「狂った精神が狂った精神を追いかける」といういたちごっこが展開する大騒ぎについて大騒ぎで描くことは、ここで私が期待されていることではないし、むしろ芸術家たちにまかせようと思う。p3

 この本ではそうなのだろうか。あるいはフロイト「派」とはそういうスタイルなのだろうか。

 歌手として、また歌謡曲の作家として、けっこう成功したのにどうして医者になったんだ、と聞かれることがある。すっかり古ぼけた話だから、そういうことを聞いてくる人もずいぶん少なくなったが、当時私の歌を口ずさんでくれた人には関心事なのだろう。

 答えはやっぱり、不特定に聴衆に対して言葉を紡ぎ出すよりも、特定の人間と交流したほうが手応えがあるし、楽しいに決まっているからである。医者という仕事では、目の前にいる患者の体に触れて、普通はめったに接近できない領域に関わっていく。

 患部に直接触れるという仕事は、マス・コミュニケーションにはできないことなのである。マスコミには不用意に個人の傷口を広げることがあるし、たとえ「健康番組」などというものであっても、パーソナルな傷口をていねいに取り扱うことはできない。

 また、同じ歌を何度も歌うのも苦痛だし、似たような歌を大量生産するのも飽き飽きするものだった。マスコミの方には失礼な言い方かもしれぬが、正直、この「飽きた」という言葉がふさわしい。

 だから、私の歌は、マス・コミュニケーションというよりもパーソナル・コミュニケーションだった。別れの歌を書くのなら、本当に別れる人に向けて書きたかった。恋の歌なら、本当の恋人に向けて書きたかった。p202

 むかし、「普通のおばさんになりたい」と言って、一時休業していた女性演歌歌手がいたが、そのあと、またしっかりと復活したりする。普通のおばさんにはなりきれなかったのだろうか。それとも「同じ歌を何度も歌うのも」結構魅力的だったりするのかもしれない。

 ここで1999年の北山が言っていることがけっこうまともそうでいながら、けっこう嘘臭いのは、1999年においては「マス・コミュニケーション」とか「パーソナル・コミュニケーション」という用語がすっかり過去のものになっていたからだ。たしかにその10年前の1989年頃に書かれたものかもしれないが、それでもまだまだ古臭い。これらの言葉使いはそれからさらに20年さかのぼる、1969年頃ならなるほど、と思うが、なんだか後からくっつけて言い訳をしているようで、なんだか説得力がない。

 たしかにヘッセも、ノーベル賞を取ったあとの晩年は、押し寄せる手紙類にうんざりして、開封するのもいやだった時期があると表白しているが、北山の作った作品も、当時、成熟していない日本マーケットのなかでは、異常な人気を博したのは確かだった。マスメディアの限界があったことは間違いない。

 しかし、インターネットの発達した1999年に出た本の中身として、このような言葉遣いと、このようなパラダイムでコミュニケーション論をやっていたのでは、やはり時代錯誤的、と言わざるを得ない。

 そもそも「恋の歌なら、本当の恋人に向けて書きたかった」というなら、この「こころの歌」を語りかけたいラブレターとして、その人にだけ手渡しすればいいじゃないか。なぜに、わざわざこんな215ページの本にまでして出版しなければならないのか。

 いいや、違う。北山はけっして「愛している人」に「愛しているよ」、という風にいうために歌を作っていたのではない。よくも悪くも、不特定多数に聞かせるために作っていたのだ。そこは言い逃れだ。歌であれ、個人史をつづった本であれ、マスメディア、マスコミュニケーションのなかの作業であることは間違いない。辟易しているのは、愛の歌が愛する人に届かなかったからではない。北山は、単に「精神分析医」というポジション、仮面、鎧の中に逃げ込みたかっただけなのではないか。

 すくなくとも、このスタンスでは北山の「芸術論」は皮相なものにならざるを得ない。

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こころを癒す音楽

こころを癒す音楽
「こころを癒す音楽」
北山修・編著 2005/07 講談社 全集・双書 260p
Vol.2 No889★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 この本はちょっと面白く、興味深い点も多い。タイトルが陳腐で期待値が低かっただけ、開いたあとの展開に引きつけられた。北山追っかけの途中ではあるが、この本は、35人ほどの現場のカウンセラーや臨床心理士などが、おりおりの風景にあわせて音楽談義をする。文末に推薦曲が書いてあるのも意義深い。

 現場にいる人なら、共感するところも多いだろうし、自分でも聞きたくなるだろう。巻末に「ヒーリング・ミュージック・トップ50」のリストがアップされているのも面白い。「Youtubeで視る聴くビートルズ全15枚」のように当ブログでも聴いてみようか、とも思ったが、別な機会にしよう。

 というのも、そもそも、このトップ50のトップは「イマジン」であり、「レット・イット・ビー」であるからだ。ほかにも「ヘイジュード」や「イエスタディ」などが入っている。そしてよくよくみると、けっこう選曲が古い。おいおい、お里がわかりますよ。

 ヒーリング・ミュージックという意味では、専用に作曲された名曲がほかにもたくさんあるはずだ。ここにリストアップされているのは、いわゆるポップミュージックの流行歌だ。下手すりゃ、セラピストはともかくとして、クライエントは過去のその時代を思い出して懐古趣味になるだけで、けっして治療的に「癒されて」いるわけではないのではないか。

 心理療法的に「癒される」とは、「自己理解」がすすむ、というところにポイントがあるはずだ。歌謡曲的に「心を遊ばせる」ことだけを癒されるとは考えていないと思うが、それでもいくら2003年当時のリストは言え、これはちょっと再考をお願いしたいリストだった。

 きたやまおさむも、この本のなかでは、一執筆者として「海原を越えて どこにもない生演奏の記憶」という一文を残している。

 私は今でも思う。不特定多数に同じことを繰り返し送り届けるマスコミュニケーションよりも、特定の誰かに一回限りのメッセージを一度だけ送り届けるパーソナル・コミュニケーションの方があっていると。私に合っているのは、CDやレコードの録音された音楽ではない。一度限りの、取り返しのつかない生演奏、あるいは実生活なのであると。p50きたやまおさむ

 私もかろうじて団塊世代の弟分に位置しているが、この文章はいつ書かれたのかわからないが、2005年に書かれた文章であるとすると、これまたずいぶん古色蒼然しているなぁ、と思う。マスコミやレコードがいやなら、ライブや生演奏に戻るしかないのか。たとえば、現代のネット社会の機能を生かした、なにか新しい発想で物事を考えることができないのか。ちょっと残念である。

 なんとかの冷や水とやらの例えもあるので、別に若ぶる必要もないが、時代の青年の典型みたいにいわれていた存在も、時代とともに、過去の遺物(とまでいっちゃぁ失礼だが)になってしまうんだなぁ、と、悲喜こもごも感じたところではあった。

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日本人の<原罪>

日本人の〈原罪〉
「日本人の<原罪>」
北山修 /橋本雅之 2009/01 講談社 新書 238p
Vol.2 No888★★☆☆☆ ★★☆☆☆ ★★☆☆☆

 対談であってみれば、北山の三部作「ふりかえったら風」の中に収められてしかるべきものであろうが、2005年にでた三部作に対して、こちらは07年に対談が行われ、一度雑誌に掲載された後に「大幅な加筆・修正をほどこした」p199あとに、ことし1月に発行されたものである。あと数日で2009年にもお別れだが、まぁ「今年」出た、最新の北山の消息のひとつ、と考えてもいいのだろう。

 正直言って面白くない。フロイト追っかけのサブラインとして北山追っかけを始めてみたのだが、最初の期待値に比較すると、なんだかだんだん評価点が下がり続けている。なぜだろう、と思う。しっかりした内容で、たぶんこの本にも啓発される読者も多いはずなのだ。しかし、面白くない。

 それは当ブログの現在の方向性とうまくマッチしていない、ということにつきるだろう。まず、「日本人」という枠組みが気に入らない。当ブログは「地球人スピリット・ジャーナル」である。地球人というコンセプトなら飛びつきたくなるが、「日本人」となると、ちょっと手がすくむ。それでも、その「日本人」から「地球人」への成長プロセスが、明示的にせよ、暗示的にせよ、表現されていれば、それは、当ブログにおける「面白い」本ということになるのだが。

 さらに「原罪」が面白くない。なぜに西洋的精神文化がここにきて東洋文化に関心を寄せたかといえば、東洋精神文化は「原罪」を基礎としていないからだ。東洋文化は「人間はもともとブッダ」である、と主張しているのである。もっかの当ブログもテーマは「ブッダ達の心理学」である。しかるに、あえて「日本神話」に「原罪」を取り入れることは、必要あるのだろうか。そこからなにが見えてくるのだろうか。

 この弧状列島にすむ人々はなにも「日本人」ばかりではない。沖縄からアイヌの人々の住む北方列島まで、一つの神話で語りつくすことは無理である。時代に逆行している。日本人が外国に行って働いているように、日本にも外国からたくさんの人々がきて働いている。この時代に、ひとつの大きな球体である地球に生きる私たちに必要なのは、地球人達のための新しい物語なのである。

 その新しい物語は、歌や踊り、歓喜や共感、笑いと喜びに包まれたものであるべきだ。罪やけがれ、義務や原理に縛られたものであるべきではない。日本神話にフロイトを対応させて「精神分析」したりする試みは、企画としては面白いが、時代の趨勢ではないし、役立たない。

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2009/12/28

ふりかえったら風2 キタヤマオサムの巻

<第1巻>よりつづく 

ふりかえったら風〈2〉対談1968‐2005 キタヤマオサムの巻
「ふりかえったら風2」 対談1968‐2005 キタヤマオサムの巻
北山 修 (著) 2005/12 みすず書房 単行本: 275p
Vol.2 No887★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 「きたやまおさむの巻」の第1巻につづく全三巻のうちの二冊目。いわゆるジャーナリスティックな目でみたら、もっともっと面白く読めるだろうと思う。1968年からこの本のでた2005年までに北山修が対談として刊行されたものを再構成して並べ直してみようという企画だから、つまらないはずはない。対談者も一級どころが多い。

 だが、当ブログは、この「ジャーナリスト」読みはやめよう、と決意したばかりである。社会時評のような、あるいは社会的な現象と自らの個体史を重ねて、事象を論じようとするベクトルをいったん引っ込めようという流れになっている。だからタイミングが悪い。うろうろしていると、前いた地点へと押し戻される。

 ログ・ナビからもらったお題は「フロイト 精神分析」である。しかも、フロイト--ヘッセ--ぐグルジェフ、というトリニティの中でフロイトをとらえてみようという趣向だ。そのフロイトを同時代的に理解するために選んだのが北山修というナビゲーターだ。まずは「主役より目立つなよ」、といわざるを得ない。今回は脇役だ。しかも、その喉元に「私は誰か」という公案をつきつけている。いかなるかこれ祖師西来の意。

 千万語使って「北山修」を説明されても、現在の当ブログへの答えにはならない。ただ、もし妥当な一声があれば、そのことをもって当ブログとしては了解することになる。渇。

 三部作の全部を読まず、また、読むというよりぱらぱらと風を起こした程度なので、よくわからないが、対談1968‐2005というふれこみなら、その期間のなかに、いくつかの重要な話題が含まれている必要がある。まず期待したいのは、彼の1995年当時の「麻原集団事件」についての対応、あるいは自らの問題としての自覚だ。

 この辺は、たとえば、当ブログにおけるヘッセの後継者として選定している村上春樹などは、もともと組織的には事件はまったく無関係であることはもちろんだが、事件当時外国にいたにもかかわらず、この事件のために帰国し、その後ノンフィクション的手法で「アンダーグラウンド」という大作をものしている。作品の出来不出来は別にしても、このような姿勢には、大いに共感することができる。

 このような形で北山には即時的に、しかも「自らの問題」として「麻原集団事件」に取り組んだものがあるだろうか、探してみたい。「戦争を知らない子供たち」や「ビートルズを知らない子供たち」のように、「麻原集団を知らない子供たち」をもし万が一、北山が名乗り、そのそぶりをするのであれば、それは決してジャーリズム的視点からも、かなりずれた世界に生きていた、ということになる。(いや、そうであるかどうかわからないが、まだそれを翻す文章に出会っていない)

 なにも、かの事件だけではなく、かりに9.11であってもいいし、環境問題でもいい。我がこととして、どれだけの取り組みがされていたのか、それを知りたい。

 精神分析は出会いと生き方を取り扱う。精神分析の一般向け自己紹介がこれまで十分ではなかったと思うので、精神分析家が人との出会いにおいてどういう考え方をするものなのかについても「再読して」に少し盛り込んでた。我が国の文化には、自分は出したくないが他人のことは覗きたいという強い傾向があるので、私の場合すでに自分が公開されているところがあり、これを生かして自己分析を試みたというわけだ。私なりに露悪趣味にならないようにしたつもりだが、精神分析運動のための実験的試みであり、いかがなものだろうか。p273「あとがき」

 ことこまかく履歴書を披瀝されても、それは「私は誰か」にはつながらない。それは詳しく細かければ細かいほど、なおいっそう「私は誰か」という問いの答えからは遠く離れていく。編集者が傍らにおり、雑誌類に掲載されたものをもって「出会い」というものとするとしても、それは「自己との出会い」にはならない。精神分析医という白衣や袈裟など、どうでもいい。北山修にとって、フロイトの精神分析とはなにか。

 問う。いかなるかこれ祖師西来の意。

<第3巻>につづく

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2009/12/27

人間に可能な進化の心理学 <8>

<7>よりつづく

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  「人間に可能な進化の心理学」 <8
P.D.ウスペンスキー , 前田 樹子 1991/03 めるくまーる 単行本 162p

 当ブログのログ・ナビにおける、フロイト--グルジェフ、ラインを考えると、その間をつなぐものはウスペンスキーになるだろうし、ウスペンスキーを読み進めるなら、やはり、この「人間に可能な進化の心理学」は欠かせない。欠かせないどころか、今のところは、この本をなくしては、そのラインを想定するのはほとんど不可能ではないか、とさえ考えている。

 心理学を新しい科学と呼ぶこともあるが、見当はずれもはなはだしい。心理学はおそらく最古の科学だろう。だが不幸にも、そのもっとも本質的な特徴が忘れ去られた科学になってしまったようだ。p11

 当ブログでは、ヘッセ全集をひととおり手にしてから、次なるフロイトに取りかかっている。与えられたお題は「フロイト 精神分析」。古色蒼然としたフロイトを21世紀に読み直すなら「現代フロイト読本」などが役に立ちそうだし、その編集者である北山修は、同時代的なナビゲーターを務めてくれそうだ。

 フロイトは現代心理学の祖、という捉え方をされているが、ウスペンスキーの言に従えば、心理学は人類最古の科学であり、フロイトのような今日、心理学と呼ばれているものは、見当はずれもはなはだしく、本来の心理学を落とし込めた姿、ということになってしまうだろう。

 はて、その表現や評価がただしいかどうかは、今のところ即断しないでおこう。ただ、言葉としては混乱してしまうので、当ブログにおける心理学とは、基本的にはウスペンスキーの言に従うとしても、フロイト的枠組みも、本来の古代からつづく心理学という「秘められた」体系を理解するには、役立ち得る入口である、ということにしておく。

 だから心理学をフロイトありきではなく、「フロイト 精神分析」のほうこそ正しい表現で、精神分析とくれば、それはフロイトの心理学、ということにする。そして、ここでウスペンスキーが言っていることを、当時の同時代人として、フロイトやその門下であるユングやライヒ、あるいはアサジョーリなどがどう見ていたか。そしてヘッセはどう見ていただろうか、その辺を注意深くみていきたい。そして、これらの全体を見渡すことのできる現代の「精神分析医」、北山修は、21世紀のフロイトの弟子(勝手にそう名付けておく)として、どう見るだろうか、というところが気になってくる。

 フロイトとヘッセをつなぐラインの間には、ヘッセの「芸術家と精神分析」という一文が役立ちそうだ。フロイト自身がその分を読んでおり、その感想が当時の新聞にも掲載されたようだし、その記事に対してヘッセ自身がフロイトにお礼の手紙を書いている。

 さて、逆方法の、ヘッセとグルジェフをつなぐラインを見つけることはかなり難しそうである。同じドイツの同時代的人物としてのシュタイナーや神智学についての文章は若干見つかったが、かならずしも好意的ではなかった。他には「ヤーコブ・ベーメ」についての言及などに期待しているところだが、その著書「アウローラ」なども役立つかなぁ、と思うが、どうもまだよく分からない。

 心理学に関する優れた書は、地域や時代が異なっていても、正統派の宗教文学には数多く見られる。例えば初期のキリスト教に属するものとして、異なる著者の作品を一冊にまとめた「フィロカリア」という本があるが、今日では東方教会で主として修道僧の教育に使われている。p13

 「フィロカリア」に関して言えば、ネット上には情報があるが、近くの図書館に蔵書としては収まっていない。いつかチャンスがあればめくってはみたいが、いまはグノーシス的なものの一種か、と想定しておこう。

 心理学が哲学や宗教と繋がりをもっていた時代には、心理学は芸術という形としても存在していた。詩や演劇や舞踏、さらに建築でさえ、心理学的知識の伝達手段であって、たとえばゴシック式聖堂は、心理学的作品という点に主眼の置かれた建造物であった。
 哲学、宗教、芸術が、今日のように別個の形態で独立していなかった古代では、エジプトや古代ギリシャに見られるようになり、心理学は秘儀の形態で存在していた。
p13

 宗教、という用語は、誤解を招きやすく、当ブログではなかなか使いきれないので、注意深く排除してきたが、ここで使われているようなセンテンスでなら、なにも避けるべき用語でもない。また、いきなり古代エジプトとか古代ギリシャとかに時代的スパンが飛んでしまうことは、当ブログの好みではないが、それらが、現代までどのように繋がってきているか、その時々の検証をしてみることや、21世紀の現代として、どのようにそれらが理解されているかを確かめてみることには、大いに関心がある。

 人間に可能な進化という観点から人間を研究することが、いかに重要であるかを理解すれば、心理学とは何か、といった問いに対してまず得られる回答が、心理学とは人間に可能な進化について、その原理と法則と事実を研究する学問である、という事実はおのずと明らかになる。p15

 当ブログとしても、心理学をフロイトの精神分析から始まるものではなく、ウスペンスキー(あるいはグルジェフ)のいうように「人間に可能な進化について、その原理と法則と事実を研究する学問」と定義しておこう。そして可能な進化を遂げた存在をブッタとか、カビールたち、と当ブログでは呼び慣わしているのだが、その細部についても、すこしづつ解き明かしていかなければならない。

 すくなくとも「フロイト 精神分析」という検索ワードを当ブログなりに消化するには、このウスペンスキー=グルジェフ的見地をアンチテーゼとして対置させて、検証していく必要性を強く感じる。

<9>につづく

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2009/12/26

ふりかえったら風1 きたやまおさむの巻

ふりかえったら風(1(きたやまおさむの巻))
「ふりかえったら風1」 (きたやまおさむの巻) 対談1968ー2005
北山修 2005/11 みすず書房 単行本 256p
Vol.2 No886★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

さて、当ブログにおけるログ・ナビにおけるフロイト--ヘッセ--グルジェフの旅も徐々に前に進んでいる。ヘッセは一連の単行本と、一連の全集をかいま見ることによって、大体のアウトラインをつかんでおいた。「最後のガラス玉遊戯者」で一旦フェードアウトしておいて、あとはすこしまとめておけば、まずはひとつの極としてのヘッセはこれでいい。

 グルジェフについては、ウスペンスキーを含んだ形で要所要所を再読していかなければならないが、それでも、単に再読モードに入ったからと言って、なかなか読書は前に進まない。ここは新たなる展開軸が必要となる。そこで、もっとテーマを絞って、つまり「ブッダたちの心理学」の要素をすこし前に推し進める時期が来ているようである。

 となると、ここで問われてくるのは「ブッダ」とは何か、「心理学」とはなにか、ということであるが、やはり心理学とくれば、まずは「フロイト」を避けては通れない。フロイトは心理学というより「精神分析」という手法のイメージが強く、こちらもすでに100年前の人なので、ヘッセと同じように全集などでみることができるのだが、どうも古臭い。

 そこで、今回は、フロイト洞窟探検隊のナビゲーションを、精神分析「医」、北山修にお願いしようと言うわけである。当ブログとしては、この人はまったくノーマークだったのだが、探してみれば著書の類は多い。どうしていままで気づかなかったのだろう。どうやら、この、気づかなかった、というところにも、なんらかのミソが隠されていそうなので、ゆっくり紐といていくことにする。

 さて、ヘッセの「全詩集」の次は、北山修の「百歌撰」とつないでみたのだが、狙いは巧くいっただろうか。自己採点は35点くらい。あんまり巧くはいかなかった感じがする。

 当ブログで、現在進行形のカテゴリとして、この北山修とフロイトは、「私は誰か」カテゴリにいれるつもりでいた。しかし、実際に一連の北山修の著書を見てみると、必ずしも「私は誰か」カテゴリとは言えない部分も多くある。むしろ「地球人として生きる」カテゴリの要素が大きい。

 だから、現在、考慮中ではあるが、やはり、フロイト+北山かたまりは、「私は誰か」カテゴリに入れていこうと思う。たしかに、最近の当ブログを見ると「地球人として生きる」カテゴリの要素が強かった。とくに「2009年下半期に当ブログが読んだ新刊本ベスト10」などを見たりすると、我ながら、その思いがますます募る。

 しかしながら、やはり当ブログの眼目は「私は誰か」カテゴリなのであり、具体的には「ブッダたちの心理学」へのいざないなのである。だから、フロイトや北山かたまりが、あちこち誘惑してくる可能性があるが、うまいこと角をためて調教しながら、「私は誰か」カテゴリに追い込んでやろうと思う。

 ジャーナリストと精神科医の仕事はよく似ている? p246

 さぁ、きたぞ。こういう言葉自体が「私は誰か」カテゴリに追い込みたくなる構えなのである。そもそも当ブログでは、プログラマ--ジャーナリスト--カウンセラー、というトリニティできていたところ、それをフロイト--ヘッセ--グルジェフ、と言いかえたばかりである。つまり、最大限、プログラマ要素と、ジャーナリスト要素を、落とすことにしたのである。残るはカウンセラー的要素のみだ。

 もちろん精神科医はカウンセラーとは違うが、大カテゴリとしては同じジャンルにいれておいてもいいだろう。つまり当ブログにおいては、ジャーナリスト的部分は排除していく。いや、ジャーナリストも精神科医も、究極の問いかけ「私は誰か」の前のおいては、なんの意味もない。むしろ邪魔になるだけだ。1987年当時の対談の中の言葉なので、しかたないが、そこにはもう時代読みしている暇などはない。不要な要素は削っていく。

 この本は、三部作である。きたやまおさむ、キタヤマオサム、北山修、この三つの名前を使い分けるという。これもまた「私は誰か」カテゴリにはふさわしくない振舞いである。あなたは「きたやまおさむ」でもなく、「キタヤマオサム」でもなく、「北山修」でもない。さぁ、あなたは誰か。

 名前を三つ使って、二面性どころか三面性を使って何事かをなそうというのは眩術である。三つも五つも百個も同じこと。それでごまかしてはいけない。あなたには名前はないのだ。名前をつけて語れるようなものは、「あなた」ではないのだ。さぁ、あなたにとっての「私は誰か」。

<第2巻>につづく

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2009/12/25

戦争を知らない子供たち'83 

北山修/きたやまおさむ百歌撰
「北山修/きたやまおさむ百歌撰」<1>
北山修 2008/12 ヤマハミュージックメディア 単行本 355p
Vol.2 No885★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

「戦争を知らない子供たち’83」

作詞=きたやまおさむ
作曲=坂庭省亨(省悟)

窓を開ければ表通りに クラスメイトが走ってゆく
私はため息をついて 教科書に目を落とす

厳しい憲兵政治によって農民の土地を取り上げて
朝鮮独立のための集会やデモが始まった
日本の満州への侵略で始まった15年の戦争は
日中戦争によって中国全土に拡大していった
さらに東南アジアを狙い 石油やゴムを求めて
アメリカ 英国 オランダと ぶつかっては戦った

※これは本当の話? 本当にあったの?
 答えてほしい 教えてほしい

南京を占領したときは中国国民を殺害し
暴行 略奪 放火まで 犠牲者は30万
占領地からは人々を日本本土につれてきて
非人間的なやり方に 抗日運動は続いた
私たちは被害者の子供で 加害者の子供なんだね
私たちも殺されたけど 私たちも殺したのですね

※くりかえし

父や母は恋も捨てて 私たちを育ててきたという
戦争を知らない子供たちは 本当に幸せだという
今年も日本に冬がきた すぐに春もめぐってくるよ
若い兵士はいつの時代も 同じ空を見つめてる

窓を開ければ表通りに あの日と同じ空が続くよ
私は軽くうなづいて 教科書に目を落とす
※くりかえし
 
私の歴史は 始まったばかりです
私の歴史は 始まったばかりです    
p164

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最後のガラス玉遊戯者 ヘッセ

ヘルマン・ヘッセ全集(第16巻)
「ヘルマン・ヘッセ全集(第16巻)」 全詩集

ヘルマン・ヘッセ /日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会 2007/04 臨川書店 全集・双書 531p
Vol.2 No884★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

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「最後のガラス玉遊戯者」

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遊戯の道具である色さまざまな玉を手にして

彼はうつむきながら座っている

まわりに広がる国土は戦争とペストに蹂躙され

廃墟にはキヅタが生えてミツバチが飛び回り

疲れた平和がおぼろげな讃美歌を響かせながら

老年に達した静かな世界にただよっている

老人は色とりどりの玉を数えながら

青玉をひとつ、白玉をひとつ掴み出し

大きな玉をひとつ、小さな玉をひとつ選び出し

それらを輪に並べて遊戯のために整える

かつては象徴をあつかう遊戯において傑出し

数多くの芸術と数多くの言語に熟達した巨匠

世界中を知り尽くす学識を誇り、世界中を旅して回り

世界の隅々にまでその名が知れわたった著名人

そして常に弟子や同僚たちに慕い求められた人だった

今、彼は取り残され、老いて消耗し、孤独に沈み

もはや彼の祝福を求める弟子はひとりもなく

彼を議論へと誘う遊戯名人もいない

みな逝ってしまったのだ

カスターリエンの聖堂も蔵書も学舎もない・・・・

老人はガラス玉を手にして瓦礫の山に憩う

かつて多くを物語った象形文字は

今はただ色鮮やかなガラスの破片にすぎない

それらは高齢の人の手から音もなく転がり落ち

砂の中に消えてゆく・・・・・

 p300

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ナルツィスとゴルトムント ヘッセ

ヘルマン・ヘッセ全集(第14巻)
「ヘルマン・ヘッセ全集(第14巻)」 ナルツィスとゴルトムント 
ヘルマン・ヘッセ /日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会 2007/08 臨川書店 全集・双書 331p
Vol.2 No883★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 ヘッセの世界を知るのなら、ぜひともこの「ナルツィスとゴルトムント」を読んでみたい。今回全集を各巻パラパラとめくりながら、読みたいけどどうしても読めなかったものに「荒野の狼」があった。また、この「ナルツィスとゴルトムント」も、内容もだが、量的にもかなりの長編なので、小説が苦手な私には、簡単に読むことはできない。

 量的には「ガラス玉遊戯」とほぼ同じくらいあるのではないか。前回このブログの中でブッキング版「ガラス玉演戯」を読んだ時も、読了するのに三週間ほどかかったので、こちらの一文も、それくらいのスパンで考えないといけない。

 なにも小説は急いで読まなくてならないものでもない。読めるタイミングがきたら、ゆっくりと味わいながら、読み進めたいものだと思う。

 さて、当ブログにおける「表現からアートへ」カテゴリもついに三ケタになった。通常、当ブログのカテゴリは、同時進行的に3つほど存在し、それぞれのカテゴリの記事数が108になったところで、ヒトくくりにして残していく、というスタイルになっている。

 今回も、あと残るヘッセのいくつかの作品や本をめくったりしていれば、やがてこのカテゴリも108になるだろう。そろそろ締めにかかる時期に来ている。はて、このカテゴリはどんな形で終わるのだろう。

 洋の東西を通じたひとつの人間性を追求したヘッセ。深く共感しながら、その「人間」にこだわるところに、ヘッセらしさがあり、また、ヘッセらしい「限界」があるとも、見ることができる。精神分析的に、暗闇のなかを深く照らしだそうとするヘッセの作品世界をさまよいながら、深い思索を重ねることも可能だろうが、本来、ゴータマ・シッダールタが到達したとされる「ブッタ」の境地に、あえて到達しまいとするかのヘッセがいるように思う。

 ログ・ナビから当ブログに与えられたお題は「シッダールタ」であった。それは決してヘッセを意味しない。しかしながら、ゴータマ・シッダールタ、であることも直接的には意味していない。一つの可能性として大きいのは、やはりヘッセの「シッダールタ」であろう。

 しかし、そこには「シッダールタ」はいずれ「ブッダ」になるのだ、という可能性が秘めている。やがて「ブッダ」になる「シッダールタ」にこそ、ログ・ナビは関心を寄せているのではないか。

 とすると、どこまでも「シッダールタ」の地平にとどまろうとするヘッセの世界に、長く拘泥することは、当ブログの構成上、必ずしも得策とは言えない。もしヘッセのなかに「ブッダ」への道を見つけることができない、とすれば、ここはすこし距離をおきながら、また新しい旅へと出かけるべきなのであろう。

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アッシジの聖フランチェスコの幼年時代 ヘッセ

<1>よりつづく 

ヘルマン・ヘッセ全集(第11巻)
「ヘルマン・ヘッセ全集(第11巻)」 <2> 子どもの心
ヘルマン・ヘッセ /日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会 2006/04 臨川書店 全集・双書 346p
Vol.2 No882★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

「アッシジの聖フランチェスコの幼年時代」

 
この「ヘッセ全集」の中で一番最初に手にしたのがこの第11巻だった。Oshoの「私が愛した本」リスト追っかけの中で、「ヤコブ・ベーメ」を探していて、この巻に収録されているヘッセの「ヤーコブ・ベーメの召命」に出会ったのだった。あれがちょうど半年前のことであり、あの時点では、このシリーズをまるまんま追っかけるようになるとは思ってみなかった。

 ヤーコブ・ベーメに関しては、日本においては「アウローラ」という一冊になっており、この本の確認はしたものの、まだ十分に読める体制にはなっていない。ただ、こちらのほうに、このような方向性があるのか、ということは確認しておいた。

 またこのシリーズ「ヘッセ全集」第2巻には「アッシジのフランチェスコ」1904年が収録されており、こちらの第11巻の「アッシジの聖フランチェスコの幼年時代」1918年のほうが続編であると考えられる。もっとも、「幼年時代」に遡ることになるのだから、逆にこちらのほうが前編となるべきかもしれないが、むしろこの「幼年時代」のなかに、ヘッセは自分の幼年時代を重ねているようでもあり、よりヘッセらしい作品と言える。

 実際は、ここからもっと「アウローラ」のほうへ展開していきたいと思っていた当ブログであるが、ヘッセの重力が、ヘッセ圏内から脱出しようとする読者を、強力に引き戻してしまうところがある。ヘッセは、どこまでも人間らしい作家である。ヘッセの「シッダールタ」もまた、どこまでも人間らしいシッダールタであったが、こちらのフランチェスコも、どこまでもヘッセらしいフランチェスコであった。

 Oshoのタロットカードにアッシジの聖フランシスのカードがあったことを思い出した。

Transf022thefoolishheart

 The crazy wisdom of Francis of Assisi

 ハートは岩に語りかけることができます……全き愛がその神秘を明かします。ハートからマッドに狂いましょう。
 アッシジの聖フランシスは確実に精神病院マッドハウスに入っていたにちがいない。樹に話しかけ、アーモンドの樹にこう言っている。「シスター、お元気ですか?」――もし彼がここにいたら、捕まっていたにちがいない。「シスター、私に神を歌ってください」と彼はアーモンドの樹に話しかけたものだ。しかもそれだけではない――彼はアーモンドの樹が歌うのを聞く! 狂っている! 治療が必要だ!
 彼は河に、魚に話しかける――しかも、彼はその魚が自分に応えると主張する。彼は石や岩に話しかける――狂っているという証拠ががほかにもまだ必要だろうか?
 彼は狂っている。だが、アッシジの聖フランシスのようにあなたも狂いたくはないかね? ちょっと考えてごらん――アーモンドの樹が歌うのを聞くことのできる能力、樹のなかの兄弟姉妹たちを感じることのできるはーと、あらゆるところに、まわりじゅうに、あらゆる形のなかに神を見るハート……。
 それは最大限の愛のハートにちがいない。全き愛がその神秘をあなたに明かす。だが、論理的なマインドにとっては、もちろん、これらのことはナンセンスだ。
 私にとてはこれらだけが意味のあることだ。狂いなさい。もしできるなら、ハートから狂いなさい。
OSHO 「ANCIENT MUSIC IN THE PINES」 p.171

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小人 ヘッセ

ヘルマン・ヘッセ全集(第9巻)
「ヘルマン・ヘッセ全集(第9巻)」メールヒェン 物語集7 1919~1936
ヘルマン・ヘッセ /日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会 2005/06 臨川書店 全集・双書 331p
Vol.2 No881★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

「小人」

 この第9巻においても、なにはとりあえず手にとって、その存在を確かめる程度で終わりにしておこうと思ったのだが、一番最初の「小人」を読み始めたら、やっぱり止まらなくなった。全集の中で数えて20ページだから、小品とは言えるが、なんだかSF小説の星新一のショートショートを読んでいるような気になってきた。

 小品は小品なりにピリリとスパイスが効いていて読み応えがある。思えば、「シッダールタ」や「ガラス玉遊戯」にしても、必ずしも、ひとつのストーリーでできているわけではない。むしろ、こうしたひとつひとつの小品が組み合わされて、大きなセット作品になっていると考えてもおかしくはない。

 それはまるで、コンピュータを動かすためのプログラムのようなものかもしれない。ひとつひとつの動作を確定するためのアルゴリズムがひとつひとつ重なり会い、最後は、大きなひと固まりのOS+主要アプリケーションとなる。

 この「小人」は1903年の作品だが、20代前半のヘッセは、さかんに習作を重ねて、OSのもととなる基礎の部分、カーネルを作ろうとしているかのようだ。村上春樹は自らを「プロの嘘つき」と表現したが、ヘッセもまた、自らがストーリー・テラーになるべく、さかんにその練習をしていたと言えるだろうか。

 メールヒェンは元来、グリム兄弟が収集した昔話のように、古くから口伝で伝え継がれてきた口承文芸で、伝説が特定の場所や人物と結びついた特異な事件を語るのに対し、人間の普遍的な運命を題材に、ごく平凡な主人公が、現世的な重力から解放されて次々に空想的な冒険を繰り広げる軽やかな展開を特徴としている。

 後の詩人たちが、メールヒェンの持つこの魅力に惹かれて自らのお話を紡いだのが創作メールヒェンである。ロマン派的な性向を持つヘッセの創作の本質はメールヒェンに通じており、最後の大作「ガラス玉遊戯」もまたひとつの規模の大きなメールヒェンと見ることもできる。p327「解説」

 メールヒェン。つまり、いわゆるメルヘンのことであろう。たしかにヘッセの世界そのものがひとつのメールヒェンだ。

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読書狂  ヘッセ

ヘルマン・ヘッセ全集(第8巻)
「ヘルマン・ヘッセ全集(第8巻)」 ロスハルデ クヌルプ 放浪 物語集4 1914-1918
ヘルマン・ヘッセ /日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会 2005/12 臨川書店 全集・双書 363p
Vol.2 No880★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

「読書狂」

 この巻に収められている「クヌルプ」は、先日、40年前の翻訳の文庫本で読んだ。ヘッセについてよく調べもせずに、でもいきなりヘッセが読みたくなって、お手軽に手元にあったものを読んだのだった。

 しかし、考えてみれば、せっかくの新訳が、ましてやこのような全集の中に収められているのだから、こちらを読めばよかったかな、とも思う。しかし、それはそれ、またそのようなチャンスが巡ってくるだろう。

 そういった意味では、この巻に収められている「夢の家」は、草思社版「庭仕事の愉しみ」の中に翻訳されていた、ということであるから、すでにそちらも読んでいたことになる。「庭仕事の愉しみ」は、当ブログのなかでは初めて読んだヘッセだったので、思いで深い。

 巻末にあった「読書狂」は笑いつつ、読んだ。小森健太朗の「ネメシスの哄笑」を思いだした。蔵書のなかに埋もれて暮らす人々もいる。物理的にも、精神的にも、書物の中だ。読書狂、とはよく言ったものだ。

 当ブログは、かならずしも読書狂ではない。もともと、かならずしも読書が得意ではないし、読書より面白いことどもについても知っている。それに本にまみれて暮らすライフスタイルというのは、この21世紀においてはちょっと、ダサいのではないか、と思う。

 Oshoもそうだったし、立花隆や松岡正剛などもそうだが、自ら図書館を持っていることを、ちょっと自慢げに話すところがある。たしかに本を読み続ければ次第に貯まってしまい、生活空間を圧迫してしまう。

 資金的に余裕がある人々は、もうひとつ部屋を作るなり、倉庫を借りるなりして自らの蔵書を保管する。さらに凝れば私的な図書館にしてしまう。その管理も難しいが、それらの何万冊という蔵書の活用もなかなか難しいだろう。読むことは読むだろうが、それを活用するとなると、なかなかできないだろう。

 現在、当ブログは、インターネットで本を探し、ネットから図書館にリクエストし、借りだした本についての簡単なコメントをつけて、ブログとしてリストアップしている。公開はしているが、基本的には個人的なメモである。私的に保管したければ、非公開にしてしまう手もあるが、今のところは、別にそれほど隠す必要性は感じていない。(もちろん積極的にさらすつもりもないのであるが)。

 読書ブログの良さは、自宅の住居スペースが圧迫されないことである。この4年ほどで当ブログでは2000冊ほどの本を読んだが、実際に購入した本は数十冊である。あとはほとんど公立図書館や大学図書館から借りてきた本。それらについては、自分なりに管理してはいるが、検索機能があるので、まるで図書館の司書にレファランスを受けているような便利さがある。

 そして、ここからが問題であるが、読書と言う趣味は、本との個人的な付き合いになりがちだが、ブログにおいては、公開性という特性があるので、これを使えば、密室での孤高な精神状態にならない、ということがある。

 当ブログにアクセスしてくる人々は、日に数十人から数百人。複数のブログを書いているので、一定ではないが、それでも常にアクセスはつづいている。この人々が何を思いアクセスして来るのか、何を思って立ち去っていくのか、すこし分からないところも多いが、たまに置き土産をおいていってくれる書込み者もいる。

 また、最近はアクセスログ解析があるので、その「読者たち」の性向も、完全ではないにせよ、すこしはわかる。決して、壁に向かって誰にも聞かれない独り言を書き連ねているわけではない。

 彼はこんな夢を見た。書物ばかりで高い壁を築こうと彼は懸命だった。壁はどんどん高くなり、もう本の壁以外何も見えなかった。世界中のあらゆる書物をここに積み上げて大きな建造物をつくるのが彼に課せられた仕事だった。

すると突然その建物の一部がぐらつき始め、書物は崩れ去り、ガタガタと音をたてて底なし沼に落ちていった。

 とぱっくり口を開いている隙間から、一条の不思議な光が差し込んできた。そして書物の壁の向こうに、彼は不思議なものを見た。光ともやの中にひとつの混沌を見た。(後略)p354「読書狂」

 当ブログはこのようにはならないだろう。もともと読書は苦手だし、そのうち飽きて、もっと別な趣味に関心が移っていくに違いない。しかし、現在のところ、インターネットと図書館、というシステムがうまいこと噛みあって、なかなかうまい流れができている。当面は、読書をこのスタイルで楽しんでいきたい。

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世界改良家 ヘッセ

ヘルマン・ヘッセ全集(第6巻)
「ヘルマン・ヘッセ全集(第6巻)」 物語集4 (1908ー1911) 
ヘルマン・ヘッセ /日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会 2006/02 臨川書店 全集・双書 329p
Vol.2 No879★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

「世界改良家」

この巻の中にもビッグタイトルはないが、すぐに目についたのが「世界改良家」という、全集にしての30ページ程の文。

 1907年3月から4月にかけては、スイス南端アスコーナのモンテ・ヴァリスタ(真理の山)の生活改良運動家のもとで、菜食や裸体での日光浴といった自然療法を試み、1909年8月には、バーデンヴァイラーの医師アルベルト・フレンケル教授のサナトリウムへも保養に出かけている。p324「解説」

 ここにでてくる「真理の山」とやらのことが気になる。第一巻の解説においても、コロニーとして紹介されているが、このところに、強い関心をひかれる自分がいる。ここの生活改良家と世界改良家とは、どういう繋がりがあり、どういう違いがあるだろう。あるいは同じことを意味しているかもしれない。もともとの原語ではどういう言葉であったのだろうか。

 「世界改良家」は1910年に発表されている。当然、この「コロニー」関連の影響がでていると考えることは間違ってはいないだろう。とすると、この辺で興味深くなってくるのは、1877年生まれのヘッセに対して、1878年生まれのウスペンスキーがちょうどこのころ最初の著書「第四次元」を出版していることである。グルジェフと会う前のことではあるが、時代はそのように動いていたのだろう。

 例の「真理の山」とやらのコロニーについてだが、日本でいえば武者小路実篤の「新しき村」も、やや遅れてだが、1918年にスタートしているのも、興味深い。当時のいわゆる「文学者たち」は自然の中で生活することによって、なにごとかをなそうとしていたのであろうか。

 小さな家の中に、奇妙な図書館ができた。それは菜食の料理本に始まって、きわめて奇妙な神秘的学説で終わっており、プラトン哲学、グノーシス派、心霊術、神智学などを越え、これらすべての著者に共通するオカルト的な衒学趣味を帯びながら、精神生活の全領域を含んでいた。

 ある者はピタゴラスの学説と心霊術の同一性を証明することができ、もう一人のものはイエスを菜食主義の告知者と解釈することができ、またある者は、煩わしい愛の要求を自然の移行過程だと証明することができた。自然は生殖をただ一時的に使用するに過ぎず、その究極の意図としては、個人の肉体的不死を得ようとしていると言うのである。p296「世界改良家」

 なんだか、この辺の描写は、100年が経過した現在においても、ほとんどまったく変わっていないので、失笑してしまう。常にこういう流れはあったんだなぁ、と改めて確認。淡々と描写しながら、ヘッセのアイロニーに満ちたしっかりした批判精神が見てとれる。

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2009/12/24

愛の犠牲 ヘッセ

ヘルマン・ヘッセ全集(第5巻)
「ヘルマン・ヘッセ全集(第5巻)」 物語集3(1906ー1907) 
ヘルマン・ヘッセ /日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会 2006/12 臨川書店 全集・双書 : 374p
Vol.2 No878★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 「愛の犠牲」

 この第五巻には、たくさんの物語が詰まっている。ほんの短期間の間に、よくこれだけの物語が書けるものだと、大文豪に対して、頓珍漢な感想を持ってしまった。なにはともあれ、もう大略的なヘッセのアウトラインはつかんだことだし、全集の中にもこのような巻も含まれているのだ、ということが分かればいい。

 とそんな気持ちで、なにはとあれ、最初のページだけでもめくってみようかな、と思った。「愛の犠牲」。ところが、これがなかなか面白い。いつものヘッセらしい、なぜこの文章=物語が存在しているのか、という意義を押し出しながら、こちらの心の隙間に、見事に入り込んでくる。

 わずか5~6ページほどの文章なのに、ついうっかりヘッセの世界にはまりこんでしまう。いやぁ、5~6ページの文章でよかった。これがもっと長い文章だったら、最後まで読んでしまいたくなったに違いない。まんまとヘッセの手に落ちる。気をつけなければ・・・(笑)。

 つづく、「恋愛」、「ある青年の手紙」、「別れを告げる」などなども、読み出したら、止まらなくなるだろう。ここは、敢えて読まないでおこうと思う。なぜなら、当ブログは、ヘッセの世界にどっぷりつかるのは、まだちょっと早いからだ。

 今日、クルマを運転したり、近くまで歩いたりしている時に、頭の中をぐるぐる回っていたのは、当ブログの次なるステップについてだった。ヘッセは、まもなくアウトラインをなぞり終わるだろう。その次はフロイトだ。しかしフロイト追っかけは、どうやら北山修追っかけと同時進行になりそうだ。

 そして、小説家=詩人=芸術家としてのヘッセのことを考えながら、「1Q84」の村上春樹のことを考えていた。ヘッセはすでに、過去の大芸術家で、全集が何度も改訂されるような大御所だ。しかし、それはすでに出来上がっている世界だ。もうすこし、新しい現在進行形の世界につながっていかないのか。そういう意味では、当ブログにおけるヘッセの後継者を村上春樹にしたらどうだろう。

 ノーベル賞作家としてのヘッセは、ちょうど百年前、これらの作品を書いていた。もちろん、未来が開けているなんていう保証はなにもなかった。村上春樹も、将来はどうなるかわからないが、明らかに期待されている現代の作家であり、ひょっとするとノーベル賞をもらうかもしれない。それだけの評価を各方面から受けている。

 ヘッセ→春樹、フロイト→北山修、と来たときに、私の頭の中では、はて、それではグルジェフの後継者は誰になるだろう、と、考えが渦巻き始めた。いろいろ翻訳した人たちや、似たような活動をした人をいろいろ考えてみた。

 で、結局、思いついたのは、ケン・ウィルバーだった。もちろん、グルジェフは光明を得た存在とされており、またマスター稼業をした存在だ。ウィルバーは、たしかに現代の切れ味抜群の理論家ではあるが、かならずしも光明を得た存在という評価をされてはいない。もちろん、自分からそのような表明をしてもいない。

 しかしながら、例えば、グルジェフにおけるウスペンスキーのような立場とケンウィルバーを比較してみるのはどうだろう。たしかにウスペンスキーもケンウィルバーもクレバーな人たちである。時代切っての理論家だ。

 ウスペンスキーにおけるグルジェフのような立場を、例えばケン・ウィルバーにおけるチョギャム・トゥルンパにしてみたらどうだろうか。なかなか良い思いつきのようでいて、はてあまりにもこじつけになるかもしれない、と一人で考えながら、笑ってしまった。

 フロイト--ヘッセ--グルジェフ、という当ブログのグル・ナビによるトリニティを一歩進めるには、北山修--村上春樹--ケン・ウィルバー、という新しき現代のトリニティを想定してみる必要があるのではないか。彼ら三人ともたしかに戦後生まれのベビーブーマー、団塊の世代の生まれではある。若くして時代とともに表現し、生きてきた存在たちではある。

 あたらずとも遠からず、この現代的トリニティをおっかけてみる価値はありそうだ。などと、思っていたのだが、どうも一人だけアメリカ人、というのもおかしくないか、と思い始めた。彼のような存在として他にいないのか。ちらちら考えてみたら、いたよ、中沢新一という人が。

 もちろん中沢もまた光明を得たという評価はないし、マスター稼業を背負っているわけでもない。しかし、彼のチベット密教の師をその立場におけば、なるほど、ウスペンスキーと同じような立場になれない、というわけでもなさそうだ。

 北山修--村上春樹--中沢新一・・・・ですか・・・・。なかなかおもしろそうでいて、なんか妙だなぁ。と、まず、今日のところはまとまりがつかなくなった。

 そんなわけで、こんな浮気な心で、ヘッセの美しい小説を読むべきではない。ヘッセはヘッセ。なにごととも比較されずに、味わわれる必要がある。この第五巻の小説たちも、いずれゆっくりと味わいたい。比較されたり、分析されたり、解説されたりすることは、必ずしも小説や詩の目的ではない。それらは純粋に味わわれる必要がある。

 そんな日が遠からずあることを願って、とりあえず、この巻をいったん閉じておく。

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車輪の下 ヘッセ

ヘルマン・ヘッセ全集(第4巻)
「ヘルマン・ヘッセ全集(第4巻)」 車輪の下
ヘルマン・ヘッセ /日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会 2005年04 臨川書店 全集・双書 : 373p
Vol.2 No877★★★★★ ★★★★★ ★★★★★

「車輪の下」

 ヘルマン・ヘッセとくれば、やはりすぐ思い浮かべるのは「車輪の下」であろう。この「ヘルマン・ヘッセ全集」全16巻+「エッセイ全集」全8巻=24巻の中で、第一回配本として世にでてきたのが、この第四巻「車輪の下」である。ヘッセの人生の始まりであり、ヘッセ文学の始まりでもある。読者もまた、若い時分からヘッセに親しんでいるとすれば、まさにこの「車輪の下」はほとんど誰もが目を通しているに違いない。

 かくいう私も15~6歳の頃に文庫本で読んだ。しかも当時の文庫本はまだわが書棚に残っているはずである。ただ、すっきりと読んだ記憶がない。格闘しつつ、ヘッセを批判しつつ、ヘッセを横目で見つつ、ヘッセを求めつつ、読んだ。

 ヘッセとと言えば、この「車輪の下」、そして、当面の当ブログの課題である「シッダールタ」、さらには彼の最高傑作と思われる「ガラス玉遊戯」、この三冊で決まりだろうと思う。この三冊さえ読めば、まぁ、大体は、ヘッセを読んだよ、と言っても過言ではない、・・・と思っていた。

 しかるにこの全集を目にしてから、いかに読んでいないヘッセが多いことか、と唖然とする。こんなヘッセがいたのか、と、半ば放心する。

 「シッダールタ」は、二十歳すぎに、「インドへ行こう」と決断しつつ読んでいた。「ガラス玉遊戯」はそれから数年後、インドで、他の旅人がおいて行った本を貸してもらって読んだ。「シッダールタ」を読んだ時も、ヘッセと葛藤した。自分が思っていた「シッダールタ」とは違う。「シッダールタ」はこんなはずはない、と半ば怒っていた自分を思い出す。

 それに比して「ガラス玉遊戯」については、すこし憧れを込めて、なるほど、こんな世界があるはずだ、という遠い未来への目標を見つけたような、そんな気がした。だから、葛藤をしたということはない。むしろ、ヘッセの世界を客観的に受け止めることができた。

 だがよく考えてみれば、ヘッセにはもっといろいろな小説がある。今、私が一読者として葛藤すべき本は「荒野の狼」かもしれない。この小説の文庫本も持っている。今回もこの文庫本を読みかけていたが読了しなかった。全集の中の「荒野の狼」を読もうとした。しかし、読めなかった。途中で放り投げている。

 50代の初老の男の心の葛藤、それを見透かされたように、ヘッセなんかに書かれたくない。そんな、わかったような小説なんか読みたくない。私は私の世界を生きる、そんな、自分なりの矜持が、そのような読書行動にでるのかもしれない、と自分を精神分析して、思う。

 だから、ひょっとすると、「ガラス玉遊戯」は、まだ私自身が到達していない読書環境なのだと思う。私自身が「ガラス玉遊戯」のような心境になるとしたら。そして、それが、単純に年齢順に、そして誰もがヘッセのような精神成長を遂げるものと仮定した場合、私はきっと、「ガラス玉遊戯」をボロクソに言い始めるのではないだろうか。あの世界はあの世界、ヘッセの世界なのだ。

 ヘッセは第二巻に収録された「アッシジのフランチェスコ」を20代半ばで書いている。今読んでみると、なるほどなぁ、ととてもきれいな小説で、ヘッセの作家としての特徴がよくでているなぁ、と思って読んでいた。

 しかしヘッセはこの小説がお嫌いだったようで、翌年にはすぐに再刊をさせないようにしたという。お、っと思った。「きれいな」ことは決してヘッセjの世界なのではない。誠実であたり、純粋であったり、正直であるだけがヘッセの世界ではない。

 たしかにあの「アッシジのフランチェスコ」は、素材が「勝って」いて、ヘッセが従になってしまっている。ヘッセが書かなくても、他の誰かがあれを書くだろう。ヘッセは、自らの個性を表現したかった。ヘッセにしか書けないもの。それは何か。

 だから、ヘッセの「シッダールタ」を読んだ時、私は葛藤した。あれはゴータマ「シッダールタ」ではなく、ヘッセの「シッダールタ」だったのだ。つまり、検索ワード「シッダールタ」を境界にして、ヘッセと読者としての自分が対立していたのだ。また、それがヘッセの狙いであっただろうし、読者としては、それが読書の醍醐味なのであろう。

 もともと小説が得手ではないが、気になりつついつも村上春樹を読もうとして読めないのはなぜだろうと思う。こうしてヘッセを読んでいて、気がついたことは、村上春樹は、同時代人と、20世紀から21世紀へ、一緒に生きてきているということである。そして、彼もまた、この時代、この地球に生きている。

 だから彼の表現は彼の表現であって、一読者である私にとって気持のよい、手触りのよい一過性のものであるなら、それはそれほどの価値があるものとは見られない可能性があるのである。つまり、村上春樹は、表現者として軽くジャブを出してくる。それを無視はしないが、軽くよける自分がいる。しかし、それで彼は消えていなくならない。また、反対側からアッパーをしかけてくる。つんのめりながらも、なんとかよけた自分は、なんだ、こいつ、とにらみ返す。

 同時代人にまともに読まれて、最大限に評価される小説なんていうのはニセモノだろう。物議をかもしだし、無視され、あるいは批判されつつ、あるいは見当違いな評価を受けながらも、読む者へなにごとかの不協和音と協和音を発し続ける存在。そのようなものとして芸術があるのかもしれない。

 晩年のヘッセは、「成功」した文学者として、押し寄せる手紙類に辟易しながらも、結局は、大作を書くことはなかった。先日、北山修のことを考えていた。彼は「帰ってきたヨッパライ」のあとに、なぜ「フロイト」などというアカデミズムに逃げ込んでしまったのか、ということを。

 彼は、あまりにあの曲のヒットにおびえて逃げてしまったのではないだろうか。人気者になったことのない立場からは考え付かないが、きっと、それなりに理由があったはずだ。虚像や仮面が過大評価され、実在の自分がないがしろにされていく。

 「車輪の下」。まさにそのような状況のなかで、車輪の下敷きになっていたのは、ヘッセか、北山か、あるいは私だったであろうか。この小説を思うと、そのあたりが三つ巴となって、わが身にのしかかってくる。

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ペーター・カーメンツィント  ヘッセ

ヘルマン・ヘッセ全集(第3巻)
「ヘルマン・ヘッセ全集(第3巻)」 「ペーター・カーメンツィント」
ヘルマン・ヘッセ /日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会 2006/10 臨川書店 全集・双書 : 384p
Vol.2 No876★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★☆☆

「ペーター・カーメンツィント」

 すでにこの小説は「郷愁」として、高橋健二訳の文庫本で読んだ。それはほんの数週間前のことであったが、この時点では「ヘッセ全集」や「エッセイ全集」のことが頭になかった。うすうすきがついてはいたのだが、とにかく手当たり次第ということで、目についた文庫本を手に取ったのであった。

 しかし、同時進行的にこの一連の「全集」編集発行はつづいているのであり、21世紀の読書ブログとしては、当然こちらを読む進めながら、広くクラウドソーシングの基礎を固める必要があったのではないか、と思う。

 とはいいつつ、おなじ小説を二度続けて読むほど気力もなく、またその翻訳を比較吟味するほどマニアックにもなれない。ただ、ここで記録しておくべきことは、ひとりの作家を「全集」として読むか、ひとつひとつの個別な作品を「単行本」あるいは「文庫本」で読むのか、ということである。

 ましてやヘッセには、小説以外にもエッセイや書簡集が膨大な量があることが分かっており、それらを取捨選択したうえでさまざまな単行本がでている。これらをどう見るか、ということを先日から考えていたのだが、結論はでない。

 結局は、いろいろあるのはよいことだ、ということであろう。たった一冊でヘッセを卒業していくなら、単行本でいいだろうし、全体を通してヘッセを見直したいというなら、これは全集に限る。また、晩年のエッセイにこだわりたいというなら、フォルカー・ミヒェルスのヘッセ研究の優れた本が何冊も翻訳されている。

 さて、当ブログはどうするべきであろうか。全集の16+8=24冊を頭から順々に読んでいくのは、ちょっと荷が重すぎる。かといって、取りこぼしたヘッセについても、なんだか気にはなる。だから、結果としては、このまま進むしかないのだろう。

1)たまたまヘッセの一冊が気になって、読んでみた。

2)そういえば、昔、ヘッセを読んでみたことがあったと、自分の本棚をさがす。

3)なんと、お気に入りのヘッセ作品の新訳がでていたことに気がつく。

4)新訳で読むことによって、昔、気がつかなかったことがたくさんわかってきた。

5)もうすこし読んでみようと思ったら、他にもけっこう新刊本がでていた。

6)なんと、ヘッセにはこんな顔もあったのか、とあらためて驚く。

7)どうやら「全集」があるらしい。とにかくあの小説を全集で読んでみよう。

8)同じ巻に、こんな小説もあった。巻末の解説や新しい研究も興味深い。

9)なるほど、全集はこんな構成になっているのか。

10)なんと、現在刊行中の続刊の「全集」もあった。

11)どうれ、全体を見渡した上で、とにかく興味あるところから蚕食読みだ。

12)残ったところも、ひととおり把握しておく必要もあるが、精読はしない。

13)刊行中のものもあるので、次の巻がでたら、とにかくリアルタイムで読んでみよう。

14)あの小説とあの文章の繋がりはどうなっているのか、テーマや問題点が浮き彫りになってくる。

15)あの本は再読だな。あれは、まぁ、ある、ということを確認すればいいだろう。それと、あれとあれはダブっているので、あっちは無視でいいだろう。だけど、ここのミッシングリンクはどうなってる? 要探索だ。

16)いずれひと通り目を通したら、その全体像を把握した上で、いずれはこの新しい全集を頭から読み直すのもいいだろう。ぜひ、そんなチャンスがくるといい。

17)余裕があれば、以前にでていた全集などと比較してみるのもいいかもしれない。

18)でも、やっぱり、あれが一番面白かったな。

19)ヘッセという人が生きていたんだな。

20)ヘッセの小説が与えてくれたものはなんだっただろう。

21)自分はどう生きていくのだろう。

 というようなプロセスで当ブログにおけるヘッセ読みは進むのであろうか。現在は、このちょうど中間地点12)あたりまでさしかかってきたところだろうか。

 この第二巻においては、青年ヘッセの実にそのスタート地点が克明に表現されている。スタート地点とは言え、すでにその一生全体を象徴するような、そして個性的な部分がしかりと記録されている。

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2009/12/23

アッシジのフランチェスコ ヘッセ

ヘルマン・ヘッセ全集(第2巻)
「ヘルマン・ヘッセ全集(第2巻)」 青春時代の作品 2 
ヘルマン・ヘッセ /日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会 2007/02 臨川書店 全集・双書 325p
Vol.2 No875★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

「アッシジのフランチェスコ」

 ふと気がついてみれば、いつの間にやら、傍らのマガジンラックが、図書館から借りだしてきたヘッセ全集で満杯になっていた。いくらなんでも、これを一気には読めないが、まずはおおよそのところには目を通した。あとは頃合いを見て、また少しづつ再読する時期を待つとしよう。

Photo_2

 第二巻には、美しい小説「アッシジのフランチェスコ」1904年が収録されている。全集第十一巻には「アッシジの聖フランチェスコの幼年時代」1918年という作品が収録されているので、その関連を探りながら、この間の、ヘッセの心境の経過を感じるのもいいかもしれない。

 1904年に出版されたこの小説に対する書評は一貫して好評で、ヘッセの文名を高めるの寄与したが、じきにヘッセ自身が内容に満足できなくなり、1905年以降再版させなかった、p325「解説」、ということである。

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ヨーゼフ・クネヒトからカルロ・ヘェロモンテへ ヘッセ

「ヘルマン・ヘッセ エッセイ全集(第3巻)」
「ヘルマン・ヘッセ エッセイ全集(第3巻)」 省察 3 自作を語る・友らに宛てて
ヘルマン・ヘッセ /日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会 2009/07 臨川書店  全集・双書 369p
Vol.2 No874★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 芸術家が自らの作品について語り解説をする、ということは、本来、禁じ手であろう。音楽であっても絵画であっても舞踏であっても、ましてや文字として表現された芸術であれば、表現されたそのもので完結しているものであり、あとの評価なり解説はそれを受け取る側にまかされるべきものだと考える。

 もっともヘッセとて同じ思いだろうし、この一冊に集められている「自作を語る」一群の文章たちは、なにもヘッセ自身がセールスプロモーションをかけているわけではない。ヘッセの作品の中には発表直後にはまともに評価されなかった作品も多く、後年になって評価がうなぎ上りになった作品も多くある。

 さらには、1943年に書いた「ガラス玉遊戯」が戦後ノーベル賞を受賞してからは、ヘッセの人生が終わる1960年代初頭まで、ほとんどまとまった作品が書かれることはなかった。そしてさらにはこの5~60年代の間に、ヘッセの評価は世界的に高まり、もっとヘッセを知りたいという読者からの要望も増えた。

 この一冊にまとめられいる文章は必ずしも、一般読者にあてて書かれたものばかりではなく、メモや私信、一部の知人に向けたメッセージなどが多く含まれており、どちらかと言えば、ヘッセ・フリーク向けの内容となっている。

 なぜ「ガラス玉遊戯」には女性は登場しないのか?

 (中略)ガラス玉遊戯の作者は老境にさしかかっており、長年にわたる仕事をしめくくるときにはすでに老人になっていました。作家とは、齢を重ねれば重ねるほど、一層几帳面で良心的でありたいと思い、自分が本当に知っていることだけを話したいと思うものです。しかし女性は、老境にさしかかって男や老人にとって、以前は十分に理解していたとしても、再び遠ざかり神秘的になる人生の一部です。

 このことについて、彼は何か現実的なことをあえて知ろうとは思いません。それに対して男性の遊戯については、その性質が精神的なものである限り、その男は隅々まで熟知し、それに精通しているのです。

 想像力を持つ読者であれば、私のカスターリエンの中へ、アスパシアから今日に至るまでの賢明で知的に優れたあらゆる女性を、生み出して思い浮かべていることでしょう。p131 1945年「ガラス玉遊戯」について

 うまい。山田く~ん、座布団一枚。・・・ってオチョクっている場合ではないが、うまい、と思う。五木君、わかっただろうか。

 中国に対する私の入れ込みようは以前からご存知でしょう。私の愛着は第一に仏教や禅にあるのではなくて、仏陀についてまだ知らない古の輝かしい古典作家たちの中国にありましたし、今でもそうです。古い歌集や「易経」、孔子、老子、荘子による文書、および彼らについての文書は、ホメロスやプラトン、アリストレスと同様に私の教育者であり、私自身や、善き、賢き、完全な人間についての私のイメージを形づくる手助けをしてくれました。道(タオ)という言葉と概念は私にとって、昔も今も涅槃より貴く、中国の絵画もまた同様です。p341「ヨーゼフ・クネヒトよりカルロ・フェロモンテへ」1961年

 洋の東西がさらに交流を深め、ましてやインターネットが発達した時代にヘルマン・ヘッセが生きていたら、きっとこの部分の表現はもっと別なものなっていただろう。誰が誰に対して何時の時代に書いたものかで、文章表現は微妙に変化するものだが、この最晩年のヘッセの文章は、もはやこれ以上修正が効かないほど集約された彼自身の姿勢であった、ということができるだろう。

 「碧眼録」をある程度研究した結果得られた記憶に残っている非常に個人的な印象をいくつかお伝えしたら、さらにあなたのためになるのではと思います。あなた自らこの書物に取り組むようおすすめすべきかどうかは、私にはわかりかねます。この書物は魅力的かつ衝撃的なものでいっぱいですが、その神髄は非常に厚くて硬い殻に閉じ込められていて、あなたのようなすでに自身の目標をきちんと見据えている人にとっては、このような難文に解説に日々を費やすには、人生はあまりに短すぎます。

 私の場合は事情が異なっていて、特定の課題に未だきっちりと集中して取り組んでいるわけではなく、学び続けようと意欲的にまた誠実に、人間精神の歴史の終わりなき牧場の中をあちこちさすらっているところです。あなたもご存知のとおり、有名な「碧眼録」の中心は短い逸話で成り立っていて(その本では、「則」といわれています)、あるものは箴言を、またあるものは昔の有名な禅師の教育的行為や実践を伝えています。

 このような箴言は今や私たちのような人間にとっては・・・・すでに11世紀の中国の人にとってもそうだったのですが・・・・ほぼ理解できないもので、その意味は詳細な注解の助けを借りることによってのみ、多少とも推し量ることができます。p342「ヨーゼフ・クネヒトよりカルロ・フェロモンテへ」1961年

 当ブログは、アクセス・ログに残された検索ワードを、新しいナビゲーションとしながら、フロイト~ヘッセ~グルジェフ、というトリニティの旅にでているところだが、この旅が一段落すれば、禅=ZENの旅に出ることになるだろう。ヘッセがこれらの文献にあたり、真剣に、誠実に過ごしている日々が、いとしく想われる。

 ログに残されている禅キーワードは、二入四行論、信心銘、六祖壇経、臨済録、禅家語録、などだが、中観思想、荘子、列子、易経、なども重要な接点であり、いずれ「碧眼録」などにも触れていきたいと思う。幸い「荒野の狼」と同じような年代にさしかかってはいるものの、まだこれらの文章に触れるのに、残された人生は短すぎると嘆くほど老いてはいない。

 あなたにはすでに、私なりの「目覚め」についてお話しましたが、それは禅について、私たちふたりがいくらか聞き知るはるか以前のことでしたので、中国仏教の目覚めた者に関して私が気がついたことと、その解明についてなお述べなければなりません。

 悟りの稲妻に打たれるという経験そのものはもちろん知っていますし、私の身にもこれは何度か起こりました。西洋のわれわれにとってもこれは未知のものではなく、神秘主義者と大小問わずその無数の弟子たちもみなこれを経験していて、たとえばヤーコブ・ベーメの最初の悟りが挙げれます。

 もっともこれらの中国人において、目覚めた状態にあることは生涯持続するようです----少なくとも師においては。師は瞬間を固定しておくために、稲妻を太陽に変えるようです。私の理解ではそこに欠落がありました。悟りを啓いた状態が永遠に続くことは想像がつきますが、持続的な存在形態となった法悦となると想像が及びません。

 おそらく西洋的な見方を東方世界に持ち込み過ぎているのでしょう。私に想像できるのは、一度目覚めた者が、別の人間として第二、第三、そして第十の目覚めに至ることが可能であることや、当然のことながら何度も眠りと無意識に沈んでも、次の閃光が彼を目覚めさることができなほどには深くは沈まない、ということぐらいです。p344「ヨーゼフ・クネヒトよりカルロ・フェロモンテへ」1961年

 この辺の分析、解説、理解、については急ぐまい。当ブログではここででているヤーコブ・ベーメについても、再び触れていくつもりだ。さらに、そこらあたりを接点とした西洋神秘主義についても知りたいと思っている。 

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2009/12/22

私のホロスコープ ヘッセ

ヘルマン・ヘッセ エッセイ全集(第2巻)
「ヘルマン・ヘッセ エッセイ全集(第2巻)」 省察 2 折々の日記2・自伝と回顧 
ヘルマン・ヘッセ /日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会 2009/04 臨川書店 全集・双書 341p
Vol.2 No873★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 なぜかこの巻にも夢日記がある。1940年のもの。1918年当時の夢日記はラング博士の精神分析を受けるために書いたと思われるが、こちらはなぜ書いたのか分かっていないという。

 しかし、よくよく考えてみれば、分析を受けるために夢日記を書く、という行為よりは、単に夢を記録しておく、という行為の方がより当たり前な行為に思える。そして、記録なんかせずに、夢を夢としてみる、というほうがより自然で人間的だ。

 分析など糞食らえだ、などと言ってしまっては実も蓋もないが、分析したからといって、なにかが分かるというものでもない。この巻には、ヘッセが「シッダルタ」や「ガラス玉遊戯」などを書いた当時の日記やエッセイが詰まっている。

 小説ばかりではなく、その背景や本音を知っておくのも、悪くない・・・・だろうか。う~~ん、むしろ邪魔になることもあるのではないか。ヘッセを知るにはヘッセの小説を読めば済むことではないか。そしてヘッセを読むとは、自己を読む、ということに繋がっていくべきだ。ヘッセについて、微に入り細に入り知ることが、一体どこまで真理の探究につながるものだろうか。

 中段に「私のホロスコープ」という文献がある。ヘッセの誕生日を基に、細かい星々についてのデータが書いてある。もっとも現代なら、パソコンがあるのだから、生まれた時間と場所さえあれば、誰でもホロスコープは作ることができる。それを一定程度の紋切り型で「分析」し、「理解」することもできる。しかし・・・。

 私もホロスコープをもとにカウンセリングをすることがある。特にそれだけを希望してやってくるクライエントもいる。結構、人気が高い。というのもよく「当たる」からだ。いや、話している自分もびっくりするくらいよく「当たる」。とくに人間関係や恋占いなどは実によく当たる。ズバリだ。ウソと思うなら、希望者はぜひとも私の恋占いカウンセリングを受けてみるべきだ。

 しかし・・・、と思う。星占いで、相性を占ったり、人生を占ったりするのは、後回しでいいだろう。とにかく「生きて」みることが先決だ。なんのチャートもなしに、まずはどっぷりと人生の中に入っていくべきだ。そして、なにかのおりに、ああそうだったのか、という程度に振り返る時に、ホロスコープが役立つくらいでちょうどいいのだ。

 「わがまま」p239という文章もある。これはヘッセの最新刊「わがままこそ最高の美徳」の中に収められている文章だ。なるほど、ふたつの文章を並べてみると、おなじ原文があるはずなのに、日本語になるとかなり翻訳のしかたが違う。どちらがどうということもないが、これだけバリエーションがある、ということだけは覚えておこう。

 ただ、「ガラス玉<演戯>」なのか「ガラス玉<遊戯>」なのかという逡巡と同様に、あまり仔細にこだわるのは当ブログらしくない。ヘッセが言わんとしたことをそのまま受け止め、ひいては自分を理解するすべとなれば、それで足りるはずだ。

 まぁ、それぞれ好みがあるだろうし、これがベストなヘッセの味わい方だ、という決まりがない限り、トッピングの材料が多いに越したことはないが、すべての材料を使い果たさなければならない、というものでもないだろう。

 

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精神分析の夢日記 ヘッセ

ヘルマン・ヘッセ エッセイ全集〈1〉省察1―折々の日記1・夢の記録
「ヘルマン・ヘッセ エッセイ全集」〈1〉 省察1―折々の日記1・夢の記録
日本ヘルマンヘッセ友の会研究会 (翻訳) 2009/02 臨川書店 単行本: 340p
Vol.2 No872 ★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 「ヘッセ全集」全16巻が完結し、続いて「エッセイ全集」全8巻の第一巻。なんと言ってもこの巻で留意しておくべきことは、ページ数にして半分以上ある「1917年・1918年の精神分析の夢日記」だろう。この日記のタイトルはフォルカー・ミヒェルスが付けた仮題で、当時精神分析療法を受けていたラング博士に見せるために書かれたもの、とされる。二人の対話療法は72回にのぼった(p318)という。

 夢は私もよく見る。子ども時代や若い時分などは、私にとっては「寝る」ということは「夢を見に行く」ことを意味していた。たくさん夢を見た。数限りない。かなり特徴的な夢も観て、確かにある時期は私も夢日記を書いていた。

 しかし、ある程度日記がたまってから、考えた。所詮、夢は夢である。夢を分析していろいろ自分のことを考えようとするのと、生きている現在の自分を分析することと、どれほどの違いがあるのか。ましてや、生きている、ということはマーヤである、という教えだってある。だから、私はある時から夢日記を書かなくなったし、どんな夢を見ても、夢は夢、それ以上にはこだわらなくなった。

 だから、ヘッセの夢日記の存在を知ったことは有意義であったが、ヘッセの「夢」だからと言って、有難く読もうとは思わない。所詮、夢は夢である。もっとも、ヘッセの個人史をもっと知りたくなったら、その時は、副読本としてこの「夢日記」は貴重な存在として再登場してくることになるだろう。

 また、「岩山で ある『自然児』の覚え書き」は、この全集の中にあって、わずか10ページ程度のエッセイであるが、それを書いた場所について知る意味では貴重な資料と思える。

 精神療法の一環として、ヘッセは1907年の3月から4月に賭けてアスコーナ近郊のモンテ・ヴァリスタ(真理の山)に滞在した。sれは現代物質文明を嫌忌する人々がマッジョーレ湖畔の丘陵地に理想的な共同社会を夢みて築いたコロニーであった。自然回帰、菜食主義、裸体文化、神智主義、アナーキズム、ダダイズムなどの雑多な思潮が混在し、ヘッセの他にも、カール・ユング、ゲルハルト・ハウプトマン、バウル・クレー、ルードルフ・シュタイナーなどの著名な文化人が数多く訪れている。p316

 このコロニーに滞在したのは短期間であったのだろうから、他の「著名な文化人」たちと直に交流することは少なかっただろうが、その場所に寄せられた理想を共有することで、貴重なネットワークができつつあったことは想像できる。

 もっとも、どこかでヘッセは、シュタイナーや神智学には距離をおく発言をしているので、ここから彼のグループへの繋がりを推測することはできない。しかしながら、当時のモダニズムを知る上では、なかなか興味深いいきさつではある。

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2009年下半期に当ブログが読んだ新刊本ベスト10

2009年上半期よりつづく

2009年下半期に当ブログが読んだ
新刊本ベスト10

第1位
1_2
「新・平和学の現在」
岡本三夫 /横山正樹・編 他6人共著 2009/09 法律文化社 単行本 264p


第2位

2_3

「哲学者たちの死に方」The Book of Dead Philosophers
サイモン・クリッチリー (著), 杉本 隆久 (翻訳), 國領佳樹 (翻訳)  2009/8 河出書房新社 単行本: 372p 原書 2008


第3位
3_2

「クラウドソーシング」みんなのパワーが世界を動かす
ジェフ・ハウ /中島由華 2009/05 早川書房 新書 421p


第4位
4_2

「地球の授業」
ユベール・リーヴズ /高橋啓 2009/08 飛鳥新社 単行本 178p


第5位
5_2

「単純な脳、複雑な『私』」または、自分を使い回しながら進化した脳をめぐる4つの講義
池谷裕二 2009/05 朝日出版社 単行本 414p


第6位
6_2

「わがままこそ最高の美徳」
ヘルマン・ヘッセ /フォルカー・ミヒェルス 2009/10 草思社 単行本 278p


第7位
7_2

「ウィキペディア・レボリューション」 世界最大の百科事典はいかにして生まれたか
アンドリュー・リー /千葉敏生 2009/08 早川書房 新書 443p


第8位
8_2

「弓道パーフェクトマスター」
基本技術から的中率を上げる極意まで!
村木恒夫 2009/10  新星出版社 単行本 191p

第9位
9_2

「ルバーイヤート」
オマル・ハイヤーム /岡田恵美子 2009/09 平凡社 全集・双書 197p

第10位
10_2

「2030年メディアのかたち」
坪田知己 2009/09 講談社 単行本 254p


次点
Photo_2

「惑星、熊野」
村木恒夫 2009/10  新星出版社 単行本 191p

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2009/12/21

現代フロイト読本<2>

<1>よりつづく 

現代フロイト読本(2)
「現代フロイト読本2」 <2>
西園昌久 監修 北山修 編集代表 2008/07 みすず書房 単行本 p403
Vol.2 No871★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★☆☆

 この本、二冊組の本なのだが、内容は多数の研究者陣によるオムニバスになっており、それこそ読む順番は、読み手側の自由に任されているし、ページ数の付け方も、二巻目は一巻目の終わりの数字を継ぐようにできているので、一冊の本であるかのように読むことにする。

 ここ数十年間、日本では「フロイト著作集」(人文書院)全11巻が現実的な代表的な翻訳である。第一巻p382 北山修

 小此木啓吾選「精神分析学の手引きブックガイド50冊」は、伸びきった蕎麦か、冷めたピザのような雰囲気がないではないが、その中心となっている人文書院の「フロイト著作集」が「現実的な代表的な翻訳」というのであれば、ここから読み始めるのがいいであろう。とくに小此木は必ずしも巻数どおりの順番には並べていないので、なぜその順番にしたのかも、考えながら進めていくのがよかろうか。

 北山は二巻目でも書いているが、いまいち面白くない。なぜなのだろう。食材があって、シェフがいて、食べる客がいるとする。北山シェフの腕はまずまずとするならば、まずいのは食材か、客か。

 フロイトは、食材としてはどうなのであろうか。新鮮な朝どりの産地直送の野菜なのだろうか。よもや、ブランドばかりが先行した偽装食品に成り下がっているのではないだろうに。フロイトを食べに来る客とは、誰か。一体、今時、フロイトを食べて、どうすると言うのか。センスを疑ってしまうのである。

 偽装食材と、センスのない客、その二つに挟まれた、ちょっとは名の売れたシェフ=北山修、という構図を考えてみる。その時、最近の私が、ちらちら思うことがある。かなり誤解を招きそうな物騒な思いである。「加藤和彦を殺したのは北山修なのではないか」。当ブログの読者はどう思うか。

 北山修ばかりか、加藤和彦についても、ほとんど何も知らない。「帰ってきたヨッパライ」のあと、北山はアカデミズムの中に逃げ込み、加藤は元祖ロック(?)歌手として、サディステッィク・ミカ・バンドなどを率いていた程度のことしか知らない。その加藤は、いろいろ新しいことを試みながら、結局は自死という道を選ぶ。

 傍らに、ひとりの親しい精神分析家がいながら、自殺していく初老の男。こういう構図は、別に今回の彼らにばかり当てはまる構図ではないが、しかし、どちらにも納得のいかない、何かが残るのではないだろうか。私もカウンセラーとして長く関わりを持っていたひとりのクライエントの自殺に出会ったことがある。他人事ではない。

 もし、あの時、あそこで、こんなことを、ああすれば・・・・、という思いは今でもぶり返す。だが仕方ない、手の届かないことだったのだ、と諦めかけたりもするが、しかし・・・。

 もし北山修が心理学者になるとしても、フロイト「派」ではなくて、もっと脱フロイト的な、もっともっと「現代的」な、ラジカルな、超過激な心理学者になって、加藤和彦のミュージッシャンとしての活動にダイレクトにつながるような活動家であったなら、ひょっとすると、加藤の晩年も、もっと違ったものになったのではないか。

 「ちょっとは腕のいい」シェフ北山は、食材の選定に失敗し、取るべき客を間違ったのではないか。21世紀に、メインディッュに「フロイト」を出すような、崩れかかった老舗レストランの板場で、北山修は、本当は、自分こそが精神分析にかかりたい、と思っているのではないか。いや、もう彼は「フロイト 精神分析」など信じていない。

 北山と加藤が、あれからどんな親交を続けてきたのかまったく知らない。勝手な妄想だ。妄想とはちょっと遠慮した言い方だ。自由連想だ。ミュージッシャンと心理学者(しかもフロイト派なら)に対してなら、「自由連想」も許してもらえるだろう。(彼の冥福を祈りながら)

 <3>につづく

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現代フロイト読本<1>

現代フロイト読本(1)
「現代フロイト読本1」 <1>
西園昌久 監修  北山修 編集代表 2008/05 みすず書房 単行本 395p
Vol.2 No870★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★☆☆

 ヘッセ側からフロイトへのラインの糸口は見えてきたが、さて、フロイト側からのヘッセへのラインは見えてくるだろうか。当ブログの「ログ・ナビ」における検索ワードは「フロイト 精神分析」であり、それ以上の一段深めた所への示唆はなにもないのだが、この際だから、すこしフロイトをキーワードとして、見知らぬ領域をすこし彷徨するのも悪くない。

 ということで、一応は、「精神分析学の手引きブックガイド50冊」なるものを引っ張り出してきて、すこしづつその所在を確認しつつあるところだが、なにせ1998年の小此木啓吾編のガイドであり、いくぶん情報が古びており、もうすこし新し目のリストがないかなぁ、と物色中。もともとフロイトは古色蒼然としていて当たり前なのだが、やっぱり、どうせやるなら、情報は新しいほうがいい。

 そんな当ブログの網に引っ掛かってきたのが、この本(全2冊)であるが、さて、どれだけ「現代」的であろうか。「読本」とはどういう意味であろうか。あるいは、どうして編集者たちはこの本に「現代」とわざわざ銘打ったのだろうか。

 そもそもこの本が目に入ったのは、刊行されてからまだ1年半しか経過していないというタイミングと共に、編集代表に「北山修」の名前が見えたからであった。小此木ガイドにも、「きたやまおさむ」と「香山リカ」の名前は見えたが、個人的には「香山リカ」の本は、正直言って、さっぱり面白くない。大変失礼ながら、彼女の本は当ブログが読んだ本「ワースト10」のトップに置かせていただいている。

 今回のこの「読本」のほうには彼女の名前は見えないが、もし彼女がいわゆるフロイト「派」であるがゆえに「面白くない」のであれば、これはなんらかの因果関係があるだろう、と当ブログ特捜班はスワ!新事実発見、と中腰になってしまうのだが、さてどうだろう。

 さて、「読本」においては、「北山修」は編集代表である。北山は、当ブログにおいてまったくノーマークだった。ここに来てこの名前がでてくるとは、思いもしなかった。あの名前は、ほとんど「帰ってきたヨッパライ」と共に、天国に行ってしまった、と思っていた。

 たしかに彼は医学者であり、あれだけの大ヒットを飛ばしながら、芸能人としての人生を生きることをよしとせずに、アカデミズムの中に消えていった存在だった。すくなくとも、一リスナー、一読者としての私の前からは消えたはすだった。

 しかるに、ここに来て、北山修の名前がクローズアップされてきたことに、驚くやら、喜ぶやら、なんだかすこしこちらのやんちゃ心がくすぐられるのだった。だから、この本を選んだということは、フロイト追っかけというニュアンスとともに、北山修追っかけのニュアンスも含んできた、ということである。

 すくなくとも北山修追っかけをすれば、この40年は俯瞰できることになる。しかも、そこにフロイト「派」が重なっていれば、当ブログとしては一石二鳥だ。一網打尽だ。と息巻いてはみたが、はてさて。

 フロイトの読み方

 どこから読んでもいい
 私は、フロイトを、何からでも、どこからでも、読んでいいと思う。例えば、彼の若いときからの著書を順番に読むのもいいだろうし、最初は、精神分析の碩学や先達が参考文献として挙げているものや自分の関心から主題を限って読むのもいいだろう。

 しかし私は、大量にある著書だから確かに迷うけれど、気が向いたところから、手当たり次第に、片っ端から読んでいいように思う。読む順番の自由、これは後からフロイトを私有化して読む者の特権である。縦に読むな、横に読むな、リニア(線的)に読むな。パーソナルに気ままに、そういう読み方をしていると、縦横無尽に拡がる「フロイト世界」が展開していくだろう。

 Cを読んでJにいって、JからZを読んでからFを読む、というようなことでいい。裏表のある心の理解の場においては、そんな風に裏に行ったり表にまわったりしながら、自由連想的に読むのがいいと思う。心の世界は、決して物的現実における書物や地図のごとく二次元世界として広がっているのではなく、無数の次元で広がっているので、むしろシステマテッィクに読まないほうがよいのだ。p367 北山修

 御節ごもっともであるが、もとより当ブログは、無手勝流の縦横裏表ハスがけ桂馬飛び、尻取り、深堀、散らかしっぱなし、なんでもありの読書を展開中ではある。フロイトだからと構えず、まぁ、ここは北山教授のレクチャー通りに進めていくことにする。

 実用性や即効性を疑うこと
 もはや現代は、フロイトの精神分析に熱狂的に飛びついて、フロイトを真に受けて、そして信じて裏切られていく、というような「フロイト・ブーム」の時代ではない。精神分析に関するそういう幻滅体験はすでにフロイト自身にもあったのである。そして1990年頃までは、世界のどこかでいつも起こっていたのだ。

 例えば、数十年前のアメリカには、フロイトこそが未来を保証すると信じた人たちがいただろう。あるいは、1970年のパリで、そして1990年の南米で、さらには日本でもそういう即効性や実用性の期待が集団発生したかも知れないが、今や、フロイト著者について「訳に立つ」という言説は頭から疑われていると思う。すでに多方面でフロイト自身の病理、神経症、偏り、というものが論じられている。

 それでも、精神分析は胸を貸す形でその批判を受け止めることができていて、だからこそ、今世紀になって後から読まれるフロイト読者は、実用性や功利主義に振り回されないでいられるのだ。今では、甘い夢は抱かずに、冷静に、そして落ち着いてその知恵から学びながら、自分の居場所で読めると思うのだ。p367 北山修

 いきなり文頭から全文転記してしまったが、まさに当ブログの現在の心境とそれほど変わりはない。ここまで冷めてみている北山修、侮るべからず。

 <2>につづく 

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ヘルマン・ヘッセと音楽

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「ヘルマン・ヘッセと音楽」
フォルカー ミヒェルス (編集), Volker Michels (原著), 中島 悠爾 (翻訳)1992/01 音楽之友社 単行本: 398p
Vol.2 No869★★★☆☆ ★★★★★ ★★★★☆

 「ヘッセ」と「音楽」という二つのお題をいただいて、一席ぶつ、というだけならよくありそうなテーマだが、この本はヘッセが音楽に触れている文章を集めている、という点で、相当に稀有な本であろうと思われる。

 特にヘッセは音楽家でもなければ、主なる小説で音楽を論じているわけではない。随所に音楽を連想させるような文章は見られるが、決して多くを語ってはいない。こちらはエッセイや書簡集の中から拾いだされた文章たちである。

 この本を持って、ヘッセの理想の音楽とは何だったのかを探ることも可能だろう。実際にググッてみると、「ヘッセの理想としていた歌曲とは」という研究論文がみつかったりする。当ブログがOshoの「私が愛した本」から、一冊一冊読み進めているように、ヘッセのこの本から、一曲一曲、聴き進める、という手もあり、だろう。巻末に「ヘルマン・ヘッセの詩による歌曲一覧」pxというものもついている。

 当ブログでは、以前、youtubeで聴くことのできるビートルズを全アルバム追っかけたことがある。すでにリンク切れになっているところも多いが、再度チャレンジすれば、現在でも全曲youtubeで聴けるようだ。マイルス・デビスについてもこれをやろうとしているが、まだ、そのチャンスに恵まれていない。

 ヘルマン・ヘッセについての音楽追っかけをやったら面白かろう。当ブログ、企画がつまってネタ不足になった時はぜひやってみよう、と思うが、今は、他の企画がいろいろ乱立しているので、できない。この本、「音楽之友社」というところから出ている。なるほど、ヘッセという文学サイドからだけではなく、「音楽」というサイドからのヘッセ追っかけもあるのである。

 芸術家にとって精神分析あ極めて難しいものであり、危険なものでもあります。何故なら、真剣に受け取る者にとって、それは容易にその人に芸術家としての全特性を、全生涯にわたって禁じてしまうことにもなりかねないからです。ディレッタントならばそれも良いでしょう。しかし例えばヘンデルやバッハにそのようなことが起こるとしたら、私は精神分析など存在しないほうがいい、私達はその代わりにバッハをもち続けたいと思うのです。p278 1934 C・G・ユング宛ての手紙から

 精神分析とは言い難いが、たとえば、当ブログでも追っかけをしている色彩心理診断の某氏などは、極めて興味深い研究を続けているが、ご自身、素晴らしい絵画を描いておられるのかどうかは、寡聞にして知らない。

 芸術というものは、いかなる強制をも受けてはならないのです。現代の芸術を快く思わない人でも、それを非難したりしてはいけませんし、また、何とかそれを楽しもうと無理をしてもいけないのです。p324 1952年 ある婦人への返書

 そういえば、当ブログ「2009年上半期に当ブログが読んだ新刊本ベスト10」のトップは、「現代アート、超入門!」だった。理解しようと無理をしてもいけないし、避難する必要などもまったくない訳だ。当ブログの当カテゴリは「表現からアート」だった。このカテゴリにふさわしいヘッセからのメッセージとして受け止めておこう。

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2009/12/20

ヘッセからの手紙―混沌を生き抜くために

ヘッセからの手紙―混沌を生き抜くために
「ヘッセからの手紙」 混沌を生き抜くために
ヘルマン ヘッセ (著), Hermann Hesse (原著), ヘルマンヘッセ研究会 (翻訳) 1995/12 毎日新聞社 単行本: 461p
Vol.2 No868★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 

 「ヘッセ 魂の手紙」 1998/10に先立つ一冊。フォルカー・ミヒェルスの「ヘルマン・ヘッセ書簡全集」を定本としているが、ヘルマン・ヘッセ研究会・編として日本語訳がでている。一連の草思社版とは、若干の手触りの違いがある。

 ペーター・カーメンツィント万歳! 彼がいなければ私は結婚することも、ここへ越して来ることもできなかったでしょう。彼のおかげで2500マイクも手に入り、これだけあればここに止まる限りは少なくも2年は暮らせます。p27 シュテファン・ツヴァイクへの手紙 1904年

 27歳のヘッセは、初めて成功した出版本「郷愁」を素直に手放しで喜んでいる。

 私はインドの知恵がキリスト教の知恵よりよいとは思いません。ただインドの方が幾らか霊的で、少しばかり寛容で、また広く自由であると感じています。それは、キリスト教の真理が若いころ私に不十分な形で押しつけられたということから始まっているのです。p143 ベルトリ・カベラーに 1923年

 ヘッセ、46歳になれば、すでに青春時代は遠く、距離を持って自らを見ることも可能だ。

 この本の中には「ある共産主義者に」207pも採録されている。最新刊「わがままこそ最高の美徳」にも採録されているが、いずれ「エッセイ全集」にも採録されることになるのだろう。それぞれの翻訳には、若干の差異があり、場合によっては抄訳であったりする。

 もうかれこれ2年前のことだが、私の精神力が衰退し始める前にこの本(「ガラス玉遊戯」)を脱稿することができたのは幸いだった。私はちょうど良い時に仕事じまいをしたのだ。これで私も、生涯になした多くの愚かしいことを帳消しにできる。p288 息子マルティンに 1943年

 この作品を最後にヘッセはほとんどまとまった作品を書くことはなかったが、それは、押し寄せる一般読者や出版社、あるいは寄付を求める手紙などに圧倒されてしまったことも、大きな要因であった。

 なぜ「ガラス玉遊戯」には女性が登場しないのか。
 このことを時々手紙で尋ねられますが、答える気にはなりませんでした。そのような質問をする読者は、たいてい本を読む時の第一のルールを守っていないからである。つまりそこに書かれているものだけをを読み、受け入れて、自分で考えたり期待したことで評価しないということです。
p294 読者たちに 1945

 このことは、ちょっと前に「かもめのジョナサン」の解説で五木寛之が書いていたことと、「シッダールタ」におけるカマラーの登場などを連動させて考えると、なかなか興味深い点ではある。

 私は老人として東洋の考えやものの見方を感謝の念と共に崇拝しておりますが、その私でも、若い頃にアジアの精神と親しんだのは、死書は避難所と慰めを求めてのことでした。それはインドから始まりました。バガヴァッド・ギータやウパニシャッドや仏陀の講話を読んでいたのです。

 それよりもずっと後になってから、私は偉大なる中国の師たちをも知るようになり、また日本に対しても、私の従弟のヴィルヘルム・グンデルトや、日本で活躍していたドイツ人の宣教師、教師、翻訳家たちを通じて、やや個人的な関係をむすぶことになったのです。 

 とりわけ仏教の東の果ての形式である禅を少しばかり知るようになり、画家や版画家の芸術を、日本の叙情詩のみごとな具象性や端正さを、ますます新たになる喜びと称賛の年を持って愛しました。

 かくして私にとっては、私たちの西欧の伝統と並んで、インド、中国、日本が導きの師となり、生の泉となったのです。それだけに遠く離れたあなたがたの島国から私の方へ徐々にこだまが返ってくるのを見るにつけ、そして私の愛がそちらで受入れられているのを見るにつけ、私は喜ばしい思いを味わいました。

 東洋と西洋が真剣で実り多い相互理解を果たすべきであるということは、私たちの時代のまだ実現されていない大きな要求です。そしえそれは政治や社会の領域だけのことではありません。それは精神を生をめぐる文化の領域での要求でもあり、大きな課題なのです。

 今日日本人をキリスト教徒に、ヨーロッパ人を仏教徒や清教信者に改宗させるなどということはもはや問題ではありません。私たちがなすべきであり、またなそうと欲しているのは、改宗させたり改宗させられたりすることではなく、自分を開き、自分を拡大することです。なぜなら私たちは、東洋と西洋の知恵がもはや敵対して争い合う勢力ではなく、実り多い生がその間に脈打っている二つの極であることを知っているのですから。p379 高橋健二に 1955年

 以って瞑すべし。

 巻末にミヒェルスが解説を書いている。

 トーマス・マンやその他の同業者とは違い、残念ながら彼(ヘッセ)は自分の手紙のタイプの複写を取っておかなかったので、その手紙のほとんどは一通限りのものであった。p422

 そういうことであったのか。そのような環境にあって、のちにさまざまは方法で書簡集が集めれ、こうして一冊にまとめれているのは、一読者にとっては大変ありがたいことである。書簡集でなければ「高橋健二に」のようなより明確なヘッセの世界に触れることができなかったかもしれない。さらに、「あとがき」p440には、「ヘルマン・ヘッセ研究会」&「友の会」設立に至った経緯と、その後の活動について説明してある部分は興味深い。ヘッセをこうして読むことができるようになるまで、多くの人々の手がかかっていることに、あらためて感謝したい。

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ヘッセ 魂の手紙

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「ヘッセ 魂の手紙」 思春期の苦しみから老年の輝きへ
ヘルマン・ヘッセ /ヘルマン・ヘッセ研究会 1998/10 毎日新聞社 単行本 p341
Vol.2 No867★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 同じヘルマン・ヘッセ研究会の編集による本であってみれば、いつかは「ヘルマン・ヘッセ エッセイ全集」の中の一冊として出版されることになるであろうが、必ずしも、同じ内容で出版されるとも限らない。よもやこの本において掲載されたものが、全集からもれることはないだろうと思われるが、「エッセイ全集」は全8巻中4巻までしか刊行されていないので、現在の時点でこの一冊に目を通しておくことも意義ないわけでもないだろう。

 という軽い気持ちでめくったのであったが、あちこちに重要なポイントがいくつも散見され、本来は精読されてしかるべき一冊だろうと思われる。この本はおなじ研究会の、先立つこと「ヘッセからの手紙--混沌を生き抜くために」1995の刊行が好評であったことに刺激されてできた本であり、また、一連のこれらの刊行が、やがては「全集」の刊行へ繋がっていったのであろう。まさにヘッセ・ルネッサンスの立役者の中の一冊と言えるであろう。

 当ブログとしては、まず、この本においてはヘッセからフロイトの手紙が収容されているところがとても重要だと感じた。とくにテーマは「芸術家と精神分析」についてである。

 ジュークムント・フロイトに  ベルン 1918年9月9日

拝啓 教授!
 感謝のお言葉を頂き、まったくお恥ずかしい気持ちで受け止めております。と申しますのも、深く感謝申し上げなければなりませんのは、かえって私の方だからです。それを今日初めてお伝えすることができ、大変うれしく存じます。詩人たちは無意識のうちにいつもあなたの同盟者だったのです。今後はますます意識的にもますますそうなってゆくことでしょう。 衷心より尊敬の念を持って

 (注)フロイトは1918年7月16日付けの<フランクフルト新聞>に発表されたヘッセの論文「芸術家と精神分析」、および、「『ペーター・カーメンツィント』以来の作品を楽しみにして読んでいた」ことに感謝したのだった。1919年から25年にかけてフロイトの著作に対するヘッセの書評もある(「文学に対する著作」)。
p303

 ここにおける「文学に対する著作」とは、どこに収録されている文章か分からず。「エッセイ全集」詳細をさらっと見た限りではまだ発見できていないが、早晩みつかるだろう。

 パラパラとめくっていて、断片的に飛び込んでくる言葉群の中には、どきっとさせられるところが多くある。たとえば、次の部分などは、ホントに心痛む。

 「ガラス玉遊戯」は僕の経験上の大きな失敗作だった。これには11年以上も費やしたが、物質的にも精神的にも何ももたらさなかった。この作品は多数の献呈本としても、多くの人の手に渡っていると思うのだが、そのほとんどが受け取ったという知らせがないままだ。厚い日本巻で、値段は26スイス・フラン。君には出版後すぐに送ったが、君は受け取っていなかったので、今年もう一度出版社から送らせた。だがこれも届いていないようだね。p157 1945年ゴットリー・ベルマン・フィッシャーマンへの手紙より

 「ガラス玉遊戯」は、My Favorite booksの中の一冊だが、出版時における状況は、ナチが台頭する戦時下であったとしても、その真価が広く認められるには、幾多の困難があったのだ、ということを認識する必要があった。

 また随所にヘッセ自身の述懐があって、彼の作品自体がさらに3Dの立体感を持って浮きあがってきそうな感じがしてくる。

 私の本「インドから」についての質問には少し困りました。では、あなたにそのことについてすべてお話いたしましょう。(中略)内容の主要部分は、つまり当時マラッカやスマトラやセイロンを旅行した時の覚え書きなのですが、残念ながらお薦めできません。この本は不十分なもので、また旅行そのものにも実際失望しました。p307 1923年ロマン・ロランへの手紙

 出来上がった作品、しかも一般的な評価の高い作品だけをつまみ食いしただけではわからないヘッセの内面世界が波打っている。もっとも、「インドから」は、ヘッセ自身、この小説のタイトルとは裏腹に、インドには行っていないわけで、お勧めではないことは分かる。続いてこうも言う。

 当時、ヨーロッパに疲れてインドへ逃避した時には、私が彼の地で感じたのは異国情緒の魅惑だけでした。インドの精神については当時すでに知っており、それを私は探し求めていたのでしたが、旅行そのものの間は、この物質的な異国情緒のせいで、私はインド精神に近づくよりも、遠のいてしまったのです。
 さて、今や私は「シッダールタ」によって私のインドに対する借りを一部は返せました。東洋の衣はおそらく二度と必要とはしないと思います。
p307 1923年ロマン・ロランへの手紙

 「シッダールタ」は、たしかに東洋の衣を借りた西洋精神の彷徨であった。たしかにインドに対する借りの「一部」は返しただろう。そして、その借りの「全部」を返すことはできたのだろうか。

 もしあなたに不都合がなければ、どうかカルマンに、「東方への旅」を出版することにしたのかどうか、お問い合わせ下さいませんか。彼がこの本をもう要らないというのであれば、それはあなたの若い友人の自由にしていただけます。322p 1947年 アンドレ・ジッドへの手紙

 「東方への旅」もまた、ヘッセ文学においては重要な位置にある作品であるが、出版にこぎつけるまでの経緯にはさまざまあったようだ。しかし、それにしても、これだけの手紙類が残っているというのは、通常の作家でもあり得ることなのだろうか。物理的にも、後年これだけの手紙を回収することも相当に困難なことであろう。それとも、ヘッセは自分の手紙をタイプする時にカーボンコピーしておいたのだろうか。現代なら、自分のメールを保存しておくことなど当たり前のことではあるが。

 最近、テレビなどでも放送されたが、自分の妻の老境をドキュメンタリータッチで長時間放映した俳優夫婦があった。賛否両論であろうが、俳優とは自らの姿を大衆の前にさらすことが生業とは言え、私にはあまりにも目に酷すぎて、この番組は見なかった。

 ヘッセもまた、山間の隠者の風情を保ちながらも、つねに出版マーケットを意識し、つねに大衆の批評を浴びざるを得ない立場であったとは言え、これだけの手紙類が、後年これほどまでに、あからさまに曝け出されることを了としていたのだろうか。まぁ、すくなくとも、一読者としては、そこそこのところで引き返してきたほうが、我がヘッセ像に損傷が少ないようにも思う。ヘッセを神格化することも、ヘッセに耽溺することも当ブログの目的ではないとすれば、「尻取り」読書の次なるテーマが見つかれば、そこそこ、ヘッセを後にしなければならない時期が、そう遠くないうちに、やってくるだろう。

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ウィトゲンシュタインからフロイトへ

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「ウィトゲンシュタインからフロイトへ」 哲学・神話・疑似科学
ジャック・ブーヴレス /中川雄一 1997/02 国文社 単行本 263p
Vol.2 No866★★☆☆☆ ★★★☆☆ ★★☆☆☆

 精神療法家の立場から書かれた「ウィトゲンシュタインと精神分析」がなかなかの好著だったので、こちらも期待したのだが、哲学者の書いたこちらの本は、ちょっと難解で、あまりピンとこなかった。大体において、「ウィトゲンシュタイン『から』フロイトへ」というタイトルの「から」が気にくわない。

 原題は「Philosophie, Mythologie et Pseud-Science」であるから「哲学・神話・疑似科学」で間違いないと思うが、これでは本の性格が良くわからないので、「ウィトゲンシュタインからフロイトへ」という日本語タイトルになったのだろう。それにしても「から」はいただけない。

 いや別にこれは翻訳者が誤訳したのではなく、本の趣旨はそのようになっているのだからこれでいいのだろうが、この二人のバトルなら、私なら明らかにウィトゲンシュタイン側に立って応援するだろう。「フロイトへ」では、なんだかあまりに保守的過ぎる。それにしても、たまたま付けたテレビでジャイアント馬場とラッシャー木村が戦って、最後に馬場が勝つような「日本プロレス」を見ているようで、古色蒼然とし過ぎている。

 (前略)おそらくここにこそ、つねづねウィトゲンシュタインの権威に訴えるひとびとが彼の著作を読みながらも、哲学に対する考え方なり哲学の営為なりについて概して影響らしい影響をほとんど受けなかった理由があるだろう。そしてたぶん、いまや「ウィトゲンシュタインとだれそれ」といったたぐいの著作や論文が現れる時代になった理由もそこにあるだろう。この場合、そのだれそれ氏はできるだけ予想外の著述家であることが望ましいのである。p9「まえがき」

 なるほど、「○○○ VS ▲▲▲」などというバトルは、予想外の相手同士のほうが面白い。だからこそ異種格闘技がこれだけ隆盛しているのであろう。

 ウィトゲンシュタインとフロイトという問題はおそらく(中略)、ふたつのタイプの合理性のあいだの対決として扱うことができる。本質的な違いは、私の見るところ、フロイトがまったく古典的なタイプの科学的合理主義を主張するのに対し、一方ウィトゲンシュタインの思考は明らかにまったく別の次元に属するという点にある。p237「むすび」

 「まえがき」から「むすび」まで、この調子なので、この本の主題は科学者VS哲学者、という構造でできているわけだが、面白いのは、いずれが科学者で、いずれが哲学者であるか、というところである。

 ウィトゲンシュタインはときどきフロイトの弟子であると自称するものの、そうであれば当然参照をもとめてしかるべき心理学の哲学に考察において、フロイトを引き合いに出すことがけっしてなかった。p29

 自称「フロイトの弟子」はなかなかの気骨のある弟子であった。

 フロイトは科学者の立場に立っていると思いなしている。彼は、科学においてしばしば起こるように、不可能であろうと思われていたものが可能なだけでなく現実的であることを照明したわけだ。だがウィトゲンシュタインによれば、実のところフロイトはむしろ哲学者の立場に立っている。すなわち、なにか不可能なものが問題にされているのではないかと異議を唱えもせずに、途方もない発見がなされたと多くの場合あわてて主張しがちな哲学者の立場である。p65

 フロイトを科学者とみることは厳密にいえばなかなか難しいのであるが、彼がそう自己規定していたことは間違いないし、当ブログにおいても、彼を科学者とみることにしている。さて、哲学者とは一体どういう立場であろうか。科学者--詩人--神秘家、のトリニティでいえば、科学者と詩人の間あたりであろうか。限りなく神秘家の要素が排除されている。

 ウィトゲンシュタインは師に対して異論を唱えていばかりいるようなフロイトの「弟子」である。ラカンはフロイト的正統へ帰ることを強要するようなフロイトの「弟子」である。しかしながら、このふたりの思想家のいずれがフロイトの仕事の精神に近いと言ってよいのかという問題はまだ解決されていない。p88

 どうもこの辺の「論争」は面白そうでいて、実はあまり面白くない。結局はこのような論争がおこるのは、科学に限界があり、哲学に限界があることを、自ら逆証明してしてしまっているのではないだろうか。

 ウィトゲンシュタインの側からすればその違いは決定的であった。フロイトは「科学」という名の陰に隠れつつ科学という名を使って(悪しき)哲学をやっているのではないか、すなわち、通常の哲学的振舞いにひそむもっとも典型的な悪徳を科学的な美徳にまで仕立てあげたのではないかと、彼はあからさまに疑う。

 フロイトはあくまで科学者の見地であると自認する見地から、根本的にはただ一種類の夢や機知や間違い等々が存在するだけであることを示そうとするが、ウィトゲンシュタインはまさそれこそが哲学において仮定としたり前提としたりしてはならないような種類の事柄なのだと考える。なぜなら一般的にいって、それこそが、もっとも典型的な哲学的混同ともっとも解決しにくい哲学的問題が生じてくる源泉だからである。p238

 かなり読みにくい文章だが、これは翻訳が悪いのではなく、もともとの原書がこのように煩雑な文章形態を持っているのだろう。とにかくここでの「問題」は出口のない「公案」のようなものと捉えるべきだろう。本当は解決などないのだ。その問題そのものを超越するところにこそ解決はある。当ブログがトリニティの中に神秘家をおき、もっとも重要視しつつ、そちらへ移動していこうとしている所以である。

 精神分析の大きな誤りは、自分を科学と信じている点にある。すなわち、その説得の仕方に誤りがあるのではなく、むしろそもそも自分がなにをやっているかについて無知であること、自分のやっていることの危険の大きさを過小評価していることに誤りがある。243p「むすび」

 これがこの本の大団円である。な~んだ、それなら、最初からそう書いておけば、この本一冊を読む必要がなかったのに。でも、そうなると、哲学者の仕事がなくなってしまう。痛し痒しではある。

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2009/12/19

「ガラス玉遊戯」 ヘッセ<6>

高橋健二訳「ガラス玉演戯」2004よりつづく

ヘルマン・ヘッセ全集(第15巻)
「ヘルマン・ヘッセ全集」 第15巻
ヘルマン・ヘッセ /日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会 2007/06 臨川書店 全集・双書 545p
Vol.2 No865★★★★★ ★★★★★ ★★★★★

「ガラス玉遊戯」 <6>

 今回、またこの作品に触れることになった。何度でも読んでみたい文学作品はあるか、と問われたら、私はまずこのヘッセ最高峰の一冊を挙げたい。そう多くはないが、かつてこの小説を何度か読んだ。そしてこれからも、きっとまた読む機会があるだろう。そう願いたい。

 今回は、「シッダールタ」という検索ワードを切り口として、ヘッセの世界に入り、ヘッセ全集、エッセイ全集を巡りながら、ヘッセ~フロイト、ヘッセ~グルジェフ、というラインの探索に入っている。そして、現在のブログの進行上、テーマはややフロイトのほうに軸足が移りつつある。

 そういうプロセスのなかでのこの本との遭遇なので、じっくり読みこむということはしない。ただ、いままでヘッセの世界に圧倒されていたために、十分に距離を持ってこの作品を見つめることができなかったが、通りすがり、という気楽さから考えると、この作品のもうちょっと別な顔が見えてきたようにも思う。

 まず、作品の名前であるが、いままで高橋健二訳を読んでいた私には、長いこと「ガラス玉<演>戯」というタイトルが当たり前だったのだが、この本では「ガラス玉<遊>戯」となっている。新しい訳語なのかな、と思ったが、そうでもなさそうだ。まずは、かつて高橋健二訳の他に、井出賁夫訳、登張正実訳が存在し、今回は、渡辺勝を代表とする日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会訳、が登場した、という理解でいいのだろうか。

 なにはともあれ、全集の中で訳語の統一などが行われ、ましてや出版年が新しいことを考えれば、もっとも新しい息吹を吹き込まれた一冊ということになろう。もともと英語においては「Glass Bead Game」と訳出されているわけだから、Gameは、「演戯」よりはたしかに「遊戯」に近いイメージがある。

 ただ私の中では、この言葉はなかなか定着しない。ガラス玉、というべきところを、いつも「シャボン玉」と間違う。個人的なメモなどでは、かなりの場合「シャボン玉演戯」となっていることが多い。あるいは「演戯」を「戯曲」としている場合もある。だから、はなはだしい時は「シャボン玉戯曲」となっているので、第三者には、なんのことやら、よくわからないであろう。

 しかし、私のこの混同はも失笑を買うだけの愚かな読み方、とも決して言えないのではないか、と思う。ヘッセの「Glass Bead Game」も、よくよく読んでみれば、必ずしも「Glass 」でなくてはならない訳ではないからだ。なぜに「Glass」でなければならないのか、そこになんの説明もない。名付け難いひとつの「所作」をそう名付けているにすぎない。

 ガラス玉遊戯はカスターリエンの理念を最もよく象徴しているとされ、これはバスティアン・ベロットという、少年ヘッセが職人として努めた時計工場の親方の名にちなむカルプの音楽家に由来する。ペロットは子どものための素朴な数え玉にならって、針金を数十本取り付けた枠を作り、大きさと形と色とがさまざまなガラス玉を針金に並べ、そのガラス玉で音楽上の引用やテーマを対立させたりした、この遊戯は学生の間に流行し、さらに数学と音楽を結合することのできる記号法が考案されると大きく発展し、のちにはこれに東方を旅する人たちによって瞑想が加わり、もはやガラス玉とは何の関係もなくなってきたにもかかわらずその名称が残ったのである。p533「解説」渡辺勝

 私が意欲的な翻訳家だったら、この小説を「シャボン玉戯曲」とでも訳出するのではないだろうか。いや、そうしないまでも、すくなくとも一読者としての私は、私流の訳語で、ずっとこの小説を読んできているのであった。

 まず、ヘッセがこの小説で描いているところの世界は、ガラス玉の硬質な鉱物を材料としているものではないだろう。たしかに透明感に富んだ球体を持った世界ではあるけれど、もっと淡い、もっと消え行ってしまうような表現の世界だ。そして、作品として永続的にそこに存在し続ける彫像なようなものではない。

 私が「演戯」でもなければ「遊戯」でもなく、「戯曲」という言葉を連想するかというと、ヘッセの書いているものは、決して楽譜ではないからだ。演奏そのものである。演奏している存在と、多分それを聞いている存在の、その時に、その場所にあったそのことだけが「作品」なのだ。だから、表現されつつも、つねに消えつつあるものであり、永続性は感じさせない。刹那的なものだ。刹那なに表現されている永遠ななにかだ。

 「玉」=「Bead」、はどうであろうか。現代日本人のひとりとしての勝手な理解であるが、ビーズとなると、中に糸を通す穴があいていて、ひと連なりの首飾りのようなイメージがある。しかるに、ヘッセの描く「ガラス玉演戯(遊戯)」において表現され続けているものは、決してひと連なりの直線的なものではない。もっと軽量で、自由に空を飛び、幾層にも重なり会うことのできる、大小さまざまなカラフルな世界である。

 1935年の夏には、牧歌「庭でのひととき」で、「私は賢人、詩人、研究者、芸術家が一つに心を合わせて/百もの入り口のある精神の大聖堂を建設するのを見る。---私はいつかのちに/それを記述するつもりだ。その日はまだ来ない」と「ガラス玉遊戯」を予告しているが、そのころすでにヘッセはこのような壮大な遊戯を独自に構想していた。p534「解説」渡辺勝

 当ブログは、唐突に、身の丈に合わないことと知りながら口走ってしまえば、ヘッセのこの「ガラス玉遊戯」の世界に連なるなにごとかである。もっと言うなら、私流の「ガラス玉遊戯」なのだ。「賢人、詩人、研究者、芸術家が一つに心を合わせて」作る「百もの入り口のある精神の大聖堂」なのだ。そしてさらには「数学と音楽を結合することのできる記号法が考案されると大きく発展し、のちにはこれに東方を旅する人たちによって瞑想が加わった」ものでもある。

 だから、ヘッセの着想を借りながらも、さらに一歩当ブログ独自の歩をすすめるとすれば、まさに当ブログは「シャボン玉戯曲」を目ざしている、と自称しても、おかしくはないのである。ただ、それは、誰かに見せることを目的にしているわけではなく、ごくごく私的にとどまるべきものではあるが。

 私は、このヘッセの「ガラス玉遊戯」を含め、一切の彼の作品に対しての「批判」を、「小乗的カルマ」、という単語で表現している。ヘッセの美しい世界に耽溺しつつも、超えていかれなくてはならない。美しいヘッセの世界は、大いなる存在の中へと消えていく必要がある。

 ガラス玉が割れて、とげとげしい破片となって飛び散るか。あるいは、シャボン玉が割れて、水蒸気となって空中に飛散するか。いずれであったとしても、その消滅をも含む世界こそが、求められている世界である。そして美も醜も超えて行かれたところにこそ、魂のカスターリエンはあるはずだ。

<7>につづく

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2009/12/18

東方への旅<2> ヘッセ

<1>よりつづく

ヘルマン・ヘッセ全集(第13巻)
「ヘルマン・ヘッセ全集」 第13巻
ヘルマン・ヘッセ /日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会 2006/08 臨川書店 全集・双書 297p

「東方への旅」<2>

 書かれた年代やその性格から、この小説が「荒野の狼」から「ガラス玉演(遊)戯」へと至るプロセスをつなぐものということは理解した。しかし、「東方」という言葉のニュアンスにあった「インド」っぽいものは、一切なかった。むしろもっと渇いた西洋的なモノトーンな幾何学的なものさえ感じた。

 この小説を読んだまま「荒野の狼」を読み直さないでいいだろうか。ラングや、その師であるユングの精神分析を受けていたとされるヘッセの、その中年期における心の「闇」を、ここで再び確認する必要があるのではないか、と逡巡する。

 しかし、・・・と思う。そもそも、闇は闇なのである。闇をいくら手さぐりで、その闇の深さを知ったからと言って、闇は闇のままである。闇の中をすすむ者には、光が必要だ。たった一筋の光さえあれば、闇のその深さを計測し確認する必要はない。そう言った意味では、この「東方への旅」は、ヘッセなりの「光」の見つけ方の予兆が感じられる。

 さて、では「ガラス玉」は「光」足りえているのか。今までは、単独の小説として、その特異な世界に、ただただ憧れるように読んでいたあの小説であるが、一連の流れの中で再読してみるとするなら、はて、「ガラス玉」は、あれで、いいのか。かなり突き放したところで、ヘッセを考えることができるようになってきた。

 最近、ヘッセ~フロイトのコラボレーションのラインを探していたら、フロイト~ウィトゲンシュタインのラインが見つかった。これがなかなか面白い。ウィットゲンシュタインも、単独で読んでいるうちには、なんとも単層でモノトーンだが、フロイトとの比較で考えていってみると、なんだかゴシップ雑誌の三面記事的に、なかなか面白いことになってきた。

 であるなら、同時代的に、ヘッセ~ウィットゲンシュタイン、というものもあるのではないか、と、わが野次馬的マインドは、いろいろキューリアスになっている。ないかもしれないが、あるかもしれない。

 そんな気分で本日、古書店をうろうろしていたら、1967年にでた「ホイットマン詩集」という本を100円で売っていた。なんとも時代を感じさせる。芥川比呂志がホイットマンの詩を朗読している「ソノシート」が一枚ついているのであった。いまさら、こんなものを買っても、もうレコードプレイヤーを持っていないので、すぐに聴くことはできないが、なんだか嬉しくなった。

 そしてパラパラと解説などをめくっていたら、ホイットマン「バガヴァッド・ギータ」との繋がりについて論じている部分があった。ほほう、ホイットマンもバガヴァッド・ギータも、当ブログにおいては、重要なフレーズ群に属しているが、いずれも、他のフレーズとの繋がりを考察しないまま、スタンドアローンで放り投げておいた。

 しかし、これらのフレーズ群を、ひとつのおもちゃ箱にいれておいたら、不思議なネットワーくを形作り始め、次第になにか芳香のようなものを放ち始めてきた。なんか不思議な段階に入ってきた。

 正月には「1Q84」を読もうと思っている。図書館に予約していた上下巻が、半年を経てようやく私の順番になった。私の後ろには、すでに次の百人のリクエストがブッキングされている。そんなにしてまで読む価値があるものだろうか。

 すでに斜め読みはしている小説だが、まぁ、時間のある時にめくってみようと思う。ただ、前回斜め読みしたときとはちがって、もう少し、他の小説とのリンクやネットワークを考えながら読んでみようと思う。このヘッセの「東方への旅」をめくりながらそう思った。

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2009/12/17

ウィトゲンシュタインと精神分析

ウィトゲンシュタインと精神分析
「ウィトゲンシュタインと精神分析」
ジョン・ヒートン /土平紀子 2004/12 岩波書店 サイズ: 全集・双書 121p
Vol.2 No864★★★★☆ ★★★★★ ★★★★★

 探してみればあるものだ。この本はなにより、お手軽なイメージを持っているのがとてもいい。厚紙のハードカバー本ながら、わずか121ページほどの分量でなおかつ、本文はその半分近くでしかない。しかし、当ブログが現在迷い込んだ不思議世界で、「君はなにをお探しかな?」と、聞いてくるウサギのようだ。

 ウィトゲンシュタインは、「フロイトの弟子」を自称p101していたが、さまざまな点においてフロイトとは違っていたし、またフロイトの重要な点についても批判的であっった。

 フロイトは近代の申し子だったので、神経症患者を診た経験があるにもかかわらず、問題を解決する方法は知識を蓄積することだと主張した。科学者を自認する彼は、無意識や、神経症を引き起こす精神のさまざまななメカニズムを「発見」することによって、自分は知識の増大に貢献したと思っていた。たしかに彼は、さまざまなタイプの人間の苦悩を取り除くための知識をプロデュースする一大産業を創出した。だが、知識は人を欺く。p045「知識」

 フロイトは精神分析学のフロンティアであることは間違いないが、すべてフロイトで解決できるような21世紀ではない。むしろ、前時代的遺物として、多少の冷笑の対象にすらなっている。著者は精神療法士、R・D・レインとも共同で活動したことがあり、「ヴィトゲンシュタイン」(心交社)などがあるという。

 理論を形成するにあたてフロイトは、科学主義のイデオロギーを表明するいくつかの想定をした。科学主義とは、科学の外側に立ち、科学をひとつの総体とみなすことを主張する立場で、科学だけが説明と真実の唯一正当な形式であることを前提としている。その主な特徴は、還元主義と決定論である。p057「理論」

 現在同時追っかけをしているヘッセが自らを「詩人」あるいは「芸術家」である、と強く規定するに比較して、フロイトは自らを強く「科学者」であると主張し、その立場にこだわったあたり、なかなかの鮮やかな対比がうかびあがる。

 フロイトもウィトゲンシュタインも、どちらも儀式や神話に関心をもっていたが、その理解のしかたはまるで違っていた。フロイトは科学こそ知識の優れた形式であると見なしていたので、儀式と神話を間違ったものとして検証した。(中略)ウィトゲンシュタインは用心深かったせいもあって、ただ事実を描写して公平に扱うにとどめ、普遍的な人間性なるものがあるとする現代的な信念に基づいて説明するのを避けた。p074「儀式」

 まぁ、フロイトの方が面の皮が厚く、ウィトゲンシュタインのほうが、よりハニカミ屋であった、ということであろう。

 フロイトもウィトゲンシュタインも、どちらも「自己」を理解することを心底願っていた。そして精神分析には、それに関する膨大な文献がある。だが、この二人は、いかにもこの二人らしいのだが、まったく違う方法でこの問題に取り組んだ。p070「自己」

 さて、ウィットゲンシュタインは、科学者であったのか詩人=芸術家であったのか。

 ウィトゲンシュタインは哲学を治療の技術と考えていたが、本人にも、けっこうおかしなところがあった。「特性のある男」として彼の奇行は有名だ。(中略)
 このウィトゲンシュタインは、天才の病跡学の視点から、しばしば前期の「論考」をめぐって分裂病(統合失調症)との関連で語られてきた。(中略)
  後期の「探究」のほうが、ずっと実用的で、栄養もある。
p113丘沢静也

 巻末には丘沢の「読書案内」がついている。ウィトゲンシュタイン追っかけを続けるなら、このリスト&評論は「実用的で、栄養」がある(笑)。

 ウィットゲンシュタインで一冊、というと、後期の「哲学探究」だ。「探究」のなかにウィトゲンシュタインの最良のものがたくさん詰まっている。118p丘沢「読書案内」

 しかるに、当ブログにおける「ログ・ナビ」はひたすら「論理哲学論考」を指し示し続けている。ヘッセにおいては「ガラス玉演戯」ではなくて「シッダールタ」であるように、ウィットゲンシュタインにおいては、ひたすら「論考」ということになるのだろう。

 心理学、というジャンルでみるなら、ユングもありライヒもあり、アサジョーリもあるはずなのであるが、当ブログの「ログ・ナビ」はひたすら「フロイト 精神分析」を指し示し続ける。こうしてみると、現在のところの「ログ・ナビ」様は、統合された整合性のある「栄養」的に勝ったものよりも、多少の不完全性を抱えていたとしても、突破口を切り開くようなインパクト力の強い象徴的な存在がお好きなようだ。

 なるほど・・・・。ただ、これは当ブログが提示した「メニュー」の中から「ログ・ナビ」が指し示しているだけなのである。逆にいえば、これまでのところの当ブログは、あちこちの興味深いテーマについて、そのゲイトまでは来ているが、そこから深く入って細部にわたる「メニュー」を提示していない、ということを単純に照明している形になるかもしれない。

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東方への旅<1> ヘッセ

ヘルマン・ヘッセ全集(第13巻)
「ヘルマン・ヘッセ全集」 第13巻
ヘルマン・ヘッセ /日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会 2006/08 臨川書店 全集・双書 297p
Vol.2 No863★★★★☆ ★★★★★ ★★★★☆

「東方への旅」<1>

 と言うのも、僕たちの目的は東方だけではなかったからだ。むしろ僕たちの東方とは、ひとつの国とか、地理的な存在であるだけではなく、魂の故郷との青春だったのだ。それはどこにでもあるし、どこでもなく、あらゆる時代の合一だった。とはいえ、こういったことはいつもほんの一瞬、意識にのぼっただけだ。そしてその点にこそ、あの当時僕の体験した大きな幸福があったのだ。あとになって、この幸福が失われるやいなや、僕はこれら諸々の関連をはっきりと悟ったのだが、もう何の役にも立たず、何の慰めもそこから得ることはなかったのだから。p239

 この13巻には、「荒野の狼」(1927年)と「東方への旅」(1932年)が収録されている。年代的に見ても「荒野の狼」を読んでから「東方への旅」へと移行しようと思っていたが、なかなかこちらの心がその年代についていかない。この全集に換算して223ページもの長編を読み切るには、この年末という環境はちょっとせせこましい季節柄ではある。

 最初、手持ちの文庫本「荒野の狼」を読んでいたのだが、新しい全集にも新訳があるということが分かった段階で、こちらを最初から読み直してみた。なかなか興味深いのであるが、かなりの長編でもあり、精神分析を受けながら、なおその中に癒されないヘッセの内面世界と長時間おつきあいするには、当ブログの現在の受容力に、それだけの展びがない。

 逡巡したあげく、「荒野の狼」をまた途中で放り投げ、こちらの「東方への旅」へと移ってきた。そもそも今回ヘッセ追っかけが始まったのは、読者からのナビによるものだが、それはかならずしもヘッセ「全集」と規定しているわけではない。むしろそれは「シッダールタ」と割り切ってきている。今回は、「シッダールタ」の、全体のなかにおける位置づけがわかった段階で、つぎなる「ナビ」様のアドバイスに従って当ブログの進路を切り替えていくべきではないか。

 最近、精神分析を調べ、あるいはウィットゲンを調べてみると、なんと直接つながりの「ウィトゲンシュタインと精神分析」とか「ウィトゲンシュタインからフロイトへ」などという、現在の当ブログとしては避けて通れないようなタイトルの本も存在することが分かってきた。また「精神分析」においても、21世紀の現代日本でいえば、たとえば北山修などの気になる名前も見えてくる。最近亡くなった加藤和彦のことなど、どんな風に考えているだろう、などと考えはじまると、ここはかならずしも、ひとりヘルマン・ヘッセの深堀りだけに集中できそうにないな、と思い始めた次第。

 この「東方への旅」は、「ガラス玉演戯」(遊戯とも)が書かれる直前に出されている。「ガラス玉」は1932年から1942年の約11年をかけて作られた作品であるので、まさにひとつながりのものとして読むことも可能であろう。「東方」に持たせた意味、登場してくる秘密の結社など、当時の「神智学」やその他のネットワークをどこかシンボライズして、ヘッセなりに理解した、ということであろう。

 「東方への旅」はこの全集の中で勘定して、約60ページ程度の分量なので、まずは、これを読んでから、新たなる次の展開を考えよう。「東方への旅」。その「東方」とは何か。「ガラス玉」へと連なるテーマが見えてくるはずである。ヘッセの真価が問われる。

<2>につづく

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2009/12/16

ウィトゲンシュタイン  「私」は消去できるか

ウィトゲンシュタイン 「私」は消去できるか (シリーズ・哲学のエッセンス)
「ウィトゲンシュタイン」 「私」は消去できるか (シリーズ・哲学のエッセンス)
入不二 基義 (著) 2006/05 単行本: 126p 日本放送出版協会
Vol.2 No862★★★★☆ ★★★★★ ★★★★☆

 思えば、ちょうど40歳のヘルマン・ヘッセが「芸術家と精神分析」を書き、ユングの精神分析を受けていたころ、かたや30歳のウィトゲンシュタインは「論理哲学論考」を書き終え、その出版の機会をうかがっていた。出版されたのは、1922年、まさにヘッセの「シッダールタ」が出版されたのと、同じタイミングだった。

 「論理哲学論考」は、当ブログにおける読者からのリクエスト=アドバイス、あるいは読者ナビゲーションとも言うべき指標のなかでも大きく輝いている。日本においては、新潮社文庫で1916年(大正5年)フロイト「精神分析入門」、1919年モーム「月と六ペンス」、1923年井伏鱒二「山椒魚」が出版されていた頃の話だ。

 ウスペンスキーは1915年にグルジェフと出会い、1924年にはロンドンでの講義において決別宣言をしたということだから、まさにグルジェフ&ウスペンスキーの蜜月時代がこの1920年前後にあったということになる。1911年、神智学協会の会長であったアニー・ベザントは、クリシュナムルティを長とする教団を設立した。もっともクリシュナムルティは1929年にその教団を解散させることになるのだが。

 1910年にフロイトは「国際精神分析学会」を創立し、その初代会長にユングを就任させた。1912年には訣別(フロイト56歳、ユング37歳)し、1914年にはユングは国際精神分析学会を脱退した。つまり、1918年にユングの精神分析を受けたとされるヘッセは、すでにフロイトと決別したあとのユングと出会っていたのである。

 世界中の「哲学者の哲学の息の根を危うく止めようとした」ウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」はこのようなタイミングで刊行された。このような時代、まさに20世紀的精神世界の台頭、動乱期において、このまま、「私」が消滅するわけにはいかなかったのか。なぜ、そうならなかったのだろうか。

 この本「ウィットゲンシュタイン」の序章で著者の入不二基義はつぎのように書いている。

 大乗仏典の一つ「維摩経」の第八章(入不二法門品)では、「不二の法門に入る」(さとりの境地に入る)とはいかなることかについて、議論が展開されている。31人の菩薩(修行者)たちとマンジュシュリー(文殊師利)が、主人公の維摩(ヴィラマラキールティ)の前で、それぞれ自説を述べる。ちなみに、私の姓「入不二」は、この箇所に由来する。p11

 1920年前後において、世界の哲学者の息の根がとまり、世界中が「入不二」してもおかしくない時代があった。なぜ、そうならなかったのかについては、もうすこし掘り下げていかなければならないが、そこにはナチズムの台頭があり、帝国化する列強の動きの影響があったことは間違い。ニーチェからナチズムにいたる系譜については、いずれは当ブログでも探索しなくてはならないが、地雷多き道をおっとり刀で漫歩するのは、かなり危険だ。せいぜい「謎の地底王国アガルタ」などで、トンデモ世界というタグでも貼って、傍らのストック棚に放りこんでおくのが精いっぱいだ。

 ウィットゲンシュタインについては、もうすこし時間を取って、体系的に追っかける機会もあることだろう。今は、フロイト--ヘッセ--グルジェフ、という当ブログの20世紀的精神のトリニティの把握と超越に向けての位置づけを確認しておくにとどめる。

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芸術家と精神分析 ヘッセ

<1>よりつづく

地獄は克服できる
「地獄は克服できる」 <2>
ヘルマン・ヘッセ /フォルカー・ミヒェルス 2001/01 草思社 単行本 262p

「芸術家と精神分析」

 すでに二年前に目を通していたはずの本ではあるが、ふとまためくってみると、現在、当ブログがヘッセの中に求めている文章が、そのものずばりのタイトルですでに書かれていたことが分かった。「芸術家と精神分析」は、「ヘルマン・ヘッセ エッセイ全集」の「第7巻 文芸批評」に収録の予定であるようだが、未刊である。

 精神分析医ラングの治療を受けていたヘッセの夢の記録、身辺雑記や友人知人について記した随想、文芸批評、大戦について問うた多くの時代批評など、全編待望の新訳! 「エッセイ全集」サイトコピーより

 よくよく調べれば、ヘッセはあちこちで精神分析について触れているのかもしれない。

 フロイトの「精神分析学」が、精神科の医者というもっとも狭い領域を超えて世界一般の関心を呼び起こして以来、すなわち、フロイトの弟子ユングが、無意識の心理学とその類型学を拡大強化して一部公刊して以来、そしてついに心理分析学が、民間神話、伝説および詩文をも直接対象にして研究するようになて以来、芸術と心理分析とのあいだには、ひとつの親密な、実りゆたかな関係が存続している。人びとがフロイトの学説に、細部にいたるまで、そして専門的な点で賛同してきたかどうかはべつにして、フロイトの反論の余地のない発見は生きており、影響を及ぼした。p91

 という書き出しで書かれているこの「芸術家と精神分析」は1918年に書かれたことになっている。ところで、その頃、そしてその前後のヘッセはどういう状態であったのかというと、これまた別な本「ヘッセ 魂の手紙」の巻末の年譜のなかにその消息があった。

 1916(39歳) 父ヨハネス・ヘッセ死去、妻ミア(愛称)と三男マルティンの病も重なって神経がすり減り、4~5月、6~11月にルツェルン近郊のゾルマットでC・G・ユングの弟子J・B・ラングに精神分析の治療を受ける。

 1917(40歳)11月、C・G・ユングと初めて出会う。数日後、デーミアンなる人物を夢に見て「デーミアン」を執筆。その原稿を10月、病床にあるスイスの若い詩人エーミル・シンクレアの作として、フィッシャー社に送る。

 1918(41歳)6月、「芸術家と精神分析」執筆。10月、ヨハネス・ノールのもとでの精神分析中、妻ミアが精神病の発作を起こす。J・B・ラングによりチューリヒ近郊キュスナハトの精神病院に委ねられて、C・G・ユングの診断を受ける。p330~p331より一部抜粋

 「インドから」1913年、「クヌルプ」1915年の後、「ツァラトゥストラの再来」1919年、「シッダールタ」1922年の前あたりのことである。一つの作品に数年かかることを考えれば、ちょうどこの時代に、ユング派の治療を受けていた、ということになるのだろう。

 当ブログは、別途、ユング追いかけをちょっとだけ始めていたところだったが、この辺でヘッセと絡みこんでくるのは面白い。フロイトとユングの、その手法はもっと峻別して語られなくてはならないはずだ。地理的な利便性もあって、ヘッセはユングに縁があったのだろうが、もっとフロイトそのものに切り込む角度が、どういうものであったのか、知りたい。

 ところが詩人というものは、ほんとうは心理分析的思考法とは徹頭徹尾相反する、一種独特な思考法の代表者であることが明らかになった。詩人は夢見る人であり、分析者は詩人の夢の解釈者であった。それゆえ、詩人はこの新しい心理分析学にいくら関心をもち、それにたずさわっても、あいかわらず夢を見つづけ、自分の無意識の領域からの呼びかけにしたがって生きつづけてゆく以外に何のすべもなかったというのだろうか? p94

 そうであってしかるべきだろう。類型としてのフロイトと、類型としてのヘッセ、つまり、精神分析と芸術の間には、深いギャップがあってしかるべきだ。しかしまた、精神分析が芸術にそのインスピレーションを求め、芸術が精神分析の中に新しい科学の匂いを嗅ぎつけることは、今から90年前の20世紀初頭のことなら、当然のことであっただろう。

つづく・・・ だろう。 

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2009/12/15

完訳バガヴァッド・ギーター <3>

<2>よりつづく 

Photo
「完訳バガヴァッド・ギーター」
鎧 淳 (翻訳) 1998/04 中央公論社 文庫: 270p
Vol.2 No861★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 ヘッセはその小説「シッダールタ」の中の幼なじみの親友の名前ゴーヴィンドを、このバガヴァド・ギーターから取ったとされる。なにもヘッセを持ちださくても、インド文化における長編叙事詩「マハバーラタ」の中の、ビシュヌ神やクリシュナが活躍する最もキモな部分が、この「バガヴァッド・ギーター」とされている。

 ましてやこの文庫本は「完訳」と銘打たれているので、長年この文献に携わってきた研究者によるサンスクリット原典からの訳し下ろし、ということだから、これを読まずして、何を読むのか、という気分にはなる。

 しかしながら、インド人ならず、古典文献に必ずしも強い愛着もなく、その文献の位置づけについても、特段の素養のない身としては、正直言って、なにがなにやらよくわからん、というのが正直なところである。

 にも関わらず、当ブログへのアクセス検索ワードの重要な位置にこの「バガヴァッド・ギーター」があってみれば、無視できないのはもとより、長期に渡って、細く弱いその糸をすこしづつ手繰り寄せていかなくてはならない、と思う。

 純性、激性、暗性の(三重の)素因は物質より生じ、不滅の霊魂を、強弓の精兵(つわもの)よ、肉体に繋縛す。p154

 さぁ、いきなりこのような文言にぶち当たっても、なにがなにやら、どこからどう手をつけて行ったらいいか当惑するだけだ。だが、糸口は必ずやこの辺にあるに違いない。

 純性---「サットヴァ」。物質を組成する三重の素因の第一で、光明、明知、喜悦をその作用、特徴としている。 p17

 激性---「ラジャス」。物質を組成する三重の素因の第二。激力で、拡張の性質をもつ。p15

 暗性---「タマス」。物質を組成する三重の素因の第三で、暗黒、暗愚、愚鈍、無知の性質をもつ。p11

 素因---「グナ」。資源的物質原理プラクリティ中の構成因で、純正、激性、暗性の三重の基態を区別する。p18

 この本、巻頭には「固有名・事項等について」として用語集がついている。固有名詞以外はほとんどが漢字に翻訳されているが、多少はカタカナを残し、サンスクリットの雰囲気を残してもらったほうがいいかもしれない。

 とくに、このサットヴァ・グナ、タマス・グナ、タマス・グナ、などは、何か他の文献で慣れてしまっている読者にはイメージがそこから繋がっていくこともあるのではないだろうか。

 Oshoは、どこかでこの三つのグナを、21歳の時にエンライトメントしてからの怠惰な日々を過ごした時期、30代になって講演旅行をして回った時代の時、そして、40代にプーナに止まりほとんど隠者のようにくらし始めた時期を、三つのグナに例えて説明したことがあった。(いや時期は違っていたかもしれない。どこかでその言を見つけたら、あとでここは修正する)。いずれにせよ、この三つのグナが曲者なのである。

 この三つのグナをたとえばヘッセの「シッダールタ」のストーリーの中に求めるとするとどうなるだろうか。いろいろ考えてみたが、まだ落ち着いた解釈はできない。もともとヘッセがそのように意図して書いたわけでもなかったかもしれないが、もし、ここをもっと意識して書いていたとすれば、もうすこしスッキリした小説に仕上がった可能性もある。

 アートマン---「自己」。人間、生類の体内に存する個々の霊魂、および全一の世界霊、宇宙霊。p9

 オーム---本来、何を意味するか不明、聖なる音節として、ヴェーダ祭式やその学習等の際、初めに発声される。p13

 オーム、タト、サト---”オーム、それ、存在”の意で、聖なる音節とされる。p13

 クリシュナ---ヴィシュヌ神の化身で、ギーターでは、戦車の御者として、アルジュナ王の子に付き随っている。p15

 ゴーヴィンダ---クリシュナ、またはヴィシュヌ神のこと。p16

 涅槃---「ニルヴァーナ」。”熄滅”の意。全一、最高の実在なる梵への帰入、帰滅。p20

 ---全一、唯一の非人格的、霊的存在で、万物の本源。全宇宙の最高の実在原理。p22

 ヨーガ---”訓練された行為”、また、一定の方法に基づいた緊(ひきし)め、練成”の意味。p23

 なるほど、この用語集からいくつかの記憶おぼろげな単語を拾い出して確認してみると、どこから手を出していいやら途方にくれそうな「バガヴァッド・ギーター」ではあるが、必ずしも理解不能な世界でもなさそうだ。少なくとも、この文庫本に収まる程度の量的世界であれば、一通り文字面だけでも目を通すことは可能だろう。

 ギーターは、ときに論調を異にするいくつかの教えを含んでおり、論旨が、つねに一貫しているとは限らない。一部については、明らかに、後代の付加・竄入に起因するといってよいであろう。とはいえ、全体として見れば、矢張り、ウィルヘルム・フォン・フンボルトの説くように、それは「題材を一定の方式で配列し、教えの末尾に至るまで、精緻な観念の連鎖を組み立てるような学派的訓練を受けた思想家ではなく、溢れる知識、湧き出る感情から、心の赴くままに詠い上げた詩聖」の口から迸りでたもの、とするのが正しいであろう。p256「解説」

 なにか、ひとかたまりの哲学を学ぶような姿勢ではなく、一連なりの詩を味わうようなものだとするなら、それはそれ、当ブログとて、この詩集に触れることは不可能ではない。

<4>につづく

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2009/12/14

シッダールタ<3> ヘッセ

<2>よりつづく 

ヘルマン・ヘッセ全集(第12巻)
「ヘルマン・ヘッセ全集(第12巻)」

ヘルマン・ヘッセ /日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会 2007/12 臨川書店 全集・双書 382p

「シッダールタ」 <3>

 自分の中では、このヘルマン・ヘッセの「シッダールタ」と「かもめのジョナサン」をダブらせて読んでいたところがあった。ジョナサンを読むときにはヘッセを思い出し、ヘッセを読むときにはジョナサンを思い出していた。しかし、今回あらためて読み直してみて、とくに二部を読みながら、「かもめのジョナサン」の解説にあった、五木寛之の言葉が妙に脳裏に浮かび上がってきた。

 第二章、第三章と、後になるにしたがってユーモラスなところが少なくなって行くのも奇妙な感じだし、奇妙といえば、この物語の中に母親を除いてただの一羽も女性のカモメが登場しないのも不思議である。後半では完全に男だけの世界における友情と、先輩後輩の交流だけが描かれる。食べることと、セックスが、これほど注意深く排除され、偉大なるものへのあこがれが上から下へと引きつがれる形で物語られるのは、一体どうしたことだろう。五木寛之「かもめのジョナサン」解説 p137

 そのジョナサンの世界に比較すると、ヘッセのシッダールタの世界は、とくに二部においては、カマラーとの林苑での生活の描写は、ともすれば、型どおりのゴータマ・シッダールタ=仏陀のイメージからはすこし離れれているように思われる。もっとも出家前のゴータマ・シッダールタにも似たような生活があったはずであり、その清浄なイメージと共に、煩悩の極みのごとく語られることが多くある。

 なにはともあれ、全集のなかの「シッダールタ」を読めたことは幸いであった。当ブログにおける「シッダールタ」探索は、この小説ひとつを読めば済むはずなのである。ではあるが、もうすこしヘッセ追っかけの旅はつづく。「荒野の狼」や「東方への旅」を読んだあと、今回の追っかけとは別な意味で、全集の中の「ガラス玉遊戯」をゆっくり読んでみたい。そして、全集としてのエッセイにもチラチラ目をやり、残るフォルカー・ミヒェルスの編集本を何冊かめくったあと、もういちど、全集の細かい編集記事などを第一巻から順を通じて目を通してみたい。

 小説そのものは大まかな代表作だけに止まるが、これでまずは「ヘッセ」全体の輪郭だけは見えてくるはずである。

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魂の科学<3> Osho

<2>よりつづく
魂の科学
「魂の科学」 <3>パタンジャリのヨーガ・スートラ
OSHO/沢西康史 2007/04 瞑想社 /めるくまーる 単行本 301p

 ここ一ヵ月ほど、どういうわけか、この「魂の科学」へのアクセスが増えている。多分、検索サイトのランクの異動でもあったのだろうと思うが、せっかくの機会でもあり、すこしづつこちらも読み進めてみようと思う。

 当ブログは、科学、芸術、意識、の三本柱をテーマとしてそれぞれ読書を手段として、その時々のメモを遺してきた。その中でも、科学分野については、このブログそのものが「ウェブ進化論」を読んだことがきっかけとなってスタートしたものだから、「科学」=IT技術の進化、のようなものとしてとらえてきた。

 そして、その象徴的なな現代的職業として、プログラマー、ジャーナリスト、カウンセラー、をイメージし、それらの融合したスタイルとはどんなものだろう、と暗に模索してきた。しかし、ここに来て、一般的な社会ではともかくとして、当ブログにおいては、たとえばプログラミングやIT技術などは、すでにブラックボックス化していて、おっとり刀の初老の男などに手の出せる状況ではなくなっている。ましてや、最近の「クラウド・コンピューティング」とやらで、川下でおこぼれにあずかるだけの姿に成り下がっているところもある。

 かたや「芸術」だが、ひとつの文芸のジャンルとして「ジャーナリズム」を取り上げ、たとえば「科学」と「芸術」のコラボレーションのようなものとして「サイバー・ジャーナリズム」のようなものをイメージしてきた。ましてや、この頃の日米の政権交代劇で、社会的な動きにも関心を持った当ブログではあったが、こちらもまた、取材を直接できるわけでもなく、錯綜する情報の荒波の中で、ひとり個人ブログができる範囲など、ごくごく限らえていることも分かってきた。

 そして最後の「意識」についてだが、これもまた、目下の最大課題であるはずであったのに、あちらこちらに関心が散漫に動くものだから、テーマや方向性はある程度固まってきているのに、なかなか深化しない嫌いがあった。なんとかしなくっちゃ、と思っていた。

 そして、この春から、ブログの提供サイトを変えて、比較的アクセスログ解析を利用しやすい環境に引っ越してきた。引っ越してきた最初はあまりにアクセス数が少ないので、「解析」などそもそも出来るような状況ではなかったが、半年も経過してみると、それなりの定数が見られるようになってきた。

 そして、そのアクセスログの中から拾い出してきたのが、フロイト--ヘッセ--グルジェフ、の検索ワードであった。当ブログにおいて、これらの三つのキーワードはお得意でもなければ、十分に検討してきたわけではない。しかし、せっかくこの入口から当ブログにアクセスしてくる人々があるとするならば、それを契機に、あらたな当ブログなりの展開があってもいいのではないか、と思うようになった。

 それは、まるで、通りにどんなお店をだすか、の企画のようなものだ。もし職種が決まっていれば、最初から適した立地環境を整えて行けばいいのだが、当ブログのような曖昧ブログは、なにをどうすればいいか、よくわかっていない。行き当たりばったりだ。だから、たとえば、親から相続した土地があったとするなら、その土地を有効活用するにはどうするか、のような問題が発生する。

 引っ込んだところだが駅が近いのでアパートにするか、郊外だがロードサイドなのでコンビニでもつくるか、都心の一等地なのですぐに売り払ってしまうか。裏の商店街なら床屋でもやるか、マンションの一室なら学習塾でもやるか、さまざまな可能性がある。

 どうやらそのような喩えでいうと、当ブログは、現在のところフロイト--ヘッセ--グルジェフ通りの一角にあるらしい。この界隈に出没する来訪者たち向けにお店を開いていかなければならない。なにをどう売ればいいのか。いろいろマーケティングをしてみる必要がある。

 そこでいろいろ考えてみると、結局はメインテーマは「意識」である。そこで考えた。科学するのは意識についてではないのか。芸術するのは意識についてではないか。意識するのは意識についてではないか。つまり、今後、当ブログは、「意識を科学する」、「意識を芸術する」、「意識を意識する」という風に意趣変えしていこうと思う。「意識を意識する」では語呂がわるいので、「意識を瞑想する」とでもしておこうか。「意識を芸術する」では落ち着かなければ、「意識を表現する」でもよかろうか。

 とするならば、「意識を科学する」も、もっと語彙を広げて「魂を科学する」とでも言い直してもいいのではないか。最近はやりの「脳科学」とやらも、一種独特の実験室科学になってしまっており、一般人の手の届かないブラックスボックスのなかでの研究になってしまっているが、本当はそうではないのではないか。

 そんなこんなで、長いことモノローグ状態にある当ブログではあるが、アクセスログに残された手掛かりを頼りに、ダイアローグ状態に入っていきたい。そして、いつかはクラウドソーシング環境へと移行できればいいと思う。

 実はこの本、なんどか再読モードに入ったのだが、なかなか進めない。こちらの準備ができていないようだ。次第に波長を合わせて行こうと思う。

<4>につづく

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シッダールタ<2> ヘッセ

<1>よりつづく 

ヘルマン・ヘッセ全集(第12巻)
「ヘルマン・ヘッセ全集(第12巻)」

ヘルマン・ヘッセ /日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会 2007/12 臨川書店 全集・双書 382p
Vol.2 No860★★★★★ ★★★★★ ★★★★★

「シッダールタ」 <2>

 当ブログへのアクセスログ解析による、「読者からのリクエスト」あるいは「読者からのアドバイス」の中に、かなりの数で「シッダールタ」という検索キーワードが入っている。常にベスト10入りしていると言える。その事実を持って、前回読んだ文庫本を、今回もまた読み始めたところだったのだが、途中から、そういえば新しい「全集」があったな、ということに気づき、あらためて全集の中に収められた新訳としての「シッダールタ」を中ほどまで読み進めてきたところである。

 一部と二部に分かれており、ちょうど一部を読み終わったところだが、この全集の中ではさらに、付録が付いており、後から読むのが楽しみだ。一部は、まるでゴータマ・シッダルタの伝記かとみまがうような清浄さと毅立した精神性が端々に満ちており、いかにもヘッセらしい、すがすがしい筆致で物事は進む。しかし、それは、物事の始まりに過ぎない。

 二部に入れば、遊女カマラーとの出会いがあり、そこで世間を学ぶ、ヘッセのシッダールタがある。それはある意味、青春の裏返った痛々しい姿であり、また人間らしい、人間として避けては通れない現実の世界のシッダールタが描かれる。

 この美しい物語について、特にどうのと引用したりメモしたりする必要もなかろう。それをはじめると、キリがなくなり、全文引用なんてことになりかねない。それに、何度か、すでに読んでいるので、物語そのものを追いかけるよりも、いくつかの訳本の相違について思いをめぐらしたり、やっぱり新訳はいいなぁ、と思ったりするほうが多い。

 親友にして、旅の友「ゴーヴィンド」の名前の由来があろう、「バガヴァッド・ギーター」を傍らに置きながら、読み進めている。「バガヴァッド・ギーター」もアクセスログに多くのこされている重要な検索ワードである。こちらも読み進めているところだが、先日めくったものとは違う本を借りてきた。いろいろな訳本があるようだが、当ブログにおいてはまだ決定稿がない。Oshoの愛した本「東洋哲学(インド編)」を読み進めて行くなかで、なんらかの形ができあがっていくだろう。

 ヘッセ全体をまだ見たわけではないが、ヘッセ作品全体のなかで、一番インド色が色濃くでているのは、やはりこの「シッダールタ」であろう。そして、ドイツ人にして、生い立ちからすでにインドとのゆかりが深かったヘッセにおいて、ウパニシャッドやギーター、あるいは仏伝にまつわる世界観理解のギリギリのところにいるヘッセの姿をこの小説の中にみる。

 後に作者自身によって、「生涯の収穫」とまで評されることになるこの作品の完成までの道は決して平坦なものではなかった。第一部の執筆は順調にはかどり、翌1920年8月までに4章を一気に書き上げたヘッセは、その後第二部に取りかかってはみたものの、第四章「河のほとり」まで書き進めたところで行き詰まってしまったのである。彼はその時の状況について、叡智を求めて苦しみ禁欲する若いバラモンを描くことは自らの体験を書くことであったために、当該部分の執筆は順調に進んでいたが、勝利者、肯定者、克服者を書こうとしたところで筆が進まなくなったと振り返っている。彼は自らが生活してこなかったものを書くことに対する無意味さを痛感し、禁欲と瞑想の生活を取り戻すために、意識的にこの作品から一旦離れていくことになる。そうして1922年5月に第二部すべてが完成するまでには、この執筆中断の時期を含めて結局さらに二年近くのもの時間を要することになったのである。p373「解説」

 ヘッセが苦悩した「勝利者、肯定者、克服者」についてのインドの経典などは、ヘッセをおいて、軽く、高く、飛翔しているかに見える。まるで神話のように語られるインドの経典と、生々しい個体としての人生を抱えながら書きすすめられるヘッセの一連の小説の、その性質の違いに留意しつつも、このヘッセ小説とインド経典の狭間にあるリンクが、どれほどのギャップを伴っているのか、は興味深い。こここそが、当ブログに与えられた「シッダールタ」という検索ワードの宿題であろう。

<3>につづく

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2009/12/13

精神分析学がわかる。<2> AERA Mook 43

<1>よりつづく

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「精神分析学がわかる。」 AERA Mook 43 
朝日新聞社 1998/11単行本: 176p

「精神分析学の手引きブックガイド50冊」小此木啓吾・選 p153

01「精神分析の現在」「現代のエスプリ」別冊 小此木啓吾・妙木浩之編1995至文堂

02「現代の精神分析」 小此木啓吾編1998日本評論社

03「フロイトとの再会」「季刊AZ(アズ)」31号 小此木啓吾・妙木浩之編1994 新人物往来社

04「精神分析の知88」福島章編1996新書館

05「フロイトの生涯」E・ジョーンズ1996紀伊国屋書店

06「フロイト---その自我の軌跡」小此木啓吾1973NHKブックス

07「フロイト 無意識の扉を開く」「知の再発見」双書24ピエール・バパン1995創元社

08「フロイト」小此木啓吾1993講談社学術文庫

09「フロイトの症例」「現代のエスプリ」317吾妻ゆかり・妙木浩之編1993至文堂

10「フロイトとユング」小此木啓吾・河合隼雄1978思索社

11「エディプスと阿闍世」小此木啓吾1991青土社

12「フロイト著作集7」「ヒステリー研究」1974人文書院

13「フロイト著作集2」「夢判断」1968人文書院

14「フロイト著作集4」「日常生活の精神病理」1970人文書院

15「フロイト著作集5」「生欲論三篇」1969人文書院

16「フロイト著作集3」「トーテムとタブー」1969人文書院

17「フロイト著作集1」「精神分析入門」1971人文書院

18「フロイト著作集6」「快感原則の彼岸」1970人文書院

19「フロイト著作集6」「自我とエス」1970人文書院

20「フロイト著作集6」「制止、症状、不安」1970人文書院

21「フロイト著作集3」「文化への不満」1969人文書院

22「フロイト著作集1」「続精神分析入門」1971人文書院

23「対象喪失 悲しむということ」小此木啓吾1979中央新書

24「夢分析入門」鑪幹八郎1976創元社

25「アイデンティティの心理学」鑪幹八郎1998講談社現代新書

26「秘密の心理」小此木啓吾1995講談社現代新書

27「夢の分析」「現代のエスプリ」別冊 妙木浩之編1997至文堂

28「現代精神分析の基礎理論」小此木啓吾1985弘文堂

29「身心医学」 F・アレキサンダー1997学樹書院

30「メラニー・クライン入門」H・スィーガル1977岩崎学術出版社

31「メラニー・クライン著作集」全7巻1998~1996誠信書房

32「ウィニコット著作集」「全8巻、別巻2」19933~岩崎学術出版社

33「見るなの禁止」北山修著作集 日本語臨床の深層第一巻1993岩崎学術出版社

34「コフート理論とその周辺 自己心理学をめぐって」丸田俊彦1992岩崎学術出版社

35「対象関係論を学ぶクライン派精神分析入門 松木邦浩1996岩崎学術出版社

36「間接的アプローチ--コフートの自己心理学を超えて」R・D・ストロロウ1995岩崎学術出版社

37「ラカン 鏡像段階」現代思想の冒険者たち13 福原泰平1998講談社

38「母と乳幼児のダイアローグ--ルネ・スピッツと乳幼児心理臨床の展開--」丹羽淑子 編著1993山王出版

39「乳幼児の心理的誕生--母子共生と個体化」マーガレット・マーラー1981黎明書房

40「臨床過程と発達(1)精神分析的考え方・かかわり方の実際」フレッド・パイン1993岩崎学術出版社

41「乳児の対人世界理論編」D・N・スターン1996岩崎学術出版社

42「ママと赤ちゃんの心理療法」ベルトラン・クラメール1994朝日新聞社

43「新版精神医学事典」加藤正明他1993弘文堂

44「精神分析用語辞典」ラブランシュ&ポンタリス1977みすず書房

45「ホーナイ全集3 精神分析の新しい道」1972誠信書房

46「『甘え』の構造」土居建郎1991弘文堂

47「モラトリアム人間の時代」小此木啓吾1981中央公論社

48「映画で見る精神分析」小此木啓吾1996彩樹社

49「父親崩壊」妙木浩之1997新書館

50「心的外傷の再発見」J・M・グッドウィン1997岩崎学術出版社

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わがままこそ最高の美徳<3> ヘッセ

<2>よりつづく 

わがままこそ最高の美徳
「わがままこそ最高の美徳」 <3>
ヘルマン・ヘッセ /フォルカー・ミヒェルス 2009/10 草思社 単行本 278p

「青春の作家」としてのヘッセの「わがまま」につきあうことは、そう難しいことではなかったが、「反体制的でアナーキーな反戦平和主義者」としてのヘッセを読む進めることは、そうたやすいことではない。当時の社会情勢について調べなければならないし、ひとつひとつの事象についてのじじつ関係を再認識しながら読み進めなければならないからだ。

 前半スラスラと進んできた読書も、中段になって、いきなりストップしてしまった。「私たちは何をすべきか」p157は、1919に書かれた「ツァラトゥストラの再来」からの抜粋であり、もともとの文章は「ヘルマン・ヘッセ エッセイ全集3 省察3」の中に収録されているので、後日、あらためて再読することにする。

 君たちはツァラトウストラを崇拝すべきではない。君たちはツァラトゥストラのまねをするべきではない。君たちはツァラトゥストラになろうとすべきではないのだ! 君たち各自の中には、まだ子供の深いまどろみのうちに寝ている隠れた姿があるものだ。その姿を生あるものにするのだ! 君たち各人の中に、ひとつの呼び声が、ひとつの意志と、自然の構想が、未来と、新たなものと、より高いものへと向かわせる構想があるのだ。それを実らせたまえ。それをゆっくりと完結させたまえ、それに心を配りたまえ! 君たちの未来は、恣意的に選んだのではなく、金や権力ではなく、知識や商売上の幸運ではない---君たちの未来、君たちの難儀で危険な道は、この道である。すなわち、成熟し、君たち自身の心に神を見いだすための道である。p175「ツァラトゥストラの再来」より

 明らかに高揚した気分の中で、高揚したニーチェの著者に刺激されながら、高揚した時代に書かれた文章のように思われる。ヘッセ、32歳。その趣旨はそれほど変化はないにしても、いわゆる「ヘッセ」らしさ、というものを求めて、編集された書簡集を読んでいると、いきなり飛びこんでくる、このような変化球を、読者としてはすぐにキャッチできない。

 1928年のヘッセ40歳の頃には、こんな文章がある。

 彼は若い女性読者から、彼の写真が欲しいと頼まれ、中年の女性からは、彼女らの生活のさまざまな秘密と、神智学とか、クリスチャン・サイエンスに入信することになった理由を打ち明けられる。p206「水泳の寄り道」1928年

 いままで気がつかなかったので、多分他には出ていないだろうが、ここに来て、「神智学」と言うフレーズがでてきている。これは1928年のヘッセ自身の身の回りのことだと推測される。さて、この神智学の団長の役を押し付けられ演じていたクリシュナムルティは、1929年8月2日、この「神智学」協会を解散してしまう。

 別な日の情景についてヘッセはこう書いている。

 神智学にこる女性たちからも、マスダスナンを信奉する女性たちからも、手紙は来ていなかった。(中略)それは驚くべきことであった。それはすばらしい日であった。p209「水泳の寄り道」

 この文脈においては、婉曲な書き方ではあるが、ヘッセは明らかに神智学を批判しており、自らへの波及を迷惑がっており、避けたがっていたことは明らかだ。

 p230からの「ある共産主義者への手紙」もなかなか強烈だ。1931年に書かれたこの書簡は、その時代を生きるヘッセが、時代と向き合いながらも、自らの「詩人」としての立場を明らかにしながら、自らはどう生きようとしているかを明確にする。

 兄弟となり仲間となって、同じ志を持った人びとの世界と連携するという見通しは十分魅力的なものであっても、党員として入党したり、私の文筆活動をあなたの党の綱領に役立てたりすることは、断乎として拒否いたします。p231「ある共産主義者への手紙」

 そして、こうも言う。

 詩人というものは、大臣やエンジニアや群衆相手の演説家などより優れた者でも劣った者でもありません。けれどもこれらの人びとと彼らとは完全に異質の人間なのです。一丁の手斧は一丁の手斧です。それで木材は割れるし、また人の頭だって割れます。けれど時計とか晴雨計は別の目的のために存在します。そして私たちが時計や晴雨計で木材や頭を割ろうとしたら、それらは壊れてしまい、それで誰が得をすることもありません。今ここで人類の特別な道具のひとつとして詩人の任務と機能を数え上げて、説明するつもりはありません。詩人はおそらく人類という身体の中の神経のようなものであり、おだやかな呼びかけと要求に反応するための器官、覚醒させるための、警告するための、注意をうながすための器官なのです。p233「ある共産主義者への手紙」

 思春期に「詩人になれなかったら、他のなにものにもなりたくない」と思ったヘッセは、青年期も中年期も、「詩人」であろうと努めていた。

 本当の芸術家と詩人というものは、もしあなた方がそういうことをいつか気にかけることがあった場合、次のようなことから判断できるでしょう。つまり、彼らは自主独立への抑えがたい要求を持っていて、ただひとり自分の良心にのみ従ってする以外の仕事を強要されれば、すぐさま働くことをやめてすまうとこうことです。彼らは甘いパンや高位の役職などで買収されず、悪用されるくらいならむしろ撲殺されることを望むでしょう。こうしたことで彼らが本物の詩人であることを見分けることができるでしょう。p236「ある共産主義者への手紙」

 当ブログにおける、科学者、詩人、神秘家、のトリニティにおける詩人の立場を、この書簡においてより強く、明確に示しているように思われる。しかし、ヘッセ自身は自らを詩人と規定し、詩人としての人生を全うしたが、当ブログは、それだけでは十全であるとは思っていない。詩人は科学への目を持っていなければならないし、神秘への可能性もひらかれている必要がある。

 ここに来て、ヘッセを読みながら、先日クリシュナムルティを連想したのもあながち間違っていなかったと思う。世界を思う感性を持ちつつ、いかなる団体や運動からも独立した自由な立場を貫こうとする姿勢は、この二人に共通するものではないだろうか。

 そして直感が正しければ、その角度から見た場合、もしヘッセに「死角」というものがあるとすれば、それはクリシュナムルティの「死角」であり、クリシュナムルティに「限界」があるとすれば、それはヘッセの「限界」をも示しているのではないか。

 解決することのできない問題について思い煩うことはおやめなさい。神あるいは世界精神の本質に関する問題や、宇宙の意義と支配に関する問題や、世界と生命の発生に関する問題は、解決できないものです。それらに関して考えること、議論することは、ひとつの素敵な面白い遊戯でしょうけれども、私たちの生活上の問題を解決できるものではありません。p237「タカハシ ケンロー氏に」

 タカハシ ケンロー氏がいかなる人物かは、すぐには分からないが、はて、この手紙にあることこそ、詩人としてのヘッセの毅然とした自立の精神である。そして1961年7月に書かれたものであることの意味も重い。ヘッセはこのちょうど一年後の1962年8月に亡くなっている。ヘッセ最期の心境と言ってもそれほど違いはないだろう。

 既知、未知、不可知、の三つのレベルでいえば、ヘッセは「不可知」への目を十分発達させなかった。「ガラス玉遊戯」のなかで、ヘッセは、「神あるいは世界精神の本質に関する問題や、宇宙の意義と支配に関する問題や、世界と生命の発生に関する問題」と取り組んでいたのではなかったか。

 しかるに、最晩年のヘッセはそれを「素敵な面白い遊戯でしょうけれども、私たちの生活上の問題を解決できるものではありません。」と締めくくっている。

 ヘッセには、手斧や時計、晴雨計のような道具は見えていたかもしれないが、次なる道具、次なるステップが見えなかった。いや、見えていた可能性もあるが、自らを「詩人」と規定したヘッセは、「不可知」や「神秘」への目を、敢えて摘んでしまった、と言えるかも知れない。

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精神分析学がわかる。<1> AERA Mook 43

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「精神分析学がわかる。」<1> AERA Mook 43 
朝日新聞社 1998/11単行本: 176p
Vol.2 No859★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 当ブログにおける読者からのリクエスト(こちら側の勝手な思い込みによる)に基づく、フロイト---ヘッセ---グルジェフのトリニティ構造を認知し、あるいは解明すべく、現在はヘッセ全集を読み始めたのところだが、通りがかりにこの本を見つけ「精神分析学」の文字が飛び込んできたので、軽い気持ちでパラパラとめくってみた。

 この度の政権交代劇の中で、久しぶりにマスメディアの乱舞の中に入っていって、いろいろ楽しんだのだが、私自身は、どうやら今だに朝日系列の新聞、テレビ、週刊誌等の波長が一番合うようだ、ということを再認識した。最近はどうも面白くないので、政治ニュースはまた見なくなってしまったし、どの系列がどうのという意識も遠くなってしまった。

 AERAという朝日系列の出版物があるらしい、ということは今回あらためて認識したのだが、雑誌そのものとしては、あまり面白くなく、各種でているようだが、よく見てもいない。だから、好感度を維持しつつも、特段にこのAERAムックと言う奴に共感を持っているわけではないのだが、お手軽そうだな、というイメージはあった。ところが、この本を開いてみると、まさにパンドラの箱を開いてしまったような、とてつもない世界がすぐ隣の部屋に展開していることに、あらためて気づいてしまった。

 当ブログへの「リクエスト」されているキーワードは「フロイト 精神分析」である。あるいは、せいぜい「精神分析学入門」を読み込む程度の姿勢で足りるはずなのであるが、多分、それはたんに見せかけであり、実は、それは奈落への一歩の、ほんの始まりにすぎないのではないか、というキョーフに満ちた予感が襲ってきた(笑)。

 幸か不幸か、この本はすでに10年以上前に出ている本である。ましてやムック形式なので、一部の図書館以外には保存されておらず、現在使用する資料としては万全ではない。しかしながら、「1998年」当時の「精神分析」を取り巻く状況をうまく取り入れており、ある意味、95年に発覚した麻原集団事件のあとを継いだ「精神分析」がおかれていた状況を感じ取るには、なかなか面白い資料なのではないか、と思うようになった。

 いわゆる「精神世界」や「ニューエイジ」はこの時代において、大ダメージを受けたのであり、自らのトンデモ性、偽科学性を見せつけられて、原点に戻って自らを再点検する必要を痛感させられていた時代だったと言える。

 その時代にあって、実はこの「精神分析学」の世界は、割とのんびりしていたように感じられる。こんなのんきなことでいいのか、とさえ思う。なぜにこれだけ社会的に隔離されていたかというと、いわゆるフロイトを原点とした「精神分析学」は、いつの間にか極めて保守化していたのであり、自らの身を社会の奥座敷へと隠し、権威とわずかばかりの過去の業績の砦にこもっていたからである。

 あれから10年以上が経過し、このムック本で展開されているような状況はかなり改善されているはずだし、当然のことながら、当時からすでにこのようなこの「業界」の実勢をなんとかしようとする動きはあったはずなのである。当ブログは、今後その辺の動きを注意深くみていきながら、心理学にまつわる最新ニュースに流れるのではなく、むしろ「フロイト 精神分析」にこだわって、地中探索を試みようとするものである。

 まず、巻頭言を書いているのが小此木啓吾であることがまず時代を感じさせる。一時代を築いた彼の業績は大きいものであるし、私自身も彼の講義などを聞いて感ずるところも多かったのであるが、時代が求める「精神」あるいは「スピリチュアリティ」においては、その取り組みは、あまりにも古色蒼然としすぎている。

 その他、数十人の執筆陣の顔ぶれがなかなか面白く、と突然ながら末永蒼生香山リカ、あるいは、きたやまおさむ、などの名前が並んでいるのは、なかなか意表が突かれて興味深い。しかしながら、現在ヘッセ追っかけ中の当ブログとしては福島章の「文学/フロイトは現代文学の父となった」あたりが、一番面白く感じられた。

 フロイトは、数ある芸術のなかでは、文学と彫刻には強烈な印象を受けていたが、絵画にはそれほど動かされず、音楽にはほとんど無関心だった。フロイトは音痴だったこともあって、音楽の都ウィーンに半世紀も住みながら、オペラ劇場やコンサートホールに足を運ぶことはほとんどなかった。

 天才音楽家マーラーに接したのは、神経症の治療を求める患者としてで、数時間の精神分析によって彼の神経症を癒した。しかし文学者のトーマス・マン、シュテファン・ツヴァイク、ロマン・ロランらとは、友人として肝胆相照らす中となった。文学者と思想家に対する強い尊厳と傾倒があったからであろう。p60

 「精神分析学」は、フロイトから始まるのであり、彼を抜きには語れないのはもちろんのことであるが、彼の個性に基づく限界が、精神分析学と呼ばれる世界の限界をも意味していて、時折窮屈になる。だからこそ、アドラーやユング、あるいはライヒアサジョーリ、たちは、その枠組みをどんどん換えていかなかければならなかったのである。

 いずれにせよ、この領域のフロイトの代表作は、晩年に書かれた「ドストエフスキーと父親殺し」であろう。これは長編小説「カラマーゾフの兄弟」を主たる素材とし、エディプス・コンプレックスをキー概念として分析したものである。p62

 当ブログにおいても、亀山郁夫の新訳によって、ようやく「カラマーゾフの兄弟」をひととおりめくり終わったところだった。孤島のように切り離していたフロイトの世界が、このような形で新たにリンクしてくることは歓迎すべきことである。

 「シュールレアリス宣言」を書いたアンドレ・ブルトンは、医師として精神病者を扱った経験の後でフロイトの「精神分析入門」に接し、その「自由連想」の技法にヒントを得て、「自動書記」の実験を始めた。(中略)
 不幸なことに、古典文学に深い教養と理解を示したフロイトも、同時代の前衛的・実験的な文学運動には共感をまったく覚えなかったらしい。フロイトに会いに行ったブルトンは、先覚者の冷淡な応対に失望したといわれる。
p63

 最初からフロイトの「がめつさ」と「保守」性が表れているようで、興味深い歴史的事実である。

 フロイトの精神分析に批判的・攻撃的な態度を取りながらも、実際の創作ではフロイト理論の範例のような作品を書いたのはイギリスのD・H・ロレンスであった。p63

 D.H.ロレンスの「精神分析と無意識」は、当ブログにおいても読みかけているところであり、フロイトがらみのこの辺の文脈から、読み直していく必要があるだろう。

 ドイツの作家トーマス・マンも、フロイトを「未来のヒューマニズムの開拓者」と呼んで称揚し、フロイトを知ったことに触発されて劇的な自己理解をなしとげた。彼は後にフロイトの決定論の限界を指摘するようになるが、同時に「トーテムとタブー」に示された父親の機能の理論に導かれ、ゲーテを範例として自分の作品を創造することの意味を理解するにいたるのである。p63

 このような形で、他にもたくさんの当時の文学者や芸術家とフロイトとの接点がかかれていて興味深いが、フロイト---ヘッセ、の直接ラインは確認できない。ヘッセ側からのトーマス・マンやユングなどへの言及などをたよりに、すこしづつ糸口を手繰り寄せていこう。

 巻末には「精神分析学の手引きブックガイド50冊」がついている。すでに10年前のものなので、やや古臭いが、もし他書にて、もっと新しいガイドがなければ、このガイドを使って読書を進めるのもやむなしかな、と思う。

<2>につづく

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2009/12/12

ヘルマン・ヘッセ全集(第1巻) 青春時代の作品 1

ヘルマン・ヘッセ全集(第1巻)
「ヘルマン・ヘッセ全集(第1巻)」 青春時代の作品 1 
ヘルマン・ヘッセ /日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会 2005/08 臨川書店 全集・双書  371p
Vol.2 No858★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★☆☆

 そもそも今回あらためてヘッセ追っかけを始めたのは、アクセスログ解析における検索ワードに「シッダルタ」がたくさんあったからだった。もともと、当ブログへのアクセスルートにおけうキーワードはそう多くはない。大体30語くらい、範囲を広げたとしても7~80語位をカバーすれば、おおよそのところの指向性がわかる。

 そのなかにあって「シッダルタ」あるいは「シッダールタ」は、トップにこそならないが、かなりの高位に常にあり、少なくともベスト10の中には毎月入っているのである。最初そのことに気づいた時は、その理由がよくわからなかった。なぜ「ヘッセ」や「ヘルマン・ヘッセ」ではないのか。なぜ「車輪の下」や「ガラス玉演戯」ではないのか。「デミアン」や「クヌルプ」、あるいは「荒野の狼」ではないのか。

 アクセスしてくる人々(今後、この人々のことを、あえて「読者」と呼ばせていただこう)の真意は定かではない。しかし、そのアクセスログのグラフや数量的記録を見る限り、読者のかなりの割合は、「シッダルタ」を求めているのである。

 「シッダルタ」の中には、当然、仏陀の幼名である「ゴータマ・シッダルタ」を求めているのであって、作家ヘルマン・ヘッセの小説「シッダルタ」を求めているのではない人々も含まれているに違いない。しかし、であるなら、なぜに「仏陀」あるいは「ブッダ」を求めず、「シッダルタ」を求めるのであろうか。

 新しい世界宗教として見直されつつある仏教の、その開祖とされるゴータマ・仏陀には、限りない魅力がある。ひょっとすると、この存在なしには、地球人スピリット、などという当ブログの探索冒険自体、成り立たないかもしれない。それほどに大きい存在である。

 しかるに、人々は、この「完成」された存在、「成就」した存在、「解脱」した存在、そのものに直接向かおうとはしない。「完成」の前には「未完成」があり、「成就」の前には「不成就」があり、「解脱」の前には「煩悩」があることを知っているかのようだ。そして、不完全なものから完全なものへと向かう、そのプロセスにこそ、もとめるべき「真理」が隠されている、とでも言いたげだ。

 だから、もし当ブログの読者が「シッダルタ」というリクエスト語に、仏陀そのものを込めていたとしても、それに至るプロセスにこそ思いを重ねたいとするなら、やはり、ヘルマン・ヘッセの「シッダルタ」は、決して的はずれではないはずなのだ。

 ヘルマン・ヘッセを慕う当ブログの旅は、今回この「ヘッセ全集」と「エッセイ全集」を杖として、今後も続くであろう。その旅を支えてくれるナビ役としては、これほど強い味方はない。だが、全部で24冊になろうとするこの二つのシリーズ本を全部精読することなど、現在のところ不可能だ。せいぜい、その本の存在を確認し、全容を、遠く眺めるにとどまるだろう。

 この第一巻「青春時代の作品1」も、いつかは目を通すことになるだろうが、当ブログのアクセスログ解析による「再読モード」状態からすれば、必ずしも現在、こまかく読み込む段階には至っていない。

 当ブログにおける同じようなナビ本の一冊に「かもめのジョナサン」がある。その物語のストーリーを大きく外れるが、そのカモメの喩えを借りれば、たとえば、魚の群れを探しにでた小さな漁船を当ブログであると仮定して、その進路を定める時に、餌を求めて群がるカモメたちの飛び方を見て、漁船の船長はその舵の方向を決めるという。

 当ブログの読者をカモメの大群に喩えるのは大変失礼とは思いながらも、当ブログへアクセスした読者たちの90%は一見さんたちである。一度アクセスはするものの、自分のお好みのテーマでなければ、二度と戻ってこない。これは、自分の他サイトへのアクセス行動を考えれば当然のことである。だが、ここに当ブログは少し哀しい思いをする。

 一期一会とはいうものの、互いに知り合い、関係を深めてこそ到達し得るなにかがあるはずだ。残りの10%の人々に、かすかなその思いを託す。しかし、この数字はまだ少ない。せめて、「80対20の法則」に従って、20%の読者と、80%程度の内容物を共有したいと思うのだが、それは贅沢であろうか。

 たとえば「レクサスIS」というキーワードで当ブログに到着する読者がいるとする。その先には「45歳からのクルマ選び」という記事がある。この読者は、当ブログの洒落がわかるだろうか。「プレミオ」というキーワードで検索してきた読者なら、この「45歳から」というところになにほどかの共感を持ってくれるかもしれない。でも実際にいるのだが「アストンマーティン V8 ヴァンテージ」とか、「マセラティ グラントゥーリズモ」などのキーワードで検索してきた人々に対しては、大変な失望を与えているのではないだろうか。

 クルマは趣味だし、面白い。これからも読んでいきたい。しかし、当ブログのメインのテーマにはならない。たとえば「テラフォーミング」などもアクセス数は多いが、当ブログの興味からは大きく外れていくだろう。だが、たとえば「シッダルタ」というキーワードで検索してきた人々となら、次なるテーマを共有できるのではないか。あるいは「シーシュポスの神話」や「ゴドーを待ちながら」でもいいのだが、決して当ブログの得意なジャンルではないのだが、これらのキーワードに関心ある読者となら、次のテーマを見つけにいくことができるのではないか。

 当ブログ、当初からの目標は、多くの読者を求めてはいないが、せめて200のリピーターを持ちたいと思っている。この200には大きな仕掛けがあり、6次の隔たりを考えると、地球上の70億の人々と繋がり得る可能性があるからだ。もちろん、これにはその200のリピーターたちも、当ブログと同じ発想で200の読者を求めている必要があるが・・。

 とまぁ、そんなこんなで、これから歯医者に行かなくてはならない。言い足りないが、今朝はここまで。当ブログがヘッセや「シッダルタ」にこだわる理由の一旦を説明してみたのだった。

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ヘルマン・ヘッセ エッセイ全集(第4巻)

ヘルマン・ヘッセ エッセイ全集(第4巻)
「ヘルマン・ヘッセ エッセイ全集(第4巻)」 追憶(忘れ得ぬ人々)・随想1(1899ー1904) 
ヘルマン・ヘッセ /日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会 2009/10 臨川書店 全集・双書 347p
Vol.2 No857★★★☆☆ ★★★★★ ★★★★☆

 ヘッセ追っかけの方法論が少しづつ分かってきた。つまりは、新訳なった「ヘッセ全集」と「エッセイ全集」にひととおり目を通せばいいのである。分かってみれば簡単なことで、コロンブスの卵ではあるが、実は、これがなかなか大変な作業であることも分かってきた。

 これら全集は、実にコンパクトで、小脇に抱えて歩くにはちょうどいい大きさなのだが、二段組みの小さな文字を追いかけることは、老眼鏡を手放せなくなって久しいわが肉体には、かなり過酷な作業である。そして、ひとつひとつの作品が実は相当な分量であることも、実体験上、痛感するようになってきた。

 これらの全集を読み終えるまでに、どれだけの時間がかかるだろう。今は計算不能だ。それにどのような順序で読んでいくか、などと考えてみたが、もともと配本だって、ナンバー通りに出版されているわけではない。これはとにかく、自分の興味ある範囲をあちこち読み進めて、次第に全体が埋まるように読んでいけばいいであろう。

 ということで、図書館に予約を入れてもなかなか自分の番まで回ってこない本も多いので、回ったきた本から、簡単な印象を書いておこうと思う。大体の感触をつかんでおけば、いずれ熟読しようか、という時に、きっと役立つはずである。

 今回は、「エッセイ全集」第4巻。全8巻のうちの4巻目なので、ちょうど中間に位置しているということになるか。後半はまだ刊行されていないので、この巻が最新ということになる。追憶(忘れ得ぬ人々)、あるいは随想1(1899~1904)と銘打たれ、それぞれ数ページに収まるような、小さな書簡やエッセイ集がたくさん収められている。

 ひとつひとつ貴重な資料であろうが、今回は「ロマン・ロランについて」p170や「アンドレ・ジッドの思いで」p192、「トーマス・マンへの惜別の辞」p222、「マルティン・ブーバーの80歳の誕生日に」p237などを興味深く読んだ。

 とくに、トーマス・マンやロマン・ロランはジグムント・フロイトとは肝胆相照らす仲だったと言われているから、ヘッセ---フロイト、ラインをつなぐ意味で、興味深いところに思う。また、マルティン・ブーバーのハシディズム、というキーワードは、当ブログへのアクセスに使われることの多い用語なので、この辺にも、何ごとかの糸口を見つけていきたいものだと思う。

つづく・・・だろう。

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2009/12/11

老年の価値 ヘッセ

老年の価値
「老年の価値」
ヘルマン・ヘッセ /マルティーン・ヘッセ 2008/06 朝日出版社 単行本 445p
Vol.2 No856 ★★★☆☆ ★★★★★ ★★★★★

 この本を図書館で見つけて、もう一年以上になる。一度ならず借り出しては来ているのだが、そしてその都度、延長をしているのだが、なかなか読みだすまでには至らなかった。今、私がヘッセに求めているものとしたら、きっと、その内容は、この本に書かれているようなことに、一番関心があることだろう。それは分かっていた。この本を読む、というより、この本が傍らにある風景、というのを思い描いてみることが私は好きだ。

 しかし、今回ようやく読み出せたのは、「青春の作家」、「反体制的でアナーキーな反戦平和主義者」、「老いと死についての叡智を語る老賢者」、というヘッセの三つの局面を、全体像の中から捉えてみよう、という気持ちが湧いてきたからであった。

 老いと死についての叡智を語る老賢者、というイメージは、ヘッセにはあまりにもハマりすぎる。「ガラス玉演戯」はヘッセの代表作であり、55歳から65歳の10年間に渡って書かれたものだが、まさにそこに現れた思想を、当ブログは「レムリアの古老」とニックネームをつけて、愛してきた。この本に収められているのは、さらにそれからの20年間に渡るヘッセの人生の中で書かれた膨大な書簡集などである。

 抜き出したらきりがないのでやめておくが、忘れられないほど強い印象の詩がいくつも収められている。編集者のミヒェルスによる信頼おける一冊であり、時代や文献の種類にさまざまな順序の異動はあるが、さまざまな工夫がされている。

 その上でなお、この本が特異なのは、ヘッセの三男のマルティーン・ヘッセの手による写真がたくさん収められていることだろう。素晴らしいけれども文章だけでは分からないヘッセの世界が、たくさんの写真から、動きを持って蘇る。

 ヘッセの豊かな自然観察の文章を読んでいると、ある種、クリシュナムルティを連想する。クリシュナムルティは、一旦、当ブログでも読みだしたのだが、途中で一休みしている。それはなぜか。よく自分でも理由はわからないが、ひとつは、その美的な諦観、というものに対する、読者としての準備ができていないのではないか、と思える。控え目に言っての話だが。

 ヘッセのこの本があるのは分かっていたし、今、この本こそ読んでみたい、とは思いつつ、この本だけ単独で読むことの違和感は、正直言って強くある。老年は老年として、単独であるものではない。「青春」、「反体制主義者」、「老賢者」、という三つの局面に代表される、ひとつの、一貫した人生。その中でこそ老年は語り得る価値が生まれてくるのではないだろうか。

 今日は、Oshoの誕生日である。1931年生まれのOshoが、今日生きていて、もし78歳になっていたとしたら、どんなレクチャーをしただろうか。それをイメージしてみることは楽しい。そうであったら、もっともっと別な話を聞くことができただろう。

 しかし、「もし~~たら」の話は、人生にはない。起きたことだけが事実なのだ。すでにOshoはここになく、話もしていない。もし肉体の中にいたとしても、彼は沈黙の中の饒舌を持って静かに座っていたことだろう。つまりは、肉体の中にいようがいまいが、結局は同じことなのだ。

 85歳の天寿を全うしたヘッセの言葉は貴重だ。その言葉をきくことは、心踊る。この本は、ヘッセの作品全体に対する仕分けに従って、当ブログでは「表現からアートへ」カテゴリに入れておくことになるが、実際はむしろ「地球人として生きる」カテゴリに属する一冊であろう。地球人として生きたヘルマン・ヘッセを誇りに思う。こういう人生があるのだ。内省的で、なお、外側の世界への関心を失わず、かつ、人々に愛され、人々を愛し、人としての命を全うする。なんと見事な人生なのだろう。

 それはある意味、クリシュナムルティ的な悟りへと通じるものがある。しかし、ここで、グルジェフならなんとするだろう。多分、大きな声で、叫ぶに違いない。

      STOP!

 そして、Oshoなら、クスクス笑い出すだろう。

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わがままこそ最高の美徳<2> ヘッセ

<1>よりつづく

わがままこそ最高の美徳
「わがままこそ最高の美徳」 <2>
ヘルマン・ヘッセ /フォルカー・ミヒェルス 2009/10 草思社 単行本 278p

 ふと思った。「当ブログ、想定外の『定番本』たち、その1」の中に、なんとノーベル文学賞作家が何人もいるではないか。タゴールカミュベケット、そして、このヘッセと、実に4人。随意に取り上げた13冊のうち、じつに4冊がノーベル賞作家のものであったことに、実に驚く。それだけ貴重な存在でもあり、高名な人物たちであるからこそ、当ブログにおいても、そのチャネルでのアクセスが多いのだろう。

 これは必ずしも、当ブログがノーベル賞ものだ、ということではもちろんないが(爆)、考えてみれば、ほかの9冊にしたところで、そのレベルに十分達していそうな本たちがピックアップされてきている、と判断することも可能だろう。

 当ブログ<1.0>「村上春樹にご用心」を最後にして終了しているのだった。その時点では気がつかなかったが、村上はその直後に「1Q84」で大きな社会現象を起こしている。当ブログ<2.0>に残された宿題のひとつに「村上春樹シンドローム」解明、がある。「1Q84」については、すでに斜め読みして、その概略は知っているが、すこし社会的なコーフンが冷めかかりつつあるので、ようやく当ブログとしても「再読モード」でのんびり取りかかる準備をしているところだ。

 さて、ここに気がついたことであるが、村上春樹にはノーベル文学賞の呼び込みの声が高い。これは日本のひいき筋だけではなく、翻訳を読んでいる外国からの評価も多くありそうなのである。毎年そのような話題が噴出しつつ、昨年も今年も、その選からはもれている。しかし、数年内に仮に村上春樹がノーベル賞を取るとするなら、間違いなく、この「1Q84」がその該当作品に選ばれることだろう。

 そのためには、翻訳がもっと進んで多くの国で読まれる必要があるだろうし、ノーベル文学賞そのものが、国際社会に与える影響のもっとも大きなタイミングのピークの到来を待つ必要があろう。とするなら、作品いかんよりも、国際社会の情勢がどのように変わっていくかにも大いに影響してくるだろう。

 ときあたかも、オバマのノーベル平和賞受賞が話題になっている。ノーベル賞そのものの持っている問題点があることは当然であるが、あるいはオバマがノーベル賞に値するかどうかも、もちろん問題ではあるが、そのような賞が存在し、国際社会が、地球人全体が、一体どのような方向にすすむべきか、と熟考するには、ノーベル賞も貴重な機会であると思える。当ブログはオバマの受賞を支持するし、村上春樹の「可能性」も真剣に探ってみたい。

 さて、われらがヘルマン・ヘッセである。この本、後半は、思った以上に重い。「青春の作家、老いと死についての叡智を語る老賢者、反体制的でアナーキーな反戦平和主義者」の中の、「反体制的でアナーキーな反戦平和主義者」としてのヘッセの顔がむき出しになる。

 ナチ台頭の時代に、その全体主義に背をむけて、個人的な「わがまま」な詩人として行動したヘッセ。異国に亡命しながら、なおその姿勢を貫いた。そこのところにこそ、戦後、ノーベル賞が贈られたのであろうが、当ブログにおいて、一冊の本、ひとりの詩人の文学、として通り過ぎるには、重すぎるテーマが横たわっている。

 考えてみれば、現在、不思議な世界が展開している。アメリカ大統領が核兵器の時代を終わらせようとし、日本の首相が、オキナワから軍事基地を排除しよう、としているのに、それができない。なぜ・・・・・・・・・・・・・・・??????

 不思議だ。かつての時代なら、政治的なリーダーがこぞって軍備を増長することを誇示し、一気に戦争へと突っ走っていった。大衆は、リーダーたちに追随した。人々は戦争に酔い、戦争に絶望した。戦争はいやだ、と。

 現在、人々は戦争はいやだと思い、戦争をやめさせるリーダーたちを選びだした。そしてリーダーたちが、「戦争はやめる」と言っている。しかし、「戦争をやめる」ことができない。なぜ・・・・・・・?

 ヒットラーの圧政下において、ヘッセは異国へ亡命することで、みずからの「わがまま」を貫いた。その反戦的姿勢は高く評価された。それは、戦争の悲惨さが地球を覆い尽くした後のことであった。

 現在において、「わがまま」な美徳を持った地球人たちは、ヘッセを見習って、政治の世界から遠く離れて亡命するのだろうか。あるいは、いまこそ「戦争をしません」宣言をしたリーダーたちを支持し、盛りたて、自らのワークとして、この地球を考えようとしているのだろうか。

 この21世紀に来て、ふたたび、みたび、ヘッセ・ブームが起きているとすれば、ヘッセの文学がひとり素晴らしいから、というだけではない。人々がみずからの「わがまま」を貫いて、「戦争しません」宣言をし、あの悲惨な愚かな行為をストップさせようとする時、ヘッセの「人間」としてのスピリチュアリティが共鳴するからに違いない。

<3>につづく

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2009/12/10

わがままこそ最高の美徳<1> ヘッセ

わがままこそ最高の美徳
「わがままこそ最高の美徳」 <1>
ヘルマン・ヘッセ /フォルカー・ミヒェルス 2009/10 草思社 単行本 278p
Vol.2 No855 ★★★★☆ ★★★★★ ★★★★★

 この10月に出版されたばかりの本なので、数あるヘッセ本のなかでも、最も新しい本、ということになろうか。尤も、最新刊とはいうものの原本のミヒャルスの「ヘルマン・ヘッセ読本」全6巻のうちの一冊であり、1986年にすでにでている本の翻訳ということになる。

 ミヒェルスの一連の「ヘッセ読本」は、ヘッセを現代によみがえらせ、さらにその翻訳は21世紀の日本に「ヘッセ・ブーム」とさえいわせてしまうような現象を起こしているのだから、そうとうに力のあるシリーズと言えるだろう。

 しかし、新訳なった「ヘルマン・ヘッセ全集」や「エッセイ全集」を傍らにおいてミヒャルス本をおいて眺める時、ともするとミヒャルス本は、作品や書簡集が時代や作品の順序が渾然としており、テーマを追いかけるには良いかもしれないが、ヘッセという人の、内面的な精神史を時間の経過とともに眺めたいと思った場合、必ずしもベストではない。

 「青春の作家、老いと死についての叡智を語る老賢者、反体制的でアナーキーな反戦平和主義者・・・・さまざまな魅力を持つ」(出版社パンフレットより)と評されるヘッセの一連の作品群ではあるが、ともするとミヒャルス本は、この三色最中を一辺に食べてしまうようなぜいたくな作りになっており、ある意味もったいない、という気がしないでもない。

 その中にあって、この本の前半は「青春の作家」としてのヘッセの顔が大きクローズアップされている。引用は「車輪の下」「デーミアン」、「ゲルトルート」などからが多く、書簡集も、青春の彷徨にある人々に向けたものが多いようだ。

 ひとつの美徳がある。私が非常に愛している唯一の美徳である。その名を「わがまま」という。-----私たちが書物で読んだり、先生のお説教のなかできかされたりするあの非常にたくさんの美徳の中で、わがままほど私が高く評価できるものはほかにない。けれどそれでも人類が考え出した数多くの美徳のすべてを、ただひとつの名前で総括することができよう。すなわち「服従」である。問題はただ、誰に服従するかにある、つまり「わがまま」も服従である。けれどもわがまま以外のすべての、非常に愛され、称賛されている美徳は、人間によってつくられた法律への服従である。唯一わがままだけが、これら人間のつくた法律を無視するのである。わたままな者は、人間のつくったものではない法律に、唯一の、無条件に神聖な法律に、自分自身の中にある法律に、「我」の「心」のままに従うのである。p116「わがまま」

 これは1917年、ヘッセ40歳のときに書かれた文章である。この本のタイトルもこの文章に由来している。

 自分自身の青春の彷徨など、とうの昔のこととなり、子供たちですら、その時代を通り越してしまった。いくらか世の中の方便というものを使い分けざるを得ないという分別を持っている者なら、ヘッセの言う「わがまま」も、いわんとすることは分かるが、なかなかストレートにそのように若い人々に言うことは難しいだろう。ヘッセならではの説得力である。

<2>につづく

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2009/12/09

デーミアン<2> ヘッセ

<1>よりつづく

ヘルマン・ヘッセ全集(第10巻)
「ヘルマン・ヘッセ全集」 第10巻
ヘルマン・ヘッセ /日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会 2005/10 臨川書店 全集・双書 362p

「デーミアン」<2>

 この小説はどのくらいの長さなのだろう。単行本と違って、全集の中に収録されていると、長いのか短いのか、よくわからなくなる。小説読みが得意ではない自分としては、このくらいの小説は長くも短くもないので、適当という感じではあるが、しかし、読み終わってみれば、率直な印象は「小品」というのが正直なところである。

 なぜにそう感じるか、と言えば、まずは少年の心象風景として書かれていること。そして、登場人物が複数いるけれども、それは、登場人物たちの人生が語られているわけではなく、主人公の心象風景に具体性を持たせるためにだけ使われている。

 笑え、友人たちよ、笑え、ののしれ! 私はそれでもまた古い小道を行く。繰り返し何度でも。感傷と呼ぶがいい。幼稚と呼ぶがいい。それでも私はこの道を行くのだ。p141「遺稿の断章」

 なるほど、青春の感傷、と言ってしまえば、それが一番ぴったく来る表現であろう。この小説を読みながら、ところどころのエピソードに、あまりにぴったりな自分の体験を思い出したりする。女性の顔を記録するために絵を描くのだが、その女性の顔を思い出せないとか、よく見る夢が具体的な現実と重なったりするところなど、まさに自分の体験を抉り出されているような、快感とも不快感ともいえない感触がときどき現れる。

 しかしながら、ほかの部分は、あまりに走り過ぎて、小説が小説として形づくられるために、しかたなくストーリーが展開するような、空疎なシーンをいくつも発見したりする。この小説に対する我が共鳴度は、まだら模様だ。ところどころがあまりにも酷似しつつ、他のところは、まるで絹のように軽い。

 それはまるで、ヘッセの水彩画のようだ。キャンパスの上で、要所要所は画鋲で止められているが、それは一枚の淡いキャンパスであり、そこに描かれているのは、水色や、黄色や、ピンクや、灰色と言った、パステルカラーが多く使われているような、数枚の絵だ。決して、油絵のようなゴテゴテしたものではなく、また、切り絵のような、輪郭がはっきりと際立っているものではない。

 Sで過ごした時代が私にもたらした最上のものはピストーリウスとオルガンの側で、あるいは暖炉の前で過ごした時期だった。私たちはアブラクサスに関するギリシャ語のエキスとを一緒に読んだ。彼はバラモンの聖典ヴェーダの翻訳の中から幾編か朗読してくれ、聖なる祈祷語「オーム」を唱えることを教えてくれた。だが私を内面から成長させたのはそういう博識ではなく、むしろそれとは反対のものであった。私を元気づけたのは自己の内面の発見が前進したことであり、自分の夢や考えや予感への信頼が増したこと、自分の中にある力をますます自覚したことだった。p103

 この小説に限ったことではないのだが、ヘッセを読みながら、いつもどこかで、Oshoがヘッセについて彼は光明を得た人間ではなかった。ましてや光明を超えて行った人などではない。」と言及していることに、引っかかっている。その評価に確たる共感を持ち得ないものの、その評価は決して不当なものだとも思えない。ヘッセは神秘家や神秘的な現象に親和性をもちつつも、ひとりの人間、として「とどまった」。あるいは、その存在を「詩人」としてあることに賭けた。

 そのことの良し悪しについては、ここで語るには準備不足だ。だが、ヘッセ側から考えてみれば、ヘッセが「人間」としてとどまったことは妥当であったように思える。ひとりの人間に止まり得ることは、良くも悪しくもあるまい。人間であることが批判される要素にはならない。人間が人間たり得ているということは、至極まっとうなことであろう。もちろん、そのことは実に祝福されている、ともいえる。

 しかし、ある種の人々は「人間」でなくなってしまうことがある。「人間」に止まってはいられないのだ。それは自らの要求というよりは、存在が、その存在をその方向に流していくのだ。爆発する。その爆発音が、ともすれば、ヘッセの作品から聞こえてこない感じがする。

 ヘッセの世界が、ともすればモノトーンのように思え、中性的なユニセクシャルな、あるいはホモセクシャルで、水彩画のような、パステルカラーの淡い色調を特に連想させるのは、このところあたりに原因があるのだろう。「小品」と言ってしまうのは、決してほめ言葉ではないだろうが、しかし、また、ヘッセの側から考えれば、これだけ重たいテーマを「小品」にとどめておくことこそが、ヘッセの力量であり、ヘッセのやりたかったことなのである。このあたりに、芸術家と神秘家の境目がありそうだ。

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2009/12/08

デーミアン<1> ヘッセ

ヘルマン・ヘッセ全集(第10巻)
「ヘルマン・ヘッセ全集」 第10巻
ヘルマン・ヘッセ /日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会 2005/10 臨川書店 全集・双書 362p

「デーミアン」
Vol.2 No854 ★★★★☆ ★★★★★ ★★★★★

 
当ブログにおける、想定外の「定本」たち、から、フロイト、ヘッセ、グルジェフを抜き出し、さらに、その中心位置にあると思われるヘルマン・ヘッセをクローズアップして読み始めてみれば、これがなかなか分量があり、一気に読み進めることはできない。遅々として進まない読書であるが、それは必ずしも苦痛ではない。

 その理由のひとつは、ヘッセを読み進めるにあたって、新しい全集が近年、非常に充実してきているからだ。この「ヘルマン・ヘッセ全集」全16巻(2007年12月完結)にしても、「ヘルマン・ヘッセ エッセイ全集」全8巻(刊行中)にしても、古びた古典を開く、という孤独な作業ではなく、新しい新訳で、明るい光の中で、多くの人々と同時代的に読む、という愉しみが増えた感じがする。

 「カラマゾフの兄弟」にしてもそうだったが、19世紀や20世紀の古典であっても、21世紀に登場した新訳で読むことは、過去のセピア色の写真をめくるような古典が、カラー画像になって現代によみがえるような、新鮮なイメージがある。

 ヘッセの「ガラス玉演戯」も、私にとってはお気に入りの一冊であるが、この全集のなかに第15巻「ガラス玉遊戯」となって収録されている。数種の翻訳を比較しながらよむことなど、私の得意とするところではないが、その蘇った新鮮さの中で、ふたたびあの感動を味わえるのでは、という期待感は高まる。

 「青春の作家、老いと死についての叡智を語る老賢者、反体制的でアナーキーな反戦平和主義者・・・・さまざまな魅力を持つヘッセの文学作品」(出版社パンフレットより)であるが、さて、この「デーミアン」は、その中での「青春の作家」としての代表作であろうか。

 単行本や文庫本で読むときなら、その分量が分かり、読む時間がだいたい想定できるものだが、全集の中のちょっと細かい文字の二段組は、なかなか読みだしてみないと、読了するまでの時間が測れない。「デミアン」も、あちこちに引っ掛かり、嘆息しながら読み進めているので、ページ数を数えてみれば、まだちょうど中間にさしかかったところだった。

 「僕たちはしゃべりすぎる」と彼はいつになく真面目に言った。「利口ぶったおしゃべりなど価値はない。まったく無価値だ。自分自身から離れるばかりだ。自分自身から離れるのは罪だ。亀のように自分の中に完全にもぐり込むことがで出来なくちゃならない」p55

 デミアン、という語感の中に、ヘッセは「デビル」を入れているだろう。キリスト教的風土の中で育ったヘッセにおける、アンチキリストは、しだいに東洋風なものへと移行する。

 そこには私の友がいつもと変わらずまっすぐに良い姿勢で座っているのが見えた。しかしそれでも、いつもとはまったく様子が違っていた、そして私の知らない何かが彼から発散し、彼を取り巻いていた。私は彼が目を閉じていると思ったのだが、見ると目は開いていた。しかしその目は何も見ていなかった。p55

 瞑想へのいざない。しかし、それは外に見られるものではなく、内へと向かう旅路なのだ。

<2>につづく

「ヘルマン・ヘッセ全集」

第1巻 「青春時代の作品 1」 

第2巻 「アッシジのフランチェスコ」 他

第3巻 「ペーター・カーメンツィント」 他

第4巻 「車輪の下」 他

第5巻 「愛の犠牲」 他

第6巻 「世界改良家」 他

第7巻 「インドから」 他

第8巻 「クヌルプ」「読書狂」 他

第9巻 「メールヒェン」、「小人」 他

第10巻 「デーミアン」 「戯曲の試み」

第11巻 「ヤーコブ・ベーメの召命」「アッシジの聖フランチェスコの幼年時代」 他

第12巻 「シッダールタ」 他

第13巻 「荒野の狼」 「東方への旅」

第14巻 「ナルツィスとゴルトムント」 他

第15巻 「ガラス玉遊戯」

第16巻 全詩集 「最後のガラス玉遊戯者」 他

「ヘルマン・ヘッセ エッセイ全集」

第1巻 「精神分析の夢日記」「「岩山で ある『自然児』の覚え書き」 他

第2巻 「私のホロスコープ」 他

第3巻 「ヨーゼフ・クネヒトからカルロ・ヘェロモンテへ」 他

第4巻 「追憶(忘れ得ぬ人々)・随想1(1899ー1904)」 

第5巻 未刊

第6巻 未刊

第7巻 未刊

第8巻 未刊

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2009/12/07

糖質制限・糖質ゼロのレシピ集

糖質制限・糖質ゼロのレシピ集
「糖質制限・糖質ゼロのレシピ集」糖尿病・ダイエットに劇的な効果!
糖質ゼロ研究会 /釜池豊秋 2009/09 実業之日本社 単行本 p128
Vol.2 No853 ★★★★☆ ★★★★☆ ★★☆☆☆

 糖質ゼロの食事法とは、1日の食事を夜の1食にして、しかも糖質を限りなくゼロに近づける食事方法であるという。著者たちがおっしゃるように、此の食事は「非常識な食事」法ではあろうが、たしかにもともと食事制限などで、長期に苦しんでいる人たちもいるわけだから、必要とあらば、体験してみる価値はあるだろう。

 しかし、岡田斗司夫大橋健たちの記録するだけのダイエット法に比べれば、かなり頑張っている食事療法だと言える。裏表紙に「カロリー計算はもういらない!」とあるように、長期に渡ってカロリー計算に悩まされてきた人々にとっては朗報であるかもしれないが、今までカロリーにさえ無頓着だった私などにしてみれば、そもそも「糖質」とはなんじゃい、と新たな暗礁に乗り上げてしまうことになる。

 「炭水化物」と「糖質」は、同義のように使われることが多いのですが、実は同じものではありません。
 炭水化物=糖質+食物繊維です。言い換えると、糖質は炭水化物から食物繊維を引いたものです。また、糖質は消化されれば「ブドウ糖」になるものと理解しておいてください。
 食物繊維は消化されないのでエネルギーにはなりません。
p8

 このような初歩的な説明でさえ、よく理解できないということは、どうももともと科学的マインドを持っていないからかもしれないと自省する。

 「糖質ゼロの食事術」では、食事をしない朝昼はもちろん、夜の1食も「糖質ゼロ」ですから、インスリンの追加分泌はありません。邪魔者がいないので、一日中とぎれることなく貯蔵脂肪が使われます。
 摂取カロリーが減り、その分貯蔵脂肪が使われるのですから、「糖質ゼロの食事術」は理想的な減量食事法です。
p15

 朝も昼も食事しないで、夜だけ「糖質ゼロ」の食事をする、というのは非常識かどうかはともかくとして、よほどの断食でもやった時以外は、体験したことはない。だから、大体において、それに挑戦しようというモチベーションがそもそも湧いてこないし、聞いただけでもリバウンドが怖いのではないか、と思ってしまう。

 なにはともあれ、このような食事法を体験しなければならない緊急性は、わが身においては発生していないが、どうやら「糖質ゼロ」ブームとやらが始まっているらしいから(ホントかな・・・?)、単語のひとつとしては覚えておこう。「糖質ゼロ」というラベルを張った商品も出回っているようだが、いままで、まったく気がついたことがなかった。これから注意してみてみよう。

 この本は「レシピ集」である。たくさんの美味しそうな画像付きのご馳走がならんでいる。とってもおいしそうなのだが、ひとつひとつの画像がアップで掲載されているのでボリュームがありそうに思うが、実際に食卓に並んだものを見たら、私なら、あまりの少なさなに、泣きたくなるのではないだろうか。

 それが寿命なら、美味しいものを食べたいだけ食べて、適当な時期に昇天していく、というのも、立派な生き方だと思うのだが。人と会い、一緒に食事し、旅にでて、さまざまな場面に出会うことを考えれば、食事法は限りなく自由なほうがいいに決まっている。自宅にひとりで暮らしているなら、この「糖質ゼロ」1日夜1食も可能かもしれないが、今のところ、これは私の道ではない。

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2009/12/06

池上彰の20世紀を見にいく

池上彰の20世紀を見にいく
「池上彰の20世紀を見にいく」 
池上彰 /テレビ東京 2008/12 小学館 単行本 58p 付属資料:DVD1
Vol.2 No852 ★★★★★ ★★★★★ ★★★★★

 中学校図書館から借りてきた一冊。池上彰は長いことNHKテレビ「週刊こどもニュース」でお父さん役をやっていた解説者。この組み合わせで「20世紀」を見にいく。この本、シリーズ本ではなさそうなのだが、この本に書かれているのは、「20世紀」の前半。とくに「戦争」に焦点が当てられている。しかも、それらはすべて、残されていた映像を使って語られている。

 「弓道パーフェクトマスター 」を見た時も驚いたが、書店のスポーツコーナーに行って見れば、昨今はスポーツ解説書はかなりの割合でDVD付きのマニュアル本が多くなっているようだ。この「20世紀を見にいく」にも、DVDがついており、全部見ると123分かかる。すべてが圧倒的な当時の映像を使用している。

 真珠湾攻撃から始まり、日清日露、第一次世界大戦、ロシア革命、昭和天皇、関東大震災、満州事変、上海事変、満州国、国際連盟脱退、ヒトラーの誕生、全14回の映像を見ているだけで、実に、いかに20世紀が戦争の世紀だったかが、いやというほどわかる。

 20世紀も、後半に生まれ、いわゆる「戦後」に育った「戦争を知らない子供たち」世代の私ではあるが、あらためてこうして「20世紀」を見せられると、とてもとても、日本は平和な国家だ、なんて主張することはできなくなる。ましてや、団塊世代ジュニアのさらにその子供たちがこのDVDを見る時代になっている。何も知らないで育つより、このような「歴史」があったことを知っておくことは、とてつもなく重要だと思う。

 当ブログでは「オバマは何を変えるか」にアクセスが集中しているが、同じオバマ本なら、むしろ、私は「オバマ大統領がヒロシマに献花する日」のほうが大切な本だと思う。オバマに期待するものは確かにある。しかし、それを期待するからには、「私たち」は何をしなければならないのか。

 オバマがアメリカ大統領としてヒロシマに献花してくれるなら、その同等の行為として、日本国首相は、真珠湾の「戦艦アリゾナ残骸上に建つアリゾナ記念館」に献花すべきであるとする主張は全うなものに思える。すくなくとも「私たち」日本人は、被害者としての立場だけを考えがちであるが、加害者としての「私たち」日本人が、どのような行為を「20世紀」に行ってきたのか、知らなすぎるのではないだろうか。

 「チベット問題」における中国共産党の動きに対しても、批判が多く見られるが、この「20世紀を見にいく」などを見ていると、20世紀において、大国でありながら、世界列強から好き勝手に侵略された中国が、世界から軽く見られてはいけないと、身を堅くしていることが理解できる。

 はずかしながら、私などは、この本とDVDで初めて、20世紀のジグソーパズルが少しづつ大きな図柄を持ち始めるような感触を持った。まもなく日米開戦の日、12月8日がやってくる。あらためて、人類の歴史の大きなうねりを感じるとともに、現在、読み進めているヘルマン・ヘッセが、生きようとしていた20世紀とは、どういうものであったのかを、角度を変えて考えることができた。

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2009/12/05

インドから ヘッセ

ヘルマン・ヘッセ全集 (7)ゲルトルート・インドから・物語集5(1912-1913)
「ヘルマン・ヘッセ全集 (7)」 ゲルトルート・インドから・物語集5(1912-1913) ヘルマン・ヘッセ (著), 日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会 2006/07 臨川書店 単行本: 383p
Vol.2 No851 ★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 ヘッセは1911年にペナン、シンガポール、南スマトラ、セイロンへの3カ月をかけた旅をしている。ヘッセ34歳の時。その時の印象をエッセイとしてまとめた短文23編が2011~13年に発表され、それらがひとまとめになって、「インドから」という作品になっている。

 ヘッセとインドとの関係は深い。インドは祖父や父が伝道師として滞在し、母の生まれ故郷であった。位にはインドに関する書物や産物などが豊富であり、そのエキゾチックな雰囲気に接しながらヘッセは育ったのだった。子供のころからの憧れの地であったインドが旅の目的地になったことは極めて自然なことであり、ヘッセはそこに多くの希望を抱いたことだろう。p376

 この7巻には、「インドから」のほかに、「ローベルト・アギオン」、「いいなずけ」が収録されており、いずれもこのこの旅行から生まれたものであるとされているが、今回は割愛した。少なくとも、この時点では、ヘッセはインドそのものには行っておらず、その周辺から「インド的」なものを味わったということになる。あるいは「インド的」なものとは、「アジア的」なものでもあっただろう。だがそのアジア的なものの中には、大きくインドと中国が入っているが、どうも100年前の日本はまだまだ弱小で、ヘッセの目にも矮小に映っていたかのようだ。

 日本人の売春婦が排水溝の石の縁にうずくまって座り、太った鳩のように甘えた声で媚を売っている。p190「アジアの夜」

 それから日本人の店の1つ入るだろう。ここはぺてんが最も横行しているので、銀も陶器も、絵画も木彫りも買わず、価値のない小さなお遊びの品物をたくさん買う。p197「目の保養」

 日本人の歯科や中国人の高利貸しが、ドイツ中都市の一番趣味の悪い通りにならびぴったり合うような家を建てている。p203「建築」

 花柄の日本の浴衣を着たイギリスの年老いた高級船員が水色の目を輝かせて私を見つめて、こう言った。p206「シンガポールの夢」

 この哀れなマレー人たちはヨーロッパ人や中国人や日本人のように、主人としてこういう仕事を営むことは決してないのだ。p214「ペライアン」

 だがこれらのどれよりも、私にとっていとおしく貴重なものとは、あらゆる人間が本質的に一体であり近しいものであるという強い思いである。私はそれをインド人、マレー人、中国人、日本人に接して感じ取ったのだ。p237「帰還」

 こうしてみると、ヘッセの30代の目からは、日本はあまりよく思われていない。いや、決して日本ばかりではなく、インドや中国、あるいは自らのドイツや、ヨーロッパについても、常に批判的な目を持っているヘッセではある。これらのエッセイ達は、足掛け3年に渡って書かれているし、その後にも手が入れられている可能性があるし、ましてや100年後の翻訳として読んでいるわけだから、ヘッセそのものの当時の生の感性からは、いくらかは外れているかもしれない。

 しかし、当ブログがここで読んでおきたかったのは、ヘッセがどのような形で「シッダルタ」に至ったのか、ということだった。もともとインド的なエキゾチズムに浸りながら、また、東洋に旅をしながら、また、自らの人生を歩みながら、ヘッセの前「シッダルタ」的な人生が進んでいたことを、ここで確認できれば、十分だろう。

 そもそも当ブログが、ここで再びヘッセ追っかけを復活させたのは、当ブログにおける、想定外の「定本」たちのなかに、「シッダルタ」が入っていたからだった。もちろん、大好きな小説であるし、ヘッセを思うなら、この小説をはずすことはできないが、他の代表作を差し置いて、当ブログにおいて、このタイトルだけで検索されるアクセス数の多さにびっくりし、再読しようと思い立ったのだった。

 しかし、「シッダルタ」もまた、単体として読まれるよりも、ヘッセの人生の中のひとつの場面として読まれたほうが正しい読まれ方だろうと思う。だから、再読するには、この新しい「ヘルマン・ヘッセ全集」の中で読まれた方が、全体が見渡せるのではないか、と思うようになった。

 さて、本日、googleからのアクセスを集計していて、数量的にベスト50を抜き書きしてみたので、アップしておく。一タイトルだけでのアクセス数と、複数のタイトルをまとめたものとが混在しているので正確ではないのだが、いつも訪問してくれているユニーク・アクセスなどのカウントは入っておらず、つまりは、検索サイトからの「一見」さんが、当ブログへ漂着する確率の問題である。

 登場頻度が高いゆえにOshoがトップにくるのは仕方ないとしても、グルジェフやスーフィーが、これだけ高位にくるとは思ってみなかった。茂木や1Q84、オバマは、ブームだから仕方ないとしても、一タイトルとして、「シーシュポスの神話」や「シッダールタ」、「ゴドーを待ちながら」がこれほどアクセス数が多いことに、正直驚いた。そして、目立っていた割には「聞け!小人物よ」はそれほど多くはないことに、気付いた。ライヒよりはるか上位にフロイトはランクされている。

 今後、当ブログは、主にこれらのキーワードで展開していくことになるだろう。なお、「テラ・フォーミング」や他のいくつかのキーワードは、当ブログとしては、なかなか展開軸にならないのではないか、という判断から、このリストからは、最初からはずした。

当ブログ、想定外の「定番本」たち、その2

OSHO
グルジェフ
茂木健一郎
スーフィー
1Q84 
オバマは何を変えるか
シーシュポスの神話
シッダールタ
フロイト 精神分析
ゴドーを待ちながら
カモメのジョナサン
タゴール詩集
トルストイ
山上の垂訓
カラマーゾフの兄弟
二入四行論
臨済録
中観思想
ツルゲーネフ父と子
マルティン ブーバー
シークレット・ドクトリン
地球人スピリット
荘子
バガヴァッド・ギータ
聞け!小人物よ
トマスの福音書
コーラン
ふしぎの国のアリス
易経
列子
イソップ寓話
カビール
信心銘
アウグスティヌス
精神的マスナヴィ
ホイットマン
ソロモンの歌
ヒンドゥー
林語堂
六祖壇経
ZEN FLESH
聖なるマトリックス
ほびっと 戦争を・・・
サイコシンセシス
禅家語録
ガンジー
世界政府
論理哲学論考
アウローラ
ギータゴヴィンダ

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2009/12/04

青春は美し ヘッセ

Photo

「青春は美し」 ジュニア版・世界の文学 4
ヘルマン・ヘッセ (著), 小林 与志 (イラスト), 高橋 健二 (翻訳)1967/01  金の星社 -: 268p
Vol.2 No850 ★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 なんとも甘い、情緒豊かなヘッセお得意の、情緒にあふれた、青春モノにして望郷モノ。スィートな純愛路線。短編であるだけに、なお、一気に甘酸っぱい世界へと誘われる。青春モノだが、発表されたのはヘッセが39歳の時だし、その後も細かく手が入れられたようなので、必ずしも、「若い時」の作品とは言い難い。それだけに完成度は高いが、どこか完全に物語として作られている。

 この本にはこの作品のほかに、「ラテン語学校生」、「旋風」、「大理石材工場」など全6作品が収録されているが、今回は割愛。これらは後で「全集」の中で読もう。世界文学、ジュニア版であるだけに、漢字にはルビがふってあり、ところどころに情緒豊かなイラストが添えられていて、とかく小説をせっかちに読む癖のある私には有難い。ジュニア向けだけに、どこか清潔だ。

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クヌルプ ヘッセ

クヌルプ (新潮文庫)
「クヌルプ」 
ヘッセ (著), 高橋 健二 (翻訳)1970/11 新潮社 130p
Vol.2 No849 ★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 クヌルプは言った。「人間はめいめい自分の魂を持っている。それをほかの魂とまぜることはできない。ふたりの人間は寄り会い、互いに話しあい、寄り添いあっていることはできる。しかし、彼らの魂は花のようにそれぞれその場所に根をおろしている。どの魂もほかの魂のところに行くことはできない。行くのには根から離れなければならない。それこそできない相談だ。花は互いにいっしょになりたいから、においと種を送り出す。しかし、種がしかるべき所に行くようにするために、花は何をすることもできない。それは風のすることだ。風は好きなように、好きなところに、こちらに吹き、あちらに吹きする」p64

 「その男ゾルバ」がニコス・カザンザキス作のひとつの人物像だとすると、「クヌルプ」はヘッセがつくった象徴的なひとつの人物の典型だ。放浪者とか、ボヘミアンとか、根なし草とか、いろいろ当てはめてみるが、ぴったりした言葉はない。クヌルプはクヌルプだ。いまなら、ヒッピーとか、フリーターとか、近そうなイメージを考えてみるが、どれもあてはまらない。

 ヘッセのこの小説が書かれたのは、1908年。ヘッセ30歳の時。「郷愁」「車輪の下」の青春の彷徨から、次第に離れ、「シッダルタ」「ガラス玉演戯」などへ昇華していく前の、青年としてのヘッセの、若々しいが、淡い存在としての一つの人間像が描かれている。

 当ブログは、現在、フロイト、ヘッセ、グルジェフのトリニティについて考えている。ヘッセは、フロイトやユングゆかりの精神分析家によって精神療法を受けたことがあるという。その成果は小説「デミアン」に著されているという。逆に、ヘッセは別なところで「ヤーコブ・ベーメの召命」を描いている。こちらは、ヘッセとグルジェフの間あたりに位置するものか、と思案中。だとするなら、フロイトとグルジェフをつなぐ間に存在するのはウスペンスキーあたりか。

 そんな全体像を考えながら、ヘッセその人の人物と作品の流れを考えてみる。ヘッセは30代にしてインドに旅している。それは「インドから」の一連の手紙に表現されているが、この旅がいずれヘッセに「シッダルタ」を書かせるきっかけのひとつになったことは間違いないだろう。

 「いいかい」と神さまは言った。「わたしが必要としたのは、あるがままのおまえにほかならないのだ。わたしの名においておまえはさすらった。そして定住している人々のもとに、すこしばかり自由へのせつないあこがれを繰り返し持ちこまねばならなかった。わたしの名においておまえは愚かなまねをし、ひとに笑われた。だが、わたし自身がおまえの中で笑われ、愛されたのだ。おまえはほんとにわたしの子ども、わたしの兄弟、わたしの一片なのだ。わたしがおまえといっしょに体験しなかったようなものは何ひとつ、おまえは味わいもしなかったのだ」p116

 ヘルマン・ヘッセ追っかけを再スタートしたところだが、その作品はたくさんありすぎて、どうも収拾がつかない。まぁ、気になるところから順不同でつまみ食いを続けていくしかないかな。当ブログでの集約点は「シッダルタ」になるのだろうが、個人的には「ガラス玉演戯」は何度でも読んでみたい。それにしてもコスモポリタン、ヘルマン・ヘッセの作品はシンプルではあるが、数的には膨大にある。絵も素晴らしい。

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2009/12/03

オバマは何を変えるか<2>

<1>よりつづく

オバマは何を変えるか (岩波新書)
「オバマは何を変えるか」 <2>
砂田 一郎 (著) 2009/10 岩波書店 新書: 223p

 今年も押し迫ること一ヵ月足らずとなった。なにかと一年間の総括を迫られる季節になったが、当ブログでも、この一年間のソーカツをいろいろな角度から試みている。楽天ブログにおいてはあまりできなかったアクセスログ解析が、こちらのniftyとgoogle併用で、万全とは言えないが、かなり成果が上がっている。

 その中でもかなり驚いているのが、この「オバマは何を変えるか」へのアクセス数の多さだ。この新書本について触れたのは一回きりだったし、それほど気のきいたことも書いてはいない。内容の濃い本なのに、その内容そのものにも触れていない。

 しかもだ、当ブログは、おっとり刀で、遅ればせながら、他のオバマ関連本にも複数触れている。にも関わらず、なぜか、このところ、オバマ本と言えば、この本へのアクセスが集中している。

 その理由はいくつかある。ひとつは、この本がひょっとすると、かなり人気の高い本で、検索自体の数が多く、そのおこぼれが当ブログにもやってくる、ということ。それはあり得る。ましてや、この本はオバマ本としては、最新刊ということになる。

 しかし、逆に、この本はあまり人気がない、ということも、当ブログへのアクセスが増えている原因にもなり得る。というのは、その検索リンク元はほとんどがgoogleなのだが、見てみると、なんと、この本のタイトルでは、当ブログが第3番目にランクされている。1位と2位はamazonあるのは当然としても、ランクアップするような他のサイトが少ないのかもしれない。そう考えてみると、当ブログが上位に来ることもあり得ることになる。

 いずれにせよ、これは検索サイトの「いたずら」による結果であると言える。少なくともそこに原因は求めることができる。もともと、この記事を書いたときも大した思いで書いたわけではなかったし、その証拠に、一週間ほどは、ほとんどアクセスがなかった。

 にもかかわずその後に知りあがりにアクセス数が増えたということは、この検索サイトのランクがあがったことによるところが大いに考えられる。そして、アクセスが増えれば、さらにランク上位にとどまる可能性が高くなるという「悪」循環(笑)が続いているのだろうと思う。

 そんなわけで、もう一度、この本を借り出して眺めているところだが、このタイトルそのものには相当に興味を持つが、各論的には、当ブログでこまかく追いかけていくような代物ではにないと考えている。AIGにせよ、保険にせよ、議会にせよ、さまざまな「難」問題を解くのは、オバマ本人があたればいいだろうし、アメリカ国民の問題であることも多いからだ。

 しかし、そう言いつつも、気になることが一つある。それは「オバマは何を変えるか」というタイトルの中に、どこか高みの見物的な、我関せず的な、無責任な野次馬根性が見えているとすれば、それは由々しき問題になりかねないと思う。

 オバマの「Change」は、たしか「Yes We Can」であったはずだ。「変える」のは「私たち」なはずなのだ。本来であれば、この本のタイトルは「私たちは何を変えるか」にならなければならなかったはずだ。もっとも、この本を書いているのは、アメリカ政治を専門とはしているものの、アメリカ国民ならぬ、日本人学者である。「We」の中に入っているかどうかさえ、あやしい領域だが、しかし、オバマひとりに「期待」するような風潮があるとすれば、それは再考しなければならない重要な課題であると思える。

 最近、アフガニスタンへの増兵を発表したばかりのオバマであるが、その決断は、決してオバマひとりで行われているわけではない。さまざまな潮流のバランスの上で、象徴的にオバマがそのような発表をしているに違いないのだ。

 私たちは、どのような世界を望むのか。私たちには、何ができるのか。それが地域的なことや、国内的なことにとどまる場合もあるだろうし、国際的に協調しながら、世界中のひとりひとりが行わなければならないこともたくさんある。1人の地球人として、「私は何を変えるのか」、「変えたい」のか、そこを明確にする必要がある。

 もちろん、この地球上における、表面上のもっとも強大な権力は、アメリカ大統領であろう。そのポジションにあるバラク・オバマは、希望してそのポジションについた限り、その任務を全うしなければならないし、その決断の結果についても十分に責任をとる必要がある。

 しかし、そのこととは別に、地球上における私たちひとりひとりも、それ相応の「任務」と「責任」を感じ取る必要がある。いや、民主主義を標榜する政治の形態ならば、むしろ、「私たち」がその方向性を決定し、実務的なところは、担当者に任せる、という態度をとる必要がある。

 「オバマは何を変えるか」というキーワードで検索数が増えることは、最初は嬉しかったが、だんだん不思議に思いだし、今では、もっと毛色の違った言葉、つまり「私たちは何を変えるか」というキーワードで当ブログへのアクセスが増えることを願うようになった。

 もちろん、そのためには、当ブログ自体が「何を変えるのか」、「何を変えたいのか」、明確に、具体的に、相互的に、示していく必要がある。

 

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書くだけで30kgやせました

書くだけで30kgやせました
「書くだけで30kgやせました」
大橋健 2009/09 宝島社 新書 189p
Vol.2 No848 ★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★☆☆

 「いつまでもデブと思うなよ」「脱デブ」のイミテーション版のような雰囲気もないではないが、いくつかの違いがある。この本が決してイミテーションでないことは、この「体験」がすでに96~97年頃にあったこと。そして、書いている本人が現役の医師であること。さらには、現在店頭に並んでいる新刊である、ということも特筆すべきであろう。

 いや、いかに新刊とは言え、リクエストしてから一ヵ月以上も経過して、せっかくヘルマン・ヘッセの青春の彷徨へ、さぁ、旅立たん、というタイミングに図書館から届いたりしたものだから、なんともバツが悪い。いっそ無視しようかな、とも思ったが、いや、この本もまた、タイトルから受けるイメージほど、ふざけた本ではない。結構真理を突いているように思う。

 そもそも、50キロとか30キロとか痩せる、ということ自体、異常なことである。それだけ太っていたということで、なかなか相撲取りでなければ、これほど太っている人を見ることは少ない。そもそも115キロとか117キロとかまで太るということは、本当に大変だ。少なくとも、私には無理だ。ある程度までいくと、下痢が起こるか、体のあちこちに異常がでだす。

 岡田斗司夫・本にしても、この本にしても、結局は、食べたものと体重を、「がんばらない」と「あきらめない」精神で記録し続けることにある。自分自身の体験から言ってもこれは本当だと思う。もうすでに10年前に体験済みだ。その効果は十分知っている。しかし、記録を止めると、3キロ、5キロ、10キロ、とすぐ戻ることも体験的に知っている。

 やせる数値目標を持つのではなく、ただ「食べたもの」と「体重」を記録するだけ。ここがポイントだ。そして「がんばらない」、「あきらめない」ことが肝心だ。体の動かし方やカロリーについて書いていないこちらの本は、岡田本に比べてもかなり過激だ。ただ「書くだけ」だ。しかし、やっぱりそれでも効果はあるだろう。

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ルバーイヤート<2> オマル・ハイヤーム

<1>よりつづく

ルバーイヤート
「ルバーイヤート」 <2>
オマル・ハイヤーム /岡田恵美子 2009/09 平凡社 全集・双書 197p
Vol.2 No848 ★★★★☆ ★★★★★ ★★★★★

 少しだけできた時間に、通りかかった図書館に立ち寄り、眼についた何冊かの本を借りてきて、傍らにおいておいた。最初、この本を手に取った時は、へぇ、ルバイヤートにはこんな本もあるのか、と思った程度だった。しかし、こうしてゆっくり開いてみれば、なんとこの9月に出たばかりの新刊であった。

 11~12世紀の人、オマル・ハイヤームを21世紀の今日、新刊で読めるとは幸せである。いままで出てきた定本よりも、厳選され、より源泉に近い句が新訳で収められている。翻訳者が女性であることも、喜ばしい。

 われらが来て、立ち去っていくこの世には、
 始まりも終わりも見えはしない
 ここでは誰ひとり正しくいえる者はいない、
 どこから来て、どこへ行くかと。
p27

 かつてOshoは、このルバイヤートを絶賛しながら、私たちは、世界中にバー「オマル・ハイヤーム」を持つようになるだろうと、「預言」したことがある。その預言は忘れ去られたのか、これから成就するのか知らないが、オマル・ハイヤームの「酒」はまた、格別だ。

 酒をのもう。天はわれらを滅ぼすために、
 君やわたしの清い魂を狙っている。
 さあ、若草の上にすわって美酒をのもう。
 君やわたしの土から、やがて草が生えてくるのだ。
p99

 オマル・ハイヤームの「酒」は、苦悩の中の、感性を麻痺させるためのペシミステッィクな酒ではない。この世を歌い、賛美するための、感性を豊かに花咲かせるオプティミズムに満ちた美酒だ。

 酒をのみ、愉しみを得るわが信条。
 信仰にも異端にも耽らぬわが宗旨。
 浮世という花嫁に「お前の結納金として何が欲しい」と問えば、
 「あなたの心の愉悦(よろこび)と答えてきた。
p112

 彼にとっては、「酒」とは象徴でもある。それは神のことでもある。

 迷いの道から信仰まで、ただの一瞬、
 疑惑の世界から確信まで、ただの一瞬、
 かくも尊い一瞬を楽しむようにせよ、
 この一瞬のうちにこそ、われらの人生の結晶がある。
p145

 生前、科学者として知られたオマル・ハイヤームは、たくさんの四行詩を遺したが、決して「詩人」としては知られていなかった。彼が知られるようになったのは、19世紀になって西洋に翻訳されるようになってからであった。

 酒をのめ、これこそが永遠の生命、
 青春の果実なのだ。
 バラと、酒と、友の酔う季節に、
 幸福のこの一瞬を味わえ、これこそが人生。
p163

 ヘッセの「車輪の下」で、主人公ハンス・ギーベンラートが飲んでいた酒とは、かなり趣がちがう。

 ハイヤームよ、酒に酔うなら、楽しむがよい。
 チューリップの美女と共にいるのなら、楽しむがよい。
 この世の終わりはついには無だ。
 自分は無だと思って、いま在るこの生を楽しむがよい。
p167

 街のあちこちに隠れた、バー「オマル・ハイヤーム」から、賑やかな酔客たちの歌が聞こえてきそうだ。

<3>につづく

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2009/12/02

車輪の下 ヘルマン・ヘッセ

車輪の下 (新潮文庫)
「車輪の下」
ヘルマン・ヘッセ (著), 高橋 健二 (翻訳) 1951/11 新潮社 文庫: 234p
Vol.2 No847 ★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 ハンスは校長が差し出した右手に自分の手をのせた。先生は彼をよそ行きの優しさでじろじろ見ていた。
 「それじゃ結構だ。疲れきってしまわないようにすることだね。そうでないと、車輪の下じきになるからね」
p122

 「シッダルタ」「ガラス玉演戯」と並ぶヘッセの最も有名な小説のひとつ。自伝的小説として語られる。彼の青春の惑いが、この小説のなかに象徴的に語られている。

 前半部分は、あまりにも優等生過ぎるので、思春期のティーンエイジャーが読めば、そのかけ離れたエリートの姿に辟易をするに違いない。ほとんどは、その前半部分で嫌気がさしてしまうのではないだろうか。

 かくいう自分もたしか15~6歳の時にこの小説を手に取ったが、読みとおした記憶がない。内容は知っていたが、ここまで克明な描写を追いかけ続けるほど、思春期の自分は精神的な余裕がなかった。

 しかし、中年期も過ぎ、もはや老年の域に達しそうな時期にまたこの小説を手にとることになった。今度の自分は、だいぶ忍耐強くなったと思われる。なにせ、この小説ばかりか、一通り、ヘルマン・ヘッセを読みとおしてみようじゃないか、という意気込みで、一冊ずつ手にはいるところから読み始めたところなのだから。

 後半部分は、むしろ、前半部分の輝かしい光を真逆に暗転させた漆喰の手さぐり状態が描かれだされる。こちらもまた、思春期の読者には酷というほど、克明に書かれている。小説途上に出てくる酒場などのシーンもなじみ深いものだが、私なら、泥酔することによって、自らの感性を麻痺させ、一切を放棄することによって、自らの精神の安全弁を開くに違いない。

 ヘッセは、主人公ハンス・ギーベンラートの命を、若いまま終わらせてしまう。29歳のヘッセは、自らの青春時代との決別のために、ハンスをここで「見限った」のかもしれない。一度、終わらせなければ始まらない人生というものがある。

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2009/12/01

郷愁 ペーター・カーメンチント

郷愁―ペーター・カーメンチント (新潮文庫) 
「郷愁―ペーター・カーメンチント」 
ヘッセ (著), 高橋 健二 (翻訳) 1956/08 新潮社文庫 200ページ
Vol.2 No846 ★★★☆☆ ★★★★★ ★★★★☆

 ヘッセは若い時から習作を繰り返していたから、これを処女作というのはおかしいが、世にでたのはこの小説が27歳のときに初めて大きな話題になったからであった。青年らしい感受性とともに、その精神的彷徨を描いており、主人公のペーター・カーメンチントと、ヘッセその人とは、まったく同一ではないにせよ、重なる部分が多くある。

「あなたは詩人です」
 そう言われると、私は赤くなり、腹だたしくなったが、同時に、どうして彼がそれを見抜いたのか、と驚いた。
 「いや」と私は大きな声で言った。「ぼくは詩人なんかじゃない。なるほど学校で詩を作ったことはあるけれど、いまではもう久しく、まったく作っていません」
 「いつか見せてもらえますか」
 「焼いてしまいました。たとい持っていたとしても、見せるわけにはいかないでしょう」
 「きっと非常にモダーンなもので、多分にニーチェばりだったでしょうね?」
 「それはなんですか」
 「ニーチェのことですか、おやおや、あなたはニーチェを知らないんですか」
 「知りません。知るわけがありませんよ」
p51

 1900年代に突入したばかりであったので、ニーチェの名前もそれほど大きな動きにはなっていなかったのかも知れない。 

 私は多くの人からおおいに学ぶことができた。あらゆる方面からの知識を私は断片的に覚えた。私はそれを補い、かたわらさかんに読書した。こうして私は徐々に、なにが時代のもっとも活動的な頭脳を悩まし捕えているかについて、ある観念を得るようになった。そして精神的なインターナショナルに対し、有益な刺激的な透察を持った。p53

 志ざしを高く持った主人公ペーター・カーメンチントが、都会にでて、ひとつひとつ学んでいく姿が語られる。

 私は、全史や歴史的方法に関する著作のかたわら、とくにイタリアやフランスにおける中世後期の時代に関する資料や個別研究を読んだ。そのときはじめて私は、およそ人間の中で愛する人物、アシジの聖フランシスを、あらゆる聖者の中でもっとも祝された神々しい聖者を、詳しく知るようになった。p55  

 アシジの聖フランシスについては、この小説全編の基調のように、ベース音として、静かに流れている。

 今日のこれらの人々の心の中では例外なく、どんなに大きなあこがれが救いを求めて叫び、どんなに奇異な道に彼らを導いているかが、ときおり私の注目を引いた。神を信じることは、愚かしい、不見識なこととされた。しかし、そのほかでは、さまざまな教えや名前、たとえばショーペンハウアー、仏陀、ツァラツストラ等々が信じられた。若い無名の詩人で、典雅な住居に立像や絵画をまつっておごそかな礼拝を行っているものもいた。彼らは、神の前に頭をさげることを恥じながら、オトリーコリのジュピター像の前にはぬかずいた。節制によってみずからを苦しめ、鼻もちならぬ身なりをしている禁欲主義者もいた。彼らの神の名は、トルストイ、あるいは仏陀であった。p79

 この文章が1900年初頭に描かれたことに驚く。まるで、いつの時代でも、青年を迎える都会の刺激は、まったく変りのないもののようでもある。

 あの晩、私はボア(森)の中にひとり腰をおろして、自分はパリを去るべきか、それともむしろすぐに人生そのものを去るべきか、考えこんだ。そのうち久しぶりで、自分の生活を脳裏に繰り返してみて、死んでもたいして失うところはない、という結論に達した。p93

 「ヘルマン・ヘッセを旅する」の中の、ヘッセが用意したという自殺用のピストルの画像を思い出した。この青春に特有のナルシズムとペシミズム。この感性は、中年期や晩年期のヘッセにも、どこか通じるところがある。

 私は話しながら、そして彼女がじっと黙って傾聴してくれるのをうれしく思いながら、彼女を観察し始めた。彼女のまなざしは私の顔にそそがれ、私のまなざしを避けなかった。彼女の顔は実に静かで、余念がなく、注意のため少し緊張していた。まるで子どもが私の言うことを聞いているようだった。いや、そうではなくて、おとなが傾聴しているうちにわれを忘れて、知らず知らず子どものまなざしになっているようだった。観察しているあいだに、私は徐々に邪心のない発見者の喜びをもって、彼女が非常に美しいことを発見した。107p

 青年は、恋をする。そして、それと隣り合わせの陥穽を覗き込む。

 私のもひとつの悪徳のほうがずっといけなかった。私は人間がどうも好きになれず、隠者のように暮らし、人間のことに対してはいつもあざけりとけいべつを用意していた。p114

 ヘッセを読んでいると、忘れかけていた自分の二面性を思い出す。二面性というより、表面的な日常的な自分に対する、長い間、押し込められた、趣味性に富んだ、わがままなマグマのような地響きだ。どこかに噴出しようとしても出口が見つからず、噴出しないまま熱を失い固まりつつある、いびつな自分。なにか別な本当に自分らしい形を欲していたはずの冷えたマグマが、わずかに残っている熱情によって首をもたげてくるような、不思議な感覚だ。

 コンラートおじは、長年鳴りをひそめていたが、最近また事業熱にとりつかれて、興奮している。私にはおもしろくない。おじはたえず人さし指を口にくわえ、額に思案のしわを寄せ、部屋の中をちょこちょことせわしなく動きまわっている。天気がよければ、しきりに湖水を見わたしている。「どうやらまた舟でも造ろうっていうんだよ」と彼のツェンチーネばあさんが言った。実際彼は近年になく元気に張り切っているように見える。こんどこそはどう始めなければならないかが、ちゃんと、わかっているような、抜けめのない得意の表情を顔に浮かべている。だが、物にはなりはしない、彼の魂がまもなく故郷に帰るために、いま翼を求めているだけだ、と私は思う。p184

 1904年、27歳のヘッセがここにいる。そして、この青年は、中年になって「デミアン」や「シッダルタ」を書き、老年になって「ガラス玉演戯」を書いた。ヘルマン・ヘッセという魂の、周囲は時の移ろいとともに変化していったが、本当のところ、ヘルマン・ヘッセという魂は、その死を迎えるまで、ずっとひとつだったのではないか。時代とともに表現や噴出の仕方に変化はあれど、この世にあったわずかな期間に、彼の命のともしびは、かすかにだが、確実に燃え続けていた。 

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