車輪の下 ヘルマン・ヘッセ
「車輪の下」
ヘルマン・ヘッセ (著), 高橋 健二 (翻訳) 1951/11 新潮社 文庫: 234p
Vol.2 No847 ★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆
ハンスは校長が差し出した右手に自分の手をのせた。先生は彼をよそ行きの優しさでじろじろ見ていた。
「それじゃ結構だ。疲れきってしまわないようにすることだね。そうでないと、車輪の下じきになるからね」p122
「シッダルタ」、「ガラス玉演戯」と並ぶヘッセの最も有名な小説のひとつ。自伝的小説として語られる。彼の青春の惑いが、この小説のなかに象徴的に語られている。
前半部分は、あまりにも優等生過ぎるので、思春期のティーンエイジャーが読めば、そのかけ離れたエリートの姿に辟易をするに違いない。ほとんどは、その前半部分で嫌気がさしてしまうのではないだろうか。
かくいう自分もたしか15~6歳の時にこの小説を手に取ったが、読みとおした記憶がない。内容は知っていたが、ここまで克明な描写を追いかけ続けるほど、思春期の自分は精神的な余裕がなかった。
しかし、中年期も過ぎ、もはや老年の域に達しそうな時期にまたこの小説を手にとることになった。今度の自分は、だいぶ忍耐強くなったと思われる。なにせ、この小説ばかりか、一通り、ヘルマン・ヘッセを読みとおしてみようじゃないか、という意気込みで、一冊ずつ手にはいるところから読み始めたところなのだから。
後半部分は、むしろ、前半部分の輝かしい光を真逆に暗転させた漆喰の手さぐり状態が描かれだされる。こちらもまた、思春期の読者には酷というほど、克明に書かれている。小説途上に出てくる酒場などのシーンもなじみ深いものだが、私なら、泥酔することによって、自らの感性を麻痺させ、一切を放棄することによって、自らの精神の安全弁を開くに違いない。
ヘッセは、主人公ハンス・ギーベンラートの命を、若いまま終わらせてしまう。29歳のヘッセは、自らの青春時代との決別のために、ハンスをここで「見限った」のかもしれない。一度、終わらせなければ始まらない人生というものがある。
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