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2009/12/05

インドから ヘッセ

ヘルマン・ヘッセ全集 (7)ゲルトルート・インドから・物語集5(1912-1913)
「ヘルマン・ヘッセ全集 (7)」 ゲルトルート・インドから・物語集5(1912-1913) ヘルマン・ヘッセ (著), 日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会 2006/07 臨川書店 単行本: 383p
Vol.2 No851 ★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 ヘッセは1911年にペナン、シンガポール、南スマトラ、セイロンへの3カ月をかけた旅をしている。ヘッセ34歳の時。その時の印象をエッセイとしてまとめた短文23編が2011~13年に発表され、それらがひとまとめになって、「インドから」という作品になっている。

 ヘッセとインドとの関係は深い。インドは祖父や父が伝道師として滞在し、母の生まれ故郷であった。位にはインドに関する書物や産物などが豊富であり、そのエキゾチックな雰囲気に接しながらヘッセは育ったのだった。子供のころからの憧れの地であったインドが旅の目的地になったことは極めて自然なことであり、ヘッセはそこに多くの希望を抱いたことだろう。p376

 この7巻には、「インドから」のほかに、「ローベルト・アギオン」、「いいなずけ」が収録されており、いずれもこのこの旅行から生まれたものであるとされているが、今回は割愛した。少なくとも、この時点では、ヘッセはインドそのものには行っておらず、その周辺から「インド的」なものを味わったということになる。あるいは「インド的」なものとは、「アジア的」なものでもあっただろう。だがそのアジア的なものの中には、大きくインドと中国が入っているが、どうも100年前の日本はまだまだ弱小で、ヘッセの目にも矮小に映っていたかのようだ。

 日本人の売春婦が排水溝の石の縁にうずくまって座り、太った鳩のように甘えた声で媚を売っている。p190「アジアの夜」

 それから日本人の店の1つ入るだろう。ここはぺてんが最も横行しているので、銀も陶器も、絵画も木彫りも買わず、価値のない小さなお遊びの品物をたくさん買う。p197「目の保養」

 日本人の歯科や中国人の高利貸しが、ドイツ中都市の一番趣味の悪い通りにならびぴったり合うような家を建てている。p203「建築」

 花柄の日本の浴衣を着たイギリスの年老いた高級船員が水色の目を輝かせて私を見つめて、こう言った。p206「シンガポールの夢」

 この哀れなマレー人たちはヨーロッパ人や中国人や日本人のように、主人としてこういう仕事を営むことは決してないのだ。p214「ペライアン」

 だがこれらのどれよりも、私にとっていとおしく貴重なものとは、あらゆる人間が本質的に一体であり近しいものであるという強い思いである。私はそれをインド人、マレー人、中国人、日本人に接して感じ取ったのだ。p237「帰還」

 こうしてみると、ヘッセの30代の目からは、日本はあまりよく思われていない。いや、決して日本ばかりではなく、インドや中国、あるいは自らのドイツや、ヨーロッパについても、常に批判的な目を持っているヘッセではある。これらのエッセイ達は、足掛け3年に渡って書かれているし、その後にも手が入れられている可能性があるし、ましてや100年後の翻訳として読んでいるわけだから、ヘッセそのものの当時の生の感性からは、いくらかは外れているかもしれない。

 しかし、当ブログがここで読んでおきたかったのは、ヘッセがどのような形で「シッダルタ」に至ったのか、ということだった。もともとインド的なエキゾチズムに浸りながら、また、東洋に旅をしながら、また、自らの人生を歩みながら、ヘッセの前「シッダルタ」的な人生が進んでいたことを、ここで確認できれば、十分だろう。

 そもそも当ブログが、ここで再びヘッセ追っかけを復活させたのは、当ブログにおける、想定外の「定本」たちのなかに、「シッダルタ」が入っていたからだった。もちろん、大好きな小説であるし、ヘッセを思うなら、この小説をはずすことはできないが、他の代表作を差し置いて、当ブログにおいて、このタイトルだけで検索されるアクセス数の多さにびっくりし、再読しようと思い立ったのだった。

 しかし、「シッダルタ」もまた、単体として読まれるよりも、ヘッセの人生の中のひとつの場面として読まれたほうが正しい読まれ方だろうと思う。だから、再読するには、この新しい「ヘルマン・ヘッセ全集」の中で読まれた方が、全体が見渡せるのではないか、と思うようになった。

 さて、本日、googleからのアクセスを集計していて、数量的にベスト50を抜き書きしてみたので、アップしておく。一タイトルだけでのアクセス数と、複数のタイトルをまとめたものとが混在しているので正確ではないのだが、いつも訪問してくれているユニーク・アクセスなどのカウントは入っておらず、つまりは、検索サイトからの「一見」さんが、当ブログへ漂着する確率の問題である。

 登場頻度が高いゆえにOshoがトップにくるのは仕方ないとしても、グルジェフやスーフィーが、これだけ高位にくるとは思ってみなかった。茂木や1Q84、オバマは、ブームだから仕方ないとしても、一タイトルとして、「シーシュポスの神話」や「シッダールタ」、「ゴドーを待ちながら」がこれほどアクセス数が多いことに、正直驚いた。そして、目立っていた割には「聞け!小人物よ」はそれほど多くはないことに、気付いた。ライヒよりはるか上位にフロイトはランクされている。

 今後、当ブログは、主にこれらのキーワードで展開していくことになるだろう。なお、「テラ・フォーミング」や他のいくつかのキーワードは、当ブログとしては、なかなか展開軸にならないのではないか、という判断から、このリストからは、最初からはずした。

当ブログ、想定外の「定番本」たち、その2

OSHO
グルジェフ
茂木健一郎
スーフィー
1Q84 
オバマは何を変えるか
シーシュポスの神話
シッダールタ
フロイト 精神分析
ゴドーを待ちながら
カモメのジョナサン
タゴール詩集
トルストイ
山上の垂訓
カラマーゾフの兄弟
二入四行論
臨済録
中観思想
ツルゲーネフ父と子
マルティン ブーバー
シークレット・ドクトリン
地球人スピリット
荘子
バガヴァッド・ギータ
聞け!小人物よ
トマスの福音書
コーラン
ふしぎの国のアリス
易経
列子
イソップ寓話
カビール
信心銘
アウグスティヌス
精神的マスナヴィ
ホイットマン
ソロモンの歌
ヒンドゥー
林語堂
六祖壇経
ZEN FLESH
聖なるマトリックス
ほびっと 戦争を・・・
サイコシンセシス
禅家語録
ガンジー
世界政府
論理哲学論考
アウローラ
ギータゴヴィンダ

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