私のホロスコープ ヘッセ
「ヘルマン・ヘッセ エッセイ全集(第2巻)」 省察 2 折々の日記2・自伝と回顧
ヘルマン・ヘッセ /日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会 2009/04 臨川書店 全集・双書 341p
Vol.2 No873★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆
なぜかこの巻にも夢日記がある。1940年のもの。1918年当時の夢日記はラング博士の精神分析を受けるために書いたと思われるが、こちらはなぜ書いたのか分かっていないという。
しかし、よくよく考えてみれば、分析を受けるために夢日記を書く、という行為よりは、単に夢を記録しておく、という行為の方がより当たり前な行為に思える。そして、記録なんかせずに、夢を夢としてみる、というほうがより自然で人間的だ。
分析など糞食らえだ、などと言ってしまっては実も蓋もないが、分析したからといって、なにかが分かるというものでもない。この巻には、ヘッセが「シッダルタ」や「ガラス玉遊戯」などを書いた当時の日記やエッセイが詰まっている。
小説ばかりではなく、その背景や本音を知っておくのも、悪くない・・・・だろうか。う~~ん、むしろ邪魔になることもあるのではないか。ヘッセを知るにはヘッセの小説を読めば済むことではないか。そしてヘッセを読むとは、自己を読む、ということに繋がっていくべきだ。ヘッセについて、微に入り細に入り知ることが、一体どこまで真理の探究につながるものだろうか。
中段に「私のホロスコープ」という文献がある。ヘッセの誕生日を基に、細かい星々についてのデータが書いてある。もっとも現代なら、パソコンがあるのだから、生まれた時間と場所さえあれば、誰でもホロスコープは作ることができる。それを一定程度の紋切り型で「分析」し、「理解」することもできる。しかし・・・。
私もホロスコープをもとにカウンセリングをすることがある。特にそれだけを希望してやってくるクライエントもいる。結構、人気が高い。というのもよく「当たる」からだ。いや、話している自分もびっくりするくらいよく「当たる」。とくに人間関係や恋占いなどは実によく当たる。ズバリだ。ウソと思うなら、希望者はぜひとも私の恋占いカウンセリングを受けてみるべきだ。
しかし・・・、と思う。星占いで、相性を占ったり、人生を占ったりするのは、後回しでいいだろう。とにかく「生きて」みることが先決だ。なんのチャートもなしに、まずはどっぷりと人生の中に入っていくべきだ。そして、なにかのおりに、ああそうだったのか、という程度に振り返る時に、ホロスコープが役立つくらいでちょうどいいのだ。
「わがまま」p239という文章もある。これはヘッセの最新刊「わがままこそ最高の美徳」の中に収められている文章だ。なるほど、ふたつの文章を並べてみると、おなじ原文があるはずなのに、日本語になるとかなり翻訳のしかたが違う。どちらがどうということもないが、これだけバリエーションがある、ということだけは覚えておこう。
ただ、「ガラス玉<演戯>」なのか「ガラス玉<遊戯>」なのかという逡巡と同様に、あまり仔細にこだわるのは当ブログらしくない。ヘッセが言わんとしたことをそのまま受け止め、ひいては自分を理解するすべとなれば、それで足りるはずだ。
まぁ、それぞれ好みがあるだろうし、これがベストなヘッセの味わい方だ、という決まりがない限り、トッピングの材料が多いに越したことはないが、すべての材料を使い果たさなければならない、というものでもないだろう。
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