精神分析の夢日記 ヘッセ
「ヘルマン・ヘッセ エッセイ全集」〈1〉 省察1―折々の日記1・夢の記録
日本ヘルマンヘッセ友の会研究会 (翻訳) 2009/02 臨川書店 単行本: 340p
Vol.2 No872 ★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆
「ヘッセ全集」全16巻が完結し、続いて「エッセイ全集」全8巻の第一巻。なんと言ってもこの巻で留意しておくべきことは、ページ数にして半分以上ある「1917年・1918年の精神分析の夢日記」だろう。この日記のタイトルはフォルカー・ミヒェルスが付けた仮題で、当時精神分析療法を受けていたラング博士に見せるために書かれたもの、とされる。二人の対話療法は72回にのぼった(p318)という。
夢は私もよく見る。子ども時代や若い時分などは、私にとっては「寝る」ということは「夢を見に行く」ことを意味していた。たくさん夢を見た。数限りない。かなり特徴的な夢も観て、確かにある時期は私も夢日記を書いていた。
しかし、ある程度日記がたまってから、考えた。所詮、夢は夢である。夢を分析していろいろ自分のことを考えようとするのと、生きている現在の自分を分析することと、どれほどの違いがあるのか。ましてや、生きている、ということはマーヤである、という教えだってある。だから、私はある時から夢日記を書かなくなったし、どんな夢を見ても、夢は夢、それ以上にはこだわらなくなった。
だから、ヘッセの夢日記の存在を知ったことは有意義であったが、ヘッセの「夢」だからと言って、有難く読もうとは思わない。所詮、夢は夢である。もっとも、ヘッセの個人史をもっと知りたくなったら、その時は、副読本としてこの「夢日記」は貴重な存在として再登場してくることになるだろう。
また、「岩山で ある『自然児』の覚え書き」は、この全集の中にあって、わずか10ページ程度のエッセイであるが、それを書いた場所について知る意味では貴重な資料と思える。
精神療法の一環として、ヘッセは1907年の3月から4月に賭けてアスコーナ近郊のモンテ・ヴァリスタ(真理の山)に滞在した。sれは現代物質文明を嫌忌する人々がマッジョーレ湖畔の丘陵地に理想的な共同社会を夢みて築いたコロニーであった。自然回帰、菜食主義、裸体文化、神智主義、アナーキズム、ダダイズムなどの雑多な思潮が混在し、ヘッセの他にも、カール・ユング、ゲルハルト・ハウプトマン、バウル・クレー、ルードルフ・シュタイナーなどの著名な文化人が数多く訪れている。p316
このコロニーに滞在したのは短期間であったのだろうから、他の「著名な文化人」たちと直に交流することは少なかっただろうが、その場所に寄せられた理想を共有することで、貴重なネットワークができつつあったことは想像できる。
もっとも、どこかでヘッセは、シュタイナーや神智学には距離をおく発言をしているので、ここから彼のグループへの繋がりを推測することはできない。しかしながら、当時のモダニズムを知る上では、なかなか興味深いいきさつではある。
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