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2009/12/01

郷愁 ペーター・カーメンチント

郷愁―ペーター・カーメンチント (新潮文庫) 
「郷愁―ペーター・カーメンチント」 
ヘッセ (著), 高橋 健二 (翻訳) 1956/08 新潮社文庫 200ページ
Vol.2 No846 ★★★☆☆ ★★★★★ ★★★★☆

 ヘッセは若い時から習作を繰り返していたから、これを処女作というのはおかしいが、世にでたのはこの小説が27歳のときに初めて大きな話題になったからであった。青年らしい感受性とともに、その精神的彷徨を描いており、主人公のペーター・カーメンチントと、ヘッセその人とは、まったく同一ではないにせよ、重なる部分が多くある。

「あなたは詩人です」
 そう言われると、私は赤くなり、腹だたしくなったが、同時に、どうして彼がそれを見抜いたのか、と驚いた。
 「いや」と私は大きな声で言った。「ぼくは詩人なんかじゃない。なるほど学校で詩を作ったことはあるけれど、いまではもう久しく、まったく作っていません」
 「いつか見せてもらえますか」
 「焼いてしまいました。たとい持っていたとしても、見せるわけにはいかないでしょう」
 「きっと非常にモダーンなもので、多分にニーチェばりだったでしょうね?」
 「それはなんですか」
 「ニーチェのことですか、おやおや、あなたはニーチェを知らないんですか」
 「知りません。知るわけがありませんよ」
p51

 1900年代に突入したばかりであったので、ニーチェの名前もそれほど大きな動きにはなっていなかったのかも知れない。 

 私は多くの人からおおいに学ぶことができた。あらゆる方面からの知識を私は断片的に覚えた。私はそれを補い、かたわらさかんに読書した。こうして私は徐々に、なにが時代のもっとも活動的な頭脳を悩まし捕えているかについて、ある観念を得るようになった。そして精神的なインターナショナルに対し、有益な刺激的な透察を持った。p53

 志ざしを高く持った主人公ペーター・カーメンチントが、都会にでて、ひとつひとつ学んでいく姿が語られる。

 私は、全史や歴史的方法に関する著作のかたわら、とくにイタリアやフランスにおける中世後期の時代に関する資料や個別研究を読んだ。そのときはじめて私は、およそ人間の中で愛する人物、アシジの聖フランシスを、あらゆる聖者の中でもっとも祝された神々しい聖者を、詳しく知るようになった。p55  

 アシジの聖フランシスについては、この小説全編の基調のように、ベース音として、静かに流れている。

 今日のこれらの人々の心の中では例外なく、どんなに大きなあこがれが救いを求めて叫び、どんなに奇異な道に彼らを導いているかが、ときおり私の注目を引いた。神を信じることは、愚かしい、不見識なこととされた。しかし、そのほかでは、さまざまな教えや名前、たとえばショーペンハウアー、仏陀、ツァラツストラ等々が信じられた。若い無名の詩人で、典雅な住居に立像や絵画をまつっておごそかな礼拝を行っているものもいた。彼らは、神の前に頭をさげることを恥じながら、オトリーコリのジュピター像の前にはぬかずいた。節制によってみずからを苦しめ、鼻もちならぬ身なりをしている禁欲主義者もいた。彼らの神の名は、トルストイ、あるいは仏陀であった。p79

 この文章が1900年初頭に描かれたことに驚く。まるで、いつの時代でも、青年を迎える都会の刺激は、まったく変りのないもののようでもある。

 あの晩、私はボア(森)の中にひとり腰をおろして、自分はパリを去るべきか、それともむしろすぐに人生そのものを去るべきか、考えこんだ。そのうち久しぶりで、自分の生活を脳裏に繰り返してみて、死んでもたいして失うところはない、という結論に達した。p93

 「ヘルマン・ヘッセを旅する」の中の、ヘッセが用意したという自殺用のピストルの画像を思い出した。この青春に特有のナルシズムとペシミズム。この感性は、中年期や晩年期のヘッセにも、どこか通じるところがある。

 私は話しながら、そして彼女がじっと黙って傾聴してくれるのをうれしく思いながら、彼女を観察し始めた。彼女のまなざしは私の顔にそそがれ、私のまなざしを避けなかった。彼女の顔は実に静かで、余念がなく、注意のため少し緊張していた。まるで子どもが私の言うことを聞いているようだった。いや、そうではなくて、おとなが傾聴しているうちにわれを忘れて、知らず知らず子どものまなざしになっているようだった。観察しているあいだに、私は徐々に邪心のない発見者の喜びをもって、彼女が非常に美しいことを発見した。107p

 青年は、恋をする。そして、それと隣り合わせの陥穽を覗き込む。

 私のもひとつの悪徳のほうがずっといけなかった。私は人間がどうも好きになれず、隠者のように暮らし、人間のことに対してはいつもあざけりとけいべつを用意していた。p114

 ヘッセを読んでいると、忘れかけていた自分の二面性を思い出す。二面性というより、表面的な日常的な自分に対する、長い間、押し込められた、趣味性に富んだ、わがままなマグマのような地響きだ。どこかに噴出しようとしても出口が見つからず、噴出しないまま熱を失い固まりつつある、いびつな自分。なにか別な本当に自分らしい形を欲していたはずの冷えたマグマが、わずかに残っている熱情によって首をもたげてくるような、不思議な感覚だ。

 コンラートおじは、長年鳴りをひそめていたが、最近また事業熱にとりつかれて、興奮している。私にはおもしろくない。おじはたえず人さし指を口にくわえ、額に思案のしわを寄せ、部屋の中をちょこちょことせわしなく動きまわっている。天気がよければ、しきりに湖水を見わたしている。「どうやらまた舟でも造ろうっていうんだよ」と彼のツェンチーネばあさんが言った。実際彼は近年になく元気に張り切っているように見える。こんどこそはどう始めなければならないかが、ちゃんと、わかっているような、抜けめのない得意の表情を顔に浮かべている。だが、物にはなりはしない、彼の魂がまもなく故郷に帰るために、いま翼を求めているだけだ、と私は思う。p184

 1904年、27歳のヘッセがここにいる。そして、この青年は、中年になって「デミアン」や「シッダルタ」を書き、老年になって「ガラス玉演戯」を書いた。ヘルマン・ヘッセという魂の、周囲は時の移ろいとともに変化していったが、本当のところ、ヘルマン・ヘッセという魂は、その死を迎えるまで、ずっとひとつだったのではないか。時代とともに表現や噴出の仕方に変化はあれど、この世にあったわずかな期間に、彼の命のともしびは、かすかにだが、確実に燃え続けていた。 

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