わがままこそ最高の美徳<1> ヘッセ
「わがままこそ最高の美徳」 <1>
ヘルマン・ヘッセ /フォルカー・ミヒェルス 2009/10 草思社 単行本 278p
Vol.2 No855 ★★★★☆ ★★★★★ ★★★★★
この10月に出版されたばかりの本なので、数あるヘッセ本のなかでも、最も新しい本、ということになろうか。尤も、最新刊とはいうものの原本のミヒャルスの「ヘルマン・ヘッセ読本」全6巻のうちの一冊であり、1986年にすでにでている本の翻訳ということになる。
ミヒェルスの一連の「ヘッセ読本」は、ヘッセを現代によみがえらせ、さらにその翻訳は21世紀の日本に「ヘッセ・ブーム」とさえいわせてしまうような現象を起こしているのだから、そうとうに力のあるシリーズと言えるだろう。
しかし、新訳なった「ヘルマン・ヘッセ全集」や「エッセイ全集」を傍らにおいてミヒャルス本をおいて眺める時、ともするとミヒャルス本は、作品や書簡集が時代や作品の順序が渾然としており、テーマを追いかけるには良いかもしれないが、ヘッセという人の、内面的な精神史を時間の経過とともに眺めたいと思った場合、必ずしもベストではない。
「青春の作家、老いと死についての叡智を語る老賢者、反体制的でアナーキーな反戦平和主義者・・・・さまざまな魅力を持つ」(出版社パンフレットより)と評されるヘッセの一連の作品群ではあるが、ともするとミヒャルス本は、この三色最中を一辺に食べてしまうようなぜいたくな作りになっており、ある意味もったいない、という気がしないでもない。
その中にあって、この本の前半は「青春の作家」としてのヘッセの顔が大きクローズアップされている。引用は「車輪の下」や「デーミアン」、「ゲルトルート」などからが多く、書簡集も、青春の彷徨にある人々に向けたものが多いようだ。
ひとつの美徳がある。私が非常に愛している唯一の美徳である。その名を「わがまま」という。-----私たちが書物で読んだり、先生のお説教のなかできかされたりするあの非常にたくさんの美徳の中で、わがままほど私が高く評価できるものはほかにない。けれどそれでも人類が考え出した数多くの美徳のすべてを、ただひとつの名前で総括することができよう。すなわち「服従」である。問題はただ、誰に服従するかにある、つまり「わがまま」も服従である。けれどもわがまま以外のすべての、非常に愛され、称賛されている美徳は、人間によってつくられた法律への服従である。唯一わがままだけが、これら人間のつくた法律を無視するのである。わたままな者は、人間のつくったものではない法律に、唯一の、無条件に神聖な法律に、自分自身の中にある法律に、「我」の「心」のままに従うのである。p116「わがまま」
これは1917年、ヘッセ40歳のときに書かれた文章である。この本のタイトルもこの文章に由来している。
自分自身の青春の彷徨など、とうの昔のこととなり、子供たちですら、その時代を通り越してしまった。いくらか世の中の方便というものを使い分けざるを得ないという分別を持っている者なら、ヘッセの言う「わがまま」も、いわんとすることは分かるが、なかなかストレートにそのように若い人々に言うことは難しいだろう。ヘッセならではの説得力である。
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