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2009/12/16

芸術家と精神分析 ヘッセ

<1>よりつづく

地獄は克服できる
「地獄は克服できる」 <2>
ヘルマン・ヘッセ /フォルカー・ミヒェルス 2001/01 草思社 単行本 262p

「芸術家と精神分析」

 すでに二年前に目を通していたはずの本ではあるが、ふとまためくってみると、現在、当ブログがヘッセの中に求めている文章が、そのものずばりのタイトルですでに書かれていたことが分かった。「芸術家と精神分析」は、「ヘルマン・ヘッセ エッセイ全集」の「第7巻 文芸批評」に収録の予定であるようだが、未刊である。

 精神分析医ラングの治療を受けていたヘッセの夢の記録、身辺雑記や友人知人について記した随想、文芸批評、大戦について問うた多くの時代批評など、全編待望の新訳! 「エッセイ全集」サイトコピーより

 よくよく調べれば、ヘッセはあちこちで精神分析について触れているのかもしれない。

 フロイトの「精神分析学」が、精神科の医者というもっとも狭い領域を超えて世界一般の関心を呼び起こして以来、すなわち、フロイトの弟子ユングが、無意識の心理学とその類型学を拡大強化して一部公刊して以来、そしてついに心理分析学が、民間神話、伝説および詩文をも直接対象にして研究するようになて以来、芸術と心理分析とのあいだには、ひとつの親密な、実りゆたかな関係が存続している。人びとがフロイトの学説に、細部にいたるまで、そして専門的な点で賛同してきたかどうかはべつにして、フロイトの反論の余地のない発見は生きており、影響を及ぼした。p91

 という書き出しで書かれているこの「芸術家と精神分析」は1918年に書かれたことになっている。ところで、その頃、そしてその前後のヘッセはどういう状態であったのかというと、これまた別な本「ヘッセ 魂の手紙」の巻末の年譜のなかにその消息があった。

 1916(39歳) 父ヨハネス・ヘッセ死去、妻ミア(愛称)と三男マルティンの病も重なって神経がすり減り、4~5月、6~11月にルツェルン近郊のゾルマットでC・G・ユングの弟子J・B・ラングに精神分析の治療を受ける。

 1917(40歳)11月、C・G・ユングと初めて出会う。数日後、デーミアンなる人物を夢に見て「デーミアン」を執筆。その原稿を10月、病床にあるスイスの若い詩人エーミル・シンクレアの作として、フィッシャー社に送る。

 1918(41歳)6月、「芸術家と精神分析」執筆。10月、ヨハネス・ノールのもとでの精神分析中、妻ミアが精神病の発作を起こす。J・B・ラングによりチューリヒ近郊キュスナハトの精神病院に委ねられて、C・G・ユングの診断を受ける。p330~p331より一部抜粋

 「インドから」1913年、「クヌルプ」1915年の後、「ツァラトゥストラの再来」1919年、「シッダールタ」1922年の前あたりのことである。一つの作品に数年かかることを考えれば、ちょうどこの時代に、ユング派の治療を受けていた、ということになるのだろう。

 当ブログは、別途、ユング追いかけをちょっとだけ始めていたところだったが、この辺でヘッセと絡みこんでくるのは面白い。フロイトとユングの、その手法はもっと峻別して語られなくてはならないはずだ。地理的な利便性もあって、ヘッセはユングに縁があったのだろうが、もっとフロイトそのものに切り込む角度が、どういうものであったのか、知りたい。

 ところが詩人というものは、ほんとうは心理分析的思考法とは徹頭徹尾相反する、一種独特な思考法の代表者であることが明らかになった。詩人は夢見る人であり、分析者は詩人の夢の解釈者であった。それゆえ、詩人はこの新しい心理分析学にいくら関心をもち、それにたずさわっても、あいかわらず夢を見つづけ、自分の無意識の領域からの呼びかけにしたがって生きつづけてゆく以外に何のすべもなかったというのだろうか? p94

 そうであってしかるべきだろう。類型としてのフロイトと、類型としてのヘッセ、つまり、精神分析と芸術の間には、深いギャップがあってしかるべきだ。しかしまた、精神分析が芸術にそのインスピレーションを求め、芸術が精神分析の中に新しい科学の匂いを嗅ぎつけることは、今から90年前の20世紀初頭のことなら、当然のことであっただろう。

つづく・・・ だろう。 

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