ヘルマン・ヘッセと音楽
「ヘルマン・ヘッセと音楽」
フォルカー ミヒェルス (編集), Volker Michels (原著), 中島 悠爾 (翻訳)1992/01 音楽之友社 単行本: 398p
Vol.2 No869★★★☆☆ ★★★★★ ★★★★☆
「ヘッセ」と「音楽」という二つのお題をいただいて、一席ぶつ、というだけならよくありそうなテーマだが、この本はヘッセが音楽に触れている文章を集めている、という点で、相当に稀有な本であろうと思われる。
特にヘッセは音楽家でもなければ、主なる小説で音楽を論じているわけではない。随所に音楽を連想させるような文章は見られるが、決して多くを語ってはいない。こちらはエッセイや書簡集の中から拾いだされた文章たちである。
この本を持って、ヘッセの理想の音楽とは何だったのかを探ることも可能だろう。実際にググッてみると、「ヘッセの理想としていた歌曲とは」という研究論文がみつかったりする。当ブログがOshoの「私が愛した本」から、一冊一冊読み進めているように、ヘッセのこの本から、一曲一曲、聴き進める、という手もあり、だろう。巻末に「ヘルマン・ヘッセの詩による歌曲一覧」pxというものもついている。
当ブログでは、以前、youtubeで聴くことのできるビートルズを全アルバム追っかけたことがある。すでにリンク切れになっているところも多いが、再度チャレンジすれば、現在でも全曲youtubeで聴けるようだ。マイルス・デビスについてもこれをやろうとしているが、まだ、そのチャンスに恵まれていない。
ヘルマン・ヘッセについての音楽追っかけをやったら面白かろう。当ブログ、企画がつまってネタ不足になった時はぜひやってみよう、と思うが、今は、他の企画がいろいろ乱立しているので、できない。この本、「音楽之友社」というところから出ている。なるほど、ヘッセという文学サイドからだけではなく、「音楽」というサイドからのヘッセ追っかけもあるのである。
芸術家にとって精神分析あ極めて難しいものであり、危険なものでもあります。何故なら、真剣に受け取る者にとって、それは容易にその人に芸術家としての全特性を、全生涯にわたって禁じてしまうことにもなりかねないからです。ディレッタントならばそれも良いでしょう。しかし例えばヘンデルやバッハにそのようなことが起こるとしたら、私は精神分析など存在しないほうがいい、私達はその代わりにバッハをもち続けたいと思うのです。p278 1934 C・G・ユング宛ての手紙から
精神分析とは言い難いが、たとえば、当ブログでも追っかけをしている色彩心理診断の某氏などは、極めて興味深い研究を続けているが、ご自身、素晴らしい絵画を描いておられるのかどうかは、寡聞にして知らない。
芸術というものは、いかなる強制をも受けてはならないのです。現代の芸術を快く思わない人でも、それを非難したりしてはいけませんし、また、何とかそれを楽しもうと無理をしてもいけないのです。p324 1952年 ある婦人への返書
そういえば、当ブログ「2009年上半期に当ブログが読んだ新刊本ベスト10」のトップは、「現代アート、超入門!」だった。理解しようと無理をしてもいけないし、避難する必要などもまったくない訳だ。当ブログの当カテゴリは「表現からアート」だった。このカテゴリにふさわしいヘッセからのメッセージとして受け止めておこう。
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