心のカタチ、こころの歌
「心のカタチ、こころの歌」
きたやま おさむ (著) 1999/04 講談社 単行本: 215p
Vol.2 No890★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆
この本は1999年に出た本だが、そこからさらに10年前ということだから1989年当時に雑誌に連載されたエッセイを、「すこし時代に合わせて書き直し、テーマごとに並べて、本の体裁にしたエッセイ集」p213である。つまりは「失われた90年代」を十分に意識した本づくりであり、21世紀への意欲的な姿勢をみせようとする一冊と見て良いだろう。
しかしながら、当ブログ眼目のテーマは微妙にはずされており、売れ残りのしなびた野菜でつくった餃子のようで、どこか新鮮さがない。さめたピザなら暖め直せばおいしいかもしれないが、素材がどうも間に合わせもの、という気がしてならない。この一冊が失敗すれば、明日の北山修はない、というような緊迫感が伝わってこない。
異常な心で、異常な心をとらえようとすると、決して追いつくことのない堂々めぐりが始まる。この堂々めぐり、つまり、「狂った精神が狂った精神を追いかける」といういたちごっこが展開する大騒ぎについて大騒ぎで描くことは、ここで私が期待されていることではないし、むしろ芸術家たちにまかせようと思う。p3
この本ではそうなのだろうか。あるいはフロイト「派」とはそういうスタイルなのだろうか。
歌手として、また歌謡曲の作家として、けっこう成功したのにどうして医者になったんだ、と聞かれることがある。すっかり古ぼけた話だから、そういうことを聞いてくる人もずいぶん少なくなったが、当時私の歌を口ずさんでくれた人には関心事なのだろう。
答えはやっぱり、不特定に聴衆に対して言葉を紡ぎ出すよりも、特定の人間と交流したほうが手応えがあるし、楽しいに決まっているからである。医者という仕事では、目の前にいる患者の体に触れて、普通はめったに接近できない領域に関わっていく。
患部に直接触れるという仕事は、マス・コミュニケーションにはできないことなのである。マスコミには不用意に個人の傷口を広げることがあるし、たとえ「健康番組」などというものであっても、パーソナルな傷口をていねいに取り扱うことはできない。
また、同じ歌を何度も歌うのも苦痛だし、似たような歌を大量生産するのも飽き飽きするものだった。マスコミの方には失礼な言い方かもしれぬが、正直、この「飽きた」という言葉がふさわしい。
だから、私の歌は、マス・コミュニケーションというよりもパーソナル・コミュニケーションだった。別れの歌を書くのなら、本当に別れる人に向けて書きたかった。恋の歌なら、本当の恋人に向けて書きたかった。p202
むかし、「普通のおばさんになりたい」と言って、一時休業していた女性演歌歌手がいたが、そのあと、またしっかりと復活したりする。普通のおばさんにはなりきれなかったのだろうか。それとも「同じ歌を何度も歌うのも」結構魅力的だったりするのかもしれない。
ここで1999年の北山が言っていることがけっこうまともそうでいながら、けっこう嘘臭いのは、1999年においては「マス・コミュニケーション」とか「パーソナル・コミュニケーション」という用語がすっかり過去のものになっていたからだ。たしかにその10年前の1989年頃に書かれたものかもしれないが、それでもまだまだ古臭い。これらの言葉使いはそれからさらに20年さかのぼる、1969年頃ならなるほど、と思うが、なんだか後からくっつけて言い訳をしているようで、なんだか説得力がない。
たしかにヘッセも、ノーベル賞を取ったあとの晩年は、押し寄せる手紙類にうんざりして、開封するのもいやだった時期があると表白しているが、北山の作った作品も、当時、成熟していない日本マーケットのなかでは、異常な人気を博したのは確かだった。マスメディアの限界があったことは間違いない。
しかし、インターネットの発達した1999年に出た本の中身として、このような言葉遣いと、このようなパラダイムでコミュニケーション論をやっていたのでは、やはり時代錯誤的、と言わざるを得ない。
そもそも「恋の歌なら、本当の恋人に向けて書きたかった」というなら、この「こころの歌」を語りかけたいラブレターとして、その人にだけ手渡しすればいいじゃないか。なぜに、わざわざこんな215ページの本にまでして出版しなければならないのか。
いいや、違う。北山はけっして「愛している人」に「愛しているよ」、という風にいうために歌を作っていたのではない。よくも悪くも、不特定多数に聞かせるために作っていたのだ。そこは言い逃れだ。歌であれ、個人史をつづった本であれ、マスメディア、マスコミュニケーションのなかの作業であることは間違いない。辟易しているのは、愛の歌が愛する人に届かなかったからではない。北山は、単に「精神分析医」というポジション、仮面、鎧の中に逃げ込みたかっただけなのではないか。
すくなくとも、このスタンスでは北山の「芸術論」は皮相なものにならざるを得ない。
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