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2009/12/23

ヨーゼフ・クネヒトからカルロ・ヘェロモンテへ ヘッセ

「ヘルマン・ヘッセ エッセイ全集(第3巻)」
「ヘルマン・ヘッセ エッセイ全集(第3巻)」 省察 3 自作を語る・友らに宛てて
ヘルマン・ヘッセ /日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会 2009/07 臨川書店  全集・双書 369p
Vol.2 No874★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 芸術家が自らの作品について語り解説をする、ということは、本来、禁じ手であろう。音楽であっても絵画であっても舞踏であっても、ましてや文字として表現された芸術であれば、表現されたそのもので完結しているものであり、あとの評価なり解説はそれを受け取る側にまかされるべきものだと考える。

 もっともヘッセとて同じ思いだろうし、この一冊に集められている「自作を語る」一群の文章たちは、なにもヘッセ自身がセールスプロモーションをかけているわけではない。ヘッセの作品の中には発表直後にはまともに評価されなかった作品も多く、後年になって評価がうなぎ上りになった作品も多くある。

 さらには、1943年に書いた「ガラス玉遊戯」が戦後ノーベル賞を受賞してからは、ヘッセの人生が終わる1960年代初頭まで、ほとんどまとまった作品が書かれることはなかった。そしてさらにはこの5~60年代の間に、ヘッセの評価は世界的に高まり、もっとヘッセを知りたいという読者からの要望も増えた。

 この一冊にまとめられいる文章は必ずしも、一般読者にあてて書かれたものばかりではなく、メモや私信、一部の知人に向けたメッセージなどが多く含まれており、どちらかと言えば、ヘッセ・フリーク向けの内容となっている。

 なぜ「ガラス玉遊戯」には女性は登場しないのか?

 (中略)ガラス玉遊戯の作者は老境にさしかかっており、長年にわたる仕事をしめくくるときにはすでに老人になっていました。作家とは、齢を重ねれば重ねるほど、一層几帳面で良心的でありたいと思い、自分が本当に知っていることだけを話したいと思うものです。しかし女性は、老境にさしかかって男や老人にとって、以前は十分に理解していたとしても、再び遠ざかり神秘的になる人生の一部です。

 このことについて、彼は何か現実的なことをあえて知ろうとは思いません。それに対して男性の遊戯については、その性質が精神的なものである限り、その男は隅々まで熟知し、それに精通しているのです。

 想像力を持つ読者であれば、私のカスターリエンの中へ、アスパシアから今日に至るまでの賢明で知的に優れたあらゆる女性を、生み出して思い浮かべていることでしょう。p131 1945年「ガラス玉遊戯」について

 うまい。山田く~ん、座布団一枚。・・・ってオチョクっている場合ではないが、うまい、と思う。五木君、わかっただろうか。

 中国に対する私の入れ込みようは以前からご存知でしょう。私の愛着は第一に仏教や禅にあるのではなくて、仏陀についてまだ知らない古の輝かしい古典作家たちの中国にありましたし、今でもそうです。古い歌集や「易経」、孔子、老子、荘子による文書、および彼らについての文書は、ホメロスやプラトン、アリストレスと同様に私の教育者であり、私自身や、善き、賢き、完全な人間についての私のイメージを形づくる手助けをしてくれました。道(タオ)という言葉と概念は私にとって、昔も今も涅槃より貴く、中国の絵画もまた同様です。p341「ヨーゼフ・クネヒトよりカルロ・フェロモンテへ」1961年

 洋の東西がさらに交流を深め、ましてやインターネットが発達した時代にヘルマン・ヘッセが生きていたら、きっとこの部分の表現はもっと別なものなっていただろう。誰が誰に対して何時の時代に書いたものかで、文章表現は微妙に変化するものだが、この最晩年のヘッセの文章は、もはやこれ以上修正が効かないほど集約された彼自身の姿勢であった、ということができるだろう。

 「碧眼録」をある程度研究した結果得られた記憶に残っている非常に個人的な印象をいくつかお伝えしたら、さらにあなたのためになるのではと思います。あなた自らこの書物に取り組むようおすすめすべきかどうかは、私にはわかりかねます。この書物は魅力的かつ衝撃的なものでいっぱいですが、その神髄は非常に厚くて硬い殻に閉じ込められていて、あなたのようなすでに自身の目標をきちんと見据えている人にとっては、このような難文に解説に日々を費やすには、人生はあまりに短すぎます。

 私の場合は事情が異なっていて、特定の課題に未だきっちりと集中して取り組んでいるわけではなく、学び続けようと意欲的にまた誠実に、人間精神の歴史の終わりなき牧場の中をあちこちさすらっているところです。あなたもご存知のとおり、有名な「碧眼録」の中心は短い逸話で成り立っていて(その本では、「則」といわれています)、あるものは箴言を、またあるものは昔の有名な禅師の教育的行為や実践を伝えています。

 このような箴言は今や私たちのような人間にとっては・・・・すでに11世紀の中国の人にとってもそうだったのですが・・・・ほぼ理解できないもので、その意味は詳細な注解の助けを借りることによってのみ、多少とも推し量ることができます。p342「ヨーゼフ・クネヒトよりカルロ・フェロモンテへ」1961年

 当ブログは、アクセス・ログに残された検索ワードを、新しいナビゲーションとしながら、フロイト~ヘッセ~グルジェフ、というトリニティの旅にでているところだが、この旅が一段落すれば、禅=ZENの旅に出ることになるだろう。ヘッセがこれらの文献にあたり、真剣に、誠実に過ごしている日々が、いとしく想われる。

 ログに残されている禅キーワードは、二入四行論、信心銘、六祖壇経、臨済録、禅家語録、などだが、中観思想、荘子、列子、易経、なども重要な接点であり、いずれ「碧眼録」などにも触れていきたいと思う。幸い「荒野の狼」と同じような年代にさしかかってはいるものの、まだこれらの文章に触れるのに、残された人生は短すぎると嘆くほど老いてはいない。

 あなたにはすでに、私なりの「目覚め」についてお話しましたが、それは禅について、私たちふたりがいくらか聞き知るはるか以前のことでしたので、中国仏教の目覚めた者に関して私が気がついたことと、その解明についてなお述べなければなりません。

 悟りの稲妻に打たれるという経験そのものはもちろん知っていますし、私の身にもこれは何度か起こりました。西洋のわれわれにとってもこれは未知のものではなく、神秘主義者と大小問わずその無数の弟子たちもみなこれを経験していて、たとえばヤーコブ・ベーメの最初の悟りが挙げれます。

 もっともこれらの中国人において、目覚めた状態にあることは生涯持続するようです----少なくとも師においては。師は瞬間を固定しておくために、稲妻を太陽に変えるようです。私の理解ではそこに欠落がありました。悟りを啓いた状態が永遠に続くことは想像がつきますが、持続的な存在形態となった法悦となると想像が及びません。

 おそらく西洋的な見方を東方世界に持ち込み過ぎているのでしょう。私に想像できるのは、一度目覚めた者が、別の人間として第二、第三、そして第十の目覚めに至ることが可能であることや、当然のことながら何度も眠りと無意識に沈んでも、次の閃光が彼を目覚めさることができなほどには深くは沈まない、ということぐらいです。p344「ヨーゼフ・クネヒトよりカルロ・フェロモンテへ」1961年

 この辺の分析、解説、理解、については急ぐまい。当ブログではここででているヤーコブ・ベーメについても、再び触れていくつもりだ。さらに、そこらあたりを接点とした西洋神秘主義についても知りたいと思っている。 

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