アッシジの聖フランチェスコの幼年時代 ヘッセ
「ヘルマン・ヘッセ全集(第11巻)」 <2> 子どもの心
ヘルマン・ヘッセ /日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会 2006/04 臨川書店 全集・双書 346p
Vol.2 No882★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆
「アッシジの聖フランチェスコの幼年時代」
この「ヘッセ全集」の中で一番最初に手にしたのがこの第11巻だった。Oshoの「私が愛した本」リスト追っかけの中で、「ヤコブ・ベーメ」を探していて、この巻に収録されているヘッセの「ヤーコブ・ベーメの召命」に出会ったのだった。あれがちょうど半年前のことであり、あの時点では、このシリーズをまるまんま追っかけるようになるとは思ってみなかった。
ヤーコブ・ベーメに関しては、日本においては「アウローラ」という一冊になっており、この本の確認はしたものの、まだ十分に読める体制にはなっていない。ただ、こちらのほうに、このような方向性があるのか、ということは確認しておいた。
またこのシリーズ「ヘッセ全集」第2巻には「アッシジのフランチェスコ」1904年が収録されており、こちらの第11巻の「アッシジの聖フランチェスコの幼年時代」1918年のほうが続編であると考えられる。もっとも、「幼年時代」に遡ることになるのだから、逆にこちらのほうが前編となるべきかもしれないが、むしろこの「幼年時代」のなかに、ヘッセは自分の幼年時代を重ねているようでもあり、よりヘッセらしい作品と言える。
実際は、ここからもっと「アウローラ」のほうへ展開していきたいと思っていた当ブログであるが、ヘッセの重力が、ヘッセ圏内から脱出しようとする読者を、強力に引き戻してしまうところがある。ヘッセは、どこまでも人間らしい作家である。ヘッセの「シッダールタ」もまた、どこまでも人間らしいシッダールタであったが、こちらのフランチェスコも、どこまでもヘッセらしいフランチェスコであった。
Oshoのタロットカードにアッシジの聖フランシスのカードがあったことを思い出した。
The crazy wisdom of Francis of Assisi
彼は河に、魚に話しかける――しかも、彼はその魚が自分に応えると主張する。彼は石や岩に話しかける――狂っているという証拠ががほかにもまだ必要だろうか?
彼は狂っている。だが、アッシジの聖フランシスのようにあなたも狂いたくはないかね? ちょっと考えてごらん――アーモンドの樹が歌うのを聞くことのできる能力、樹のなかの兄弟姉妹たちを感じることのできるはーと、あらゆるところに、まわりじゅうに、あらゆる形のなかに神を見るハート……。
それは最大限の愛のハートにちがいない。全き愛がその神秘をあなたに明かす。だが、論理的なマインドにとっては、もちろん、これらのことはナンセンスだ。
私にとてはこれらだけが意味のあることだ。狂いなさい。もしできるなら、ハートから狂いなさい。OSHO 「ANCIENT MUSIC IN THE PINES」 p.171
| 固定リンク
「47)表現からアートへ」カテゴリの記事
- 村上春樹『1Q84』をどう読むか<2>(2010.01.14)
- 村上春樹の「1Q84」を読み解く<1>(2010.01.05)
- 1Q84 <4>(2010.01.05)
- 1Q84 <3>(2010.01.02)
- 謹賀新年 2010年 元旦(2010.01.01)
コメント