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2009/12/24

車輪の下 ヘッセ

ヘルマン・ヘッセ全集(第4巻)
「ヘルマン・ヘッセ全集(第4巻)」 車輪の下
ヘルマン・ヘッセ /日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会 2005年04 臨川書店 全集・双書 : 373p
Vol.2 No877★★★★★ ★★★★★ ★★★★★

「車輪の下」

 ヘルマン・ヘッセとくれば、やはりすぐ思い浮かべるのは「車輪の下」であろう。この「ヘルマン・ヘッセ全集」全16巻+「エッセイ全集」全8巻=24巻の中で、第一回配本として世にでてきたのが、この第四巻「車輪の下」である。ヘッセの人生の始まりであり、ヘッセ文学の始まりでもある。読者もまた、若い時分からヘッセに親しんでいるとすれば、まさにこの「車輪の下」はほとんど誰もが目を通しているに違いない。

 かくいう私も15~6歳の頃に文庫本で読んだ。しかも当時の文庫本はまだわが書棚に残っているはずである。ただ、すっきりと読んだ記憶がない。格闘しつつ、ヘッセを批判しつつ、ヘッセを横目で見つつ、ヘッセを求めつつ、読んだ。

 ヘッセとと言えば、この「車輪の下」、そして、当面の当ブログの課題である「シッダールタ」、さらには彼の最高傑作と思われる「ガラス玉遊戯」、この三冊で決まりだろうと思う。この三冊さえ読めば、まぁ、大体は、ヘッセを読んだよ、と言っても過言ではない、・・・と思っていた。

 しかるにこの全集を目にしてから、いかに読んでいないヘッセが多いことか、と唖然とする。こんなヘッセがいたのか、と、半ば放心する。

 「シッダールタ」は、二十歳すぎに、「インドへ行こう」と決断しつつ読んでいた。「ガラス玉遊戯」はそれから数年後、インドで、他の旅人がおいて行った本を貸してもらって読んだ。「シッダールタ」を読んだ時も、ヘッセと葛藤した。自分が思っていた「シッダールタ」とは違う。「シッダールタ」はこんなはずはない、と半ば怒っていた自分を思い出す。

 それに比して「ガラス玉遊戯」については、すこし憧れを込めて、なるほど、こんな世界があるはずだ、という遠い未来への目標を見つけたような、そんな気がした。だから、葛藤をしたということはない。むしろ、ヘッセの世界を客観的に受け止めることができた。

 だがよく考えてみれば、ヘッセにはもっといろいろな小説がある。今、私が一読者として葛藤すべき本は「荒野の狼」かもしれない。この小説の文庫本も持っている。今回もこの文庫本を読みかけていたが読了しなかった。全集の中の「荒野の狼」を読もうとした。しかし、読めなかった。途中で放り投げている。

 50代の初老の男の心の葛藤、それを見透かされたように、ヘッセなんかに書かれたくない。そんな、わかったような小説なんか読みたくない。私は私の世界を生きる、そんな、自分なりの矜持が、そのような読書行動にでるのかもしれない、と自分を精神分析して、思う。

 だから、ひょっとすると、「ガラス玉遊戯」は、まだ私自身が到達していない読書環境なのだと思う。私自身が「ガラス玉遊戯」のような心境になるとしたら。そして、それが、単純に年齢順に、そして誰もがヘッセのような精神成長を遂げるものと仮定した場合、私はきっと、「ガラス玉遊戯」をボロクソに言い始めるのではないだろうか。あの世界はあの世界、ヘッセの世界なのだ。

 ヘッセは第二巻に収録された「アッシジのフランチェスコ」を20代半ばで書いている。今読んでみると、なるほどなぁ、ととてもきれいな小説で、ヘッセの作家としての特徴がよくでているなぁ、と思って読んでいた。

 しかしヘッセはこの小説がお嫌いだったようで、翌年にはすぐに再刊をさせないようにしたという。お、っと思った。「きれいな」ことは決してヘッセjの世界なのではない。誠実であたり、純粋であったり、正直であるだけがヘッセの世界ではない。

 たしかにあの「アッシジのフランチェスコ」は、素材が「勝って」いて、ヘッセが従になってしまっている。ヘッセが書かなくても、他の誰かがあれを書くだろう。ヘッセは、自らの個性を表現したかった。ヘッセにしか書けないもの。それは何か。

 だから、ヘッセの「シッダールタ」を読んだ時、私は葛藤した。あれはゴータマ「シッダールタ」ではなく、ヘッセの「シッダールタ」だったのだ。つまり、検索ワード「シッダールタ」を境界にして、ヘッセと読者としての自分が対立していたのだ。また、それがヘッセの狙いであっただろうし、読者としては、それが読書の醍醐味なのであろう。

 もともと小説が得手ではないが、気になりつついつも村上春樹を読もうとして読めないのはなぜだろうと思う。こうしてヘッセを読んでいて、気がついたことは、村上春樹は、同時代人と、20世紀から21世紀へ、一緒に生きてきているということである。そして、彼もまた、この時代、この地球に生きている。

 だから彼の表現は彼の表現であって、一読者である私にとって気持のよい、手触りのよい一過性のものであるなら、それはそれほどの価値があるものとは見られない可能性があるのである。つまり、村上春樹は、表現者として軽くジャブを出してくる。それを無視はしないが、軽くよける自分がいる。しかし、それで彼は消えていなくならない。また、反対側からアッパーをしかけてくる。つんのめりながらも、なんとかよけた自分は、なんだ、こいつ、とにらみ返す。

 同時代人にまともに読まれて、最大限に評価される小説なんていうのはニセモノだろう。物議をかもしだし、無視され、あるいは批判されつつ、あるいは見当違いな評価を受けながらも、読む者へなにごとかの不協和音と協和音を発し続ける存在。そのようなものとして芸術があるのかもしれない。

 晩年のヘッセは、「成功」した文学者として、押し寄せる手紙類に辟易しながらも、結局は、大作を書くことはなかった。先日、北山修のことを考えていた。彼は「帰ってきたヨッパライ」のあとに、なぜ「フロイト」などというアカデミズムに逃げ込んでしまったのか、ということを。

 彼は、あまりにあの曲のヒットにおびえて逃げてしまったのではないだろうか。人気者になったことのない立場からは考え付かないが、きっと、それなりに理由があったはずだ。虚像や仮面が過大評価され、実在の自分がないがしろにされていく。

 「車輪の下」。まさにそのような状況のなかで、車輪の下敷きになっていたのは、ヘッセか、北山か、あるいは私だったであろうか。この小説を思うと、そのあたりが三つ巴となって、わが身にのしかかってくる。

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