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2009/12/20

ヘッセからの手紙―混沌を生き抜くために

ヘッセからの手紙―混沌を生き抜くために
「ヘッセからの手紙」 混沌を生き抜くために
ヘルマン ヘッセ (著), Hermann Hesse (原著), ヘルマンヘッセ研究会 (翻訳) 1995/12 毎日新聞社 単行本: 461p
Vol.2 No868★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 

 「ヘッセ 魂の手紙」 1998/10に先立つ一冊。フォルカー・ミヒェルスの「ヘルマン・ヘッセ書簡全集」を定本としているが、ヘルマン・ヘッセ研究会・編として日本語訳がでている。一連の草思社版とは、若干の手触りの違いがある。

 ペーター・カーメンツィント万歳! 彼がいなければ私は結婚することも、ここへ越して来ることもできなかったでしょう。彼のおかげで2500マイクも手に入り、これだけあればここに止まる限りは少なくも2年は暮らせます。p27 シュテファン・ツヴァイクへの手紙 1904年

 27歳のヘッセは、初めて成功した出版本「郷愁」を素直に手放しで喜んでいる。

 私はインドの知恵がキリスト教の知恵よりよいとは思いません。ただインドの方が幾らか霊的で、少しばかり寛容で、また広く自由であると感じています。それは、キリスト教の真理が若いころ私に不十分な形で押しつけられたということから始まっているのです。p143 ベルトリ・カベラーに 1923年

 ヘッセ、46歳になれば、すでに青春時代は遠く、距離を持って自らを見ることも可能だ。

 この本の中には「ある共産主義者に」207pも採録されている。最新刊「わがままこそ最高の美徳」にも採録されているが、いずれ「エッセイ全集」にも採録されることになるのだろう。それぞれの翻訳には、若干の差異があり、場合によっては抄訳であったりする。

 もうかれこれ2年前のことだが、私の精神力が衰退し始める前にこの本(「ガラス玉遊戯」)を脱稿することができたのは幸いだった。私はちょうど良い時に仕事じまいをしたのだ。これで私も、生涯になした多くの愚かしいことを帳消しにできる。p288 息子マルティンに 1943年

 この作品を最後にヘッセはほとんどまとまった作品を書くことはなかったが、それは、押し寄せる一般読者や出版社、あるいは寄付を求める手紙などに圧倒されてしまったことも、大きな要因であった。

 なぜ「ガラス玉遊戯」には女性が登場しないのか。
 このことを時々手紙で尋ねられますが、答える気にはなりませんでした。そのような質問をする読者は、たいてい本を読む時の第一のルールを守っていないからである。つまりそこに書かれているものだけをを読み、受け入れて、自分で考えたり期待したことで評価しないということです。
p294 読者たちに 1945

 このことは、ちょっと前に「かもめのジョナサン」の解説で五木寛之が書いていたことと、「シッダールタ」におけるカマラーの登場などを連動させて考えると、なかなか興味深い点ではある。

 私は老人として東洋の考えやものの見方を感謝の念と共に崇拝しておりますが、その私でも、若い頃にアジアの精神と親しんだのは、死書は避難所と慰めを求めてのことでした。それはインドから始まりました。バガヴァッド・ギータやウパニシャッドや仏陀の講話を読んでいたのです。

 それよりもずっと後になってから、私は偉大なる中国の師たちをも知るようになり、また日本に対しても、私の従弟のヴィルヘルム・グンデルトや、日本で活躍していたドイツ人の宣教師、教師、翻訳家たちを通じて、やや個人的な関係をむすぶことになったのです。 

 とりわけ仏教の東の果ての形式である禅を少しばかり知るようになり、画家や版画家の芸術を、日本の叙情詩のみごとな具象性や端正さを、ますます新たになる喜びと称賛の年を持って愛しました。

 かくして私にとっては、私たちの西欧の伝統と並んで、インド、中国、日本が導きの師となり、生の泉となったのです。それだけに遠く離れたあなたがたの島国から私の方へ徐々にこだまが返ってくるのを見るにつけ、そして私の愛がそちらで受入れられているのを見るにつけ、私は喜ばしい思いを味わいました。

 東洋と西洋が真剣で実り多い相互理解を果たすべきであるということは、私たちの時代のまだ実現されていない大きな要求です。そしえそれは政治や社会の領域だけのことではありません。それは精神を生をめぐる文化の領域での要求でもあり、大きな課題なのです。

 今日日本人をキリスト教徒に、ヨーロッパ人を仏教徒や清教信者に改宗させるなどということはもはや問題ではありません。私たちがなすべきであり、またなそうと欲しているのは、改宗させたり改宗させられたりすることではなく、自分を開き、自分を拡大することです。なぜなら私たちは、東洋と西洋の知恵がもはや敵対して争い合う勢力ではなく、実り多い生がその間に脈打っている二つの極であることを知っているのですから。p379 高橋健二に 1955年

 以って瞑すべし。

 巻末にミヒェルスが解説を書いている。

 トーマス・マンやその他の同業者とは違い、残念ながら彼(ヘッセ)は自分の手紙のタイプの複写を取っておかなかったので、その手紙のほとんどは一通限りのものであった。p422

 そういうことであったのか。そのような環境にあって、のちにさまざまは方法で書簡集が集めれ、こうして一冊にまとめれているのは、一読者にとっては大変ありがたいことである。書簡集でなければ「高橋健二に」のようなより明確なヘッセの世界に触れることができなかったかもしれない。さらに、「あとがき」p440には、「ヘルマン・ヘッセ研究会」&「友の会」設立に至った経緯と、その後の活動について説明してある部分は興味深い。ヘッセをこうして読むことができるようになるまで、多くの人々の手がかかっていることに、あらためて感謝したい。

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