小人 ヘッセ
「ヘルマン・ヘッセ全集(第9巻)」メールヒェン 物語集7 1919~1936
ヘルマン・ヘッセ /日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会 2005/06 臨川書店 全集・双書 331p
Vol.2 No881★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆
「小人」
この第9巻においても、なにはとりあえず手にとって、その存在を確かめる程度で終わりにしておこうと思ったのだが、一番最初の「小人」を読み始めたら、やっぱり止まらなくなった。全集の中で数えて20ページだから、小品とは言えるが、なんだかSF小説の星新一のショートショートを読んでいるような気になってきた。
小品は小品なりにピリリとスパイスが効いていて読み応えがある。思えば、「シッダールタ」や「ガラス玉遊戯」にしても、必ずしも、ひとつのストーリーでできているわけではない。むしろ、こうしたひとつひとつの小品が組み合わされて、大きなセット作品になっていると考えてもおかしくはない。
それはまるで、コンピュータを動かすためのプログラムのようなものかもしれない。ひとつひとつの動作を確定するためのアルゴリズムがひとつひとつ重なり会い、最後は、大きなひと固まりのOS+主要アプリケーションとなる。
この「小人」は1903年の作品だが、20代前半のヘッセは、さかんに習作を重ねて、OSのもととなる基礎の部分、カーネルを作ろうとしているかのようだ。村上春樹は自らを「プロの嘘つき」と表現したが、ヘッセもまた、自らがストーリー・テラーになるべく、さかんにその練習をしていたと言えるだろうか。
メールヒェンは元来、グリム兄弟が収集した昔話のように、古くから口伝で伝え継がれてきた口承文芸で、伝説が特定の場所や人物と結びついた特異な事件を語るのに対し、人間の普遍的な運命を題材に、ごく平凡な主人公が、現世的な重力から解放されて次々に空想的な冒険を繰り広げる軽やかな展開を特徴としている。
後の詩人たちが、メールヒェンの持つこの魅力に惹かれて自らのお話を紡いだのが創作メールヒェンである。ロマン派的な性向を持つヘッセの創作の本質はメールヒェンに通じており、最後の大作「ガラス玉遊戯」もまたひとつの規模の大きなメールヒェンと見ることもできる。p327「解説」
メールヒェン。つまり、いわゆるメルヘンのことであろう。たしかにヘッセの世界そのものがひとつのメールヒェンだ。
| 固定リンク
「47)表現からアートへ」カテゴリの記事
- 村上春樹『1Q84』をどう読むか<2>(2010.01.14)
- 村上春樹の「1Q84」を読み解く<1>(2010.01.05)
- 1Q84 <4>(2010.01.05)
- 1Q84 <3>(2010.01.02)
- 謹賀新年 2010年 元旦(2010.01.01)
コメント