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2010/01/11

1973年のピンボール 村上春樹

1973年のピンボール
「1973年のピンボール」
村上春樹 講談社 1980/06 単行本 207p
Vol.2 No908★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 正月早々、悲しいニュースが飛び込んできた。訳あって修理に出していた愛用のパソコンが、亡くなった。いや、機械だから修理は効く。紛失したわけではない。しかし、とんでもない金額の修理代がかかる。新品を買った方がやすいというか、それ以上の金額だ。ああ、機械だけではない。ハードディスクに入っていたかなりのデータが、お釈迦さまにおなりになった。

 助け出すことはできるだろう。助ければ助けただけ、また安逸な生活が戻ってくるに違いない。ここは無理に失われたデータを発掘するのではなく、さっさと逝かせてしまうことも必要なのではないか。失われたと言っても、どうしても必要なもののバックアップはとってある。あとはあればあったなりによい、という程度のものだ。しかし、今夜はシラフでは眠れそうにない。

 そんな喪失感のなかで、この30年以上前の小説を手にしても、ほとんど心にも頭にも入ってこない。目が追っている世界と、頭のなかでグルグル回っている思考には、明確に違う層ができている。いやストーリーは追っかけている。しかし、感情は入っていかない。

 1980年の3月号の「群像」にこの小説は掲載された。その時代のことを思い出す。私は割と時代時代を、自分なりの個体史の中で記憶しているほうだ。だから、この年にどこで何をしていたのかは、ほとんど記憶している。

 しかしながら、それだからこそと言うべきか。この時代は決して意気揚々としていた時代ではないので、本当は思い出したくない時代ではある。あの頃、決して本を読めない環境でもなかったし、読んでいなかったわけではない。しかし、小説は読まなかっただろう。小説、という「方法論」は私を助けてはくれていなかった。

 むしろ、この小説のタイトルになっており、舞台となっている1973年のほうが、私にとっての「小説」の価値は重かった。そこから何かを見つけようとしたし、実際、なにかを見つけた。また、そのようなものとして小説は存在価値を主張していた。

 1980年にも小説があったのかい。あれからずっと小説なんて読む気にはなれなかった。小説より現実が面白かった、というべきか。あるいは小説なんぞ読む必要がなかったというべきか。とにかく、このような村上春樹、という小説家がいたなんてことは、ほとんどまったく関心がなかったし、残念ながらほかの作家たちについても、まったく同じような印象しか残っていない。

 こうして最寄りの公立図書館の「閉架書庫」から出してもらって読む「1973年のピンボール」には、ほとんど感情が動かない。いや、動かないのではなく、動かしたくない、というのが本当だろう。もう思い出したくない。私は当時19才。いろいろなことがあった。私にもああいう時代があった。そして、自ら作り上げた、固定したストーリーの中に、時代を凝固させて、カチンと固めて収納しておきたい。おきたかった。さわりたくない。さわってほしくない。

 あの凝固剤で固めてしまった時代を、ふたたび溶解させる必要があるのだろうか。せっかくゲル化したものをゾル化する必要があるのか。

 この作家がのちに、「象の消滅」で紹介され、ファン感謝デーのようなファンに囲まれて、ノーベル賞候補とまで言われるような存在になるなどとは、私には想像できなかったし、今でも、そんな可能性がこの小説の中にあったかどうか、などということは全く分からない。

 私は村上春樹を発見したわけでも、育てたわけでも、支持したわけでも、批判したわけでもない。解説もしなかったし、紹介もしなかった。無視さえしていなかった。まったく知らなかったわけでもなく、積極的に誤解さえしていなかった。

 この村上春樹という媒体=メディアは、2010年現在の我が個人的ブログの主テーマになっている。なんという取り回しだろうか。そして、この「メディア」をいじくるには、やはりこの「1973年」のなんたらを、いじったりしなければならないようだ。

 また、反面、このような「いじったりしなければならない」からこそ、この作家の持っている意味があるのだろう。単なる流行作家だったり、単なるエンターテイメントだったり、単なるなんとか賞候補(あるいは受賞者)としてだけの存在であったならば、これほどの価値はないだろう。めんどうなことにはなってしまうが、やはりいろいろほじくり返さなければならないことが、いろいろと出てきそうだ。

 失われてしまった、わが愛用のパソコン。この喪失感に比べると、あの時代の「喪失感」は計り知れないほど深かった。出口がなかった。バックアップがなかった。取り返しのつかないような、もっともっと、深い哀しみがあった。できれば触れたくはなかった。

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コメント

きぅさん
そうなんですよ、せめてHDDが生き残ってくれていたら、まぁ、いつかは救出できるのですが・・。どっちみち緊急のものはバックアップがあるからいいけれど。
しかし、現在のところ不明・・・・シクシク。
(ノ_-。)

投稿: bhavesh | 2010/01/13 09:55

通りすがりの者です。
HDDが壊れてなければ別のPCにつなげてデータを取り出せますが見当違いですか?

投稿: きぅ | 2010/01/13 03:11

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