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2010/01/04

魂の科学 <4> Osho

<3>よりつづく
魂の科学
「魂の科学」 <4>パタンジャリのヨーガ・スートラ
OSHO/沢西康史 2007/04 瞑想社 /めるくまーる 単行本 301p

 当ブログのナビ・ログにおけるこの本へのアクセスが最近高い理由のひとつは、ある特定の人が繰り返しここにアクセスしてきているからだ、ということが分かった。つまり、お気に入りに登録するときにこの本のページを登録したので、毎回そのページからアクセス開始になるということになるようなのだ。つまりブログという機能の特性上、そのようになってしまうのだが、それはそれ、どっちみち、書いている本人も、この本は、最近とても気になっているところではある。

平均的な人なんて存在しない。
「平均」はこの世でいちばん欺瞞的なものだ。
平均の人なんていない。
だれもが自分自身だ。
「平均」は数字の上だけのことだ。
それには実体ががない、それは現実のものではない。
Osho p195

平均は数学的な現象数学的な現象であて、数学は現実のなかには存在しない。
それは人間の心の中になかにだけ存在する。
現実のなかに数学を探しても見つからない。
だからこそ数学は唯一の完璧な科学なのだ。
なぜなら、それはまったく現実的ではないからだ。
現実的でないものについてだけ、あなたは完璧になることができる。
Osho p195

 「普通」であるとか、「30年ローン」が組めるとか、「平均」的であることが「私」なのではもちろんない。

平均になろうとしてはいけない---なれる人はいない。
人は自分のやり方を見つけなければいけない。
平均を学ぶのはいい。それは便利なものだ。
しかし、それを規則にしないこと。
暗黙の了解にとどめておきなさい。
それを理解したら、忘れてしまいなさい。
p196

 フロイトの精神分析が病者の心理学であるなら、ブッタ達の心理学の「ブッタ」はどこにいるだろう。

グルジェフは、この時代に到達された最高の頂、ブッダのひとりだった。p176

 ウスペンスキーが「人間7号」という時、Oshoから見ればグルジェフこそこの「人間7号」のひとりであろう。いや、本当は7号のステージにおいては、「何人」と数える意味はすでに失われている。

パタンジャリはまったくもって科学的だ。
彼が第四を使うことはないが、それは三つのものを越えていると言う。
パタンジャリにはきっと、ブッダが擁したようなすばらしい弟子たちの集団がいなかったのだろう。
パタンジャリは、もっと体指向の人たちと活動していたに違いない。
そしてブッダは、もっと心指向の人たちと活動していた。
パタンジャリは、彼自身がそれを使うことはないが、第四は三つのものを越えていると言う。
彼はヨーガに関して言いうるすべてのことを言い尽くそうとしている。
彼はアルファにしてオメガ、最初にして最後だ。
彼はただひとつのポイントも見逃さない。
パタンジャリのヨーガスートラは改良の余地がない。
p230

 混沌のマスターが長期にわたって講義したこのパタンジャリについてのレクチャーをコンパクトにまとめたのがこの本で、しかもほとんど脈絡なく部分をアフォリズムのように引用しても、意味をなさないところも多い。しかし、当ブログにおける流れにすれば、そのインパクトはかなり大きい。

 当ブログは現在、「フロイト 精神分析」をお題としていただきながら、北山修「劇的な精神分析入門」を読んでいるところだった。うかうかしていると、ひとつのドラマツルギーに取り込まれてしまって、そのパラダイムにからめ取られ、閉じ込められてしまいかねない。なにはともあれ、この本をそばにおいて、避難口を確保しておかなくてはならない。

<5>へつづく 

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