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2010/01/29

村上春樹×90年代 再生の根拠

90
『村上春樹×90年代』 再生の根拠
横尾 和博 (著) 1994/05 第三書館 単行本: 178p 
Vol.2 941★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 「村上春樹追っかけ、まだ続いているの?」と奥方が、のたまわる。
 「ちょうど半分くらいまで、きたところかな」
 「半分?」
 「私だったら、もうとっくに飽きて、他の人のを読みたくなるな」
 おいおい、火をつけたのは、あなたでしょう。いまさらそんなことを言われても、ここで止めるわけにはいかんよ。なんとか長編をひととおりめくったあとは、短編集をめくって、エッセイやファン感謝デーな本を一通り読んだあとは、他の人の評論や、世界での翻訳状況について、知りたいと思ってはいるんだ。まだ半分も行っていないかもなぁ。
 ほぉ・・・・。あきれ顔で、彼女は自分の本を読みだした。

 全共闘運動の特徴はなんと言っても直接性と身体性、情念と感性に支えられていました。(略)「連帯を求めて孤立を恐れず」という有名な言葉がありますがこの言葉が全共闘を象徴しています。
 小説では高橋和巳や埴谷雄高、大江健三郎、真継伸彦、小田実、というひとたちがよく読まれていました。
 運動が70年を境にして下り坂の兆しが見えはじめ、それが1972年の2月のあの連合赤軍事件で決定的なダメージを受けます。
 活動家たちは次々と運動から去り、ある者は学園へ、職場へ、故郷へ、とそれぞれのに日常へ帰還します。
 そしてその精神的な傷はそれぞれに相当深いものがあったと推測されます。なぜならその「戦後」に譬えられる私たちの世代の中から、文学がしばらくは生れなかったからです。
p133

 私たち全共闘経験者にも個人的にはいろいろな「総括」があるわけですが、その中には「自分の中の弱さに敗北した」と考えている人もたくさんいると思います。
 私は何に敗北したのか、という問いかけには、「個人(個)と共同性(体)の回路を明らかにできなかった主体」というのが答えだと思います。
p135

 村上春樹が処女作「風の歌を聴け」を書いたのは1979年でした。
 もう全共闘や反体制の嵐はあとかたもなく消えてしまった時期です。
p138

 「総括」と大ざっぱに括ってしまいましたが、70年代から80年代、そして90年代へとおれぞれが個人で背負ってきたものをどう考えるか、そしてそれを文学上の問題としてどうとらえるのかが重要だと思います。p145

 この本は1994年5月にでている。パラレルワールド「1Q95」の一歩手前、「ねじまき鳥~」の1部、2部がちょうど出版された時期であり、3部が出版されるまでには、さらに一年が必要であった。そこまでに発表された村上作品についての評価はそれほど大きく違ったものではない。ここで横尾の特徴的であることと言えば、物事を「年代」的にとらえようとするところと、「文学」にかなり大きな期待を持っているところである。

 このような過大な重圧に村上本人もそうとうに参ってしまった部分もあるのだが、持ち前の山羊座のA型スタイルで、ほかのエッセイやら翻訳で、乗り切っていったのだから、そのバイタリティは大いに評価されてよい。ただ、「年代」的「文学」論は、はてこれでよかったのだろうか。

 「個人(個)と共同性(体)の回路を明らかにできなかった主体」p135というモチーフは、当ブログがパラレルワールド「1Q95」から「200Q年」に抜けようとするとき、あるいは、さらなるパラレルワールド「1QQ5」に思いを寄せるとき、ここで横尾がいうニュアンスでの「共」と「個」はどのように解明されていくことになるだろうか。

 著者にはほかに「村上春樹とドストエーフスキー」がある。

 

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