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2010年1月の75件の記事

2010/01/31

MURAKAMI 龍と春樹の時代

MURAKAMI―龍と春樹の時代 (幻冬舎新書)
「MURAKAMI」 龍と春樹の時代 
清水 良典 2008/09 幻冬舎  新書: 276p
Vol.2 950★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 村上春樹追っかけも延々と際限のないものとなり、その迷宮にどこまでも遊ぶことは可能であろうが、当ブログの本来の目的はそこにない。個人作家としての村上春樹を追い、それを取り巻くエネルギーとして渦巻くクラウドソーシングとしての「ハルキワールド」もなんとなくイメージできてきた。しかし、そこからパラレルワールド「1Q95」への抜け道を探検し、さらなる「1QQ5」へと、突き抜けていくことこそ、当ブログの目下の路線である。

 清水良典の名前は、「文學界」 2009年08月号の「1Q84」特集や、「村上春樹『1Q84』をどう読むか」2009/07にも見える。1954年、奈良県生れの文芸評論家。他には「村上春樹はくせになる」2006/10 などがある。私もおなじ年の生れなので、時代体験としてはまったく同じ日本列島のなかで、似たような時系列を生きてきた、と言える。

 この二人を抜きにしては同時代の文学は語れない。二人の同時代の作家として、私たちは生きてきたのである。二人の作品は私たちの時代そのものなのだ。その二人の代表作を並べて読むことで、この30年の時代の流れを見つめなおしたい。私たちはどのような時代を生きてきて、今どのようなところにいるのかを考えたい。p3

 当ブログは、「同時代の文学」を語る目的で設定しているのではないので、とくにW村上がいなくてもとくに困ることはない。さらにいえば、この二人をなぞることによって、この30年を見つめなおすことにはならない。同じような意味では、たとえば中沢新一を読みなおすことで、この30年を考えることができるだろうし、あるいは、北山修を読みなおすことだって、大切なことになるだろう。ひいては、荒岱介を読みなおしてみることだって、大切なことになるだろう。

 まぁ、しかし、ここで意地悪なことを言っていてもしかたない。当ブログは、現在、村上春樹をおいかけているのである。カテゴリ「クラウドソーシング」もこの書き込みですでに103番目となる。各ブログの定量を108と決めて、一旦フリーズしてしまうのは、当ブログの作法なので、あと5冊ほどで、ふたたび、村上春樹おっかけは中断(終了となる可能性もある)したい。

 そういった意味ではなかなか興味深い一冊ではある。この二人の対談「ウォーク・ドント・ラン」がでたのは1981年のこと。それにさかのぼること、龍の「限りなく~」や春樹の「風の歌を聴け」がでたのは、たしかにすでに30年以上の前のこと。この二人の名前がどこかで語られ続けてきたのは確かなことだ。

 この本では、時代を三つに区切っている。76~85、86~95、96~05、とちょうど10年単位になっているが、85年と86年の間には特に大きな断絶はない。むしろ、95年と96年の断絶はとても大きいといえるだろう。本書では、ちょうどここに区切りをもってきてはいるが、当ブログが求めるような意味では、あまりその区切りを重要なことと見ていない。

 当ブログはどうしても、社会的な区切りのほうに目が行っており、本書のような「文学」の面から考えれば、そのショックはやんわりと受け止められている感じがする。このやんわり、というところが、当ブログとしては、いわゆる「文学」なるものに感じる距離感、ということになる。

 精神分析を文学作品に応用して、作中人物を分析する方法はよく行われるが、私はその方法自体にはほとんど興味がない。精神分析とは、すべて臨床医がめいめい作り上げた野心的な仮説にすぎない。さらにフロイト、ユング、クライン、ボス、ラカンなど、さまざまな学派が弟子たちの勢力に分かれて対立していて、どの分析が正しいかを客観的に判断することは不可能だし、そんな議論は無意味である。p125

 当ブログでは、村上春樹の前は、北山修を一つの表象とした「フロイト 精神分析」をおっかけていた。ましてや、最大のテーマは「ブッタ達の心理学」と決まりかけている当ブログにおいて、ここでの清水良典の腹立ちは理解できないでもないが、オール・オア・ナッシング的に、心理学全般をバッサリと切り捨てることはできない。

 「海辺のカフカ」から「アフターダーク」にかけて見られるように、村上春樹はメタファーを駆使した象徴的な作風をいよいよと深めつつある。神秘的な出来事や暗示的な言葉のネットワークによって構築された「SF(サイエンス・フィクション)」ならぬ「SF(スピリチュアル・フィクション)」といえばいいだろうか。一見現実に背を向けて瞑想的な内的世界に籠っているようだが、実はそれは混迷を深める時代で生きる道を見出そうとする彼ならではのアプローチなのだ。p274「あとがき」

 この文脈における意味においての「スピリチュアル」や「瞑想」という単語の使い方には、当ブログとしては、一言いっちゃもんをつけておきたくなる。しかし、それはやめておこう。文学は、文字であらわされた芸術であってみれば、本や文字における検証は比較的可能性を残しているが、「スピリチュアル」や「瞑想」は、本や文字では検証が不可能だし、「論争」にもあまり向かない。

 ただ、本当にここで清水良典がいうような形での方向性が、今後の村上春樹にでてくるのかどうかを見定めたい期待は持っている。つまり、コンテナとしての小説、コンテンツとしての「ハルキワールド」、そして、コンシャスネスとしての「1QQ5」(仮称)へと、飛翔する可能性はあるのだろうか。村上春樹は、私たちの時代の瞑想を深めるスピリチュアル・ノベル(フィクションという言葉はあまり好きではない)足りえるのかどうか、というところに、今後のテーマは移っていく。

 すでにまとめに入っている村上春樹追っかけではあるが、その意味では、この本は出版年も近年のことであり、おおいに何事かを意識させられた、リアリティ溢れる一冊だった。 

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意味がなければスイングはない

意味がなければスイングはない
「意味がなければスイングはない」 
村上春樹 2005/11 文藝春秋  単行本 289p
Vol.2 949★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 季刊音楽雑誌「ステレオサウンド」に2003/春~2005/夏まで連載された、毎回5~60枚程度の長い音楽評論がベースとなって、2005年に加筆訂正されて出版された本。時期的には「海辺のカフカ」のあと、「アフターダーク」とのほぼ同時に書きすすめられた音楽論であり、長編小説を書くためのバランスをとるために書かれた一冊と言ってもいいだろう。

 小説の展開ではトンデモハプンなストーリー展開が多い村上作品だが、このような評論ものになると、ごくごく当たり前の論理性の持ち主であることがわかる。イノセントアートの安西水丸とのカップリングである村上朝日堂シリーズともまた違った、もうひとつの村上春樹の側面と言える。

 フォルカー ミヒェルスの「ヘルマン・ヘッセと音楽」とこの本を比較してみたりするのも面白いかもしれない。あるいはジェイ・ルービンの「ハルキ・ムラカミと言葉の音楽」も、決して音楽論ではないが、村上作品の中に潜む音楽性について、つよく指摘している。

 さて、小説にも音楽にも、ほとんどなんの造作もない当ブログとしては、ただただページをパラパラとめくっているだけだが、後半になって、ようやく「スガシカオ」で手が停まった。

 「ポスト・オウム的」というと、いささか話がアブナくなってしまうこれど、そこにあるものはたしかに、1995年以降でなければうまく通じにくい、漠とした「カタストロフ憧憬」ではないか、という気がしないでもない。p211「スガシカオの柔らかなカオス」

 あるいは、もっとも最後尾に登場するウディー・ガスリーなども、気になってくる。

 ウディー・ガスリーという音楽家は見当はずれなドン・キホーテであったのか、それとも邪悪な巨龍に敢然と挑んだ高潔の騎士であったのか?p249「国民詩人としてのウディー・ガスリー」

 なんとか当ブログとの関連のありそうなところを見つけようとめくるスピードを落とす。

 要するに、音楽の目的が違うのである。ガスリーが、同じような簡易な言葉を用いて詩を書いた国民詩人ウォルト・ホイットマンの継承者と言われるのもそのためである。p256「国民詩人としてのウディー・ガスリー」

 このあたりは、かならずしも村上春樹の独自の音楽論ということではないし、本来であれば、スガシカオやウディー・ガスリーはもともとこのシリーズにはでてこない可能性が高かったのではないだろうか。それでも、やっぱりサービス精神旺盛な村上春樹は、私のような小説にも音楽にも疎い一般読者にもオマケとして加えてくれているのだろう。

 「ブルース・スプリングスティーンと彼のアメリカ」p105、とか、「シューベルト『ピアノ・ソナタ第17番ニ長調』D850 ソフトな混沌の今日性」p55などというあたりも、本当はゆっくり読んでみたい。 

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夜のくもざる 村上春樹

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「夜のくもざる」村上朝日堂超短篇小説
村上 春樹 (著), 安西 水丸 (イラスト) 1995/06 平凡社 単行本: 237p
Vol.2 948★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 いつもは行かない大きな中央図書館で、年に一度の催しものがあったので、ウォーキングがてらに覗いてきた。ついでに小説コーナーにも言って「む」の棚をみたのだが、あまり村上春樹の本はなかった。となりの村上龍や室井なんとかなどはあるのに、へんだな、といろいろ頭のなかで思いをめぐらした。

 そうか、蔵書はたくさんあるけれど、リクエストが多いので、貸出される量が多いのだ。考えてみれば、私の自宅にも、ネットワークを通じて、この中央図書館から何冊もの村上春樹が来ている。ここに残っているわけがないのだ。

 でも、その数少ない村上春樹本の中で、なぜか、この「夜のくもざる」が2冊あった。出版当時よっぽど人気があって、多く入庫したために余っているのか、あるいは、ほとんど人気にがなくて、この本だけが、いつも棚の空欄を埋めているのか、私には判断つかない。

 この本は「短い短編」が集められている。まるで星新一のショートショートみたいなものだ。パーカー万年筆の広告などに使われたらしい。イラストはあのイノセントアートの安西水丸が担当している。担当している、というより、このイラストあっての、このショートショート、という組み合わせかもしれない。

 いずれにしても、最初から安西水丸がイラストをつけているが、この本が出版されるにあたって、安西水丸は、全部イラストを書きなおしたという。最初の広告のスペースにあうように描いたイラストでは、単行本には向かないと判断したらしい。

 この短編集には、どこかで読んだような短編がいくつも含まれている。当ブログは順不動で読んでいるので、にわかには指摘できないが、「象の消滅」に含まれていたものが何編かあったと思う。あちらには安西水丸のイラストはついていなかったが、イラストがないこの短編を読むのと、あるのを読むのは、どう違うだろう、と考えた。

 いみじくもこの本もまた95年の6月に発行されているが、内容から言っても、村上春樹の前期+後期のうち、正当な前期に属するものだ。

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レキシントンの幽霊

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「レキシントンの幽霊」
村上春樹 1996/11 文藝春秋 単行本: 235p
Vol.2 947★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 初出作品としての発表年代と、単行本としての出版年を考えれば、大きくわけた村上春樹の前期と後期のちょうど境目にあたる短編集と言っていいだろう。まさにパラレルワールド「1Q95」の上に、ドカンと座っているような一冊に思える。

 もともとの作品は1990~1996年に書かれ、「めくらやなぎ~」はもともとは1983年に書かれ、その後改定を経て、95年の夏に神戸と芦屋での朗読会用に書き換えられた、ということだから、まさに阪神淡路大震災後の状況を強く反映しているはずである。もちろん、かの麻原集団についても。

 ジャーナリズムなら、裏を取るとか、一次情報を重視するとか、精確を期すためにとるべき手法はさまざまあるが、小説や文学、という世界は、文字となって発表されたものを、読者として読むことが原点だから、まず読んでみなくてはならない。解説本や評論などをいくら読んでも、文学における「一時情報」や「裏を取った」というような精確なものにはならない。

 この短編集を読んでいて、なるほどさすがに面白い。まぁ、もっと言えば、村上春樹を知るためなら、村上春樹を読む、とこれしかない。評論や解説などは、なくたって構わないのだ。この短編集では「トニー滝谷」が一番ピンときた。

 作家の作品の場合、まず原稿用紙に書かれ、雑誌に収録され、単行本として出版され、文庫本として出る。そして改訂版がでたり、全集に納められたりする。その過程は当然のごとく作家本人の許可がなければできないわけだが、そのプロセスの中で、すこしづつ手が加えられ、装丁や文字組みも変えられていくことが往々にしてある。

 だから、本当に気になる作品ならそれらのバージョンを追っかけてみる価値はあるのだが、当ブログとしては、単行本として最初に出たバージョンが一番、作家の息遣いが聞こえてくるような気がする。

 逆に言うと、雑誌の連載は、毎号毎号おっかけなくてはならないし、それらがあとから全部順番に読めるとは限らない。作家も、連載が終わると、単行本化する前に、かなり加筆訂正してしまうことも多くある。もっとも、雑誌に掲載される前の、作家直筆の生原稿用紙などにこだわる向きもあり、原稿流出、なんてニュースが巷を駆け抜けることもある。

 この短編集「レキシントンの幽霊」も、そう言った意味では、さまざまな時間系列の中で、どのように変わっていったかを「調査」するには面白い一冊だろうが、当ブログのおっかけの範囲外のできごとである。

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2010/01/30

村上春樹、夏目漱石と出会う

村上春樹、夏目漱石と出会う
「村上春樹、夏目漱石と出会う」 日本のモダン・ポストモダン Murakami Haruki study books
半田淳子 2007/04 若草書房 全集・双書 278p
Vol.2 946★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 だいぶ前からこの本が手元にあるのだが、なかなか読書が進まない。次から次と、あとからやってくる別な本に抜かれ、ついに手元にいつまでも残っている。これではいけないと、思い立ったところで、「村上春樹『1Q84』を読み解く」の中の「村上春樹をもっと知るための7冊」の中の一冊としてランクインしているのを見て、よし、と決意した。

 本書は、夏目漱石と村上春樹の作品について、日本のモダンとポストモダンの連続性という視点から論じようとするものである。p3

 ただ、私は、夏目漱石と村上春樹が連続してようがどうが、あまり関心はないのである。そもそも夏目漱石をそれほど読んでいない。村上春樹が「80年代の夏目漱石」と呼ばれていたらしいことは知っていたが、だから、どうした、と、ちょっと開き直ってはいた。

 ここまで、村上春樹を読んできて、マイベスト3は、「羊をめぐる冒険」「ノルウェイの森」「海辺のカフカ」ということになり、まだ完結していない「1Q84」は、評価不能なまま放置している。「ねじまき鳥~」第3巻を再読しないことには、評価できない。短編は、まだ読んでいないものもある。

 しかし、それにしても、「羊をめぐる冒険」「ノルウェイの森」「海辺のカフカ」、にしても、どれをとっても、自分の心象を代弁してくれている、自分の時代の小説家、とはどうしても思えない。同じ時代に生きていた、「有名な小説家」という意味では、自分の時代の小説家であるが、むしろ、私は、この小説家について否定したいことのほうが多い。そもそも、文学、ってやつがどうも苦手で、本当の意味では信頼していない。

 考える。ドストエフスキーの時代には、小説(文学)というコンテナ自体がその存在価値があったのではないか。読者はそれ以外の選択肢はなかった。とにかく自分の生活から突出したものを求めようとすれば、小説というコンテナに頼る以外になかった。

 夏目漱石の時代になれば、そのコンテナをどのように使うか、という余裕がでてきた。夏目漱石は、多分、そのコンテンツを、このようにも使えるよ、という新しい多様性のほうへと導いた。そこに至って、村上春樹は、次なるステージ、コンシャスネスへと飛翔する可能性を期待されていることは間違いない。

 しかし、本当に、村上春樹は、コンシャスネスに向かって飛翔するだろうか。目下の当ブログの着目点は、ここが中心となる。時間軸としての村上全作品に軽く目を通しながら、その評価や評論という横軸にも目を配りながら、「1Q84」を交差点する空間の中で、次なるbook3が出るまで、迎撃態勢を作っておく。まぁ、それが当面の村上春樹対策ということになろう。

 

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特集◎村上春樹『1Q84』を読み解く

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「村上春樹『1Q84』を読み解く」
「文學界」 2009年08月号 文藝春秋 雑誌
Vol.2 945★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

加藤典洋「桁違い」の小説p216

 私はこの小説は、現在の他の日本の小説家の作品とは「桁違い」、「隔絶している」、それくらいにすばらしい、と考える。p216

 このような評価が、テレビのお茶らけ番組や、新聞雑誌のコラム、あるいは、新書本などの、単発的なものであるなら、それもそうだろうな、と思う。だが、文芸春秋という大会社が発行する文学専門誌「文學界」に登場してくると、なんだかなぁ、という気がする。なぜにこれまでに「桁はずれ」の作品を期待するような言動があるのだろう。

 これは趣味の問題なのであろうから、あまりつっこまないが、プロ野球を球場に見に行くか、自ら草野球を楽しむかの違いのように思える。私は球場にプロ野球を見にいったことは一回しかない。もちろん、ひいきの球団が優勝などの可能性がでてくれば、仕事そっちのけで試合の動向が気になる。しかし、開幕直後から気になるということはない。

 反面、草野球も本当はほとんどやったことはないけれど、自分がPTA役員をやっていた高校の野球部が甲子園にいくことになった時は、数千人の応援団を組織して、球場に押し掛けたことがある。一回戦で負けたけど、まぁ、感動の連動であった。

 まぁ、ここで私が言いたいのは、つまり、安易なエンターテイメント主義がキライだ、ということだろう。下手だけどシロート主義、ってやつが好きなんだな。下手過ぎて、目も当てられない、というのも困りもんだんが、手作り感覚って奴は、やっぱり好きだな。

清水良典「父」の空位p220

 「1Q84」の発行直後ということもあり、ここでの清水の文章はほとんど、内容のダイジェストに終始している。清水は単行本「村上春樹『1Q84』をどう読むか」にも文を寄せている。

 掟の番人としての畏怖されるべき<父>が空位の時代---、まさに1984年ごろの一斉に世界で顕現しはじめたポスト近代社会とは、我々が自らの欲望の地下倉庫の蓋を開放し、守るべき掟を葬った時代であったということができる。p223

 「父」の空位、ってフレーズも陳腐だが、このような論旨で、納得する読者というものがいるのだろうか。無料で読めるブログでさえ、もっとマシなことを書いている人々はたくさんいる。(当ブログは至らないところが多すぎるが) 金を出して読む文学雑誌の、しかも「桁はずれ」に素晴らしい作品の紹介者に選ばれた人の評価としては、なんだかピンとこないな。最初から、「草野球です」って言われれば、そうですか、ってすぐ受け入れられるだけどなぁ。

沼野充義「読み終えたらもう200Q年の世界」p224

 読み終えた読者の頭のなかには、未解決の疑問が渦巻いたままなのだ。読み終えて辺りを見回せば、もう200Q年の世界になっているような感じがするほどである。p224 

 沼野も「村上春樹『1Q84』をどう読むか」に文を寄せている。こちらは、いいな。内容はともあれ、200Q年という発想が素晴らしい。1Q84→1Q95→200Qというパラレルワールドが、当ブログのもうひとつの陽画となりつつある。そしてさらには1Q95→1QQ5、というベクトルもすこしづつ見えてきた。

藤井省三「1Q84」の中の「阿Q」の影---魯迅と村上春樹p228

 村上のデビュー作「風の歌を聴け」(1979)冒頭の一節「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」とは魯迅が散文詩集「野草」に記したことば「絶望も虚無なることは、まさに希望に相同じい」に触発されたものであろう。p228

阿Qと1Q84のQに何事かの繋がりを見つけようとするゲームは、これはお遊びなのか、真剣なのか、どっちなのだろう。阿Qがいた地平と、この言葉がいわゆる1970年代の敗北感の中で語られた時、そして、200Q年の小説の中で語られるときの地平は、同列に並べることができるのだろうか。いささか故事付けにかたより過ぎているとは思うが、このような故事付けサービスを、村上本人が最初から企画しているのであろう。

 今回「群像」と、この「文學界」の、「1Q84」出版直後の特集を読んでみたのだが、ふむふむ、そういうことなの? とちょっと疑問がつくことが多かった。これは、出版直後のほとぼりが冷めたあとに、トボトボとようやく辿り着いた当ブログが、試合終了後の試合会場に来たような境遇にあるからだろうか。

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徹底解明 村上春樹「1Q84」

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「徹底解明 村上春樹「1Q84」 「群像」 2009年 08月号
雑誌 出版社: 講談社; 月刊版 (2009/7/7)
Vol.2 944★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 ムラカミハルキを10倍楽しむ 世界中のひとびとを魅了する村上文学。その謎に満ちた最新作を、細部にいたるまで徹底的に深読みする。
 座談会 村上春樹「1Q84」をとことん読む 安藤礼二 + 苅部直 + 松永美穂 + 諏訪哲史
 温かい日本茶を飲むまでに---「「1Q84」を読む 小山鉄郎
 目次より

 30年前に村上春樹「風の歌を聴け」に新人賞を与えた「群像」であってみれば、いまや日本を代表する世界的「文豪」村上春樹の最新作に対する評価は、最大限と言っていい。とくに、出版直後の2週間で開催された対談などでは、たしかに「とことん」読まれていると言っていいだろう。

 出版直後には、他の出版物でも盛んに「1Q84」が話題となったように思うが、今になって、図書館で検索してみると、意外とそのタイトルを冠した書物は少ない。単行本が数冊、雑誌が数冊という程度だ。あれだけの長編だけに、読みこむのに時間がかかることと、すぐに評論をだすほどに体制ができているチームはそう多くはない、ということか。

 ちなみに、私が通う公立図書館のリクエスト数で数えると、「1Q84」は上下とも、いまだに1000人待ちである。ネットワークの図書館に30冊の「1Q84」が入っているものの、私の経験上、今現在、最後尾にリクエストした人が、この小説を読めるようになるまで、あと1年近くかかるだろう。

 一体、それだけ待って読む価値があるのだろうか。あるいは待つこと自体の価値があるのだろうか。それだけ待つなら、なにか他の方法があるのではないか、と思うが、まぁ、自分の順番が来たら読むだけであって、順番がこなけりゃこないで構わない、という層がいまリクエストを重ねているのかも知れない。

 かくいう私も、昨年話題になった映画「おくりびと」の原作と言われる、青木新門「納棺夫日記」をリクエストしておいたのだが、まもなく一年になろうとしているのに、まだ私の順番が来ない。あの話題の渦中であったなら、急いで読んでみたい、と思うところだが、いまや話題にも遠のいて、まぁ、読めるならいつでもいいや、とちょっと冷静になっている。

安藤(中略)ここに描かれているリーダーとは麻原彰晃のような新興宗教の教祖であると同時に、日本の近代システムそのものだと思うんです。私には、折口信夫が解釈し直した天皇---それは間違いなく象徴天皇制の先取りなのです---を俎上に載せているように読める。しかもその人物を殺してしまうのです。 p145

 いろいろ故事付けていけば、屁理屈と軟膏はどこにでもつく、というもので、なるほどそんなもんかい、ということになる。書き方も自由であってみれば、読み方も自由だ。どのような評価を加えようと、その行為自体にはそれなりの妥当性がある。

 しかしまた、そのような自由な「読み方」をさせ、ひとつの「鏡」として機能しながら、読み手の世界を映し出してしまうような力があるところに、この作品のみならず、村上春樹という作家の真骨頂があるのだろう。

松永(中略)私は留学してジェンダー論を学んできてから春樹さんを読み始めたこともあって、とくに女性の描き方に批判的な目線で見てしまうところがあるのかもしれません。p146

 性描写についてもそうだが、このような観点からよくよく考えてみれば、いたるところにチェックのマーカーペンの印がつくことになる。フィクションだから許される、という「甘え」はどこまで許されるのか。10歳の少女にたいする行為が、子どもポルノに厳しい海外諸国で翻訳されるときにはどうなるのだろう。あるいは、その時に物議をかもしだすこともまた、作者は計算済みなのか。

諏訪(中略)まずここで前置きしておきたいのは、僕が典型的な、盲目的ハルキストだということです(笑)。ですから、どんな作品でも春樹さんが書かれたものなら、まず好きになれる自身がある。長所だけが見つかるように自分を律して読んでいく。つまり僕は「ハルキ教」信者であって、「1Q84」の言葉でいえば、春樹さんは僕らの「リーダー」なんです。p143

 もちろん冗談で言っているのはわかるが、冗談の質はそうとうに低いと言わざるを得ない。このようなレベルでこれからのグローバルなスピリチュアリティを模索していくとするなら、この人は絶対に到達しないだろうと思う。「教祖」村上春樹、「教義」村上小説、盲目的「信者」諏訪哲史、もしこのような図式を成り立たせるのだとしたら、村上作品はすべて失敗していると言って過言ではない。

苅部(中略)BOOK1で、作中人物から語られる深田保の人生から想像される人物像、新左翼運動に挫折し、コミューンを作ってそこに閉じこもってゆくといった、いかにも時代を反映した像からすると、BOOK2で実際に登場する「リーダー」は、何だかそういう現実感がまったくないんですね。 p153

 そんなもの現実感があるわけがないのだ。村上自身が「新左翼運動に挫折」したわけでもなく、「コミューンを作って閉じこもった」わけでもない。ヤマギシをつねに持ち出している島田裕巳なんかでも、まったく同じく「挫折」したわけでもなく、「閉じこもった」わけではない。山岸巳代蔵自身も「新左翼」であったわけでもなく、「コミューン」であったわけでもない。エホバの証人のひとびとの実態だって、村上が小説に書くようなものとは、まったく別な評価がされなくてはならない。現実感がなくて当たり前なのだ。すべてが虚構なのだから。

 「何で海外でのことを書かないのだと外国の人によく質問される。確かに僕はアメリカ文学、外国文学に非常に強い影響を受けているけれど、でもその方法みたいなものを使って、日本のことを書くからこそ意味があるんです」と日本へのこだわりを語っていた。p164小山

 なにもかにもすべて村上個人に期待する、というほうが無理だろう。相撲ファンが、今日の取り組みについて熱く語り合っているような風景はそれなりに心温まるが、武道館の外は、小雪さえまいちる真冬だったりする。

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村上春樹スタディーズ (05)

村上春樹スタディーズ (05)
「村上春樹スタディーズ(05)」
栗坪 良樹, 柘植 光彦 1999/10 若草書房 292p
Vol.2 943★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 「2000-2004」をちらっとめくったところだが、本来は「2005-2007」を読みたかったのだった。しかし、こちらの「05」もなかなか興味深い。本来は「01」から順番に読みたいので、今回はパラパラと風を感じた程度で、割愛しておく。何人かの興味深い評者の名前があるが、とくに村上知彦氏の名前もあったので、ここだけ読んだ。

 氏のことは中沢新一の「網野善彦を継ぐ。」を読んでいたときに、ポロっと思い出したので、メモしておいた。ご尊父村上三郎氏についても、このスタディーズの中にでてくるので、興味深く読んだ。

 タイトルが「未だ死ねないでいる『神戸』のために」ということなので、このスタディーズがでたのも1999年だし、1995年の阪神淡路大震災にかかわる話かなと思ったが、実はすでに1990年の「思想の科学」に掲載された文章であった。

 エッセイ集「村上朝日堂の逆襲」のなかでも「僕自身は知りあいの多い土地というのがあまり好きではないので戻って住もうという気はさらさらない」とハッキリ言っている。村上春樹にとっては「神戸」もまた、いや「神戸」こそが、埋葬すべき死者なのだ。p210 村上知彦「未だ死ねないでいる『神戸』のために」

 パラレルワールド「1Q95」を考える意味でも、「神戸」、はあらたなる重要なキーワードであったか、と、再確認。

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村上春樹スタディーズ(2000ー2004)

村上春樹スタディーズ(2000ー2004)
「村上春樹スタディーズ」(2000ー2004)
今井清人 2005/05 若草書房 全集・双書 339p
Vol.2 942★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 「村上春樹の『1Q84』を読み解く」の中で「村上春樹をもっと知るための7冊」として紹介されている「2005-2007」版をリクエストしたのだが、手配の都合上、こちらが先に来てしまった。それで初めてこの一連の7冊シリーズを意識した。たくさんの人の評論集として成立しているという意味では「村上春樹『1Q84』をどう読むか」に通じるものがあるが、こちらのスタディーズは、ひとつひとつの論文が長文で、ヘヴィーである。

 このシリーズを斜め読みする、ということはできない。読むか、読まないか、どちらかだ。そして読むとすれば、7冊全部読まないと気が済まなくなるだろう。だから今回は、その存在を確認しておくにとどめ、万が一、次なるステージが当ブログで再開せれるとしたら、その時に、ひとつの柱となってくれるシリーズとなろう。つまり、クラウドソーシング「ハルキワールド」アドバンスコースな一冊と言える。

 読みだせば、ひとつひとつが面白い。今回は、「『ノルウェイの森』を徹底批判する---極私的村上春樹論」小谷野敦、あたりを、とても面白く読んだ。しかし、ここからリンク*リンクでいくと、いくらとりとめのない当ブログとは言え、自らのテーマを見失い、茫漠としたものになってしまう可能性がある。

 私が春樹を容認できない理由は、たった一つ。美人ばかり、あるいは主人公好みの女ばかり出てきて、しかもそれが簡単に主人公と「寝て」くれて、かつ20代の間に「何人かの女の子と寝た」なぞというやつに、どうして感情移入できるか、という、これに尽きるのである。p75

 この「徹底批判」を読んでいると、「そうなんだよなぁ」と、かなりの部分で共感することがある。圧倒的な長編を読んでいると、まるで「洗脳」されたみたいになって、まぁ、そんなこともあろう、と読み進めてしまうが、「おかしいぞ」というところはたくさんある。

 しかしながら、時代も空間も特定していない、しかもフィクションであれば、どうにも手に負えない部分がある。ましてや自らの「プロの嘘つき」とまで公言する小説家であってみれば、こちらがイキり立てばイキり立つほど、こちら側が空回りしてしまう可能性もある。

 それらを知っていながら、なお、それを読み、感嘆し、愛し、批評し、批判し、再構築を試みる、という作業を続けている人々がいることに、改めておどろく。とくにこの「スタディーズ」シリーズは、ほんとにまぁ、ご苦労様といいたいほど、「真剣」にこの作家と取り組んでいるようだ。

 再読を期す。

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村上春樹ワンダーランド

村上春樹ワンダーランド
「村上春樹ワンダーランド」
宮脇俊文 2006/11 いそっぷ社 単行本 239p
Vol.2 942★★★★★ ★★★★★ ★★★★★

 タイトルもお手軽だし、表紙も、中に綴じられているイラストや、画像も、カラフルなものが多いので、わりと軽めの本なのかな、と思ったが、これがなかなかハードパンチャーによるボディブローのように、横っ腹にドスンと来るような、一冊と言える。

 この本を読んでいて、ああ、やっぱり私は村上春樹のことをぜんぜんわかってないな、と痛感した。おもなる長編小説のタイトルは大体年代順に言えるまでにはなったが、そのひとつひとつのストーリーだって、いろいろな読み方があるのだ。ましてや、各章に挟まれたエピソードのひとつひとつなど、完全に見逃している可能性がある。

 短編やエッセイに至っては、あれ、今まで私は一体何を読んでいただろう、と思うくらい、着眼点がちがう。翻訳や、インタビュー記事に至っては、まったくノーチェックだったし、今後も手が伸びそうにないが、その辺までが、コンパクトにまとめられているこの本は、とても貴重な一冊に思える。発行年が2006年なので「1Q84」については触れられていないが、それを補ってあまりある全体性がある。

 ひとつには永年、著者が作家・村上春樹を愛読してきたことがベースになっているが、数年後輩とは言え、おなじ学生寮を住まいにしていたという体験があったりすることが大きな要因にもなっている。あるいは、もっと、感性的に、村上に近いのではないだろうか。

 (略)もうひとつの大きな理由として、村上がアメリカに住んでいたということを挙げている。日本では常に「独立した個人」になることに必至になっていたが、アメリカでは「個人であるというのは、もう前提条件」だから、「個人になりたいという意思というのはそこでは何も意味を持たない」ことに気づいたという。したがって、「逆に、個人でありながら、そこからどう発展していけるかというところに意識が移る」といっている。そこに、三部を書きはじめたきっかけがあったと回想している。p220「新潮」1995/11 「ねじまき鳥クロニクル」についてのインタビュー記事より

 著者は私と同じ学年なので、ほぼ同じような時代背景の中で青春時代をおくっていることになる。もちろん地域も違えば、方向性も大いに違っていたようだから、当時、どこかで出会っても、友達になった可能性などは、かなり低い。だから、この本に表現されているような村上作品への「のめりこみ」はこの人特有のものであろうと思うし、私がこれまで、とくに村上春樹に特別の感慨をもたずに生きてきたことに、なんの負い目はない。だが、それにしても、ここまで愛せる世界を持てた人、という意味では、うらやましい。

 なぜ外国で受け入れられるかについて、次のように自己分析している---「僕の作品がある程度外国で受け入れられているとしたら、それはやはり、僕が日本人であること、日本の作家であるということに対して意識的だからだと思いますよ。外国に行って、たとえば朗読会なんかやって話をすると、僕の日本的なものというのに対する質問が多いです。僕がグローバルであるということよりは、僕が日本的であるということに対する興味が大きい。こほどニュートラルな文体で物語を書きながら、どうしようもなくその物語の質が日本的であるということに対して外国の人はかなり意識しているみたいな気がする」。227p「文學会」2003/04インタビュー記事より

 英語への翻訳を多く手掛けているジェイ・ルービンは、著書のなかで、論争的なミヨシ・マサオの表現を紹介している。

 村上が陳列するのは、「異国情緒あふれる日本のインターナショナル・バージョン」である。村上は「日本に心を奪われている。もっと正確に言えば、海外バイヤーたちが日本に見出したがっていると[村上が]考えているものに心奪われているのだ」とミヨシは言う。ジェイルービン「ハルキ・ムラカミと言葉の音楽」p16

 どうもこの辺の両面からの評価を考えてみると、村上春樹のグローバルなポピュラリティというものは、地球サイズの平均値、というものではなくて、「クールジャパン」や「カワイイ」文化へとつながってくる、日本のもっている異国情緒の外国市場への進出、ということになってしまうのだろうか。なるほど、そう考えることはできる。村上本人の言葉からも、そのように理解してもいいだろう。

 だから、もし、村上春樹や、この本の著者のような存在に注目しつつも、当ブログが、どうもいまいち、自分が求めているものは、もうちょっと違うものだな、と感じるとすれば、その理由は、この辺にあるように思う。One Earth One Humanity。グローバルなスピリチュアリティとは、異国情緒であったり、バイヤーたちがやり取りする市場原理のできごとではない。もっと本源的なものであるはずなのだ。

 なにはともあれ、宮脇俊文は決して多作な作家ではないが、数少ない著書の中にこの「村上春樹ワンダーランド」を持っているところに、いかにこの作家を愛しているのかを推し量ることができる。私のような新参者へのナビゲーションとしては、ベスト本の一冊だ。

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2010/01/29

村上朝日堂はいかにして鍛えられたか

Photo
「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」
村上 春樹 (著), 安西 水丸 (イラスト) 1997/05 朝日新聞社 単行本: 332p
Vol.2 942★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 「週刊朝日」に「週刊村上朝日堂」というタイトルのコラムをこの前連載していたのは、もうかれこれ十年以上前のことになる。p9

 なるほどそうであったか、「村上朝日堂はいほー!」の元原稿は1983年ころのようだから、それよりちょっと前に、週刊朝日にあったコラムが原点になっているのだろう。

 僕はこの連載を続けながら、地下鉄サリン事件の被害者のインタビューを一年間こっそりと続け(時期的にはほとんどぴったりあっています)、それをアンダーグランドという本にまとめたわけですが、正直言ってそっちがかなりヘビーだったので、「村上朝日堂」の仕事は精神のバランスをとるための良い息抜きみたいになりました。p330

 例によって、村上調のコラムが延々とつづき、安西水丸のイノセントアートが、そのお手軽さを助長させる。「アンダーグラウンド」は読まなかったけど、村上朝日堂シリーズの大ファン、なんて人もいるんだろうな。

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ねじまき鳥の探し方―村上春樹の種あかし

Nejimaki
「ねじまき鳥の探し方」村上春樹の種あかし
久居 つばき1994/06 太田出版 単行本: 237p
Vol.2 942★★☆☆☆ ★★☆☆☆ ★★☆☆☆

 この本には、ゆりかごから墓場まで、徹頭徹尾「ねじまき鳥クロニクル」の世界のことが、口述体筆致で書かれています。p5「まえがきにかえて」

 とは言うものの、「ゆりかごから墓場」というわけにはいかない。なんせ、「ねじまき鳥~」3部がでていないのだから、「墓場」までは誇大広告である。グルービーな一冊というか、小判鮫商法というか、この本で「種あかし」の手ほどを受けているなら、「ねじまき鳥~」を再読したほうが、時間の有効活用ということになろう。

----「ねじまき鳥クロニクル」の第3部はどう展開されていくでしょう。
▼それは著者でないのでわかりませんが、私はもしかすると「僕」はひとりでバリ島にでかけることになるかもしれないなとおもったりはします。(中略)
 また、「僕」は第2部の最後、すなわち1984年の「10月半ばの午後」に区営プールで「太陽のおおよそ半分を覆ったところで、そのままぴたりと浸食を中止してしま」った「正確な意味での日食ではない」ものを見ますが、それなら「僕」は第3部/第1章でバリ島において本物の日食を見てもおかしくはないなとも思います。
p236

 この辺の経緯やもうすでに15年前以上のやりとりなので、結末についてどうこう詮索している必要はないのだが、当ブログにおいては、実は「ねじまき鳥~」第3部は「鬼門」として、再読用に残してある。つまり、集中力が切れたので、めくっただけでひとまずの「読了」としておいた。しかし、この3部は実は大変重要な位置にあるだろう、ということで、今現在は、新規蒔き直しで、英気を養っているところなのである、実は。

 「ねじまき鳥~」の時代設定は1984年である。そして、第1部、第2部がドンと一緒にでて、第3部だけが、あとから登場する、という形は「1Q84」に継承されている。「1Q84」のほうは、第4部(つまりbook4)以降も出る可能性があるので、なんとも言えないが、いずれにせよ、この「ねじまき鳥~」と「1Q84」の連環という図式も少しは意識しておかなくてはならない。

 半分の太陽と、ふたつの月、なんてところも、シンボル的ではある。

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村上春樹×90年代 再生の根拠

90
『村上春樹×90年代』 再生の根拠
横尾 和博 (著) 1994/05 第三書館 単行本: 178p 
Vol.2 941★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 「村上春樹追っかけ、まだ続いているの?」と奥方が、のたまわる。
 「ちょうど半分くらいまで、きたところかな」
 「半分?」
 「私だったら、もうとっくに飽きて、他の人のを読みたくなるな」
 おいおい、火をつけたのは、あなたでしょう。いまさらそんなことを言われても、ここで止めるわけにはいかんよ。なんとか長編をひととおりめくったあとは、短編集をめくって、エッセイやファン感謝デーな本を一通り読んだあとは、他の人の評論や、世界での翻訳状況について、知りたいと思ってはいるんだ。まだ半分も行っていないかもなぁ。
 ほぉ・・・・。あきれ顔で、彼女は自分の本を読みだした。

 全共闘運動の特徴はなんと言っても直接性と身体性、情念と感性に支えられていました。(略)「連帯を求めて孤立を恐れず」という有名な言葉がありますがこの言葉が全共闘を象徴しています。
 小説では高橋和巳や埴谷雄高、大江健三郎、真継伸彦、小田実、というひとたちがよく読まれていました。
 運動が70年を境にして下り坂の兆しが見えはじめ、それが1972年の2月のあの連合赤軍事件で決定的なダメージを受けます。
 活動家たちは次々と運動から去り、ある者は学園へ、職場へ、故郷へ、とそれぞれのに日常へ帰還します。
 そしてその精神的な傷はそれぞれに相当深いものがあったと推測されます。なぜならその「戦後」に譬えられる私たちの世代の中から、文学がしばらくは生れなかったからです。
p133

 私たち全共闘経験者にも個人的にはいろいろな「総括」があるわけですが、その中には「自分の中の弱さに敗北した」と考えている人もたくさんいると思います。
 私は何に敗北したのか、という問いかけには、「個人(個)と共同性(体)の回路を明らかにできなかった主体」というのが答えだと思います。
p135

 村上春樹が処女作「風の歌を聴け」を書いたのは1979年でした。
 もう全共闘や反体制の嵐はあとかたもなく消えてしまった時期です。
p138

 「総括」と大ざっぱに括ってしまいましたが、70年代から80年代、そして90年代へとおれぞれが個人で背負ってきたものをどう考えるか、そしてそれを文学上の問題としてどうとらえるのかが重要だと思います。p145

 この本は1994年5月にでている。パラレルワールド「1Q95」の一歩手前、「ねじまき鳥~」の1部、2部がちょうど出版された時期であり、3部が出版されるまでには、さらに一年が必要であった。そこまでに発表された村上作品についての評価はそれほど大きく違ったものではない。ここで横尾の特徴的であることと言えば、物事を「年代」的にとらえようとするところと、「文学」にかなり大きな期待を持っているところである。

 このような過大な重圧に村上本人もそうとうに参ってしまった部分もあるのだが、持ち前の山羊座のA型スタイルで、ほかのエッセイやら翻訳で、乗り切っていったのだから、そのバイタリティは大いに評価されてよい。ただ、「年代」的「文学」論は、はてこれでよかったのだろうか。

 「個人(個)と共同性(体)の回路を明らかにできなかった主体」p135というモチーフは、当ブログがパラレルワールド「1Q95」から「200Q年」に抜けようとするとき、あるいは、さらなるパラレルワールド「1QQ5」に思いを寄せるとき、ここで横尾がいうニュアンスでの「共」と「個」はどのように解明されていくことになるだろうか。

 著者にはほかに「村上春樹とドストエーフスキー」がある。

 

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村上朝日堂はいほー!

Haiho
「村上朝日堂はいほー!」
村上 春樹 (著) 1989/05 文化出版局 単行本: 208p
Vol.2 940★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 このエッセイ集には、1983年から約5年間に書かれたエッセイが収録されています。大部分は「ハイファッション」というファッション雑誌に「ランダム・トーキング」というタイトルのもとで連載されたものです。それからその間に他のいろいろな雑誌に書いたきり、そのままどこにも収録せずにほうっておいたエッセイを押し入れからひと山ひっぱりだして、そこから何編かを選んで追加しました。p204「あとがき」

 元原稿はあったとは言え、大幅に加筆訂正されてもいるようだし、書き下ろしも含まれているようだから、骨子としては1980年代中盤の雰囲気を保ちつつも、表現としては、この本が出版された1989年5月地点の著者の心境がつづられている、と考えても、まずは大きく間違ってはいない。

 僕だってたまには女の子にむかって「俺はさそり座のABだから、下手にかかわると怪我をするよ」というくらいのことはさらっと言ってみたい。それがだめなら水瓶座のBでも。それが駄目なら獅子座のO型でもいい。なんだって山羊座のA型よりはましだ。p18「わり食う山羊座」

 なるほど、この人のコツコツと積み上げていく世界は、たしかに山羊座的だし、あのいかにも一人っ子という雰囲気の風貌は、なるほどA型なのか、と思う。

 ノン・フィクションというのは原理的に現実をフィクショナイズすることであり、フィクションというのは虚構を現実化することなのだ。それをどちらがパワフルかと比べるのは、無意味である。p50

 エッセイという文芸は、さて、どちらの範疇にはいるかと言えば、やはりノン・フィクションの部類に入るだろう。エッセイだからと言って、「嘘」はいただけない。しかし、切り取り方によっては、いくらでも別人格になったり、場所や人物を設定しなおせるので、まぁ「真実」というようなものとして受け取る必要もなかろう。

 一冊だけ本を携えて無人島に行くとしたら何を持っていくか、という設問がよくある。(略)何のことはない、本なんか持っていかなくったって自分でどんどん小説を書いちゃえばそれでいいんじゃないか、ということになってしまう。こういう点小説家というのは便利である。p116

 村上朝日堂、という屋号、あるいはキャッチフレーズはいつから使っているのだろう。現在の当ブログの追っかけでは、この1989年の段階が一番古いように思うが、その名前の由来がまだよくわからない。

 とにかく軽妙なタッチのエッセイもよく書ける人だと思う。なにもハードボイルドな長編を書かなくても、軽妙なお手軽タレントとしても十分やっていけるキャラなんだなぁ。いや、こんなことを言ったら、いまやノーベル賞候補と言われている「文豪」に対しては、失礼かな。

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ハルキ・ムラカミと言葉の音楽

ハルキ・ムラカミと言葉の音楽
「ハルキ・ムラカミと言葉の音楽」 
ジェイ・ルービン /畔柳和代 2006/09 新潮社 単行本 463p
Vol.2 939★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 この本に対する当ブログの評価は、相反する二つの側面が交互に表面化してくるようで、あまり落ち着いたものではない。英語圏への村上作品の多くを翻訳して紹介したジェイ・ルービンの、村上春樹夫妻の伝記物とさえ捉えることのできる本書は、ある意味、ゲテモノ、ある意味、貴重な資料集である。

 英語で英語圏の読者に村上紹介本としてだされた一冊であるが、それをさらに別な翻訳者が日本語訳するという複雑な経路をたどっている。言ってみれば「ファン感謝デー」な一冊でもあり、本来であれば、こんな立派なハードカバーではなく、むしろ「少年カフカ」のようなペーパーバックででるべきではなかっただろうか。あるいは原書はきっとそうであるに違いない(確認はしていないが)。

 こうして一代物として見た場合、やはり村上春樹の「人生」に、60年代の精神を象徴させようというには、あまりにも無理すぎる。ノンセクト、あるいはもっとほとんどノンポリにちかかったはずの村上の「生き方」には、はっきり言って「60年代の精神」などない。同時代的に見ていた情景を描写する力を村上は持っているだろうが、ここになにかを過大評価することは間違いだ。

 村上にとって、音楽は無意識の深奥に降りていく上で最良の手段なのだ。無意識の奥底は私たちの心的時間を超越した、別世界である。そこは自己の核となるものであり、自分は誰かという、一人ひとりの物語のありかだ。p12

 本書のタイトルのように、どこかで「音楽論」でも始まるかな、と思ったがそうでもない。淡々と村上夫妻の伝記が語られていることは確かだが、決して「自分は誰か」という煮詰めはない。

 それまでいかなる考えを持っていたにせよ、春樹と陽子にとって40になることは、子育てをする可能性がほとんどなくなったということだった。p224

 極めてデリケートな話題なので、ここまで触れてこなかったが、私が持つ村上小説に対する違和感の大きな部分に、子供のいない世界でのセックス感がある。性描写をするのは構わないが、なんか紋切り型であり、パターン化している。そして、本当のエクスタシーを感じているとは思えない。

 子供を持つ持たないは個人の自由だが、私は子供はぜひほしかったし、幸い子供に恵まれた。その子供たちが巣だって行くまで、町内会や、父親の会、PTAなどにも積極的にかかわり(正・副会長を6年やった)、自分なりに積極的に子育てに参加した。この話題は、村上作品には決定的に欠けている。ないしは、この側面が村上作品に物足りなさを感じる理由のひとつであろう

 というより、子供を持たないことをポリシーとする作家と、子供がぜひともほしい読者では、ひとつの小説世界を語るうえでも、かなりの距離があるのではないか、というのが私の直感である。この本は村上ワールドを俯瞰できるハードカバーであるが、もっとフランクに、お気軽に読まれるべき本だ。ちょっと気取りすぎ。

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2010/01/28

村上春樹『1Q84』をどう読むか <5>

<4>よりつづく 
村上春樹『1Q84』をどう読むか
「村上春樹『1Q84』をどう読むか」 <5>
河出書房新社 島田裕巳 内田樹 森達也他 2009/07  単行本 222p

上野俊哉「はじまりの1984、1968の残りもの」p153★★★☆☆

 1962年生れ、社会学者。「村上春樹は、長い間、同時代の政治や経済、あるいは歴史への参照を周到に回避することで多くの読者の共感を誘ってきた。」p153 新参の村上読者でしかない私などは、この出だしの文章で、う~ん、と唸ってしまう。なるほど、そうであるようでもあり、そうでないようでもある。それなりに妥当性のある説得力のある言葉だ。しかし、過去の新左翼的な言辞が踊る半面、著者が1962年生れであることを考えると、この人に「1968年の残りもの」というセリフは全うな意味では語れないだろうと思う。

小澤英実「声の物語、物語の声 『1Q84』とその隠喩」p158★★☆☆☆

1977年生れ、アメリカ文学研究者。「これによって癒されるか、気を抜いた刹那に針で衝かれて命を落とすかは、もはやあなたの読み方を超えて、生き方の問題なのである。」p163 当ブログもあまり人様の表現をどうのこうの言えないが、それでも、やっぱり、この辺の表現は歯が浮いてくるような評価だと思う。すくなくとも私はこの小説によって「癒される」こと(を求めてもいない)も、「命を落とす」(あまりにゲーマー的言辞)こともあり得ない。

速水健朗「『空気さなぎ』とフォースの暗黒面をめぐる考察」p164★★☆☆☆

1973年生れ、フリーライター。「『1Q84』は、『小説』について自己言及的に折り重ねて生み出された物語だ。」p168 はっきりと言うと、この世代の人々の評論をまともに聞いていない自分がいる。同じ土俵に生きている気がしない。だが、この世代の人々がこのように考えているのだ、という意味では、関心はある。そして、「わが」世代が「リアル」なゲームの中にいたのに、「かの」世代は、ひょっとすると、「ゲーム」そのものがリアルなのかな、と思う。小説の読み方そのものが違うのだろう。個人差ももちろんあろう。

佐々木敦「リトル・ピーブルよりレワニワを」p170★★★★★

1964年生れ、評論家。「立ち読みオジサンを見たときには、(略)オイオイこいつえんえんとタダ読みかよウゼエ的な微妙な不快感を感じた。」p170 発売からかなり遅れて立ち読みに書店に通い、数日でなんとか大体の文章を斜め読みしたが、やっぱり細かいデティールはわからなかった。奥さんが読了し、「面白い」というので、ようやく販売から半年遅れの正月休みの一週間で、布団の中で横になりながら、ようやく「精読」した私としては、著者の言葉が身にしみる。読んだのも図書館から借りた本だ。その他の解説本もすべてと言っていいくらい図書館本。4月にでる「book3」において、買うか買わないか、で、私自身の返答が確定するだろう。どんな「事実」が起こるか、それまで待とう。

水越真紀「天吾はなぜ青豆を殺したか?」p178★★★☆☆

1962年生れ、フリーライター。「個人であること、個人として生きることというのは、村上春樹の小説ではずっと、なによりも大切なテーマだった。」p180 鈴村和成、「読者は青豆に理想化された自己の像を見ることはできない」としたが、水越は女性という立場もあり、理想化された、とは言わないまでも、かなりシンパシーを持って青豆を読みこんだのではないか。個人であろうとしつつ、拒否しつ、共感しつつ、世代を超えて読まれる、という現象は興味深い。ましてやその個人(であろうとするひとりひとり)がクラウドソーシングとしての「ハルキワールド」を形成するとなると、なお興味深い。

上田麻由子「世界は骨と皮、血と肉でつくられる 村上春樹とオースターの物語」p182★★☆☆☆

1978年生れ、アメリカ文学研究。「どこか腑に落ちない。なぜなら、わたし自身がアメリカで目にしたハルキストたちは、あまりにもナイーブな読者だったからだ。」p185 ハルキニストでもなければ、良質の村上読者でもない。単なる通りがかりの新参の斜め読み人にあってみれば、本当は村上春樹の小説なんか、正直、どうでもいい。あえて言うなら、パラレルワールドとしての「1Q95」が浮かび上がってくれば、それで十分だ。使いまわし、こじつけ、曲解して、なお捨て去ってしまっても構わないと思っている。ちょっと極論だが、今は、そうしか言えない。

清水良典「『リトル・ピープル』とは何ものか」p187★★★☆☆

1954年生れ、文芸評論家。「村上春樹が作中にユングの名を出して、『影』の解説をしたのは、『1Q84』で驚かされたことの一つである。」p191 読者が「不特定多数に拡散しえた」p188のは、村上小説がたくさんの小道具を用意してきたからでもある。村上本人は、フロイトは嫌いで、どちらかというとユングが好きだ、ということも分かった。しかし、「ユング」もまた、村上小説の中の小道具に一つにされてしまう可能性はあるだろう。大体において、2009年の今、あるいは200Q年の「今」、ユングでは、この小説を読み解くことはできない。

新元良一「時間の推移へのささやかな抵抗」p194★★☆☆☆

1959年生れ、アメリカ文学研究者。「時間本来の厳格な法則から逃れようとする人たちの姿をリアルに作中人物に投影し、読むわれわれに現実感をもたらすのは何故だろう。」191p コンテンツからコンシャスネスのステータスへ移行すれば、本来、時間という概念はないのだ。時間という概念を使いながら、時間という概念をこわすことができているとするならば、ましてそれが現実感をもたらしているとすれば、よりコンシャスネスの地平へと移行していることになる。もの、こと、を超えて、ある、まで行けば時間はない。

越川芳明「『卵と壁』を超えて」p199★★☆☆☆

1952年生れ、アメリカ文学研究者。「村上はイスラエル政府によって、『政治的』に利用されてしまったということだ。村上のほうも、ノーベル賞への布石としてエルサレム賞受賞を利用した。」p200 さまざまな評価はあれど、「1Q84」は完結しておらず、ノーベル賞の選考プロセスは秘密主義の壁の中で公開されておらず、世界に平和は来ていない。そこまでの過程の中で、何がどう絡まりあい、どう利用しあうのかは、まったく未知なる次元に属している。ただ、その中にあっても、大きなキャラクターとして、この小説と作家が歩み続けている、という事実はある。

竹内真「村上春樹をめぐる、くたびれた冒険」p204★★★★★

1973年生れ、ブログ「不可視の学院」主宰。「村上春樹を好きか嫌いかと問われれば、たんに『読まず嫌い』だと答えるしかない。だが『嫌い』以前に、僕はこの作家にとことん興味がなかった。作品を読んでみようとも思わなかったし、わざわざ批判しようという気にもならなかった。」p204 いみじくも同じブロガー(といっても私はごくごくミニマムだが)として、村上春樹に対する感性はほぼ似たものである。すでに50冊ほどの関連本をめくったが、一連のこの作業を終えれば、ひょいと、すべて忘れてしまう可能性がある。

 さて、ここまで急ぎ足でこの本をめくってきた。出版直後の短時間にまとめられた文章、あるいはコメントなのであり、著者たちは、決して十分表現しきれているとは言えないだろう。しかしまた、練り上げる時間がないうちにアップしなければならないコメントには、あとあとからでてくるコメントにはない、荒々しいが、より本質的なニュアンスが込められていることが往々にしてある。

 この本は一度、書店で立ち読みし、二回目は図書館から借りて、ひとつひとつコメントをつけてみた。これはあまりに多数の人々の、統一されていない意見と様式だったので、今後の自分が、この本からどのように展開をしていけばいいかの足がかりをつけるためのものだ。タイトルのあとのマークも、暫定的なものであり、他の雑用を処理しながら、片手で読み進めた本であれば、読書そのものに密度の違いがあり、そのような外部的な要素もかなり影響している。ただ5つの場合は、かなりの共感度を持って読んだことになり、次回、もうすこし咀嚼し、時間をおいたところで、再読することがあるとすれば、これらの共感度が高かったチャンネルから、何事かを再開することになるだろう。

 つづく・・・・・だろうか・・・・・?  

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雨天炎天 チャイと兵隊と羊―21日間トルコ一周

Utennenntenn
「雨天炎天」チャイと兵隊と羊―21日間トルコ一周
文・村上春樹/写真・村松映三1990/08 新潮社 2冊組/函入 p82
Vol.2 938★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 トルコに来たら何をしよう、何をしたいという希望は殆どなかった。愛想のない話だけれど、ただトルコに来て車で回って土地や人々の姿を見てみたいと思っただけだった。でもあえて言うなら、もしできることならヴァン猫に会って、ヴァン湖で泳ぎたいと思っていた。それが僕のささやかな希望であった。でもそれもどうしてもというほどのものでもない。できたら、ということである。僕の希望というのは昔からだいたいその程度のものである。p62

 どこに線引きをするかではあるが、トルコと日本じゃ、まったく対局に位置する文化や日常がある。どちらが極ということではなく、どちらも文化であり、日常である。日々、男と女が、大人と子供が、人間と動物たちが、山や川や湖が、空と大地、それらはまったく同じなのに、トルコと日本じゃ、まったく対局に位置するような、大きな違いがある。

 そこに、装備満載の三菱パジェロと、あらゆるカメラ機材を積み、空手の達人のカメラマンを同行し、最初から、旅行記を書くための「旅」は、本来の旅とは、言えないのではないか、と思う。それは、どこか邪心が入っている。とくに作家・村上春樹のような人が、小説の材料になるかも知れない、などと思って旅することは、なんだか、許せない、と思ってしまわないわけではない。

 日本を、あるいはよく知られた町を旅したら、村上春樹なら不思議ワールド仕立ての小説として表現するだろう。「日常」はあまりに日常すぎて、小説にならない。「日常」から非日常の世界へと自らの思いを馳せ、読む者を非日常へと道づれにする。

 しかるに、トルコ人にとっての「日常」は、旅人・村上春樹の非日常だ。だから、目に見えるもの、触るもの聞こえるもの、すべてが珍しい。それらひとつひとつを描写すれば、それで村上小説の読者にとっては「非日常」的な作品として、消費されることになる。手法としては、ノンフィクションとか、ルポルタージュとか、旅行記と言われるものであろう。

 たとえば「分け入っても分け入っても青い山」と山頭火がつぶやく時、あるいは「旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる」と芭蕉が辞世の句を残す時、おのずとその旅は、目に見える世界や、触って感じる世界からは、遠く離れたところを歩んでいる。何も、村上春樹ひとりに、その「旅」は嘘だ、と言っても始まらないが、なにはともあれ、ここでの旅は取材旅行であり、見るもの聞くものすべてが珍しいおのぼりさん的「旅」である、ということを明記しておかなくてはならない。

 当ブログにおける三コン論に対応させておけば、コンテナとしての三菱パジェロと高機能カメラがあり、コンテンツとしての村上春樹とカメラマン松村映三があったとして、そこで完結してしまようでは、当ブログが一カ月の時間をかけて村上追っかけをしている意味はない。意味はない、とまでは極言しなくても、その意味は薄くなる。

 この旅行記にどのようなコンシャスネスを見るのか。トルコという地平がなくても構わない。時代有数のアーティストたちの手を借りなくてもよい。コンシャスネスはコンシャスネスとして存在しており、そこにどのようにして入っていくか、ということだ。

 整理しておこう。これから、トルコやギリシャに旅する可能性は、通常の人々、とくに私のような日本における地域的な職業人には、ほとんどない。そして、村上作品のような優れた旅行記に触れることができる人ばかりではない。ほとんどはその存在さえ知らない。また、その地を訪れ、その地で感じた人があったとしても、「それ」を必ずしも、このような文章や画像を含む、本として表現するとは限っていない。しかし、それでもコンシャスネスという地平はある。

 つまり、ことコンシャスネスに至る道だけを考えるなら、旅するのはギリシャやトルコでなくても、もちろん構わない。文章ととして、あるいは写真として表現する必要も、本当はない。しかし、その人間にはコンシャスネスがある。だが、ダイレクトにコンシャスネス云々を述べたところで、必ずしも意のままに到達するとは限らない。結論としては、ギリシャやトルコへの村上春樹の旅行記を活用して、自らのコンシャス領域に入っていく道筋を見つけることは最良のことのようである。

 休憩したときに、カフェなりチャイハネなりのテーブルでそれまでにあったことを逐一書きとめるようにする。次でどこで書けるかわからないし、書ける時に書いておかないと、どおで何があったかすぐ忘れてしまう。いろいろなことがあり、似たような町が続くので、前後が混乱してしまうのだ。旅行について何かを書くときには、とにかく何でもいいから細かいことをすぐにメモすることが肝要なのだ。p100

 なにはともあれ、このような二冊組の旅行記を残してくれていることに感謝する。

 

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村上春樹『1Q84』をどう読むか<4>

<3>よりつづく
村上春樹『1Q84』をどう読むか
「村上春樹『1Q84』をどう読むか」 <4>
河出書房新社 島田裕巳 内田樹 森達也他 2009/07  単行本 222p

平井玄「並行世界と小人たち 反復脅迫をめぐって」p81★★★★☆

 1952年生れ、音楽評論家。「この小説は死に取り憑かれた人ばかり。新左翼的な終末論の反復脅迫に村上春樹は呪縛されている。」p84 この人の評論はかなり鋭角的だ。いまどきめずらしく、とんがっている。言辞的にはわかりやすいが、心情的にはすでに距離を感じる。ここから先が見えるとは、なかなか思えない。だが、このような見方も必要だ。

鴻巣友季子「何がではなく、どう書かれているのか? 見かけにだまされないように」p85★★★☆☆

 1963年生れ、翻訳家。「『1Q84』こそかねてから予告していた『総合小説』である、との発言と解釈していいだろう。」p90 楽曲的に理解できる可能性を展開している。その素養のない私には、まったくなぜそんなことをしなければならないのか、わからない。まぁ、そういう読み方ができる読者がおり、、そういう読まれ方ができる作品を書く作家がいる、ということだろう。で、本質は、どこに?

小沼純一「『1Q84』、聴くことの寓話」p92★★★☆☆

 1959年生れ、音楽文化論研究者。この人も積極的に音楽的に理解し読み解こうとする。「ファンファーレの提示と再現、そのオーケストレーション上の構造が、ぼくには『1Q84』の二人の人物のありようと重なっているように見えてしまう。」p98 どのように解釈するかは読者の自由だ。自由に読み解かれるように書かれている(らしい)。

鈴村和成「似ることは、覆すこと 村上春樹と『1Q84』の透明世界」p99★★★★★

 1944年生れ、文芸評論家。「村上はこの長編で初めて、ブレヒトの『異化』に似た手法をヒロインに適用した。読者は青豆に理想化された自己の像を見ることはできない」p101 鈴村はこの小説に対し、もっとも積極的果敢に麻原集団を引き寄せて解読することを試みるが、それは一つの極ではあるが、もっとも妥当なもの、とは限らない。「1Q84年の時代の空気であり、2009年、あるいは200Q年の時代の空気である」p101 う~む、鋭い。

永江朗「私のリトル・ピープル」p106★★★★☆

 1958年生れ、フリーライター。「『1Q84』じゃなくて、『1Q94』もしくは『1QQ4』でもよかったかもしれない。松本サリン事件の年として、阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件の前の年として。」p108 なるほど、当ブログにおけるパラレルワールド「1Q95」は、さらに「1QQ5」へとスライドしていく可能性があるのだ。著者はネット社会への思いがつよく、小説そのものへの突っ込みはいまひとつもの足りない。

岩宮恵子「十歳を生きるということ 封印された十歳の印としてのふかえり」p113★★★☆☆

 1960年生れ、臨床心理学者。著書に「思春期をめぐる冒険 心理療法と村上春樹の世界」2004がある。「1Q84年から25年たった200Q年に自分が生きているような感覚が今も続いている」p113 なるほど、複数の人が「200Q年」を意識し始めていた。村上作品への独特ののめり込みを見せる著者だが、あえて、十歳、をキーワードとして、作品と自分との距離感の確認を試みる。

千野帽子「200Q年の文藝ガーリッシュ。村上春樹『1Q84』/ふかえり『空気さなぎ』を勝手に読む」p119★★★☆☆

 1965年生れ、文筆業。「読書とは結果ではなく過程にこそ、途中経過にこそ存在するものです」p125 オーソドックスな「文学」世界に、この「1Q84」を置いて、じっくりと読みほどいている。すべての可能性を予感しながら、なにはともあれ現在の自由を確保している。それでもなお、どこかにオーソドックスな骨子が感じられる。

大森望 X 豊崎由美「『1Q84』メッタ斬り!」p126★★☆☆☆

 1961年生れ、SF翻訳家 X 1961年、書評家。大森「どう呼ぼうが読者の勝手だと思うんですよ。」p127 豊崎「みんな自由に読むがいいよ!」p127 ここまで話が来れば、あとは早い。チャン、チャン。いろいろな評論があっていい。いろいろな放言があっていい。それを誘発するのも、もともとの作品の力であろうし、余力であろうし、不可避的不協和音のなせる技であろう。

栗原裕一郎「五反田君をマセラティごと海から引っ張り上げて、青豆の前に横付けさせよ!」p134★★★★★

 1965年生れ、文芸評論家。「春樹の『伏線まき散らし症候群』はいまに始まったことじゃないので予測もしていたとはいえ、広げた風呂敷にアイロンをかけシワを伸ばして放り出すとまではさすがに想像しなかった。」p135 村上作品を独特の読み込みをしつつ、積極的にカウンターパンチを繰り出そうする姿勢がなんともよい。このタイトルそのものがなんだか、新たなる栗原自身の小説として成立しそうだ。

可能涼介「陰謀文学者としての村上春樹」p139★★☆☆☆

 1969年生れ、文芸評論家。「初期の村上は、『セックス』や『暴力』や『三人称小説』は『あえて』書かないと発言していた記憶がある。」p140 この雑感集の中においては、分量もすくなく、一読者としてのナイーブな面が目立つ。すなおに読めば、こういうことなのであり、一般的な読者の感覚とはこういうものではないか、という典型。

円堂都司昭「秋葉原通り魔事件以後に『1Q84』を読むこと」p143★★★☆☆

 1963年生れ、ミステリー、音楽評論家。「スルスルと面白く読めるにしても、終わってみれば作者がなぜそう書いたのか、納得できない部分が多い。」p147 特異な事件を、マスメディア上の情報量に影響される形で突出した形で取り上げることは、それだけでもうすでに歪んだ社会に取り込まれていると言っていい。かと言って、個人的な心象のみを社会的表象から切り離してメモしつづけても、一般性をもたない。味付けのバランス次第、というところがある。

武田徹「感傷を超える批評はそこにあるか。」p148★★★★★

 1958年生れ、メディア論。著書に当ブログで以前読んだ「NHK問題」のほか、「流行人類学クロニクル」や「若者はなぜ『繋がり』たがるのか」などがある。「もちろん何をどう書こうが作家の自由だ。だが、こと新宗教は舞台装置として利用するだけして、投げ捨ててしまえるほど軽いものなのか。」p149 特定の実在する(した)集団と、小説の中の集団を、限定的にひも付きにすることはできない。それはイメージを借りてはいるかもしれないが、むしろまったく別個の集団と理解したい。村上が利用するだけして、投げ捨てようという意志があったとすれば、ここで「1Q84」は書かなかっただろう。まずは、そう願いたい。

<5>につづく

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2010/01/27

雨天炎天 アトス--神様のリアル・ワールド

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「雨天炎天」 アトス--神様のリアル・ワールド
文・村上春樹/写真・村松映三1990/08 新潮社 2冊組/函入 p82
Vol.2 937★★★★★ ★★★★★ ★★★★★

 1988年9月の朝、我々はウラノポリから船に乗ってダフニに向かうことになった。連れは連れはカメラの松村君と、編集のO君である。p14

 二冊組の一冊。村上春樹には小説やエッセイ、翻訳など、さまざまな表現形態があるが、ひっとすると、私はこのような旅行記のスタイルが一番好きかもしれない。もって廻った言い方をせず、平易でわかりやすい。白黒の写真が相まって、自分が本当に一緒にギリシャ正教の聖地の島を旅している気分になる。

 このようにすっきり読めるのは、それこそ作家のなせる技なのだろうが、どういう技がどういうところで使われているのかさえ分からずに読んでいけるのだから、それこそが名人芸というべきであろう。この本は1988年。まだまだ村上前期の旅行記である。

 この本に掲載されている写真はモノクロームである。それがなんともギリシャのどんよりとした重苦しさ(行ったことがないので、想像だが)を、より鮮明にしていると言える。これに比較すれば、先日読んだ「はじめてのチベット密教美術」などは、モノクロームの写真ばかりだったら、興ざめだろう。おなじ聖地でありながら、こうも違うと、ななかなか好対照だなぁ、と関心する。

 僕は最初にも書いたように宗教的な関心というものが殆どない人間だし、それほど簡単に物事に感動しないどちらかというと懐疑的なタイプの人間なのだけれど、それでもアトスの道でであった野猿のような汚い坊さんに「心を入れ替えて正教に改宗してまたここに戻ってきなさい」と言われたときのことを奇妙にありありと覚えている。p82

 88年の段階で「宗教的な関心というものが殆どない」と表現することは、ある意味、水かの身の保存のためには理にかなった表現ではあろう。もし万が一、村上春樹がチベットの聖地を旅することがあったら(もうそういう旅行記があるかもしれないが)、その時の旅行記もぜひ読んでみたいと思う。

 聖地という場所があってがあって、作家という人間がいて、文章というメディアがあって、実際にこのような作品があった場合、読者としての自分も一緒に旅をしている気分になるのだが、実際に自分がその地を訪れることができれば、少なくとも、作家という人間と、文章というメディアを省くことはできる。より、ダイレクトにその地に触れることができるようになるわけだから、それに越したことはないが、しかし、作家の目、旅行記という(あるいは写真)メディアがあればこそ、気付いたり、わかったりすることも多くある。

 さて、1995年における村上春樹の心境を考えれば、「宗教的な関心というものが殆どない」というセリフは、なんの注釈もなしに、あいまいに放っておいてよいことでもなさそうだ。ここからは別に何事かを掘り下げようとは思わないが、まずはこういう台詞をリアルワールドで村上本人が残している、ということだけはメモしておく必要を感じる。

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うずまき猫のみつけかた 村上朝日堂ジャーナル

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「うずまき猫のみつけかた」村上朝日堂ジャーナル
村上 春樹 (著) 1996/05 新潮社 単行本: 237p
Vol.2 936★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 ここに収められた文章は、僕が1994年秋から95年秋にかけて「SINRA」というきれいな雑誌に毎月連載していたものです。その連載のあいだ僕はずっとマサチューセッツ州のケンブリッジ(ボストンの隣です)に居を構え、隣町メドフォードにあるタフツ大学に所属していました。ケンブリッジは結局、93年夏から95年の夏まで2年間滞在していたことになります。p236「あとがき」

 ヘヴィーな長編小説の合間に、このようなエッセイ集を書くのも、適度なバランスをとるにはちょうどいいだろうし、読者としても、リアルワールドとフィクションの世界の距離感をつかんでおくには、必要な道路標識とも言える。奥さんの写真や、イノセント・アートの安西水丸のイラストが雰囲気を盛り上げる。

 (1994年)6月28日に全日空機で成田から大連に向かう。これはある雑誌の取材の取材で、写真の松村エイゾー君と二人で旧満州地域とモンゴル共和国を巡る2週間ばかりの旅行をするためである。でもただ単に雑誌の取材だけではなく、僕としては今書いている小説(「ねじまき鳥クロニクル/第三部」)のための個人的な取材をするという目的もあった・・・・というか、実を言うとそっちがずっとメインなわけですね。そう言うと身も蓋もないけれど。いずれにせよ僕は中国という国にぜひ一度行ってみたいと思っていたので、この取材はまあ渡りに増えという感じであった。p050

 作家・村上春樹の作品についてはいろいろ意見もあれど、「成功」した作家というものは、さまざまな特典(有名税みたいなものもありそうだが)がついているようで、なかなかうらやましい生活ぶりだ。本人の努力が一番、効を奏しているのだろうが、それでもやっぱり、社会はこのような暮らしぶりをする人をあるパーセンテージで必要とするのだろう。

 車を一台盗まれるというのが、これほど面倒きわまりない結果をもたらすものだとは僕も知らなかった。保険会社にしょっちゅう電話をかけなくてはならないし、警察署や修理工場にも行かなくてはならい。役所や大学庶務課に行って駐車許可証書を取り直さなくてならい。あちこちたらいまわしにされて、居留守をつかわれたり不親切な扱いを受けたり、時間は無為に流れ、ストレスはたまっていく。なにしろ外国で外国語だから、頭に来て怒鳴りたくてもうまく怒鳴れないところがつらい。p132

 このVWコラード盗難事件は、何回かに渡ってその経過が描写されているが、個人的には相当面白い。「自動車保険の代理店というのはアメリカでもっとも不愉快な時間を過ごせる場所のひとつである」p126とまでのご立腹なのだから、面白い、とは大変失礼だが、なかなかこのようなトラブルは、思い出すのもいやになり、書きとめるのはなかなか難しい。外国業界事情がよくわかってタメになる。

 考えてみれば、これまで僕が書いた長編小説はそれぞれぜんぶ違う場所で執筆された。「ダンス・ダンス・ダンス」という小説の一部をイタリアで書いて、一部をロンドンで書いたけれど、どこが違うかと訊かれてもぜんぜんわからない。「ノルウェイの森」はギリシャとイタリアを行ったり来たりしながら書いたけれど、どこの部分をどの場所で書いたかなんてもうほとんど覚えていない。p100

 なかなか軽妙なタッチではあるが、これは、村上春樹前期の流れの終盤のことである。出版されたは1996年の春であるが、それはいままでの流れがあるからそうなったまでで、この時期のご本人の意識は、もう別な角度で動き出していたのではないか、と想像する。

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村上春樹イエローページ PART2 作品別1995~2004

<PART1>よりつづく 

Part2
「村上春樹イエローページ」PART2 作品別1995~2004
加藤 典洋・編著 2004/04 荒地出版社 単行本: 213ページ 出版社
Vol.2 935★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 1995年、村上の小説世界においてもある天変地異が起こる。そして「もう一つの次元」が発動する。新しい村上の小説世界がわたし達の前に浮上してくる。p008

 こう来なくちゃ、ここまで村上春樹をおっかけてきた意味がない。だが、さてさて「もう一つの次元」とは、当ブログが追っかけ始まった「1Q95」とは、どのような関係にあるだろうか。

 この10年間の過渡期を長い前半と短い後半の二つに分かつのが、右に述べた1995年という年だ。出来事としての、1月17日に起こる阪神淡路大震災と3月20日におこる地下鉄サリン事件。(中略)さらにその仕事は、地下鉄サリン事件の両当事者への聞き書き、インターネットでの読者との交流、ルポルタージュ等、メディア的な広がりを見せるようになる。p016

 「村上春樹『1Q84』をどう読むか」において、おおくの評論家や識者が、小説のなかにでてくる集団と麻原集団を同一視するかのような言説が見受けられる。その可能性は残してはおくが、当ブログは、まったくそうは見ない。むしろ、「非」麻原集団的な性向を、かの小説の中の集団性に見る。

 いや、もうすこし整理すれば、陽画としての麻原集団を深追いするつもりは、当ブログにはない。否定的にも肯定的にも、終りにしておきたい。しかし、仮にパラレルワールド「1Q95」が、あそこにぽっかりと口をあけており、あるいは、2010年の現代でも、並行的に存在しているとすると、クラウドソーシングとしての「ハルキワールド」はまた、別な意味を帯びてくる。

 この本の残念なところは2004年で終わっているところである。たぶん、真の意味のPART3が登場するであろう。後半には、後期における長編作品の不足を補うかのように、翻訳作品についての言及が長々と続く。当ブログとしては、翻訳までは手を伸ばすことはまったく考えていなかったが、これらの展開がなかなか面白いので、ひょっとすると、悪乗りして、翻訳作品にまで手を伸ばすかもしれない。 

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2010/01/26

村上春樹イエローページ 作品別(1979~1996)

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「村上春樹イエローページ」 作品別(1979~1996)
加藤 典洋(編集) 1996/10 荒地出版社 単行本: 222p
Vol.2 934★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 どのような時代的変遷がめぐっていたのか、にわかにはトータルにはわからないが、初期的というより、中期的なところまでの村上春樹作品に対する俯瞰的な解説本が、このイエローページ・シリーズということになろう。30人以上のスタッフが関わったということだから、まさに当ブログが現在模索中のクラウドソーシングとしての「ハルキ・ワールド」プロジェクトな一冊と言えるだろう。

 イエローページというからには、もっと電話帳のような細切れなものをイメージしたが、ここまでの8つの作品についての、細かい多面的な解説であり、図式などを用いているので、なかなか得難いチャンネルと言える。

 当ブログは現在まで、長編をふくむ約40冊を超える程度の村上春樹本をめくってきたが、そのほんのリストを見ているだけでも、自分なりのイエローページになっているような感じがする。まさか、ここまで春樹本をめくるとは自分では想定していなかった。しかしながら、掘り起こせば、まだまだ春樹本はあり、また、用語一つ、表現一つにしても、まだまだ当ブログとしての統一したものをだせないでいる。

 この本は、村上春樹の小説を読んだことのある人を対象に、さらに村上の小説が面白く読めるようになることをめざして作られている。村上の作品を読んでいる人はたくさんいるが、それにしてはしっかりした批評がない現状に一石を投じたい気持ちもあった。p1

 小説嫌いな当ブログであってみれば、「面白く」よんだかどうかはともかく、ひととおり長編を中心にしてめくってきたことは否めない。「まだ読んでません」とは、もう言えない。かと言って、「読みました」と胸を張るまでには至っていない、というのが本当のところである。とくに、作品ごとに集中力の差が歴然としており、再読が必要なものもすくなくない。とくに、「ねじまき鳥~」第3部は、再読必須である。

 出版当時にひとつづづの作品を読み続けてきた人々に比べれば、この数週間にぱらぱらとめくっただけでは、「なにを読んでいるのやら」とお叱りを受けてることもいかしかたない。しかし、まぁ、これもまたひとつの読書の在り方だろうし、それはそれとして、もうすこし自分の中で、咀嚼され熟成される時間も必要であると思う。

 この本にはpart2があり、新装文庫本では3冊分冊になっているようであるが、やっぱり私は、もともと初版の2分冊が正しいのではないか、と思っている。というのは、最近パラレルワールド「1Q95」という入り口を見つけてしまったからであり、こちらの初出本は、ちょうど、二冊の境目に「1995年」がある。

part2につづく

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「ひとつ、村上さんでやってみるか」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける490の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?

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「ひとつ、村上さんでやってみるか」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける490の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?
村上 春樹 (著), 安西 水丸 (イラスト) 2006/11 朝日新聞社 単行本: 393p
Vol.2 933★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 例の「ファン感謝デー」な本。「そうだ、村上さんに聞いてみよう」2000/08、「これだけは、村上さんに言っておこう」2006/03に続く第3弾。2006/03~2006/06の間、暫定的に再開されたホームページでのメールのやり取りから構成されている。正直いうと、柳の下の三匹目のドジョウ、ということなので、内容に対しては、あまり期待していない自分がいる。

 このメールのやりとりをしているあいだ、僕はアメリカのマサチューセッツ州ケンブリッジという小さな大学町に住んでおりました。ハーヴァード大学のあるところです。いりいろと日々やることもあり、決して暇というわけではなかったのですが、たまたま小説を書いていない時期にあたったので、「えーいまとめてやちまおう」とむらむらと心を決めて、ひたすらメールを書きまくりました。僕はだらだらものごとを続けるのがあまり好きではなく、短期間のうちに過激なまでに全面強行突入して作業をこなしてしまう方が性にあっています。p2

 2006/03と言えば、ちょうど梅田望夫の「ウェブ進化論」が店頭に並び、ウェブ2.0とやらの話題が噴出し始めた時代である。当ブログもそれにプロボークされる形でスタートしたわけだから、ある意味、同時代的な背景をそれなりに理解できる。

 しかし、それにしても、フリーソフトウェアとか、オープンソース、あるいはソーシャル・ネットワーク・サービス、クラウドソーシングという ウェブ2.0的な動きからは、どこか遊離した、かなりイビツな「ファン感謝デー」になってしまっているのではないだろうか。とそんな思いが先に立ってしまうので、この本を精読(って、いつも斜め読みの多い当ブログではあるが)するのは、もうすこし先延ばししよう。

 パラパラと目次をめくって、気になったのは、「カラマーゾフの兄弟」とドストエフスキーについてのQ&A。当ブログでも、読み続けるには相当に難儀したが、ここをひととおり過ぎてしまうと、何事かのイニシエーションを通過したような、爽快感があることは事実。このような小説を書きたいと常々言っている村上春樹を理解するには、やはり副読本(どちらが副読本かは疑問だが)として、読んでおかなくてはらない1冊(いや3冊だか5冊だか、だった)。

 あといろいろ興味深いことが、多々掲載されている。なんせ490のQ&Aである。これだけの、ちょっとぶしつけな質問や、突拍子もない質問に、答え続ける、ということは、やはりそうとうなタフネスをお持ちでないと、できないことだと、あらためてこの村上春樹という人を見上げた。 

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回転木馬のデッド・ヒート

回転木馬のデッド・ヒート
「回転木馬のデッド・ヒート」 
村上春樹 1985/10 講談社 単行本 196p
Vol.2 932★★★☆☆ ★★★★☆ ★★☆☆☆

 情景や体験というものは、いったん、口にされ、言葉にされた時点で、オリジナルな情景や体験そのものからは隔離され、別個な意味合いを持ち始める。言葉として再現されるわけでもなく、その本質をうまく写し取っているわけでもない。しかし、言葉がなにかの符号のようなものとして機能し、オリジナルなものを復元し、あるいは、それを超えていく、ということも想定できないわけではない。

 ひとつの錠前(ロック)をあける鍵(キー)が作られたとすれば、そのキーが再び別なロックを開ける可能性はゼロではない。そしてまた、そのキーであけることができるロックをあらたに創り出すことさえ可能ではある。

 ここに収められた文章は原則的には事実に即している。僕は多くの人から様々な話を聞き、それを文章にした。もちろん僕は当人に迷惑が及ばないように細部をいろいろといじったから、まったくの事実とはいかないけれど、それでも話の大筋は事実である。話を面白くするために誇張したところもないし、つけ加えたものもない。僕は聞いたままの話を、なるべくその雰囲気を壊さないように文章にうつしかえたつもりである。p8

 この本に収められた短編(といっていいのか)は、書き下ろし2編と、1983年10月から84年12月までに書かれた7編。出版されたのが1985年の10月だったことを思えば、「世界の終り~」を書き終えて、次なるステップを模索中といえるだろうか。1987年9月の「ノルウェイの森」へとつらなる「リアリズム」への接近であろう。

 しかし、どのように能書きされたとしても、「プロの嘘つき」の手による文章を、ひとつひとつ「話の大筋は事実である」という言葉も、最初から信用はできない。リアリズムの担保力を借りて、ストーリーに引きつけようというのは、小説家としては邪道であろう、と私は思う。そもそも、「聞いたままの話」を書きとることなどできないし、「聞いたまま」の話は、オリジナルな情景や体験では、まったくないからだ。

 これらの一連の短編が書かれた年代が1984年ということを考えれば、後年書かれた「1Q84」の対比の中で読まれる可能性はあるが、決して、小説家の「嘘」にひかかってはならない。そのように鵜の目鷹の目でみられることがプロの文章家の宿命であり、またそれをエネルギーとするところに、この「嘘つき」集団の力の泉がある。

 自己表現が精神の解放に寄与するという考えは迷信であり、好意的に言うとしても神話である。少なくとも文章による自己表現は誰の精神も解放しない。もしそのような目的のために自己表現を志している方がおられるとしたら、それは止めたほうがいい。自己表現は精神を細分化するだけであり、それはどこにも到達しない。もし何かに到達したような気分になったとすれば、それは錯覚である。人は書かずにいられないから書くのだ。書くこと自体には効用もないし、それに付随する救いもない。p11

 これはこの本のため書き下ろしの部分であるが、何か、言いたい放題言ってるな、という感じしかしない。村上本人は、これと類似し、あるいは相反し、あるいは別な角度からアプローチした文章を、あちこちでとめどなく書きとめている。いずれが「事実」で、いずれが「虚構」か、などと詮索するのも、私は無駄だと思う。

 問題は、このような文章に出会ったときに、自分はどうなのか、自分はどう思っているのか、そのことを忘れず、これら「プロの嘘つき」たちに悪影響を受けないように、することが大事だと思う。一番いいのは、これらの文章を読まないのが一番いいのだが、読んでしまっても、なお自分はこれらから悪影響を受けない、という自己確認をするために使うことの活用法があることは否めない。

 すくなくとも1984~5年、30歳半ばを生きる村上春樹がこのような文章を書いていた、という記録にはなる。

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2010/01/25

はじめてのチベット密教美術

はじめてのチベット密教美術
「はじめてのチベット密教美術」 
正木晃 2009/12 春秋社 単行本 126p
Vol.2 931★★★★★ ★★★★★ ★★★★★

 「はじめて」つながりで、どさくさにまぎれてこの一冊を入れておこう。正木晃については、当ブログにおいて、だいぶ読み込んだ。「増補 チベット密教」「マンダラとは何か」「裸形のチベット」や、あるいはその巻末にある「さらに深くチベットの歴史を知るための読書案内」 などは、当ブログのナビゲーションとしては大いに役立ってくれた。現在は村上春樹おっかけが中心となっている当ブログではあるが、むしろ本質的な関心の中心はこちらにあると言ってもいい。

 ひととおりチベット密教を読み込んだあとの、中間的なまとめとしては、三つの抜け道があるだろう、ということだった。

1)チベット密教中興の祖、ツォンカパの中観思想を中心に、より観念的に、より抽象的にチベット密教を捉えなおすこと。

2)現チベット密教の中心、ダライ・ラマ14世を中心とした政治的、文化的、思想的な動きの中で、グローバルなスピリチュアリティを模索すること。

3)一旦、視点を変えて、津田真一「反密教学」的アプローチから、一地域の宗教性としてのチベット密教を超えて、ひとつの円環を終了させることによって、本来の地球人スピリットへの到達すること。

 これら三つの抜け道はそれぞれに重要不可欠ではあるが、なお、3)にまつわるチャクラサンヴァラにまつわる何事かに、一番関心を持つにいたった。

 さて、当ブログは現在、「1Q84」を発端として村上春樹ワールドを冒険中ではあるが、その中でも、「ねじまき鳥クロニクル」「スプートニクの恋人」の間にあいたエポックに、注目している。時系列的に言えば、この間には1995年という年代が挟まっている。

 この年には、阪神淡路大震災、麻原集団事件、ウィンドウ95、という大きなエポックメイキングなできごとがおきている。あえていうなら、ここには、村上春樹的なパラレルワールドへの入り口があったのではないか、と推測しているところである。

 そこで、あえて、ここでその存在の可能性を、パラレルワールド「1Q95」と名づけておきたい。「村上春樹『1Q84』をどう読むか」などのクラウドソーシングに注目してみると、多くの識者が、かの小説と麻原集団との関連を指摘している。その可能性はなくはないのだが、あえて、陽画的な意味ではあまり触れたくない事件なので、私は遠慮したい。

 しかしながら、もし、あの時代に、もうひとつの可能性があり、何かのショックで回線のつながり方に多少の多様性があったなら、2009年や2010年の私(たち)はもっと別な存在になっていたのではないか、という推測、このあたりを「1Q95」と名付けておきたいのである。

 村上春樹ワールドには、かなり陳腐化した性描写が、毎度毎度、カレーライスについてくる福神漬のように書き込まれているが、実はチベット密教美術にあるようなエクスタシーは、村上作品では到達しえないような高みにある。

 「母タントラ系のヤブユムたちは静かに座っていたりはしない。たったまま絡み合いながら、あるいは絡み合って狂喜乱舞しながら、悟りへの究極の道を表現している。どのホトケたちも、無上の快楽に酔いしれたような表情をしているのは、究極の快楽こそ、悟りへの最高のジャンピングボードになりうるという、これまた無上ヨーガタントラに特有の発想があるためだ。」p120

 今後、当ブログは、プロジェクトコードとして表しておけば、「クラウドソーシング」、「1Q95」、「チャクラサンヴァラ」、などがキーワードとなって切り開かれていくべき世界へと進んでいくことになる。

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はじめての文学 村上春樹

はじめての文学 村上春樹
「はじめての文学 村上春樹」
村上 春樹 (著) 2006/12 文藝春秋 単行本: 272p
Vol.2 930★★☆☆☆ ★★★☆☆ ★☆☆☆☆

 最初は村上本人の初歩的な文学論かな、と思ったが、そうではなくて、比較的読みやすいショートショート的な短編をいくつもまとめた一冊であった。書かれたのは1990/09~2003/03の間、18編がまとめられている。簡単な漢字にもルビが振ってあるので、小学生でも読めるようにしているのだろうか。とにかく「村上春樹」を読みたいと思った「子供」が手にとれるように、安全対策がほどこされている。

 村上の中編や長編につきものの「性描写」は、現代文学の中ではどのくらいポピュラーなものかしらないが、うちの娘などは、高校受験で進路が決まったあとに、入学式までに読む本としての推薦リストに「ノルウェイの森」が入っていたということだ。名作ではあっても、なかなか小学生や中学生にはお勧めできない。高校生でも、どうかな。

 さて、こちらのショートショート集には、習作として書き連ねたような、雑多な小品がならぶ。なるほど、文才とはこういうものかと納得はするものの、だからどうした、と思わないでもない。この様なパーツパーツをいっぱいこしられておいて、全体のドラマツルギーという台紙の上に並べていくのかな、と、正直いうと、ちょっと興ざめな気分になる。

 ここから全体的なテーマを見つけろ、と言われても、別段それだけの義務感を感じるわえでもなく、ここをスタート地点として、村上春樹の世界に本格的に入っていきなさい、と言われても、それもなんだかなぁ、と、ちょっと白け気味。

 もしも村上春樹を小中学校の教科書に載せるなら、分量的にも、テーマ的にも、お手軽な作品はいくつか見つかるが、はて、それがハルキワールドを表現しているか、というと、ちょっと疑問。つまりは、ちょっと本道からはずれた春樹本、ということになろう。

 

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村上春樹『1Q84』をどう読むか<3>

<2>よりつづく
村上春樹『1Q84』をどう読むか
「村上春樹『1Q84』をどう読むか」 <3>
河出書房新社 島田裕巳 内田樹 森達也他 2009/07  単行本 222p

 ひととおり村上春樹作品のうち長編をめくり終わったところで、次は横軸としての評論や解説、研究を読み進めてみようと思う。とくにその交差する原点に、「1Q84」をおくとするならば、この「どう読むか」は大事な一冊となる。

 この一冊は40人ほどの人々が関わっているので、読むと言っても一気には読めない。それぞれに切り口が違う。どのようにこの本を読むかいろいろ考えたが、結局は、ページ順にひとつひとつ、短くてもよいからコメントをつけるところから始めたい。これらの人々はほとんどが未知の人々であり、ひょっとすると、意外な新たな展開軸が期待できるかも知れない。

加藤典洋「あからさまなエンターテイメント性はなぜ導入されたか 桁違いのスケールの『世界文学』」p6 ★★★☆☆ 

 村上文学を最大限に理解し評価している人らしい。1948年生れ、文芸評論家。村上sく品の中のエレベーターと井戸について着目しているところが興味深い。「面白いのは、村上の作品で井戸という形象は、実は井戸という形のほかに、エレヴェーターという形でも現れていることです。エレヴェーターというのは、井戸を逆さまにした形をしている。」p9 「ねじまき鳥~」3から「スプートニク~」の間の期間に疑念をもってしまった当ブログの読み方からすれば、この「井戸&エレヴェーター」の在り方は、なんらかのキーになる可能性がある。

安藤礼二「王を殺した後に 近代というシステムに抗う作品『1Q84』」p13★★★★☆

 1967年生れ、文芸評論家。天皇制や三島由紀夫をこの作品にぶつけてくるところは独特。さらに出口王仁三郎にまで言及する。「三島が『英霊の聲』で依拠したのは、出口王仁三郎の「大本」から分かれた友清歓真の鎮魂帰神法です。」p15 深読みしていあけば、どこまでも物事をオーバーラップさせることはできるが、限界はあるはず。表現として使われている言語群は唐突なイメージがあるが、指摘しようとしている点は重要なことだと感じる。

島田裕巳「これは『卵』側の小説なのか」p19★★☆☆☆

 
すでに島田についてはメモしておいた。読みなおしてみても大きく印象が変わることはない。あえて「1Q84」と麻原集団を結びつける意図は、当ブログにはなかったが、島田においては、それは避けられない事実としてある。「ひょっとしたら、村上さんは、強い孤独感を感じているのではないでしょうか。(中略)日本のなかにうまく居場所を見いだせていないせいなのではないか。」p23 世界のポピュラリティーを目指そうとする村上が、あえて日本に居場所を見つける必要もないとは思うが、もっとうまく「日本的」なものを「利用」しようとしているかも知れない、という予感はする。

四方田犬彦「幻談」p25★★★☆☆

 割とフラットな感想を持っており、多くの「訳知り」の読者の代表的な意見のように思える。「イスラエルのユダヤ人もきっと『1Q84』を必要としていると思うな。」p28 発想自体はユニークだが、どうも評論家的ニュアンスが過ぎて、自らが、ではどうするか、という視点がいまひとつ分からない。1953年生れ、作家。この人については、その評論よりも、この人自身の作品から追っかけていくのがいいのだろう。

森達也「相対化される善悪 オウム真理教事件から14年経て辿り着いた場所」p29★★☆☆☆

 森についてはこころをさなき世界のために」他、何冊か目を通した。1956年生れ、映画監督。彼は独特の感覚で麻原集団当ブログでは教団名とチベットのマントラ「OM MANI PADME HUM」の混同をさけるため、あるいはいたづらなアクセス数を増やさないために、一貫してこのような表現を使ってきた)にシンパシーを寄せ続ける。「1995年を境界に社会は変わった。」p30 かの集団を触媒とし(p31上段)なければならなかったのは、不幸だったと思う。それ以外の可能性はなかったのか。歴史に、もしも、はないが。

内田樹「『父』からの離脱の方位」p34★★★★☆

 内田の「村上春樹にご用心」は当ブログ<1.0>の最後の一冊。この本に引っ張られるような形で、現在<2.0>において、村上おっかけが始まり、いまだに続いている。まだ終わる気配はない。「カミュやレヴィナスはそう教えている。(略)村上春樹もまた彼らと問題意識を共有しているというこについては確信がある。」p37 確信があるのは、村上なのか、内田なのか。もしここに共有意識があるとするならば、それはひとつの糸口となる可能性がある。

沼野充義「オーウェル、チェーホフ、ヤナーチェック 『1Q84』をより深く楽しむための注釈集」p39★★★☆☆

 1954年生れ、ロシア文学研究者。「どうして、他ならぬ1984年なのだろうか? この年が選ばれたのは、村上春樹にとって、またオーウェルにとって必然的なものだろうか?」p39 オーウェルについての意外な解説、あるいはチェーホフについての展開がある。しかし、それにしても、この人も1954年生れだが、天吾と青豆が1954年生れに設定されたのは、なんの因果があったのだろうか、と同じく1954年生れの私は思う。

五十嵐五郎「ねじれた都市と歴史の物語」p47★★★☆☆

 以前、五十嵐著「新宗教と巨大建築」を読んだ。1967年生れ、歴史家。「1984年は、オウム真理教が活動を開始した年でもある。彼らは渋谷のマンションの部屋を借りて、オウム神仙の会として活動を開始した。」p49 高山文彦「麻原彰晃の誕生」を読んだりすれば、かならずしも、どの地点をかの集団性のスタートするかはむずかしいところだが、あえて1984に故事つけることと、この小説との因果関係を探ることは、かならずしも容易ではない。

川村湊「なぜこういう物語が展開されなければならかなかったのか」p53★★★★☆

 1951年生れ、文芸評論家。「村上春樹をどう読むか」2006/11(当ブログ未読)がある。「(前略)かなりずれが出てきたんじゃないかな。村上春樹はこの作品を一体誰に読ませようとしたんだろうか。」p56 わりとすっきりと読み込んでいる。いろいろな支線についての平易なチェックが、当ブログにとっては便利で、今後活用できそう。なにはともあれ、著書を読みたい。

石原千秋「いまのところ『取扱注意』である」p57★★★★☆

 1955年生れ、日本近代文学研究者。著書に「謎とき村上春樹」がある。「いつの頃からか、村上春樹はいつ終わるともしれない『大きな物語』を書き続けているようだ。それを可能にしているのは、村上春樹の自己神話化である。」p65 独特の視点ではあるが、なじんでみれば、なかなか妥当性がある。ご説ごもっとだが、出口が見えない。

佐々木中「生への侮蔑、『死の物語』の反復 この小説は間違っている」p67★★☆☆☆

 1973年、哲学、理論宗教学者。「村上春樹はオウム的な物語に抵抗するとはっきり言っていた。だからこの死の物語にこそ抵抗しなければならないはずです。しかし、この『1Q84』がそうのような小説になっているか。なっていない。逆です。」p68 なになに的という引用の仕方はあいまいであり、どこに線引きをするかによって、対称化のされかたは、まったく自由かつ恣意的に引用されてしまう。そのままではとれない。

斎藤環「ディスクレシアの巫女はギリヤーク人の夢を見るか?」p73★★★☆☆

 1961年生れ、精神科医。「『文学』の精神分析」2009/05(当ブログ未読)がある。当ブログの現在進行形の中では興味深い一冊になりそう。「ふかえりの物語は一種のワクチンだ。天語によるリライトは、抗原を弱毒化して病原性のないワクチンを精製する作業に似ている。」p80 なんであれ、そもそも人はなぜ小説なんぞを読むのであろうか。なんであれ、人はなぜ生きていくのであろうか。問いかけの原点に戻る必要を感じる。

<4>につづく

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2010/01/24

映画をめぐる冒険

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「映画をめぐる冒険」
村上 春樹 (著), 川本 三郎 (著) 1985/12 講談社 単行本  252p
Vol.2 929★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 ここまで来ると村上春樹追っかけもちょっとやりすぎかな、と思う。図書館にあったからこそリクエストして閉架書庫から出してもらったが、もう話題にしないほうがいいような本であるかもしれない。話の本筋にはあまり関係はない。境界域に存在する一冊ではあるが、読み始めてみると、これがなかなか面白い。

 その男ゾルバ(1964) 
 ギリシャの哲人的作家カザンザキスの小説「ギリシャ人ゾルバ」(これは本当に素晴らしい小説)を同じギリシャ人のマイケル・カコヤニスが映画化したもの。哲学的省察はさっぱりと省かれているが、原作の根底に流れる精神は損なわれていない。アンソニー・クインの動も立派だが、それをもりたてるアラン・ベイツの静の演技も立派である。しかしギリシャに行くと、こういうタイプの人ってけっこういるんだよね。 
◎村上 p88

 もともと知人の二人が映画についていろいろ語り合っていたところ、出版企画で、過去の映画(とくにアメリカを中心として)を語ることになった一冊。それぞれの映画につき400字詰めで1~2枚程度づつの紹介がついている。それが年代順に並んでおり、数えてみていないが、その数、100はゆうに超えていそうだ。

 これらのリストを見ていて、自分はなんてモノを知らない人間なんだろう、と恥じるより、この人たちは、なんてモノを知っているんだろう、と称賛するほうが正しいだろう。ふたり合わせてということもあるだろうが、実際にこんなに映画を見ている人はいないだろう。仕事にしている人とか評論家とでなければ、こんな見れないだろうし、大体において、映画以外にも楽しいことがあるだろうに、と忠告したくなる(笑)。

 これだけのインプットがあるからこそ、小説としてのアウトプットがあれだけ多様なものになりえるのだろう。タイトルが「映画をめぐる冒険」となっているが、いよいよ「冒険」が好きなんだなと思う。冒険とは危険を冒す、ってことだろうが、この本そのものからは、危険な匂いは流れだしてはいない。

 この本で特筆すべきは、プロデューサーとして「安原顕&ケンズ・プランニング」の名前が奥付にあること。この存在は、「1Q84」において登場するスーパー・エディターのモデルになっている。村上は近年この存在とは決別したようだが、25年前にこの本がでたころは蜜月的関係にあったことが偲ばれる。

 もっとも、映画館がすたれ、ビデオが流通し、Youtubeが当たり前の21世紀になると、映画そのものの持っている価値が相対的に低下し、また、評論を書くという行為も、別段に評論家や一部のマニアにだけ許されるものでもなくなってきた。チャンスとしてだけなら、ブログやHPなど、ネット社会は、あらたな機会を多くの人々に与えている。

 だから、多分、現代においては、このような本はなかなか登場してこないだろう。村上春樹自身も、そうそうヒマじゃぁないだろう。そういった意味あいにおいては、出版企画力が勝った、出版当時でも珍しい一冊、と言えるかも知れない。

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村上春樹の『1Q84』を読み解く <2>

<1>よりつづく

村上春樹の「1Q84」を読み解く
「村上春樹の『1Q84』を読み解く」 <2>
村上春樹研究会 2009/07 データハウス 単行本 217p

 村上春樹の長編をひととおりめくり終わったところで、話の原点を「1Q84」に戻したい。時間軸としての村上作品を時系列にならべ、今度は空間軸として解説や研究、翻訳者やらジャーナリストたちの、現在的な意見を聞いてみたい。

 そのような原点もどったとき、この「研究会」の一冊は大いに役立ってくれる。また、ひととおり長編をめくり終わってみればこそ、この本が語っていた意味あいがわかってくるということも、かなり多い。この本には「村上春樹をもっと知るための7冊」p76が紹介されている。

「村上春樹をもっと知るための7冊」

1)「『村上春樹』が好き!」2003 宝島社

2)「イエローページ 村上春樹 part2」加納典洋2004

3)「これだけは、村上さんに言っておこう」2006 朝日新聞社

4)「村上春樹ワンダーランド」宮脇俊文 2006 いそっぷ社

5)「村上春樹、夏目漱石と出会う」半田淳子 2007 若草書房

6)「村上春樹スタディーズ 2005-2007」今井清人 2008 若草書房

7)「世界は村上春樹をどう読むか」国際交流基金 2009 文芸春秋

 このうち何冊かはすでに読んでいるが、検索してみるといろいろあるもんだ。これらの本も最新刊「1Q84」を含んでいないだけ、決定版ということにはならないようだが、「1Q84」自体がまだ完結していないことを考えれば、これからまだまだこの手の解説本、研究書がでてくることになるだろう。

 はて、それらの中のどれほどのものがクラウドソーシングとしての「ハルキワールド」形成の礎になってくれているのかわからないが、まずは、視点を時間軸から空間軸へと移動すべき時期がきたようだ。

<3>につづく 

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スプートニクの恋人

スプートニクの恋人
「スプートニクの恋人」 
村上春樹 1999/04 講談社 単行本 309p
Vol.2 928★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 この「スプートニクの恋人」をめくってしまえば、ひととおり村上春樹の「長編」には目を通したことになる。感慨深い。一連の関連リストのミッシングリンクはとりあえず埋められたのだ。あとは短編やらエッセイやら解説本、研究本などを付け加えていけば万全であろうが、小さな支線を加え続けていったら切りがないので、当ブログにおけるクラウドソーシングとしての「ハルキワールド」探求の旅は、このあたりが折り返し地点となる。

「スプートニク・・・・?」
「そういう、ブンガクの流れの名前。よくなんとか派ってあるでしょう。ほら、ちょうど<白樺派>みたいに」
 すみれはそこでやっと思い当った。
「ビートニク」 p11

 ここで初めて、そのスプートニクの「意味」がわかるわけだが、もちろんこの小説のタイトルになっているように「スプートニク」がたんなる言い間違いではないことは確かなことだ。ビートニクを、私たちの世代が自らのものとして語ることはないだろう。団塊の世代である村上春樹にしたところで、同時代的にはビートニクを語ることはできない。

 W村上と言われた片割れの村上龍の「限りなく透明に近いブルー」が登場した時、22歳の私は、日本にもアレン・ギンズバーグの「吠える」がついに登場した、と感動した。ギンズバーグは「僕は見た。僕の世代の最良なる精神たちを」と「宣言」した。あれ以来、村上龍の小説は読んだことはないけれど、アメリカの1950年代のビートニクが語られることはあっても、日本にビートニクは、本当には登場もしなかったし、根付きようもなかった。

 僕は見た。僕の「世代」の「最良」なる「精神」「たち」を。僕の「世代」とはなんだろう。その当時、同時代的に生きている人々を指していることは間違いない。どこまで拡大し、どこまで限定するか。「戦争を知らない子供たち」などという生易しい概念ではない。かといって、すべてを包含した言葉ではなかったはずだ。目の前にいる「仲間」たちに向かって、ギンズバーグは「僕の世代」と呼びかけ、何かに「対抗」する勢力として語りかけ、詩を贈った。

 「最良」なる「精神」とはいかなるものか。もうそれは、「良い」「悪い」という判断を離れたところにあるもの。ちょっととか、最高とか、そういうところから離れたものこそが「最良」と呼ばれるべきだ。低いも高いも価値判断される必要がなくなったもの。それが「最良」だ。

 「精神」とは何だろう。目の前にいる「仲間」たちだ。そして詩をうたっている自分自身だ。肉体をもち、愛し合い、放浪し、苦悩し、語り合い、思い、瞑目する、人間としての存在。その存在を支える根源的な原理。あるいは根拠。あるいは痕跡。あるいは名づけようもない、なにか。

 「たち」とはなんだろう。ほんとうは「たち」などない。それは詩人が「仲間」たちによびかけた、「愛」の印だ。だが、それは限りなく淡い。詩としては表現される。言葉としては呼びかけることはできる。受け止める「仲間」たちがいる。しかし、本当は、僕は「僕」でしかない、という厳然とした事実に立ち戻ることしかできない。

 この小説にはミュウという名前の登場人物がいる。設定も性別も違うが、私もある人物にこのニックネームを付けたことがある。当時16歳の少年。隣県から家出してきた三浦という少年。三浦から「ミュウ」というニックネームをつけた。だが、どこかミュータント、という言葉を連想させた。ミュータント。突然変異体。

 髪を肩まで伸ばし、ちょっと色黒い、細身の少年。当時、私もまだ19歳ではあったが、彼を見て「異星人」を連想した。シャイだが、鋭い、少年独特の感性。私たちの小さなコミューンでは、それぞれがニックネームをもっていた。それは、ある意味では、この小さな生活共同体へ参入するためのイニシエーションであるかのような意味合いを持っていた。私はこのようにして、新参入者たちの何人にもニックネームをつける役割を果たした。

 ビートニクとスプートニクのパラレルワールド展開は、村上春樹のお手の物だが、さて、この小説が書かれた1999年、という年代に、この作風はどうであったのだろうか。

 我家にはこの小説の文庫本が残されていた。家族の誰かがすでに読んだのだろう。それは2001年発行になっていたから、それ以降に誰かが読んだのだ。「謎とき村上春樹」の石原千秋のような人ならば、大学の講義の中で、学生たちと一緒に読み込んでいく、というスタイルで、「それぞれの文庫の新しい版」を読むということもあるだろうが、小説がでた時代背景を考慮しながら、その意味を感じたいと思った当ブログでは、なるべく初版の出版された当時の版を読み込んできた。

 図書館から借りだしてきた初出本は、まだ10年前の本ではあったが、すでに「閉架書庫」にしまわれていた。あんまり読む人がいないのだろうか。それとも、新しいバージョンが出回っていて、そちらを読むことが主流になっているのだろうか。

 当ブログは、読書ブログとは銘打ってはいるが、解説ブログでもなければ、もちろん研究ブログでもない。「読書」をひとつのきっかけにして、自らのなかからなにごとかの文字を引っ張り出し、キーボードを叩くことによって、かろうじて、何事かの痕跡を集積しておいているにすぎない。

 それらを踏まえた上で、この小説「スプートニクの恋人」をめくると、どうも落ち着きが悪い自分を感じる。1999年、という年代が重い。いわゆるY2K問題で揺れていた時代である。「世紀末」である。1999年、7の月、などと言われていた、「人類が破滅」するかもしれない時代。「7の月」はそれぞれの読み解きによって、必ずしも「7月」を意味してはいなかった。場合によっては、この本がでた「1999年4月」だって、可能性はあったのである。

 誰だったか、どこかの詩人が「明日、地球が終わろうとも、私はリンゴの種を蒔くだろう」と言ったという。中学生だった自分は今でもその言葉が好きだし、今でもそう思っている。私もまた、明日、地球が終わろうとも、リンゴの種を蒔くだろう。その意味あいにおいて、「スプートニクの恋人」は村上春樹の「リンゴの種」だろう。

 ここで蒔かれるべき「リンゴの種」とはなにか。毎年毎年、同じようにして蒔かれてきた同じような種のことなのだろうか。あるいは、この年だからこそ、選びに選ばれて、残ったわずかばかりの可能性にかける種のことだろうか。この小説にはそのような意味合いが込めれていたことはまちがいない。あるいは、一読者として、そういう意気込みで読まざるを得ない。

 ひととおり村上作品の長編と呼ばれるものに目を通して、印象に残った三つの作品を選べと言われたら、私なら、「羊をめぐる冒険」「ノルウェイの森」「海辺のカフカ」、の三つを選ぶ。「羊~」は初期的な作品でもあるし、村上作品のパラレルワールドの原型のようなものを感じる。「ノルウェイ~」は、いわゆるリアリズム作品であり、村上作品のもうひとつの極を示している。世界的に一番読まれている作品でもあろう。「海辺~」は、前期のふたつの融合的な意味合いをもちつつ、実は2002年に出版されている、というところに意義がある。

 つまり、私にとっては、1995年~1999年という年代が、どうも未消化で、この時代を思い出すことが非常に気が重い、ということになる。なにも、かわいそうな一作家を酷評する必要などない。彼はまったく別な世界を生き、まったく別な人々に向けてメッセージを向けて小説を書いていたとするなら、いまさら十数年経過したあとに、遅れてきた読者がどうのこうの言ったって、すでにどうもならないことである。

 いや、そうではなく、もし村上作品を読むことによって、私自身の中のなにかが撹拌され、沈澱していた記憶や未解決な問題意識が浮遊してくる。その時、感情移入していた自分のなにかの部分が深く揺さぶられる。図地逆転する。結論として、私は、これらの時代をもうすこし自分なりにトレースしなおす必要を感じる。何がどうだったのか。

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2010/01/23

ねじまき鳥クロニクル(第3部)鳥刺し男編<1>

<第2部>よりつづく 

ねじまき鳥クロニクル(第3部)
「ねじまき鳥クロニクル」(第3部)鳥刺し男編 <1>
村上春樹 1995/08 新潮社 単行本 492p
Vol.2 927★★☆☆☆ ★★☆☆☆ ★★☆☆☆

 正直言って集中力が途切れた。第1部も面白かったし、第2部もそれなりに読んだ。しかし、この第3部は、自分が読み進める理由がなくなってしまっていた。ひとつには、「ルーツ&ウィング」という自らの「物語性」を、この小説のなかにオーバーラップしてみようという試みが早々と失敗してしまったこと。そしてふたつめには、この小説が1995年8月に出版されていることの意味を考えてしまったからである。

 とくに後半にコンピュータ関連のモチーフが多出してくる。ウィンドウズ95日本語版が発売されたのは確か1995年の12月ころだったはずなので、この時点ではウィンドウズは3.1であったはずだ。村上は確かマック派を気取っていたはずなので、この範疇にははいらないかもしれないが、しかし、この95年においてIT(インフォーメーション・テクノロジー)の世界は一変した。そして数年のうちにインターネットが日常のものになり、ネット社会の現出が現実のものとなった。

 しかし、この1995年初頭には、とてつもない「現実」がさらに二つ起きていた。ひとつは阪神淡路大震災であり、もうひとつは麻原集団事件の発覚である。これらの三つの出来事は1995年を象徴する事件であり、また、1990年代を象徴していると言っても過言ではない。この作品の第2部は1994年4月に出版されているわけだから、その時点から第3部が準備されていたとして、その書き下ろしに向けて盛んに書かれている最中に、この「1995年」がやってきてしまった、ということになる。

 村上作品の流れをみると、この「ねじまき鳥~」までの作品と、そのあとの「アンダーグランド」「約束された場所で」以降の作品では、まったく別な流れになっている。本当にそうかは新参読者である私には確固たる自信はないが、そうあってほしいという期待はかなり大きい。そして、その端境期にあったのが、まさにこの「ねじまき鳥クロニクル」<第3部>であったはずである。

 たとえば、私はこの第3部がでた1995年の8月に、この「ねじまき鳥~」を熟読している自分を想像できない。それは無理だと思う。リアリティがフィクションを超えてしまった時代が1995年という年廻りだった。まぁ、そうであったとしても、2010年の今、ゆっくり第3部を読んでもいいのではないか、とも思うが、しかし、この第3部をパラパラめくりながら、どんどんリアリティに先を越されてしまう「プロの嘘つき」村上春樹のフィクションが、どんどん力を失い、無化されてしまう過程が目に浮かんでしまうのである。あわてている村上の姿が見えてしまう、というべきだろうか。

 この作品(とくに第3部)が一般的にどのように評価されているのか、知らないが(これから調べてみるつもり)、もし本当に重要なパーツであるならば、再読することもやぶさかではない。しかし、それにしても、石原千秋の「謎とき」などをもって対処しなければならないような「文学」なんぞ、それこそ、猫か羊のエサにでもしておけばいいのではないか、とさえ思う。

 結論めいておけば、村上春樹は抜けてねぇだろう。確かに抜けてない。で、抜ける、ってなんだろう。ルーツも試みられた。ウィングも試みられた。だが「ルーツ&ウィング」には到達していない。あるいは、自分が自分の「ルーツ&ウィング」を表現し体験し、そしてその中にあるとき、自分は村上的表象を、必ずしも必要とはしていないのだ、ということを再確認したにとどまる。

<第3部><2>につづく

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謎とき村上春樹

謎とき村上春樹
「謎とき村上春樹」 
石原千秋 2007/12 光文社 新書 332p
Vol.2 926★★☆☆☆ ★★☆☆☆ ★★☆☆☆

 2007年に出た比較的新しい解説本ではあるが、扱われている作品は、「風の歌を聴け」1979、「1973年のピンボール」1980、「羊をめぐる冒険」1982、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」1985、「ノルウェイの森」1987、のいわば前期的村上春樹の作品である。小説そのものについては、「それぞれの文庫の新しい版」p13を使い、論じているのは、1955年生まれの大学教授。

 僕が村上春樹を初めて読んだのは、病院のベッドの上でのことだった。p9

 僕がその売店でこの風変わりな小説を買ったのは1988年9月30日のことだ。p9

 夏目漱石を専門とするこの文学教授でも、必ずしも、発表と同時に村上作品を読み進めてきたわけではないようだ。年齢は私とほぼ同じ。違っても学年で二つ彼のほうが若いというくらいなので、この解説者と、ごくごく最近からの読者としての自分を並べてみて、なんとまぁ、読み方に違いがあるのだろう、とびっくりした。

 著者が耳の病気で入院している頃、私自身も交通事故で数カ月入院することになった体験があったので、なお、時代をだぶらせながら、互いの存在している空間の類似性と、相違性について考えていた。

 はっきりと言えば、今回「1Q84」でようやく、村上作品を読んでみようと思い立った程度の新参の読者でしかない私だが、もし、いちばんとっぱしに、この「謎とき 村上春樹」を読んだら、二度と小説なんぞ読むまいと誓ったに違いない。少なくとも、この解説本を村上春樹はどう読むだろうか。解説本や評論などは一切読まないとされている村上春樹だから、多分読まないだろうが、それが意外と、こういうひねくれた解説だからこそ、目を通しているかも知れない。

 ざっと考えると、前期的作品群と、中期的ノンフィクション的なアプローチを経て、後期的(あるいは現在的)作品群があるとするならば、ここで石原千秋は、2007年において、これら前期的作品群にターゲットを絞ったのはなぜなのだろうか。

 村上春樹は29歳まで小説を書いたことがない、とされているが、この前期的な作品群についての推測が仮に石原の図星であったとしても、であればなお、中期的なノンフィクション(つまり麻原集団についての考察だが)を経て、変貌を遂げた(であろう)後期的(あるいは現在的)作品群に言及しないのは、とても片手落ちのように思う。

 小説は小説なのだから、まずは「面白く」ストーリーを読むことが最初なわけで、それをあれこれ「文学」することは、それぞれの読者に与えられた「自由」であったとしても、ここで展開されている「謎とき」のようなものが、仮に有効なものとして活用されるなら、永遠にひとつの作品で遊べるに違いない。それはそれでいいのだが、はて、そこまで深読みしたり、めちゃくちゃに愛でることが、本当に小説を愛することになるのだろうか。

 当ブログの小説の読み方、なかんづく村上春樹作品の読み方は、やはりひねくれていて、もちろん中心たる村上作品を読むことは大事なことであるが、それにまつわる周辺を、作品と等価なものとして読み込んでみようと試みている最中なので、このような解説本があることについては、たいへん興味深い。この手の本をもっともっと読み込んでみようと思っている。

 しかし、それにしてもこの解説本は、かなり偏っているなぁ、というのが実感である。ここまで故事つける必要はあるのだろうか。それともうひとつ。村上春樹は、積極的に「時代」を読み込もうとしている。とくに「前期的」な作品の中ではその兆候が強い。その時代背景的な風景を愛している読者も多いだろうと想定しているのだが、そのあたりについての石原の「同時代人」としての言及がない。つまり、文学評論家として、学生たちに「文学」に興味を持たそうとしているのはわかるが、同時代人としての石原本人が見えてこないことに、どうも歯がゆい思いがした。

 「ホモソーシャル」などの視点からの村上作品へのアプローチも面白いことは面白いし、例によって、私なんぞの読解力では見落としているところのほうが多いのだろうが、しかしまぁ、ここまでして、小説というものが「解説」されなきゃいけないものなのかな、と、改めて首をかしげた。

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‘THE SCRAP’ 懐かしの一九八〇年代 村上 春樹

‘THE SCRAP’―懐かしの1980年代
「‘THE SCRAP’―懐かしの一九八〇年代」
村上 春樹 (著) 1987/01 文藝春秋 単行本: 219p
Vol.2 925★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 雑誌に連載されたのが1982年4月~1986年2月号であり、それらが編集されて出版されたのが1987年2月であったことを考えれば、「懐かしの一九八〇年代」と括ってしまうには、かなり中途半端な表現ということになる。全何巻とか、上中下巻とか、そのようなシリーズになっているのかも知れないが、そうでもなさそうだ。

 どうしてこんなに長くつづけたかというと、理由は簡単で、書くのが楽しかったからだ。まず月に一回か二回「ナンバー」経由でアメリカの雑誌・新聞がドサッと送られてくる。送られてくるのは「エスクァイア」「ニューヨーカー」「ライフ」「ピープル」「ニューヨーク」「ローリング・ストーン」その他いろいろ、そして「ニューヨーク・タイムズ」日曜版である。僕はごろりと寝転んでパラパラと雑誌のページをめくり、面白そうな記事があるとスクラップして、それを日本語で原稿にまとめる。これで一丁あがり。
 どうです、楽しそうに見えるでしょ? 実と言うと本当に楽なのだ。
p1

 村上作品には、その突拍子もないストーリーの展開を支える形で、さまざまな小道具たちが登場する。現代においてグローバルなポピュラリティを支えている一要素はこの小道具たちにもあることは多くの人々が語るところだ。もともとジャズバーを経営していて、ひろく音楽の要素が必要とされ、また日常的にその音楽を聴いていたとして、さらに、テレビを持たず、これらのアメリカの雑誌に日常的に触れることのできる環境があったところに、村上作品の土壌が熟成されていった、ということができるだろう。

 当時著者は30代半ば、時代もアナーキーなバブルと突出していく前夜とみてもおかしくない時代。アメリカの雑誌から題材をとったアメリカンな話題が続く。「NY・ジャズ・クラブめぐり」、「アメリカ・マラソン事情」、「カレン・カーペンターの死」、「オリンピック・ユニホームについて」、「ニューヨークにおけるペットの死」、「コーラ戦争」、「グルメ・アイスクリーム」などなど。東京ディズニーランドの訪問記なども添えられている。

 「ピープル」によれば、カレン・カーペンターの本当の恣意は彼女がいつも「グッドガール」でいなければならなかったというところにあるようである。カーペンター兄妹はしつけのしっかりした中産階級の家庭に生まれ、小さい頃から親に対して反抗ひとつできないまま成長し、成人してシンガーとして成功してからもそのようなしめつけから脱け出すことができなかった。あのリチャードはその鬱屈したエネルギーを妹に対してカリスマ的影響力を及ぼすことで解消できたが、カレンだけはそれをどこに持っていくこともできなかった。そのくせ誰も彼女に対して「グッドガール」であることを求めていた。p57「カレン・カーペンターの死」

 芸能人やスターたちへの「精神分析」的アプローチは、当時はまだまだ珍しい時代だった。彼女の死は多くの話題を呼んだ。「マイケル・ジャクソンそっくりショー」などという文章も二回にわたって連載されている。当時の彼の人気がどれだけのものだったかよくわかる。テーマはさまざまだが、この本の中から、その後の村上作品につながってくるラインを発見する楽しみもあるだろう。

 さてそれではどうすれば比較的楽に年をとえるか? あきらめることである、と「エスクァイヤ」は結論を下している。あきらめて相応の年齢を気持よく受け入れていくことである。どれだけつっぱってみても、老いはその取りぶんを確実に奪い去っていくのだ。p27「老いるとはどういうことか」

 現在62才の著者は、今後この「老い」をテーマにどのように作品を展開するのか興味深いところだ。

 吉祥寺で「ぐわらん堂」を経営していた村瀬春樹さんという人もいる。安西水丸画伯はこの村瀬春樹さんと知りあいで、僕が文芸誌で新人賞をとって新聞に名前が載ったとき、てっきりこの村瀬さんだと思いこんで「おめでとう」と電話したんだそうである。どうでもいいようなことだけれど、この方は実は僕の女房の大学時代のクラブの先輩であります。彼女に言わせると、あなたなんかよりずっとしっかりした立派なヒトなんだから、ということだけれども、そんなこと私は知らない。名前が似ているというだけで人間性まで比べて論じられるいわれはない。p209

 ははは、やっぱりいたんだなぁ、ふたりの春樹を混同する人は。私なんぞも、以前に「ぐあらん堂」ものぞいていたこともあったりしたので、そのままずっと同一人物だと思い込んでいた。その違いに気付いたのは、実に数年前の話である。

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ウォーク・ドント・ラン 村上龍 VS 村上春樹

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「ウォーク・ドント・ラン」 村上 龍 VS 村上 春樹
村上 龍 (著), 村上 春樹 (著) 1981/07 講談社 単行本: 154p
Vol.2 924★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 1980年7月29日と11月19日に対談したものが、翌年7月に出版された。もうすでに30年前に出された本を引っ張り出してきて読んだとしても、21世紀の今日的な意味においては環境がまるでが違っているわけだから、ストレートな意味では批判も解釈も直接的なものではなくなってしまっている。

 ただ、自分は自分がその年代をどのように生きていたか、割とよく覚えているほうで、この1980年という時代に自分はどのような状況にいて、もし、あそこでこの対談を読んだらどうだっただろうと、想像することはそれほど難しいことではない。

 この年の7月には体調が崩れていて、9月に入院、それから半年間の療養生活に入った。ずっと後で聞いた話ではあるが、その時、家族は「余命半年」の宣告を受けていたという。この年、12月8日にジョン・レノンはアメリカで、一ファンの手によって銃殺された。そのニュースを病院の待合室のテレビでみた。

 あの頃、結構、待合室の週刊誌や売店の本などを結構読んだ気がするが、あの流れでこの二人の対談を読んでいたとイメージしても、やはり、この二人の対談は、当時の私が必要としていたものではなかったのだと思う。

春樹 フロイトというのがぼくはすごく嫌いなんですけどね、精神分析というものがすごく嫌いなの。ノックもしないで部屋に入ってきて冷蔵庫あけて帰っていくって感じがしてね。帰っちゃってから、おいおい、あいついったいなんだ、ということになる。

 ぼくもあんまり好きじゃないんです。いや、フロイト的じゃなくてさ、哺乳類的に。p98

 2010年の現在、「フロイト 精神分析」との対比の中で「村上春樹」を読むことになり、ひととおりの長編を中心に読みながら、副読本的にエッセイやら対談を読んでいるが、こういう意味あいにおいては、あの時代に「フロイト 精神分析」を好きだ、という流れのほうがおかしいだろう。フロイトを自らのライフワークとした北山修のほうが、ちょっと異常という感じがする。

 しかし、こうして両村上の対談を読んでみても、かならずしも文学やら小説という文芸に身をすりよせていたか、というとそれもまったく違う。村上龍は「限りなく~」が衝撃的だったから、掲載された「群像」も、のちに単行本になったものも読んだが、それ以降の作品はまったく読んでいないことに今気付く。

 この時点での二人は、賞をとって、それこそ飛ぶ鳥を落とす勢いの若い二人ではあるが、その小説家としての原点はあるけれど、将来どのように展開するかわからない段階である。その二人の対談がこのような形で単行本に残っているのは貴重ではある。春樹はまだこの時点では生活のためバーを続けているし、龍だって、第一作が売れたからこそ作家として生活はできていたが、さりとて確たる未来の保証があったわけではない。

 そして、この後の二人は、「二人の村上」と言われるほどの活躍をしてきたのだから、今更なにを言う必要もないのだが、この二人の村上が、当時の時代背景を背負っていることは、この対談のはしばしから感じ取ることが十分できるものだし、また、この二人に期待し、ささえてきた、あらゆる角度からの「クラウドソーシング」が存在した、ということを認めざるを得ない。

 さらに言えば、では、それは何だったのか、というソーカツの時期に来ているようにも思う。その答えを、たった二人に問い詰めることはもちろんおかしい。たしかに二人は何かの象徴、あるいは表象として注目は集めてはきただろうが、この二人がなにかをソーカツしなくてはならない、ということではない。

 30年と言えば、あっと言うまでもあるし、またひと世代、あるいは時にはふた世代が交代するほどの、長いスパンでもある。あまりに多用な要素が絡みこんでいるので、区切りをつけることはなかなか難しいが、しかし、これらの人々が何かを表現する表象の役目をしてくれているとするなら、その下にある実態(あるいは塊)を、いまいちど確認しておく必要を感じる。

 そう言った意味合いにおいて、当ブログにおけるクラウドソーシングとしての「ハルキワールド」探求の旅は、少しづつ前進しているようにも思うが、中間的にまとめておけば、結局は、やっぱり「突き抜けて」はいなかったな、という思いが、あらためて強くなってきた。

 突き抜けていないことを持って、二人の村上を責める必要もなければ、そのことを持って時代を批判する必要もない。要は、突き抜けていないのは、時代や集団や共に幻想を見ているからであり、すべては個的な世界に還元され、しいては無化した自分への中にこそ求められるものだと理解することができるならば、それはそれで、探求の成果は徐々にあがっているのだ、と自らを慰めることもできる。

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2010/01/22

カフカの絵本

カフカの絵本
「カフカの絵本」 恩返し 初めての悩み 羊猫
フランツ・カフカ /たぐちみちこ 2009/03 小学館 絵本 48p
Vol.2 923★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 「海辺のカフカ」を読んでいる時に、奥さんが「こんなカフカもあるよ」と教えてくれた。私は村上作品から気をそらしたくなかったので、そのままにしておいた。長編、長編、と来て、すこし飽きてきたので、他のものもすこし読みたくなってきた。

 そして、この絵本に出会ってみれば、なるほど、こんなカフカがあるのだ、と思う。わずか48ページのちいさな絵本の中に、3つのお話が入っている。たぐちみちこが文を書き、田口智子(ふたりの田口=たぐちの関係はいかに?)が絵を描いている。田口智子の絵は、上手なのかどうなのか、私にはわからないが、カフカの「不条理」さにはマッチしている。

 「羊猫」? 村上作品には羊も猫もたびたび登場するが、羊猫は、いままで読み進めてきた中には、まだ登場してこなかったのではないだろうか。羊猫とはなにか。村上はこの羊猫をふたつに分解して、羊と猫にしているけれど、本当はこのカフカの羊猫がベースにあって、いつかはこの羊と猫を一緒にして羊猫にするのだろうか。あるいはすでにひとつの存在としての羊猫を登場させており、ある時は猫、ある時は羊、と表現しているだけなのだろうか。

 「恩返し」の主人公は、コウノトリのような鳥を飼ってあげるお礼に、大きくなったら自分をその背中に乗せて「南の国」へつれて行ってくれることを楽しみにしている。それは「国境の南」なのだろうか。カフカ作品には「太陽の西」までは書かれていない。

 「初めての悩み」。空中ブランコの少年。40歳で短い人生を閉じたカフカ。不条理に満ちたストーリーには結論はあるのか。結論をもたないという結論。物語性を否定する物語性。これはカフカの小説ではなかった。これは「カフカの絵本」だった。

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ねじまき鳥クロニクル(第2部)予言する鳥編

<第1部>よりつづく

ねじまき鳥クロニクル(第2部)
「ねじまき鳥クロニクル」(第2部) 予言する鳥編 
村上春樹 1994/04  新潮社 単行本 356p
Vol.2 922★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 この小説を読み解くにあたって、あるいは村上春樹という作家をめぐって、さらにはそれらをとりまく読者や翻訳者やら評論家やら、あるいは私のような通りがかりの野次馬を含めたハルキワールドを読み解くあたって、「ルーツ&ウィング」という、たまたま思いついたスケールの目盛は、有効に役立ってくれそうな気がする。

 第1部は「新潮」に10回に渡って連載されたものに手を加えられて出版されたことがわかっている。第1部と同時に出版されたこの第2部について、本書においては、とくにその経緯は書いてあるところはない。この第2部は書き下ろされたと考えていいのだろうか。

 ウィキペディアをみると、それなりの背景がわかってくるが、とにかくここはあまりそれらに拘泥しないで、「物語」のなかに集中することにしよう。第3部は、一部を除いて書き下ろされた、と明記してある。第3部は、1995年の8月に出版されているから、麻原集団事件発覚後の出版となる。

 それがまる二日間続きました。同じことの繰り返しでした。溢れかえる光の中に何かがそのかたちを浮かび上がらせようとし、そして果たせぬままに消えていくのです。私は井戸の中で飢え、渇いておりました。その苦しみは尋常なものではありませんでした。しかしなおかつ、そんなことは究極的には大した問題ではなかったのです。私が井戸の中でいちばん苦しんだのは、その光の中にある何かの姿を見極められない苦しみでした。見るべきものを見ることができない飢えであり、知るべきことを知ることのできない渇きでありました。p66

 村上作品にでてくる「井戸」はなにかの象徴として多用されており、それはおなじ「象徴」として、クンダリーニが上下する通路=スシュムナーのようなものと解釈する道も残されている。それは「エレベーター」としてもでてくるが、厳密な意味で、「科学」的に使われているわけではない。それはイメージであり、より確かなものへの足がかりとしての導入小道具として使われていると言っていいだろう。

 第3部はいざ知らず、この第2部においては、「ルーツ&ウィング」の目盛で言えば、井戸の底深く、漆喰の暗黒にただようエネルギーを撹拌することを持ってのみ、ストーリーが展開しているように思える。たしかに天の上に、光や星なりを認めることはできないでもないが、それは翼を持って高く飛ぶという感覚ではない。ねじまき鳥は、いまだ飛ばない。

 もう一度頭上を見上げ、星を眺めた。星の姿を見ていると、心臓の鼓動は少しづつ安らかなものになっていった。それから僕はふと思い出して、暗黒に中に手を延ばして井戸の壁にかかっているはずの梯子を捜した。でも手は梯子に触れなかった。p145

 多用されるシンボル、錯綜するストーリー、あいまいな登場人物たちの境界線。そこに読者は自らの「物語」を重ね、自らのうちに自らの物語を再構成するチャンスを与えられている。そのチャンスを有効に使うこともできるだろうが、ただただまどろっこしい、と感じる私のような読者も多々存在するに違いない。

 でも僕はねじを巻くことのできない無音のねじまき鳥として、しばらく夏の空を飛んでみることにした。空を飛ぶ おは実際にはそれほどむずかしいことではなかった。一度上にあがってしまえば、あとは適当な角度にひらひらと翼を動かして、方向や高度を調整するだけでよかった。僕のからだはいつの間にか空を飛ぶ技術を呑み込んで、苦労もなく自由自在に空に浮かんでいた。僕はねじまき鳥の視点から世界を眺めた。ときどき飛ぶのに飽きると、どこかの樹の枝にとまり、緑の葉のあいだから家々の屋根や路地を眺めた。人々が地表を動きまわり、生活を営んでいる姿を眺めた。でも残念なことに僕は自分のからだを自分の目で見ることができなかった。ねじまき鳥という生き物を一度も見たことがなかったし、それがどんな姿をしているのか知らなかったからだ。p157

 ルーツ&ウィングは、ルーツでありウィングである感覚だ。それは同時に存在する全体的感覚だ。ルーツだけとか、ウィングだけではない。そして無化した自分は明瞭に見えている。

 (前略)カザンザキスはこのクレタ島を舞台にして長編小説「その男ゾルバ」を書いた。僕がクレタ島について案内書から得ることのできた知識はだいたいそれくらいのものだった。そこでの実際の生活がどのようなものなのか、僕にはほとんど知るすべもなかった。それはまあそうだろう。、旅行案内というものはあくまでそこを通り過ぎていく人々のための本であって、これからそこに腰を据えて住みつこうという人間のために書かれているわけではないのだ。p269

 深く大地に根ざそうとしていながら、村上作品には、「その男ゾルバ」のような土着性、享楽性、歓喜、笑い、が今一つ湧いてこない。中腰で、軽く、通り過ぎようとしているかのようなポーズをとり続けている。だがしかし、本音は、深く根差し、ゾルバのように大地に生き、そしてなおかつ天高く星々と暮らしたいと願っている。ねじまき鳥のルーツ&ウィングはいまだ見えず。

<第3部>につづく 

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2010/01/21

ザ・シークレット   ロンダ・バーン

ザ・シークレット
「ザ・シークレット」
ロンダ・バーン /山川紘矢他訳  2007/10  角川書店  単行本 318p
Vol.2 922★☆☆☆☆ ★☆☆☆☆ ★☆☆☆☆

 現在、当ブログは、村上春樹追っかけにやっきとなっている。いまさらというべきか、ようやくというべきか、なんにせよ、そういうことになっている。いままで数十冊を集中して読んだし、まだ手元に十数冊ある。図書館をくまなく探せば、まだまだハルキ本は数十冊でてくるはずである。このまま思考が途切れなければ、一気に村上春樹をおっかけてみたい。

 だが、その間にも、さまざまな引力の強い本が図書館で見つかったり、自分の本だなから出したり、前から気になっている本を購入したりと、必ずしもハルキワールドだけにどっぷりと浸かっているわけでもない。

 そんな中、書店のトンデモコーナーならともかく、公立図書館にて「ザ・シークレットを超えて」「ビヨンド・ザ・シークレット」なんていう本があったりしたので、以前にそれらについてのメモを残しておいた。今回はその大本の「ザ・シークレット」があったので、なにはともあれ借りてきておいた。正直言って読むほどの本でもないのだが、返却日も近づいてきたので、パラパラとめくり、メモだけは残しておこうと思う。

 成功哲学というか、ポジティブ・シンキングというべきか、この手の本は昔からある。秘密めいて書かれているが、決してそれは秘密でもなんでもなく、ごくありふれた手段である。この手のメソッドを使いたい人は使えばいいし、その効果がないとは言えない。金銭欲や物資欲、あるいは名誉や他者からの尊敬、豊かな暮らしなど、情動的に人間を動かそうとする力は、たくさんある。

 この本は、ロンダ・バーンの名前が表紙に書いてあるだけで、翻訳者の名前は表紙に書いていない。多分、翻訳者の名前が表書きしてあると、何割かの人は手を伸ばすのを遠慮するだろう。いつものこの手の本を多く手掛けているご夫妻が翻訳にかかわっている。わずかこれだけの本なのだから、別に3人で手分けするほどでもないとは思うが、ここにもなんらかの「戦略」があるのであろう。

 どことなく古書めいた、しみのついたような印刷を取り入れている。私の手元に来たものだけがそうなのかどうかわからないが、なにか印刷紙から匂いのようなものさえする。イメージでいうと、むかしむかしあった紙石鹸のような匂いだ。作ったほうは、匂いではなく、香り、と受け取ってほしいところだろうが、まぁ、原書がこういうつくりだったのかどうか、とにかく日本語訳はそういう作りになっている。

 ここから「秘密」をくみ取れと、いう。「引き寄せの法則」とかいうらしい。「金もいらなきゃ、女もいらぬ。わたしゃも少し背がほしい」なんていうコメディアンのセリフを思い出した。人生において、何にもいらないよ、という人はいないだろう。不足なものは必ずある。それを追い続けることは可能だし、まずは不足しているものを充足しようとするのは、ひとりの人間として当然のことだろう。

 この翻訳家夫妻の手によるものをいくつか読んだ。一連の「フィンドホーン」関連本もそうだったし、シャーリー・マクレーンの著書シリーズも確か彼らの翻訳だった。奥さんのほうの講演も実際に拝聴したこともあったし、カモワン・タロットを使った占い風景も拝見した。しかし、まぁ、相性や波長が合う合わないは、個人の趣味によるところが大きいので、あえて私は距離を詰めないできたし、これからもその距離は残ったままになるのであろう。

 どことなく、ロバート・T.キヨサキの金持ち父さんシリーズに重なってくるところもある。いかにもアメリカらしいスタイルだ。これらの本はヨーロッパからはでないだろう。日本でも、さて、どのくらい読まれ、どのくらい評価されていることだろう。一般的に日本ではこの手の本は「軽薄」と見られるのではないだろうか。私はその見かたに賛同するだろう。

 仏陀やユングや、アインシュタインなどの言葉も唐突に、アフォリズムのように引用されている。おいおい、そんな引用のしかたをしてどうする、とギョッとして立ち止まってしまうから、私は「成功」しないのだろうか。もっと「ポジティブ」に思考回路を作りなおす必要があるのだろうか。

 今現在の私は、私自身が「引き寄せた」ものだとするならば、それは確かにその通りなのだろう。いい車には乗りたいが、高すぎる経費を負担したくない、という思いが強いから、私のところにはいい車がこないのだろう。いい住まいを持ちたいとも思うが、いい住まいは、最初は「お城」のつもりでいても、結果としてそれが「牢獄」になることを恐れているから、私のところにはお城は引き寄せられてこないのだろう。

 金も名誉も、すべては欲望を刺激するだろうが、そこにまつわるものどもは、必ずしもよいことばかりではない。恋をすれば嫉妬も湧くし、失恋もある。失恋をしたくなければ、恋などしないほうがいい。まぁ、その通りだ。

 著者は若い(著者紹介の画像によれば)女性で、オーストラリアからアメリカへ移動した人のようである。巻末には30人ほどの関係者の画像が掲載されている。この人々がいわゆる「成功」した人々なのだろうか。すくなくとも、「ザ・シークレット」使用後のサンプルの役割を果たしているのだろう。

 トンデモ本はトンデモ本として、公立図書館にあるかぎりは、今後も、手にとって、めくっては見ようと思っている。もともとあまり数は入庫していない。書店のトンデモ本コーナーにいくと、最近は身も心も萎縮してしまって、手も足もでない。本はた~くさんあるのだが、最近はもう駄目だ。とくに2012年関連とやらは、あまりにトンデモすぎる。

 この本は、当ブログにおいては、どのカテゴリに属するだろう。現在進行している「私は誰か」、「クラウドソーシング」、「地球人として生きる」の、三つのカテゴリのどこにでも入りそうではあるが、どこにおいても、ちょっと否定的な読み方をせざるを得ない。最初から読まなければよかったのかもしれないが、そんなことを言い出したら、ほんとに歓迎すべき本など、ごくごくわずかなものになってしまう。

 批判や誤解もまた、理解や愛情への始まりにつながることもある。いちばんポジティブにこの本を理解しようとするなら「地球人として生きる」カテゴリに入れておくのが無難だろう。多くの人々が関わって、なにごとかのプロジェクトを進めているらしい、ということなら「クラウドソーシング」カテゴリだ。もっともっと批判的にこきおろしてやろう、というなら「私は誰か」カテゴリの境界領域のサンプルとして入れておくことも可能だろう。

 この本からなにごとかの「スピリチュアリティ」を抽出しようという試みはしないでおこう。何事かの「もたれあい」なら、あえてクラウドソーシングという言葉を提供することも止めてこう。地球人として生きていくなら、きれい事ばかりではうまく行かない。金も名誉も、もうちょっとの背も必要だ。まぁ、とにかく生きていくには、このようなバイタリティも必要だろう。なんとかも方便、ということもある。「地球人として生きる」カテゴリに入れておこう。それが今回の結論であった。

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2010/01/20

ねじまき鳥クロニクル(第1部)泥棒かささぎ編 

ねじまき鳥クロニクル(第1部)
「ねじまき鳥クロニクル」(第1部)泥棒かささぎ編 
村上春樹 1994/04 新潮社 単行本 308p
Vol.2 921★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 <第1部 泥棒かささぎ編>は、「新潮」(1992年10月号~93年8月号)に10回連載されたものに、加筆したものである。p310

 小説はひととおり全部を読み終わった後にひとまとめにしてメモしようとは思っているのだが、この小説は3部にわたる長編の上、発表形態も一冊一冊、一律ではないようだ。書かれた時期もずれている。ましてやこの第1部は月刊誌に連載されたもののようでもあるし、作品としての波もあるだろう。当ブログとしても、途中でメモするのも中途半端ではあるのだが、あえて、一冊づつメモしていくことにする。

 以前本田さんが言っていたことをふと思い出した。<上に行くべきときには、いちばん高い塔をみつけてそのてっぺんに登ればよろしい。下にいくべきときには、いちばん深い井戸をみつけてその底に下りればよろしい> とりあえず、井戸はここにひとつみつかったわけだ。と僕は思った。p122

 村上作品には、なにかの象徴であるかのように、井戸やエレベーターが重要なファクターとして登場する。第1部においては、まだ、この井戸についての解釈はなされていないし、「いちばん高い塔」とやらも、まだ登場していないようだ。

 一連の村上作品を読んでいて、「上に抜けていない」な、という私なりの感覚は、まだ解決されていない。私にはどこかで聞いた「ルーツ&ウィング」という言葉の組み合わせが気になっている。ルーツ、つまり大樹の根っこのように大地に根差し、ウィング、つまり鳳の両翼のように大きく羽ばたいて高く飛翔する。この組み合わせがもっている象徴を愛している、ということなのだ。上に抜ける、という感覚は、ここでいうウィングで、あえていうなら、「かもめのジョナサン」に表現されている飛翔感のようなものであろうと思う。

 80年代の大きな村上作品と言えば「ノルウェイの森」だから、「森」の連想から、あえてこれを「ルーツ」側の象徴として見た場合、90年代の大きな作品「ねじまき鳥クロニクル」は、「鳥」の連想から、「ウィング」側の小説であってくれたら面白いな、と思って読み始めた。

 しかし、鳥は鳥でも「ねじまき鳥」という、ギイギイ---という鳴き声が聞こえるだけの存在であり、まだ、その鳥自体が意味を持ち始めるということもなく、すくなくとも、この第1部では、ウィングとか「飛翔感」とか、「上に抜ける」感覚とかいう、一読者としての、勝手な志向性を満たしてくれるような兆候はまだでてこない。

 むしろ、いつもの村上春樹の世界のように、若い現代のカップルに小さな出来事が起き始める段階でしかないのだが、今回は、大きなファクターとしてノモンハン事件がかかわってきている。「羊をめぐる冒険」にも、20世紀前半における日本軍によるアジア大陸でのうごめきに対する言及があったが、この作品においても、その日本軍の動きをめぐって、さまざまな伏線が敷かれ始まっている。

 このような傾向は、ひょっとすると、掲載誌であった月刊誌「新潮」の読者の嗜好性を意識したものであったかもしれず、または、そのような傾向のある小説であるからこそ、この掲載誌が選ばれたのかも知れない。いずれにせよ、「戦争を知らない子供たち」世代としては、真正面から20世紀の前半におこなわれた日本軍のうごめきを解明しようとすることは、なかなか困難ではある。

 北山修も「戦争を知らない子供たち'83」という詞を残している。70年前後における戦後世代の明るさを強調する元の詞に対して、「大人になった」戦後世代としての、前世代の動きに対する検証、そしてそれを「知らない」でいることへの、自らの反省、そのようなものが込められていた。

 村上春樹も1949年生まれのれっきとした「戦争を知らない子供たち」世代である。しかし、この世代においても、決してこの前の戦争が無関係に存在しているわけもなく、また、無関係を装ってしまうところに、小説をあつかう上では、むしろデメリットが生まれてしまう可能性もでてくる。

 私は父親を8歳の時に亡くしたが、この父もまたノモンハン事件に関わったと、親戚の誰かに聞いている。もっとも、存命の間に直接父から聴いたわけでもなく、聴いても心に残るものは少なかったに違いない。大陸で匍匐前進中に敵弾を受け、弾道が肩から入って尻に抜けたとか、体にいくつかの破片が残っていたとか、多少の誇張されたであろう話を聞いたことがあったが、いずれにせよ、その傷がもとで本国に召還になり、またその傷から病を得て、早逝する要因にもなった。いつかはこのこと(つまりは、とりとめのないテーマにならざるを得ないが)を自分なりに理解してみたいという思いはくすぶってはいるが、いまだに果たせないでいる。

 私のからだそのものが溶けて液体になって、そのままここに流れてしまいそうにさえ思えました。この見事な光の至福の中でなら死んでもいいと思いました。いや、死にたいとさえ私は思いました。そこにあるのは、今何かがここで見事にひとつになったという感覚でした。圧倒的なまでの一体感です。そうだ、人生の真の意義とはこの何十秒かだけ続く光の中に存在するのだ、ここで自分はこのまま死んでしまうべきなのだと私は思いました。p299

<第2部>へつづく 

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2010/01/19

村上春樹をめぐる冒険〈対話篇〉

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「村上春樹をめぐる冒険」〈対話篇〉
笠井 潔 (著), 竹田 青嗣 (著), 加藤 典洋 (著) 1991/06 河出書房新社 単行本: 253p
Vol.2 920★★★★☆ ★★★★☆ ★★★☆☆

 村上春樹を語る面白さのひとつは、その小説が多くの人々の目に触れて、そこに提示されている情景を使って、多くの人々と話題を共有できるところにあるだろう。当ブログはむしろ、そちらの方に関心があり、そちらから入って、村上作品にようやく目をとおす気になった、とも言える。

 この鼎談は1991年にでており、村上作品としては「風の歌を聴け」から「羊をめぐる冒険」「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」「ノルウェイの森」「ダンス・ダンス・ダンス」などを中心とした80年代のハルキワールドを語っているわけだが、それなりに時代を感じさせる、ひとつの良い「クラウドソーシング」の一例となっている。

 この時代、私はまったくこのような世界には関心がなく、批判をするわけでもなく、無視するわけでもなく、ただただまったく違った空間を生きていた、とも言える。あえていうなら、裏表のパラレルワールドに入っていた、と言えるかも知れない。

 しかし、この2010年において、大体の1990年ごろまでの村上作品に目を通したところで、この鼎談を読んでみると、当時の自分は、これらの人々と違った問題意識で生きていたわけではなく、むしろ、同じ問題意識をもちながら、まったく別な角度から世界にアプローチしていたと言える。アプローチとまでいうと大げさになるが、とにかく日々生きていたことになる。

 そして率直に言ってしまえば、これらの人々と問題意識はそれほど違わないのだが、そこからどちらの方向に向かって時代を生きようとしていたか、というと、自分の言葉でいうなら「上に抜けよう」としていたのだと思う。逆にいうと、これらの人々の対話や鼎談は、抜け道がない。70年代とか、文学とか、作家論に終始していて、ひとつひとつは文献やら言論やらがあって、とっかかりはあるのだが、ただただ堂々めぐりをしているのではないか、という批判的な視点が湧いてくる。

 この「上に抜けよう」という感覚は、決して私だけのものであったわけではなく、当時の多くの同時代人が抱えていた志向性であったはずである。そして、この感覚は95年のあの忌まわしい事件において、マイナス要素、陰画的落とし穴として現出してくる。

 まぁ、しかし、この1991年においては、そこまで気づいていた人はほとんどいない。ただただ何かが足りないと気づいていた人は多かったはずであるが。村上春樹本人は、この時代からアメリカの東海岸で暮らしていたようだし、時代はバブルな風潮から、湾岸戦争などを契機として、バブル「崩壊」へと暗転していく。

 この鼎談がでたあと1995年までの間には「ねじまき鳥クロニクル」という大きな作品がでるわけだが、1995年の事件後、村上は日本に帰国して、「アンダーグラウンド」「約束された場所でunderground2」などをものすことになる。だが、それは、まだ誰にも予測できないことであった。

 この2010年に至って、ようやく村上春樹を読みはじめたような私などは、同時代的に村上小説やらその「解説・評論」を読んできたわけではないので、いまさらどうのこうのと言っても、それこそあとの祭りで、もぬけの殻のところにたたされているようなものだが、それでもなにかしら思うところは多い。

 それはやはり「上に抜けていない」という感覚だ。一村上作品をうんぬんという他人のふんどしを利用して自らを語ろうとするだけではなく、一連の作品群をひとつの共同性として、何事を語ろうとすること、どこかへ行こうとすること、そこにこそ当ブログの関心はある。

 すくなくとも数百万部売れたとされる「ノルウェイの森」に刺激された日本文学論壇がひとつのクラウドソーシングとしてうごめいている、という風景がこの鼎談からありありと見てとれる。もうすこし、村上作品そのものを読み込んだあと、これらの一連の「解説」やら「評論」も読み込んでみたい。

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2010/01/18

国境の南、太陽の西

国境の南、太陽の西
「国境の南、太陽の西」
村上春樹 1992/10 講談社  単行本 294p
Vol.2 919★★★★★ ★★★★★ ★★★★★

 私は何にもわかってないな、と思う。少なくとも、すでに全部村上春樹を読んでしまっている自分がいるとして、そして、まだ全部読みきてはいない自分がもう一人いて、当ブログで読んできたような順序で村上春樹の小説を読んでいるとしたら、もう読んでしまった自分は、まだ読んでいない自分に対して、「何もわかってないな」というだろう。

 「国境の南、太陽の西」。最初は羊男でもでてきて、また冒険にでもでるのかと思っていた。どこかサスペンス風のタイトルだ。だが、いつも思うのだが、なんだかかなり頓珍漢なタイトルだなぁ、と冷やかしぎみに読み始めるのだが、読み終わってみれば、この小説には、このタイトルが一番似合っている、と思うことになる。いや、このタイトルしかなかったのだ、とさえ思える。

 どちらかと言えば、これは村上春樹のリアリズムに属する小説なのだろう。現実から逸脱しないわけではないが、逸脱していることさえ、気がつかなくなる。いや、それでいいのだ。現実の連続の果てに、逸脱がある。そして、いつのまにか、逸脱が現実となり、現実は、いつのまにか逸脱になってしまっている。

 僕はそのときの彼女の瞳の奥にみたもののことをはっきりと覚えていた。その瞳の奥にあったものは、地底の氷河のように硬く凍りついた暗黒の空間だったのだ。そこにはあらゆる響きを吸い込み、二度と浮かびあがらせるこのない深い沈黙があった。沈黙の他には何もなかった。凍りついた空気はどのゆな種類の物音をも響かせることはなかった。p251

 この小説が発表されたのは1992年。バブル経済は崩壊したとはいえ、幾分まだそのほとぼりは冷めきらないでいた。そして、それから20年もつづく失われた時代などというものも、本当の意味では誰も予測できないでいた。

 村上は40代半ば、当時は、マスコミや日本の雑踏を避けるように、外国にわたり、アメリカの東海岸あたりでこの小説を書いたのだろう。村上作品に登場する人物たちは、あまり貧しい人たちではない。普通、あるいは普通以上だ。飢えているわけではなく、上昇志向をつよくもっているわけではない。物質世界を十分享受している。堪能しているといってもいい。しかし、それでもなお、いやそれであるからこそ、感じられる魂の飢え、というべきものを、うまく演じている。

 青少年の恋愛小説みたいなものかな、と思いつつ、次第次第にひきこまれていった。ヘセが青春の文学のようにに言われたりしながら、次第に中年や老年について書きすすめたように、村上春樹はいつか老年について、深く語るだろうか。1949年生まれの彼もすでに61歳となっている。愛と死を通して、そしてそれを焼き切ったところで、どのように彼に老いは訪れるのだろうか。

 彼はあらゆるジャンルの手法を使いながら、その世界を広げているように思う。毎回意表を突かれ、とまどいつつ、ついついついて行ってしまう。お見事だ。その見事な手で、ヘッセが「ガラス玉遊戯」を書いたように、さらなるハルキワールドのなかの「老い」を書いてもらいたい。それを読んでみたい、と思った。

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2010/01/17

羊をめぐる冒険

羊をめぐる冒険
「羊をめぐる冒険」
村上春樹 1982/10 講談社 単行本 405p
Vol.2 918  

 1970年11月25日のあの奇妙な午後を、僕は今でもはっきりと覚えている。強い雨に叩き落とされた銀杏の葉が、雑木林に挟まれた小径を干上がった川のように黄色く染めていた。p18

 私たちの世代なら、この日、1970年11月25日の「あの」奇妙な午後を、覚えていない人はあるまい。それは1995年3月20日の朝とか、2001年の9月11日の夜、などとともに、人生の中の記憶のベスト10の中に数えられても不思議でないほどに、大変な一日だった。

 この小説だけではなく、村上作品全体を通じて、場所や時間はとくに限定されてはいないといいつつ、つねに、その書かれた年代や状況について、つねに気になるように設定されている。私も、一連の小説を読みながら、断片的な記憶の破片が、地底から舞い上がってきてキラリと光り、妖しい存在感を示す瞬間を何度も体験した。

 仮に、表の表、表の裏、裏の表、裏の裏、という表現があるとすると、名刺や履歴書などに書く自分というものが表の表になるだろう。そして、読書ブログというかたちであれ、自由に振舞おうとする自分は、表の裏、的な存在と言える。ところが、これらの一連の小説を読みながら気がつくのは、自らの裏の表の部分が、すこしづつ、すこしづつ、妖しい間接光にあぶりだされながら、その生息地域を主張し始めていることである。

 小説を読みながら、裏の表を意識するとすると、さて、裏の裏、とはなんだろうか。表の表、といいつつ、それはひとつの虚構、フィクションに過ぎない。名刺や履歴書に、どれほどの自分が書いてあるというのか。読書ブログといいつつ、そこに書きとめられた数万の言葉も実は、どれほどの「真実」が書いてあるかなど、書いている本人にもわかりはしない。

 さて最初からフィクションだ、虚構だ、嘘だ、作りごとだ、とわかっていたとしても、そこを鏡としてつかうなら、そこに映し出されるのは、必ずしも不実である、とばかりも言えない。むしろ、虚構やフィクションに映し出されたからこそ、真実として浮き上がってくることもある。そこに気がついてみれば、それでは、裏の裏とはなんだろうか。陰極まって陽になる、陽極まって陰になるように、裏の裏こそ、本当の真実だ、などということがあるだろうか。

 「羊をめぐる冒険」は村上作品の長編としては3作目にあたり、この小説の続編に位置する「ダンス・ダンス・ダンス」などは、本来、あとから読まれるべき小説であったようでもある。しかし、かならずしも、小説そのもののストーリーを追いかけることを第一義にしていないのであれば、読まれる順番にはとくにこだわる必要もなかろう。

 むしろ、これら一連の作品群を読みながら、自らの中に存在する「裏の表」たるべき世界をプロボークするとするならば、むしろ、このような断片的な、ないまぜ的な読み方は、効果的とさえ言える。すくなくとも読み進めていて不都合はない。

 「幻想のように聞こえますね」
 「逆だよ。認識こそが幻想なんだ」男は言葉を切った。
p165

 1982年に書かれたこの小説は、過去を引きずっている。60年代、70年代は、まだまだソーカツされてはいなかった。

 「君たちが60年代の後半に行った、あるいは行おうとした意識の拡大化は、それが個に根ざしていたが故に完全な失敗に終わった。つまり個の質量が変わらないのに、意識だけを拡大していけばその究極にあるのは絶望でしかない。私の言う凡庸さというのは、そういう意味だ。しかしまあどれだけ説明しても君にはわからんだろう。それに私もべつに理解を求めているわけじゃない。ただ正直に話そうとしているだけさ」p166

 私は、村上春樹という人の名前をほとんど知らなかったし、知ろうとしなかった。今気付いてみれば、むしろ、一生懸命避けてきたのではなかっただろうか、と思う。少なくとも、この時代1982年の頃、私は「小説」を必要としていなかった。私の身の回りは、むしろ「小説」的なことでいっぱいだった。表の表や、表の裏を生きながら、すぐ傍に裏の表があることはつねに意識していた。つまり、ハルキワールドは必要ではなかった。

 では今ではどうなのだろう。今、それを必要としているのだろうか。心底から考えれば、多分、それは、やっぱり必要ないのだ。千歩譲って、仮に裏の表が必要だったとしても、それはハルキワールドでなくても構わないのだ。なにか他のものをみつくろってあてがえば、それですむように思われる。しかし、そう思うだけであって、やはり、この位置を占めるのは、結果としてはハルキワールドでしかなかったのだろう。

 「じゃぁ」と僕は言った。「たとえば僕が意識を完全に放棄してどこかにきちんと固定化されたとしたら、僕にも立派な名前がつくんだろうか?」
 運転手はバックミラーの中で僕の顔をちらりと見た。どこかに罠がしかけられているんじゃないだろうかといった疑わしそうな目つきだった。「固定化といいますと?」
 「つまり冷凍化されちゃうとか、そういうことだよ。眠れる美女みたいにさ」
 「だってあなたには既に名前があるんでしょう?」
 「そうだね」と僕は言った。「忘れてたんだ」  
p210

 この小説、読みつつだんだんと評価があがり、五つ星になった。そして、いつの間にかレインボーカラーになった。

 「そのあとには何が来ることになっていたんだ?」
 「完全にアナーキーな観念の王国だよ。そこではあらゆる対立が一体化するんだ。その中心に俺と羊がいる」 
p383

 だいぶ前に、うちの奥さんもこの小説を読んだらしい。だけど、何が書いてあったんだっけ、忘れてしまった、とか。私もこの小説に何が書いてあったのか、いずれ忘れてしまうのだろうか。でも、この小説を「読んだ」という記憶はしっかりと残るだろう。

 これで、「風の歌を聴け」から「ダンス・ダンス・ダンス」までの6冊を読了したことになる。あとは、「国境の南、太陽の西」 「ねじまき鳥クロニクル」 「スプートニクの恋人 」を読めば、ひととおり村上春樹の長編には目を通した、いえるところまでいく。ふう、もう一息。でも「ねじまき鳥」なんて長いなぁ、分厚い奴が3巻セットになっている。

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風の歌を聴け

風の歌を聴け
「風の歌を聴け」
村上春樹 1979/07 講談社 単行本 ページ数: 201p
Vol.2 917★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 村上春樹の処女作。デビュー作というべきだろうか。1979年。村上30歳。この小説で「群像」の新人賞を取った。3年前に村上龍が「群像」の新人賞を取った。龍はたしか春樹の2~3歳年下で、しかも春樹の経営するジャズ喫茶兼バーに出入りしていた。二人は知人だった。だから、年下の龍がすでに数年前に賞を取った(1977年芥川賞になった)ことが刺激になっただろうし、また、ちょっと焦ったかも知れない。

 しかし、小説家になろう、という意図よりは、小説を書こう、という意志のほうが強かっただろう。決して、後年の重厚なパラレルワールドの中で、性と殺人が交錯するようなハードボイルドな内容ではないが、すこしはポップで、すこしは正直で素直だ。そして、後年のハルキワールドへの芽も孕んでいる。

 いや、この小説をスタートとして、この小説をあしがかりとして、ここから外れないようにしながら、さらにここから、どんどん遠く離れるようにして歩んできたのが、この作家であろう。処女作かデビュー作かわからないが、とにかく、ここをひとつの原点とみることは間違ってはいない。当然のことだ。

 しかし、それでもやはり何かを書くという段になると、いつも絶望的な気分に襲われることになった。僕に書くことのできる領域はあまりにも限られたものだったからだ。たとえば象について何かが書けたとしても、象使いについては何も書けないかもしれない。そういうことだ。p3

 多筆であり、多くの読者を獲得している。多くの評論があり、多くの期待を集めている。しかし、その第一歩は軽く踏み出されているようで、実は、重々しい。そして、その重々しさは、現在にも、未来にも、きっと引き継がれることになるのだ。問題の本質は、決して解決はされていない。だからこそ、この作家は、もう少し書き続けるだろう。

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ダンス・ダンス・ダンス

ダンス・ダンス・ダンス(上)  ダンス・ダンス・ダンス(下)
「ダンス・ダンス・ダンス(上)」
「(下)」
村上春樹  1988/10 講談社  単行本  344p  339p
Vol.2 915~6★★★★☆ ★★★★★ ★★★★☆

 「わかるよ」と僕は言った。「それでは僕はいったいどうすればいいんだろう?」
 「踊るんだよ」羊男は言った。「音楽のなっている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言っていることはわかるかい? 踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなこと考えだしたら足が停まる。・・」
p151

 うむ、だから、ダンス、ダンス、ダンス、なのか。

 最近、パソコンがひどい目にあったことは、前にちょっと書いたけど、けっきょく、あのパソコンは修理せずに戻ってくることになり、私は、以前使っていて一時お払い箱にしていたノートパソコンにOSから再インストールして使うことにした。なんせ、娘のボーイフレンドが大学に入学した当時に使っていたという代物なので、あちこち痛みが激しいのだが、使って使えないことはない。ないよりましだ。

 考えてみれば、インターネットに対して、最初私は批判的だった。パソコンそのものは、80年代初頭から関心を持っていて、なんとポケコン4級(汗)という資格まで持っているが、インターネットが始まったあたりでは、それが米軍主導で開発された技術である、ということもあって、一元的に情報を管理する悪魔の技術だ、みたいなことを周りの数人に話したことさえあった。

 しかし、いまじゃぁ、ネットがなければ朝も来なければ、夜もない、というような生活をしている。プライベートもパブリックも、すべてはネットありきの生活だ。だからこそ、2年ほど前には、身分不相応な高機能なノートパソコンを新調したのだった。すでにポンコツを入れれば、二桁のパソコンの所有者ではあるが、やはり、最先端の機能がついているマシンは気持ちがよかった。

 しかし、それが一瞬にして失われてしまった。(つまり、モーニングカップ一杯分のインスタント・コーヒーを、たっぷりとノートパソコンのキーボード全体とディスプレイに御馳走しただけのことだが)。通常の方法では回復不能で、法外な修理費がかかるというので、修理は断念した。(泣)

 茫然としたまま数日、パソコンなしの生活を試みたが、やはりだめだった。正月が過ぎて仕事が始まるとすぐに必要になった。あれやこれやがどんどんたまっていく。仕方がないので、あの型落ちパソコンを物置からひっっぱってきて使うことになった。

 もっとも、こういう状況が起こり得ることは元々わかっていたので、必要なバックアップはとってあるし、常に情報ラインは2ウェイを確保している。つまり、2ウェイのバックアップがあるわけだから、なんとか4つのラインが常備稼働可能な状態にしてある。だから、致命的な障害はさけることができる。しかし、それにしても、一番頼みにしていた一番機がやれた(自分でやったのだが)のには参った。

 今回この事故に遭遇して思ったことは、すでに私のパソコンライフは、かなりの部分が「クラウド・コンピューティング」化されている、ということだった。つまり、パソコン一台がやられても、データやラインはかなり外部に確保されている、ということだった。手元にあるパソコンは、たしかに昔に比べてば高機能にはなっているが、実は、実際に使っている機能は、向こう(つまり「雲」)側に行ってしまっている、ということだ。

 要するに、手元には、キーボードとディスプレイがあれば、あとはほとんど問題はない、ということだ。ラインもつながっている。プリンターなんかも、実質数千円でいつでも交換可能だ。メールもソフトもデータも、全部「向こう」化されている。多少の損害はあったが、それは、「しまったぁ」程度で終わるようなことだった。

 車のことを考えた。昨年は、カローラやフィットを抑えて、トヨタプリウスが売上第一位になり、20万台売ったという。10年目10万キロを迎えた我が家のリッターカーも、買い替え時期に来ている。一時はプリウスやインサイトがわが車庫にあるイメージを、何度もイメージ・トレーニングしてみた。しかし、それは現実化しなかった。

 現在乗っている車は、必ずしもポンコツではないが、新車にしたらきっと気持ちがいいに違いない。運転は今よりしにくくなるだろうが(後ろの見通しが悪い)、近所に対してすこしは見栄を張れるかもしれない。いやプリウスやインサイトでは見栄は張れないだろうが、まぁ、自分なりにいい気分にはなるだろう。新車の香りもある。可能なら、ロードスターのツーシーターにしたっていい。奥さんは大反対だが、そんなこと運転する私に主導権があるはずだ。ロードスターのプラモデルなんか、白とオレンジ、二台も買ってみた。一台は作り終えて、オレンジのほうはこれから作る。

 でも思う。所詮は車だ。あるかないか、の違いくらいしかない。あれば車なんてほとんどなんにも変らない。四つのタイヤがあり、一個のハンドルがある。あとはせいぜい2~3人が乗るスペースがあれば、それで済む。なにも、あれやこれやの高機能車まで考える必要はないのではないか。

 こうして、パソコンと車、というものがいかに自分の生活のなかの必需品化しているかを痛感しながら、自分の生活にとって「小説」とはなにか、を考えていた。私は、当ブログでもなんども公言しているように、小説は苦手で、そのとおり、ほとんど積極的には読んでいない。読む気さえ起きない。めんどうくさい。そう思ってきた。

 しかし、振り返ってみると、結構、小説は読んでいたのである。それは必要に迫られてという側面は多くある。だが、まったく読まなかったわけでもなく、読めなかったわけでもなかったのだ。まぁ、そういうことに気がついた。ここでなにを言いたいか、というと、つまり、パソコンや車も、最先端のものはいらないが、ないとあるでは大違い。だから、自分の生活の中で、「小説」があるかないか、では大違いである、ということである。

 まったく非「小説」、否「小説」、無「小説」ということは、あり得ない。すくなくとも、自分の生活ではそういうことなのだ。なにも、最近の流行作家を次々と追っかける必要もなければ、どっぷりその世界に浸かることも必要ない。しかし、多少は、そして必要最小限度の「小説」は自分の生活の中に取り入れる必要がある、ということを、今回、村上春樹おっかけをし始めて、わかった、というお話であった。

 ジャスト・マイ・サイズ、という感じがする。生活必需品、というか、あればあったで便利なもの。なければない、で困るもの。それが、現在の私にとっての村上春樹という作家のイメージである。つまり、実際の私の感覚、というより、村上春樹という作家は、そのように受け止められているのではないか、という直感だ。

 倫理観だとか、エンターテイメント性だとか、日常性とか非日常性とか、前衛性とか、保守性だとか、ちょうどいい具合にまとまっている。ちょうどお手頃だ。小説はしょせん小説だ。小説とはこんなもんだ、というちょうど、ジャスト・マイ・サイズな小説。それを村上春樹は提供しつづけているのではないか。

 なにも目くじら立てて、「どう読むか」だの、「どう読み解くか」だのと大騒ぎするほどのことでもない。かと言って「読まずに済ます」のも、ちょっともったいないだろう。楽しめばいいんだ。楽しむ、ったって、面白くなければ、楽しめない。「NHKのど自慢」程度の唄で楽しむことはできないだろうが、毎回コンサートホールに出向くほどのことでもない。ジャスト・マイ・サイズほどには、面白くなくてはならない。

 そういった意味では、自分にフィットした「小説」をきちんと見定めておく必要がある。パソコンや車と同じように、あちこち目移りはするが、結局は、最低必需品のラインをクリアしながら、なお、維持していくのに面倒ではないジャスト・マイ・サイズ、そのような「小説」をいくつか見つけておく必要がある。「ダンス・ダンス・ダンス」を読んでいて、そんな感じがした。とりあえず、この作家はジャスト・マイ・サイズだ。そう思わさせるところがこの作家の魅力であろうし、いずれ世界的なポピラリティを獲得することになった源泉なのだろう。

 この小説は1987年12月17日に書き始められ、1988年の3月24日に書き上げられた。僕にとっては6冊目の長編小説にあたる。主人公の「僕」は「風の歌を聴け」、「1973年のピンボール」、「羊をめぐる冒険」の「僕」原則的には同一人物である。p339「あとがき」

 「風の歌を聴け」「羊をめぐる冒険」はこれから読むところ。すでに読んだ「1973年のピンボール」「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」「ノルウェイの森」を加えれば、ようやく、ここで、時間進行軸としての村上春樹に、ようやく追いつくことができるようになる。

 ダンス・ダンス・ダンス・・・

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2010/01/16

羊男のクリスマス

羊男のクリスマス
「羊男のクリスマス」 
村上春樹 /佐々木マキ 1985/11 講談社 単行本 68p
Vol.2 914★★★★☆ ★★★★★ ★★★★☆

 現在「ダンス・ダンス・ダンス」の上巻を読み終わったところ。突然、羊男が登場して面くらったが、そういえば、村上春樹といえば、羊男、というのがたしかひとつのキーワードとしてあったはずだ、と思い出した。よくわからないが、多分「羊をめぐる冒険」とやらを読めばその経緯はもうすこし判明してくるのだろうが、今はこのまま放置しておこう。

 羊男というと、中学校の卒業文集の一言寄せ書きコーナーに、「羊の皮をかぶった狼」と書いたことを思い出す。なにやら二重人格的なイメージがないわけでもないが、実際は、当時のプリンス・スカイラインGTのキャッチフレーズだった。3ボックスできっちりしたスタイルでスーツを着た車みたいだが、実は、中身はスポーツカー並みで、実際にグランプリなんかで優勝していますよ、ということだった、と思う。

 あとになって、これはBMW3シリーズのキャッチフレーズであることもわかり、「羊狼」なんて言葉もあることを知った。中学校時代は、水前寺清子の「ボロは着てても心はニシキ」なんて流行歌もあったので、そんな意味で書いたのだったが、まぁ、いまの段階での手がかりはそのくらいにしておこう。

 佐々木マキは、この本で知るまで、すっかり女性のイラストレータだと思っていた。どこかで歌手・浅川マキのイメージと混同していたのかも知れない。彼が70年当時の「週刊アンポ」にかかわっていた、なんてことも今回初めて知った。

 そういえば、初期の村上春樹のイメージは、よくもわるくもこの佐々木マキのイラストのイメージと重なっているところがある。積極的にあのイメージを上塗りしようとしていたのだろう。ピーター・マックスとか、靉嘔とかに通じるポップで蛍光色が強いイメージとして残る芸風。同じポップでもアンディ・ウォーホールの「雑念」(なんといっていいかわからない)とか横尾忠則の「情念」のようなものが、うまく処理され排除されている。

 しかし、順序はどうか知らないが、たとえば、このような佐々木マキ的なポップなものに対して、村上本人は決して満足しておらず、たとえば「ノルウェイの森」のような「赤&緑」のような表紙カバーを強くプッシュする必要があったのだろう、と推測する。

 いずれにせよ、この「羊男のクリスマス」は、村上春樹&佐々木マキの、当時のふたりの芸風がうまくマッチした傑作だと思う。

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2010/01/15

TVピープル

Tv
「TVピープル」
村上春樹 1990/01 文芸春秋 単行本 p185
Vol.2 914★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 表題となっている「TVピーブル」や「眠り」は他の短編集(「象の消滅」あたりだったか)ですでに読んでいた。いろいろなところでリンクが始まっている。そういえば、「1Q84」にでてくる少女は「ふかえり」だったが、「アフターダーク」にでてくる少女は「あさえり」だった。深と浅の違いだが、何事かのつながりを見つけては、そのシンボルのリンクのされ方や展開の仕方を読んでみるのも面白い。

 この本に収録されているのは1989年に各雑誌などに発表された短編4編と、書き下ろしが2編である。「我らの時代のフォークロア」は、作者(主人公)の学生時代の旧友たちのことが書いてあり、その風景はまさに私が村上春樹という人に持っていた背景の典型的なものであると思う。

 彼は私より5つ年上だから、私自身の「フォークロア」ではないが、そのような時代性があったということはよくわかる。また、そのことを1980年代後半になって一遍の小説にした作者の意識の存在のあり方もなんとなくわかる。もちろん2010年の現在では、古い感覚であり、そのような「フォークロア」自体が古臭いし、それを小説仕立てにする、という行為自体、ちょっと時代離れしているだろう。一読者として読まされるのも、ちょっとグッドタイミングだとは思えない。

 しかし、このような一文をものしている作者がいたという認識の上で、それ以前やその後の一連の作品群を眺めてみるのは意義深い。

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アフターダーク 村上春樹

アフターダーク
「アフターダーク」
村上 春樹  2004/9/7 講談社 単行本 288p
Vol.2 913★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 ウィキペディアを見てみると、驚くほど大量の村上作品がリストアップされており、最初からこのリストを見ていたら、「ひととおり」村上作品に目を通してみてみよう、なんて思いもしなかっただろう。幸いに、当ブログは「公立図書館の開架棚にある本をメインに」して読み進める、という姿勢を自らのポリシーとしているし、まずあのリストの全部が手に入るとは思えない。さらには、それらをすべて読了する前に、また別な話題に関心は移っていってしまうだろう。

 それにしても、まずは手当たり次第、ということで、この「アフターダーク」を読んでみることに。「海辺のカフカ」の2年後、「1Q84」の5年前、という位置づけだが、二つの大きな話題を呼んだ作品の間に挟まったこの「長編」には、あまり強い印象は受けなった。

 一部の村上的描写(眠り続ける姉とか)を除けば、わりとリアリズムに徹した小説と言えるが、ここまで村上作品の非リアリズム世界に付き合っていると、ついついそちらへの展開をも期待してしまうから不思議である。どちらにせよ、読者の思った通りにストーリーが展開するのであれば、最初からストーリーはいらないわけで、意外な展開になるから小説は小説足りえるともいえる。そういった意味では、拍子抜けさせられた一冊と言える。逆の意味で意外だった。

 

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2010/01/14

村上春樹『1Q84』をどう読むか<2>

<1>よりつづく 
村上春樹『1Q84』をどう読むか
「村上春樹『1Q84』をどう読むか」 <2>
河出書房新社 島田裕巳 内田樹 森達也他 2009/07  単行本 222p

 この本は一度書店で立ち読みをしている。もちろん、30数名、40名近くの人々の意見をすべてを読んだわけではなく、気になる人間の読みやすい部分に目を通しておいたに過ぎない。もっとも、読書としてはこれでなんの間違いもない。どうせ、購入して読もうが、ベットに横になって何日もかけて読もうが、本というものは、残るところは残るし、精読したつもりでも、残らないところは、まったく残らない。とくに私の場合はそうだ。

 この本ばかりではなく、村上春樹の「1Q84」そのものも、あの段階では「立ち読み」しかしておらず、単にその書物が本屋にあったことを「確認」した程度の読み方でしかない。まぁ、大まかなストーリーはわからないでもないが、こまかいディティールについては無頓着に読み進めていくしかない。

 しかるに、図書館にリクエストしておいた「1Q84」が800人待ちの時間を超えて、ようやく年末に私の番にやってきた。年末年始の休み中に、タイミング良く、私はこの本を、私の読書としては異例なくらい、ゆっくりと読むことになった。

 面白いと思った。そして、これは続編が存在しなければ落ち着かない小説だと思った。そして実際、今年の4月には続編がでるという。それがわかった時点から、私はすこしづつ村上春樹の小説やら評論なりを読み進めるようになった。ジグソーパズルのパーツがすこしづつ揃いつつある。しかし、まだ10分の1くらいしか集まっていない。もうすこし埋めてみたい。

 そんなことを思っているとき、この本を思い出した。他の人々はどのようにこの本を読んだのだろう。この手の本がもっとでるかと思ったが、私が通う図書館レベルでは、この手の本はそう多くない。「1Q84」でいえば、あとは村上春樹研究会の「読み解く」くらいなものだ。そこで、こちらの「どう読むか」を、ゆっくり読んでみようと思い立ったのだった。

 ときあたかも、当ブログにおける「表現からアートへ」カテゴリは、107番まで数を数えており、あとひとつの書き込みで「108」の定数となる。つまり、このカテゴリ最後の一冊となるわけだが、あえて、ここはこの本でしめくくりたいと思う。

 もっとも、一回限りではこの本を読んだことにならないので、つぎの書き込みは「クラウドソーシング」カテゴリへとつながっていくことになる。すでに村上春樹関連についての書き込みは「クラウドソーシング」のなかで進めており、ひとり村上春樹という作家についてではなく、それを取り巻く状況、そして、村上春樹という作家そのものをさえ取り除いたところでの「状況」にさえ関心のある「クラウドソーシング」カテゴリとしては、この本を活用するのは、うってつけのように思える。

 さて、この本をどのように読むのかを考えている。順番に、この30数人の文章を読んでいくのだろうか。それとも、あたかも一冊の小説でもあるかのように、最初のページから最後のページまで順番にめくったほうがいいのだろうか。

 あらためてペラペラとめくると、たしかに読みたい文章もあるが、無視してしまいたい文章もある。ましてや、小説が出版されて間もないタイミングでこの本がでている限り、書いている(インタビューを受けている)本人たちですら、不本意な物言いになっている可能性もある。まずはそれらを含めても、最初は、順番に読んでいくのがよかろうか、と思う。

 そして、村上春樹の小説そのものも、現在、すこしづつ読み進めているところなので、全体を読み終わったあとに、また、この本を読んでみる必要もあるのかもしれない。また、book3などがでたあとに、再読する必要もあるだろう。

 まずはともあれ、「表現からアートへ」カテゴリと「クラウドソーシング」カテゴリの間に、この本が存在していた、ということをメモしておく。

<3>につづく

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世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

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「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」
村上春樹 1985/06・1999/05・2005/09 新潮社 単行本 618p (1999/05新装版を読んだ)
Vol.2 912★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 さっそく巻末の「参考文献」にはバードランド・クーパー著「動物たちの考古学」の訳者として「牧村拓」の名前が見える。アナグラムとしての一種のお遊びだろうが、まぁ、あちこちにこのような仕掛けがあるところに村上作品の楽しみも増えるのだろう。そういえば小森健太朗の小説のどこかにも、このようなトリックというか余興がついていたような記憶がある。

 「まさにまさに」と老人は言った。「まさにおっしゃるとおり。あんたは理解が速い。私の見込んだだけのことはある。おっしゃるとおりです。思考システムAは常に保持されておる。それがもう一方のフェイズではA’、A"・・・・・と間断なく変化しておるわけです。これはズボンの右のポケットにとまった時計を入れ、左ポケットに動く時計を入れておるのと同じことでありますな。必要に応じて、いつでも好きな方をとりだせる。これで一方の問題は解決します。
 
 同じ原理でもう一方の問題もかたづけることが可能です。オリジナル思考システムAの表層レベルでの選択性をカット・オフにしておけばいいわけです。おわかりになりますかな?」
p394

 この記念碑的(多分)な作品が発表されたのは1985年。ということは、まさにこの作品は1984年当時に書かれていた、ということになるだろう。もっとも著者本人は、時代も空間も、とくに限定した、いつ、どこ、という形で規定していないので、かならずしもそう決めつけることはできないが、まぁ、そのようにわが身に引きつけてみたほうが、私には理解がしやすい。

 1984~5年当時と言えば、私個人的には極めてイマジネーションが強い時代であったことはまちがいない。つまり端的に言うと「俺にはコミック雑誌なんかいらない」という時代だった。自分の中にストーリーが湧いてくる、というより、現実と「ストーリー」の境目が、微妙に崩れていて、「こっち」と「あっち」を行き来することができた時代とも言えるかも知れない。

 もっとも、私の「あっち」の世界は、村上作品のような非リアリズム的な超「あっち」的な世界ではなかったが、それでも十分「あっち」だった。フィクションだと思えば、人間が30メートルジャンプするくらいなら当たり前だが、リアリズム系だと、通常の人間が3メートルジャンプするだけでも、極めて超常的だ。いや、ゆっくりであれば30センチ浮き上がるだけでも、なにかの「シンボル」にさえなるだろう。

 だから、当時の私は、あまり小説を必要としていなかったし、フィクションとリアリティが混同するといけないので、むしろ、積極的な意味で「小説」を避けていたともいえる。自分の中に湧いてくる「イマジネーション」が、なにか外部からインプットされてでてくるものか、自らの中から湧いてくるものなのか。そこのところの見極めが、私にはとても大事な時代であった。だから、出版当時、私がこの小説を読んでいないのは当然のこととして、今でもあまり小説を読まないのは、そういう理由があるのだ、と自分に言い聞かせている。

 こうして、1987年のリアリズム系の「ノルウェイの森」と、非リアリズム系の1985年の「世界の終りと・・・・・」の、どちらが好きか、と言われたら、私は基本的にリアリズム系のほうが好きだ。だが、「ノルウェイの森」ではあまりにも出口が狭すぎて、どっと肩から力が抜けてしまうような脱力感に襲われる。むしろ、非リアリズム系の「トンデモ」フィクションの中に遊んでいたほうが気が楽かもしれない。うむ、わからん。どっちも必要か。

 この小説にはふたつ、ないし4つの世界が存在し、それが裏表の4つのパラレルワールドらしきものを展開する。表の表、表の裏、裏の表、裏の裏。それぞれに、「夢読み」、「影」、「計算士」、「やみくろ」が対応している。作者の意図がそうであったかどうかは不明だが、一読者としてはそう読みすすめると楽だ。

 展開するストーリーにおいても、脳科学、コンピュータサイエンス、論理学、風俗、神秘文学、トンデモ世界、ポルノ、恋愛小説、哲学、心理学、などなどの要素が、要所要所で展開され、これだけの長編を最後まで引っ張っていく。作者はありきたりなシンボルを使いながら、それでもなおかつ独創的なオリジナルは概念をひねり出しては、独自の世界観を展開しようとする。そして、その行きつく先は・・・・。

 「もう一度言うけれど、それだけじゃないんだ」と僕は言った。「僕はこの街を作りだしたのがいったい何ものかということを発見したんだ。だから僕はここに残る義務があり、責任があるんだ。君はこの街を作りだしたのがなにものなのか知りたくないのか?」

 「知りたくないね」と影は言った。「俺は既にそれを知っているからだ。そんなことは前から知っていたんだ。この街を作ったのは君自身だよ。君が何もかもを作りあげたんだ。壁から川から森から図書館から門から冬から、何から何までだ。このたまりも、この雪もだ。それくらいのことは俺にもわかるんだよ」

 「じゃ何故それをもっと早く教えてくれなかったんだ?」

 「君に教えれば君はこんな風にここに残ったじゃないか。俺は君をどうしても外につれだしたかったんだ。君の生きるべき世界はちゃんと外にあるんだ」 p616

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2010/01/13

村上春樹はどう誤訳されているか 村上春樹を英語で読む

村上春樹はどう誤訳されているか
「村上春樹はどう誤訳されているか」 村上春樹を英語で読む Murakami Haruki study books
塩浜久雄 2007/01 若草書房 全集・双書 348p
Vol.2 No911★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 世界は村上春樹をどう読むか」の中で、あるガイジン翻訳者は、たとえば日産スカイランを、どう翻訳するかについて語っていた。そもそも「スカイラン」という車名は国内のものであり、英語のスカイラインという言葉も、どうも女性的な感性に満ちているらしい。日本人のちょっとした「走り屋」を連想する読者ならこれでもいいが、日本以外ではそのニュアンスが伝わらないだろう、ということだった。

 それではインフィニティG35(だったと思うが)という海外における日産スカイラインの車名に翻訳されたところで、さて、各国でどのように理解されているのか、興味津津というところだ。株屋の新車のジャガーなら、それなりにイメージが湧く。だけど、トヨタクラウン・ロイヤルサルーンのタクシー、なんてのは、このまま翻訳しただけでは海外ではわからないだろう。名前が違っているだけでなく、もともとドメステッィクな車であるトヨタクラウンは海外には輸出さえされていないのだ。

 ましてや、「群馬ナンバーの赤いダイハツミラ(スズキアルトだったかな)のバンパーはすこしへこんでいた」という類の表現がされていた場合、国内の読者ならそれなりにニュアンスが伝わるだろうが、はて海外ではどういうことになってしまうのだろうか。

 それこそ1984年ごろ、Oshoはアメリカにおいて、若いジャーナリストから質問を受けた。「私は2台のトヨタカローラを所有しているが、これで十分で、それ以上車を持ちたいとは思わない。それなのにあなた(Osho)は30台のロールスロイスを持っているが、それをどのようにお使いになるつもりですか」というような質問であったはずである。

 それに対して、Oshoは「TOYOTA! あれはオモチャじゃないか。私のロールスロイスはまもなく90台になる。これを365台まで増やして、一年間毎日一台づつ乗るんだよ」てな感じで、茶化していたが、はっきり言って、日本人としては、トヨタをオモチャといわれたのは、まぁ、ジョークはジョークとしても、なんだかなぁ、という気分ではあった。

 しかし、これはごく最近知ったことだが、「TOYOTA」には「toy-auto」というニュアンスがあって、「オモチャ車」という語感がたしかに潜んでいるのである。それを知っていてOshoはそういうジョークを飛ばしたのだが、英語を聞き取れない私などは単に鼻白むだけであった。もちろん「鼻白む」なんて言葉も、うまく英語には翻訳されないだろうが。トヨタが高級車ブランド「レクサス」を立ち上げた理由の一つに、このような背景もあったかもしれない。

 そんな話をしたら、うちの奥さんなどは、「1Q84」に、小道具としてたくさんの車が登場していることをほとんど覚えていない。「海辺のカフカ」にだって、マツダロードスターや、ファミリアのレンタカーやらが効果的に登場してくる。そのような小道具には、彼女はとんと関心がないのだ。わかってないなぁ。

 しかるに、彼女は、青豆のファッションなどに関心があるらしい。あの場面ではこういう服装をしていて、こちらはこのブランドで、と、やたらと詳しい。私もあの小説を読んではいるが、スクッと立っている青豆のイメージはあるが、服装やブランドは、完全に飛ばして読み進めている。

 ということは、もちろん、これらの小説の中に登場するシンボルたちの中で、わが夫婦が受け止めているものは多分、ほんの何%かで、そのほとんどは見過ごされている可能性がかなり大きいことになる。たとえば音楽であるとか、お店の名前とか、地名とか、あるいはワインの銘柄や、言葉の使い方など、読む人ごとに興味が湧くように、作者や翻訳者、編集者や出版社などが、いろいろ工夫を凝らしているのだろう、と想像する。

 さて、こちらの本は「村上春樹を英語で読む」というサブタイトルどおり、ほとんど対訳的に、あちこちを指摘している。高校の4年後輩とかで、なおかつ英語を教えたりする大学の先生であったりすれば、なお村上英語が気になるということだろう。この本がなかなか傑作である。

 村上春樹がその作品の中に潜ませているいろいろな仕掛けの一つにしか過ぎないと思われるが、筆者がそのことに気がついたのは、英語版のDance Dance Dance を読んだからである。「村上春樹」と「牧村拓」の二つの名前をいくら眺めても片方がもう一方のアナグラムとは気づかないだろう。しかし、英語版でMurakami Haruki と Makimura Hiraku を見ればそこになんらかのつながりを見出すのは困難ではないだろう。p6

 この本は決して「誤訳」ばかりを指摘している本ではなくて、それぞれの「翻訳」のされかたに、微妙なニュアンスの違いをみているのである。まさに「クラウドソーシング」な一冊と言える。小説が苦手な私にとっては、小説を一冊読むだけでも大変なのに、それが村上作品であり、なおのこと英語だったりしたら、もうほとんどお手上げである。まさに三重苦だ。

 しかるに、さらには「英語」には米語とイギリス英語の違いもあり、さらには30カ国以上に翻訳されているといわれる村上作品の全体を見ている人など、ひとりもいないだろう。村上本人も、そこまで目を通しているわけもなかろうし、目を通してもそれだけの言語を使い分けることはできないだろう。

 さはさりながら、ひとつの作品がこれだけの多様性を持ちうるのだ、ということを確認するには、本当に興味深い一冊だと思える。数冊くらいなら英語のHaruki Murakamiをめくってみるのも面白いかもしれないが、この本が解説してくれているようには、とてもとても読むことは不可能だろう。

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2010/01/12

ノルウェイの森 <3>

<2>よりつづく

ノルウェイの森(上) ノルウェイの森(下)
「ノルウェイの森」(上) (下) <3>
村上春樹 1987/09 講談社 単行本 267p 260p
Vol.2 No909~910★★★★★ ★★★★★ ★★★★★

 読みながら、すぐ思い出した。この小説はもう読んでいる。明らかにこのストーリーを知っている。いや、別に既視感とかデジャブなんて上等なものではない。明らかに読んでいるのだ。で、すこし早めの斜め読みを始めようとすると、知らない場面もでてくる。う~ん、オレの読み方も結構いいかげんだから、前回はずいぶんととばし読みしたのかも知れない。

 などと思ってはみたが、どうも変だ。どうや、この「ノルウェイの森」は、すくなくともバージョンが3つあり、最初に1987年当時にでた単行本と、1991年にでた文庫本と、2004年にでた文庫本がある。我が家に残っていたのは1991年の文庫本だが、前回紹介するときには、アフェリエイトも意識して、現在店頭で入手可能な2004版の文庫本にリンクを張っておいた。

 だんだん読み進めていて、以前自分のブログにも書いたことも思い出しながら、ああ、これは、かつて書かれた短編をいくつか混入して書かれたものだということが分かった。確信を持ったのは上巻を読み終わる頃。

 今回は、この3つのバージョンのうち、「あとがき」が書いてあるのはこの最初の1987年版しかないと、どこかで知ったので、今回は、図書館から借りて1987年版を読んだ。

 この小説は五年ほど前に僕が書いた「蛍」という短編小説(「蛍・納屋を焼く・その他の短編)に収録されている)が軸になっている。僕はこの短編をベースにして四百時詰三百枚くらいのさらりとした恋愛小説を書いてみたいとずっと考えていて、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の次の長編にとりかかる前のいわば気分転換にやってみようというくらいの軽い気持ちでとりかかったのだが、結果的には九百枚に近い、あまり「軽い」とは言い難い小説になってしまった。たぶんこの小説は僕が思っていた以上に書かれることを求めていたのだろうと思う。「あとがき」下巻p259

 たぶんそのようなことがあるに違いないとは、読みつつうすうす気がついた。「螢・納屋を焼く・その他の短編」を読んだとき、その感覚はすでにメモしておいた。今回この「蛍・・」をひっくり返しながら、ざっとタイトルだけみてみたが、だがこの「蛍・・」にないもので、どこかで読んでしまっているものも、この「ノルウェイの森」には含まれている。すでにまるまんま「ノルウェイの森」を読んでいるから残っているのか、やっぱりどこかで短編として出版されたものが組み込まれているのか、分からずじまいのところもあった。

 というか、そのような詮索をするのは、途中でやめた。「納屋を焼く」だって、本当はもうすでに読んでいたはずなのにタイトル以外すべて忘れていて、短編集「象の消滅」として「アメリカ向け」にそろえられた一編として読んで、初めてその存在を意識した短編もあった。まぁ、あんまり厳密に考え始めないほうがいいようだ。

 さて、この小説をブログにメモしておくのにどうしようかな、と思ってyoutubeからビートルズの「ノルウェイの森」の動画でもとってきて張り付けようかな、とも思ったが、そんなことはとっくに自分でやってしまっている。結構、「表現者」としても、私はパターン化していて、型にはまっているなぁ、と自分で失笑。アイディア不足ではないですか。反省。

 著者は「A」、「B」、「C」、というカードを使って、「A---B---C」というストーリーを書いてきた。都合900枚だ。それぞれ300枚を三つ足しただけとも思うし、「2*3*3*5*10」のように、乱数的に掛け合わせているようにも思う。あるいは「1000ー100」のようにも思うし、「10+10+10+10・・・・・・・・・・」として行って、=900としたようにも思う。まぁ、結局はどうでもいいことだけど。

 結局、読者としての私は、小説の中の場面に呼応する形で、自らのなかに「a」、「b」、「c」・・・・・・と言った自らの持ち札を持っていることに気づかされ、すでに「a---b---c・・・・・」として収めておいたはずのタロットカードの配列を、もう一度シャッフルさせられるような、面倒くさい、苦痛な、そして、不思議な体験を味わうことになる。

 できれば本当は、もうそんなことはしたくないのだ。忘れてしまたいのだ。なかったことにさえしたい。遠ざかれば次第に自らの視力では判別できなくなるまで、小さく、小さく、限りなく小さくなって、消えてくれれば一番いいのだ。

 だが、この小説を読んでいると、その記憶がありありと浮かび上がってくる。あの時代の、あの体験は、決して消えてはいない。時代を経て、なお強い重みを持ちながら、存在しつづけていることに、気づく。気づかされる。いやおうなく直面させられる。

 今になって、どうしようもないことだ。でも、本当に、今となっては、どうしようもないことだろうか。取り返しのつかないことではあったが、本当に、取り返しのつかないことだろうか。やり直しはきかないだろうが、本当に「やり直し」は、できないのだろうか。思いは次から次へ、と逡巡する。

 私は、すでにどうやらこの小説を読んでいる。忘れてしまいたかったのかもしれない。そして、忘れてしまっているが故に、もう一度読んでしまう「羽目」に陥った。私は、今回、この小説を「読んだ」ことを明確に覚えておこう、と思う。そうすれば、二度とこの小説を読まなくてもよいかも知れない。すくなくとも、「事故」としては、この小説を読まなくてもすむだろう。

 だが、プロボークされた自分のなかの「私」小説「a---b---c・・・」もまた、復活し、次第に蠢き始めてしまっていることを感じる。もう、村上春樹「ノルウェイの森」など読まなくても、その手中に落ちてしまった。再読するか、しないか、という問題ではない。すでに、その原型、プロトタイプ、アーキテクチャは、完全に、私の中に産み付けられてしまった。母親から産み落とされた卵は、母親が立ち去ったあとも、自らの生命のまま、その存在を主張し始めるだろう。

 このあとがきを読んで「世界の終わり・・・・」は、この「ノルウェイの森」の前に書かれていたのか、と始めて気がついた。私の手元にはその小説もあり、どちらをを先に読むか考えたのだった。「世界の終わり・・・」はもっと後、つまり90年代中頃に書かれたものかなと、勝手に考えていたが、違った。

 あと、最後にひとこと。この小説の表紙デザインは著者自らが、周囲の反対を押し切って「赤」と「緑」にした、ということだ。色彩心理をかじった人なら、ハハン、と思うことだろう。末永蒼生などなら、なおのこと、キチンと説明してくれるだろう。実際にどこかで、きちんとこの小説に触れて、なぜこの表紙の色になったのかについて説明していた。

 だけれど、どんなに「分析」され「解説」されたとしても、それを跳ね返すだけの存在力がこの本にある。まぁ、分析とか解説とか、そういうものは逆に邪魔になるだけだろう。村上春樹は、この小説の表紙デザインを「赤&緑」にしなくてはならなかった。

 だから、我が家に残されている1991年版の文庫本の表紙デザインは「間違い」だと思う。2004年に出た文庫本の表紙が「赤」と「緑」に戻されたのは、当然のことであるし、そうであるべきである。しかし、当ブログとしては、この「あとがき」が残されたままの初版の1987年版を読むのがベストであると、私は思った。

 そして、あちこちで、短編として、断片的に、この小説「的」なものを味わっておいたのは、私なりには正解だったと思う。私はこの小説を、今後「再読」はしないだろう。できないだろう。

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2010/01/11

1973年のピンボール 村上春樹

1973年のピンボール
「1973年のピンボール」
村上春樹 講談社 1980/06 単行本 207p
Vol.2 No908★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 正月早々、悲しいニュースが飛び込んできた。訳あって修理に出していた愛用のパソコンが、亡くなった。いや、機械だから修理は効く。紛失したわけではない。しかし、とんでもない金額の修理代がかかる。新品を買った方がやすいというか、それ以上の金額だ。ああ、機械だけではない。ハードディスクに入っていたかなりのデータが、お釈迦さまにおなりになった。

 助け出すことはできるだろう。助ければ助けただけ、また安逸な生活が戻ってくるに違いない。ここは無理に失われたデータを発掘するのではなく、さっさと逝かせてしまうことも必要なのではないか。失われたと言っても、どうしても必要なもののバックアップはとってある。あとはあればあったなりによい、という程度のものだ。しかし、今夜はシラフでは眠れそうにない。

 そんな喪失感のなかで、この30年以上前の小説を手にしても、ほとんど心にも頭にも入ってこない。目が追っている世界と、頭のなかでグルグル回っている思考には、明確に違う層ができている。いやストーリーは追っかけている。しかし、感情は入っていかない。

 1980年の3月号の「群像」にこの小説は掲載された。その時代のことを思い出す。私は割と時代時代を、自分なりの個体史の中で記憶しているほうだ。だから、この年にどこで何をしていたのかは、ほとんど記憶している。

 しかしながら、それだからこそと言うべきか。この時代は決して意気揚々としていた時代ではないので、本当は思い出したくない時代ではある。あの頃、決して本を読めない環境でもなかったし、読んでいなかったわけではない。しかし、小説は読まなかっただろう。小説、という「方法論」は私を助けてはくれていなかった。

 むしろ、この小説のタイトルになっており、舞台となっている1973年のほうが、私にとっての「小説」の価値は重かった。そこから何かを見つけようとしたし、実際、なにかを見つけた。また、そのようなものとして小説は存在価値を主張していた。

 1980年にも小説があったのかい。あれからずっと小説なんて読む気にはなれなかった。小説より現実が面白かった、というべきか。あるいは小説なんぞ読む必要がなかったというべきか。とにかく、このような村上春樹、という小説家がいたなんてことは、ほとんどまったく関心がなかったし、残念ながらほかの作家たちについても、まったく同じような印象しか残っていない。

 こうして最寄りの公立図書館の「閉架書庫」から出してもらって読む「1973年のピンボール」には、ほとんど感情が動かない。いや、動かないのではなく、動かしたくない、というのが本当だろう。もう思い出したくない。私は当時19才。いろいろなことがあった。私にもああいう時代があった。そして、自ら作り上げた、固定したストーリーの中に、時代を凝固させて、カチンと固めて収納しておきたい。おきたかった。さわりたくない。さわってほしくない。

 あの凝固剤で固めてしまった時代を、ふたたび溶解させる必要があるのだろうか。せっかくゲル化したものをゾル化する必要があるのか。

 この作家がのちに、「象の消滅」で紹介され、ファン感謝デーのようなファンに囲まれて、ノーベル賞候補とまで言われるような存在になるなどとは、私には想像できなかったし、今でも、そんな可能性がこの小説の中にあったかどうか、などということは全く分からない。

 私は村上春樹を発見したわけでも、育てたわけでも、支持したわけでも、批判したわけでもない。解説もしなかったし、紹介もしなかった。無視さえしていなかった。まったく知らなかったわけでもなく、積極的に誤解さえしていなかった。

 この村上春樹という媒体=メディアは、2010年現在の我が個人的ブログの主テーマになっている。なんという取り回しだろうか。そして、この「メディア」をいじくるには、やはりこの「1973年」のなんたらを、いじったりしなければならないようだ。

 また、反面、このような「いじったりしなければならない」からこそ、この作家の持っている意味があるのだろう。単なる流行作家だったり、単なるエンターテイメントだったり、単なるなんとか賞候補(あるいは受賞者)としてだけの存在であったならば、これほどの価値はないだろう。めんどうなことにはなってしまうが、やはりいろいろほじくり返さなければならないことが、いろいろと出てきそうだ。

 失われてしまった、わが愛用のパソコン。この喪失感に比べると、あの時代の「喪失感」は計り知れないほど深かった。出口がなかった。バックアップがなかった。取り返しのつかないような、もっともっと、深い哀しみがあった。できれば触れたくはなかった。

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象の消滅 村上春樹短篇選集1980-1991

象の消滅
「象の消滅」 短篇選集1980-1991
村上春樹 2005/03 新潮社  単行本 426p
Vol.2 No907★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 村上春樹にとっての「ノルウェイの森」は、北山修+加藤和彦にとっての「帰ってきたヨッパライ」のようなものである。あるいはヘッセにとっての「ペーター・カーメンツィント」「車輪の下」のようなものであり、中沢新一にとっての「虹の階梯」のようなものであろう。あるいはケン・ウィルバーにとっての「意識のスペクトル」「アートマン・プロジェクト」のようなものであろうか。

 いずれにしても、村上春樹という作家の方向付けを決めた一冊が「ノルウェイの森」であり、テーマ性も方向性も、そこで運命づけれたというべきであろう。

 「ノルウェイの森」が思いのほかたくさん売れて、それに関連する一連の騒ぎのようなものがあり、精神的にいささか疲れ果てた部分もあった。おそらく新しいフロンティアのようなものを求めていたのだと思う。p17

 1991年の初めから95年の夏までアメリカ東海岸に住んでいた著者は、日本のマーケットではなく、アメリカのマーケットにチャレンジし続けていた。一番売れていた外国は韓国なのだが、そこには主なるマーケットを移さなかった。

 ただアメリカのマーケットにはそれなりのシビアさがあり、長編などの主要な小説は契約の縛りがあってなかなか出版することができなかった。その時に、考案されたのが、短編をまとめて一冊にして出す方法であり、これなら先立つ大手の出版社との契約に抵触することがなかった。

 まとめられたのが1980-1991の短編17編であり、この短編集の成功(したのだと思う)が、その後の世界のハルキワールドを決定づけることになった(のだと思う)。その英語版の選定と配列通りに、もとの日本語でまとめたのがこの本で、2005年に日本語で出版されたのだ。

 つまり英文でアメリカに紹介されたハルキ☆ムラカミの雰囲気を限りなく正確に伝えてくれている一冊ということになろう。たしかに最近我が家の近くにできたスーパーの二階の洋書コーナーにも、この「象の消滅」の英語版が並んでいるようだ。

 「我らが」村上春樹が、このような形でニューヨークに紹介されたのは、好ましい姿だったと思う。村上春樹、というより、「日本人作家」村上春樹、として紹介されたはずだ。日本人としては、このような「日本人作家」がいる、ということをアメリカ人が知ることは好ましいことだと思う。

 でも、最初から、日本人である私がこの作家をこのような形で紹介されたら、関心をもっただろうか。ごく普通の、ちょっとねちっこい文章の同時代的作家、というイメージしか残らなかったのではないだろうか。

 というか、最近まで、「村上春樹」には、ほとんど関心はなかったのだが・・・・。

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「そうだ、村上さんに聞いてみよう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける282の大疑問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?

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「そうだ、村上さんに聞いてみよう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける282の大疑問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?
村上春樹 2000/08 朝日新聞出版 ムックその他 217p
Vol.2 No906★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 「これだけは、村上さんに言っておこう」2006/03や「少年カフカ」2003/06に連なる、ファン感謝デーな一冊だが、2000/08という発行年度を考えれば、こちらのほうがこのシリーズの元祖と言えるかも。いやいや、もっとさかのぼること、これらのシリーズに連なるものがあるかも知れない。今後ももう少し注意深く探してみよう。

 いずれにせよ、この三冊の中に、私はほとんど違いを見つけられない。たしかに「少年カフカ」は「海辺のカフカ」の出版プロジェクトと同時にスタートしたネット上の実験だったわけだが、きっかけや発表形態はともかくとして、作家が「読者」と直接対話しようという姿勢と、村上春樹という人の「お人柄」については、それほど変化はないのではないだろうか。

 もっともこの人、サイン会や講演会などをしないようだから、読者からの「欲求不満」をこのような形で発散しないことには、読者としても納得ができなくなる時がある、ということなのだろう。たぶん、形は違っても、今後もこのような形のものは表面かしてくるだろう。

 内容的に、面白いか、面白くないか、と言えば、どちらとも言える。面白い部分は10分の1あり、面白くない部分も10分の1ある。残りの10分の8は、私にとってはなくても全然問題はない。あっても邪魔にもならないが、読まなくてもなんの不足も感じないだろう。

 作家本人と読者、という関係以外に、編集者、出版プロデューサー、出版社、印刷会社、書店、翻訳者、紹介者、解説者、批判者、評論家、ライバル、文壇、歴史上の先輩後輩、奥さん、親戚、まったく赤の他人、などなどの、さまざまな関わりがあると想定される。

 当ブログにおける村上春樹は、「クラウドソーシング」というカテゴリの中で、クラウドソーシングとしての「ハルキワールド」をたたき台の上に上げられているわけだが、これらのランダムな関係者全部をこのたたき台に載せていくわけには行かない。もっともコアな部分を抽出していきたい。

 だから、むしろ村上春樹本人は、プロジェクトマネージャー的な位置に格上げしておいて、出版に関わる人、翻訳者、コアな読者、解説者、批判者、あたりを中心とした「クラウドソーシング」をイメージしていくのがいいのではないだろうか。

 リナックスにおけるリーナス・トーバルスのように「それが僕には楽しかったから」とだけ言わせておけばいいのではないか(笑)。奥さんはともかくとして、ご本人は、評論や解説のようなものはいっさい読まないということだから、それはそれで無視していて構わないだろう。それに、当ブロブにおけるクラウドソーシング「ハルキワールド」は、基本的には、村上春樹本人とは、まったく関係のない形で展開していく可能性があるのであり、いずれ、そのプロジェクト名をまったく別のものにしても構わないのである。

 まぁ、そうは言いながらも、こっらのファン感謝デーなシリーズは、長編であれ短編であれ、初期であれ、後期であれ、中期であれ、村上作品を理解するには役に立つ部分がいっぱい隠されている。もちろん、役に立たない部分もたくさんある。

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カンガルー日和 村上春樹

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「カンガルー日和」
村上 春樹 (著), 佐々木 マキ (イラスト) 1983/01 平凡社 単行本: 233p
Vol.2 No905★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 村上春樹というひとは、こちらが想像している以上にさまざまな顔を持っているようでもあり、作品もいろいろな形で発表されている。これは初期的な短編を集めたもので、どこか実験的という雰囲気もある。かたちとしては81~83年に小さな雑誌に連載されたもので、ひとつひとつの作品につながりはないが、その試行錯誤が伝わってくるような一冊でもある。

 しかし、よくよく考えてみれば、最近読んだ「1Q84」にしても「海辺のカフカ」にしても、短編を数多く集めて組み合わせて長編にしている、と言えなくもなく、村上春樹を長編と短編とに分けてしまう必要はなさそうにも思う。

 というのも、結局は、村上作品をどうこう評価するというより、当ブログにおいては、村上作品を読んでいる自分の中で、なにが醸成されるか、というほうにポイントがあり、その視点からは、長編も短編も似たような効果があるようであるからだ。

 つまり、一枚の絵「A」を見たときに自分の中の情景「a」ができるとして、「B」に対する「b」、「C」に対する「c」のように、いくつかの自分なりの情景がストーリー性を持てば、それはそれで、私なりの小説の読み方となる。つまり作者が「A---B---C」というストーリーを展開しても、私の中で「a」、「b」、「c」という細切れの印象しか持っていなければ、単にそれは短編の寄せ集めでしかないし、著者が「A,」、「B」、「C」という短編しか書いていなくても、私の中では「a---b---c」というストーリー性ができあがってしまう可能性も十分あり得る。

 どのように書くかは作者に与えられた権利としての自由であり、どのように読むかは読者に与えられた権利としての自由である。自由ではあるが、作者として作品を読者に向けて発表するかぎりは、限りなく自らの意図を限りなく十分に伝える「義務」があり、読者は、作者からの投げかけを十分に受け止めようとすれば、作者の意図を限りなく十分に受け止めようとする「義務」があると言える。

 もっともここでいうところの義務は、きわめて象徴的なもので、印刷屋さんが誤字脱字を限りなくさけたり、落丁本を売りつけたりしないようにする「義務」、というようなものからは限りなく遠いものでしかない。ましてや小説というものが作者主導で発表される限り、読者は限りなく自由に作者に対しての感想を言えるものであろうと思う。

 当ブログでは、「村上春樹論」を展開する気は毛頭なく、村上春樹作品が読者としての自らの中から何を紡ぎだしてくれるか、というところに主なる関心がある。まるでタロット占いのように、偶然に引いたカードが「ご宣託」ということではなく、そのカードが私の中から何を引き出すのか、ということのほうが重要だ。

 二つの絵の間違い探しのように「右」と「左」の絵の中から、違っているところを10個探し出せ、というクイズのようなものの場合、その二つの絵の間の違いのなかから、ストーリーを作り出すことはほとんどできない。それは、違っているとさえ言えないほど、一つの情景に過ぎない。

 一枚目のカードに、川で洗濯している老婆が書いてあり、二枚目には元気な男の子が書いてあり、三枚目には赤鬼と青鬼がいて、四枚目には宝が満載されている荷車の絵があれば、そこからひとつの「桃太郎」のストーリーを作り出すことができる。

 ところが川で選択している老婆と、宝の満載された荷車が書いてあるカード二枚だけでは桃太郎のストーリーまでは行き着かない可能性がある。もちろん行き着く可能性もあり、また、まったく別個なストーリーができあがる可能性もある。

 たとえば、赤鬼と青鬼が一枚目にあり、二枚目におばあさんが川で洗濯をしていて、三枚目に財宝があり、四番目に元気な男の子のカードがでてきたとすると、そこにはそこのストーリーがあるだろう。

 情け深い赤鬼と青鬼が、貧しい老婆の誠実な生活ぶりに心うたれ、上流から財宝が満載された荷車を流し、それを拾った老婆は、人工授精で、元気な赤ん坊を生んだ、なんていうストーリーができあがってくる可能性は捨てることができない。

 村上春樹は、読者に対して「桃太郎」伝説を伝えようとはしていない。彼がやっていることは、各パーツパーツの情景を、ランダムに五月雨式に流しているだけである。そのパーツを並べれば、このようなストーリーを一例として作ることは可能ですよ、とは提示する。しかし、それはあくまでもサンプルであって、読者はそれを受け取って、自ら再構成する必要がある。

 つまり、作者はストーリー性を完璧に作り上げる義務は放棄しており、また放棄することを自らの作者としての「権利」だと主張する。読者は、それを受け取ったならば再構成することは権利であるが、もっと積極的に関わってそこからストーリー性を紡ぎ出す「義務」を押しつけられている、ということもできる。

 タロットカードなら14*4+22=78枚のカードがある。そこから何枚かのカードを取り出して、そこにストーリー性を確立するのは、そのカードの利用者であり、占い師の仕事でもある。カードそのものには義務はない。カードを利用する立場のものには、自由に解釈する権利もあり、また、義務というか、任務、あるいは能力が必要とされる。

 村上春樹世界は、褒めちぎるとすれば、タロットカード+百人一首+易経など、異種のさまざまなカードがまぜこぜにされているようなものだ、ということができる。この「占い」カードセットを自由に使いこなすことは、簡単ではない。簡単ではないが、使い手の能力によっては、有効に活用することができる。

 もし、ハルキワールドが「難解」でわからない、とすれば、それは読者として素直な感覚なのであり、「わかってもらえない」ことを作者としては、必ずしも「失敗」だとは思っていないだろう。ストーリー性を作り上げることに作者の意図の100%があるわけではない。むしろ、そこからは読者がやってくれ、とこちらに投げてよこしているのである。

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2010/01/10

少年カフカ 村上春樹編集長

少年カフカ
「少年カフカ」 村上春樹編集長
村上春樹 2003/06 新潮社 単行本 495p
Vol.2 No904★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 この本もまた「ファン感謝デー」的な一冊で、これだけは、村上さんに言っておこう」2006/03と同じジャンルの一冊。先立つこと2000/08に「そうだ、村上さんに聞いてみよう」という一冊がでているようだから、少なくともこの3冊を読めば、結構いっぱしのハルキニストぶることができるだろう。

 「海辺のカフカ」は、セールスプロモーションとして、積極的に予告の広告などを出して、読者にあらかじめアピールし、見本バージョンを店員など前もって配るなどの配慮がされた。そして、2002/09の販売開始とともに専用のホームページを立ち上げ、読者からのメールでの書き込みに著者が積極的に返信するというスタイルをとった。その問答を一冊にしたのがこの本である。

 時代的には糸井重里の「インターネット的」とその背景が重なる部分も多く、村上春樹なりに「直接民主主義」的な可能性を追求してみた、というところだろう。しかし、その手法も、必ずしも理想的なものではなかったようで、たとえば、今回の「1Q84」などは、これらの手法はいっさいとられていない。むしろ、内容はいっさい匿秘されていた。どれがいい、ということではなく、まだまだいろいろ試してみている、という段階だろう。

 この少年漫画雑誌風な一冊を全部読むというのは、私のような小説をあまり読まない読者にはなかなか大変だ。いや、小説を読むより難しい。時間をかければ読めるというものではない。いわゆる先差万別の「読者」像というものを一元的にくくりたくなってくるが、とてもとてもそれは無理だ。それこそ、文化人類学的手法を持ってしても、なかなかこれらの人々をくくることはできない。

 というより、村上春樹的小説にプロボークされて、深い意識のなかに沈殿していたさまざまな、無秩序にして散漫な、シンボルや記憶や、風景の断片が、わんわんと湧きあがってきて、自分の中で一人分の「くくり」をつけるだけでも、文化人類学的な手法を用いたくなってくる。まぁ、それはそれでいい。

 この一冊のなかには、断片的ではあるが、繰り返し述べられる村上春樹的なものがあり、断定的、強調的、結論的な言い方でないにせよ、ひとつの傾向性が見てとれるのはいいことだ。あちこちに、彼の小説を読んでいく上での、貴重な手がかりが残されている。

 自分で書いておいて、どこに書いてあるか、うまく見つけられなくなってしまっているが、当ブログの<2.0>のサブ・タイトルは「アガタ・ザ・テランの冒険的日常」ということになっている。村上春樹関連の書物には「冒険」がつくものが多い。そもそも、このサブタイトルがその影響下にありながら、ふいに意識の上に浮かび上がってきたものかもしれない。

 「アガタ・ザ・テラン」とは「地球人アガタ」という意味だ。アガタ、とは、現在のところ意味不明。「アガルタ探検隊」とのなんらかの関係があるかもしれないし、ないかも知れない。しかし、この地球人アガタが、静かに当ブログのなかで、ひとつのアバターとして蘇生してくるのを待っている私がいる。そのキャラクターづくりは遅々として進んでいないが、手がかりはなくもない。

 そんなことを考えていたら、「宇宙少年ソラン」を思い出した。

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2010/01/09

海辺のカフカ

海辺のカフカ(上) 海辺のカフカ(下)
「海辺のカフカ」(上) (下) 
村上春樹 2002/09新潮社 単行本 397p 429p
Vol.2 No902~3★★★★★ ★★★★★ ★★★★★

 小説についてのメモをどのように残しておいたらいいのか、いまだによく感覚がつかめないが、とにかく、全部読んでからアップすることにした。それでも、感想を残すのはなかなか難しい。自分があまり小説を読まない、ということの上に、読んだ小説が村上春樹だったりすると、なおのこと、難しい。

 それでも、ほとぼりが残っているうちに、ランダムにメモを散漫なまま残しておく。

・この小説を読み出して、すぐに緑色のマツダロードスターがでてきて、そういえば、先日、ロードスターのプラモデル2台をネットで落札したまま、ほったらかしておいたことを思い出した。読みかけては組立て、組み立てては読み、しながら、小説を読み進めた。

・「1Q84」では、主人公がおなじ1954年生まれだったし、1984年という年にはそれなりに感情移入できたので、わりとイメージしやすかった。こちらの小説では、どうしても15~6才の時の自分を思い出しながら、読んでいた。

・16才の時、私は(我が家では、という意味だが)二匹の犬を飼っていて、それぞれの名前がナカムラとスズキだった(私が命名したのだ)。そんなどうでもいいことを、この「海辺のカフカ」で思い出した。どちらも雑種で、かしこくはなかったが、かわいがっていたので、結構、私にはなついていた。猫の名前は、我が家では歴代サンケと決まっていた。ミケ(三毛)ではなくサンケである。

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・中学の時ではなかったけど、16才の時に、秋休みを使って、5日間の自転車旅行にでたことを思い出した。最初に泊めてもらったところは、婦人が一人で守っている山のなかのお寺で、ご飯も食べさせてもらったし、風呂にも入れてもらった。でも泊めてもらったのは、離れにあった小さなお堂で、明かりがいっさいなかった。新月だったのだろうか、月もでておらず、シンとした夜だったが、満天の星が本当に美しかった。柿の木の下から見上げた空はまさにプラネタリウムのようだった。

・あれも16才の時だと思うが、思いっきり遅刻して、午後から学校に向かった夏の日があった。もう昼過ぎの地方駅には、駅員以外の姿はなく、所在なげに扇風機が首をまわしていた。あの時、ふと思ったことは、もし将来、自分が小説を書くのなら、かならずこのシーンを書くだろう、ということだった。小説は書いたことがないので、そのことを久しぶりに思い出したのだが、もう機会がないかも知れないので、まずはここにメモしておく。あの時、あそこの駅の、無人の待合い室には、どこかへの「入り口」が存在したのだろう。

・村上春樹という人の小説の作り方がすこしづつ分かってきた。わかってきたというより、「1Q84」との共通項に気づいた、というべきか。他の登場人物たちに感情移入しようとしたが、結局は主人公以外にはできなかった。というより、これは一人の人物の中の、それぞれの要素に過ぎないのだと思った。

・同時進行的ないくつかのストーリーが次第にひとつの物語につながっていくという手法は、他の作家たちも使っている手法なのだろうか。こういうものだと思えば、今後は、こういうものだとして、読み進めるにも、すこし慣れてきそうな感じがする。

・性的な表現は、結局、ストーリーには欠かせない要素なのではあろうが、どうもエンターテイメント的で、とってつけたような気がしないでもない。好きか嫌いでいえば、あのようなシーンはなくてもいいのではないか、と思う。だが、あればあったで、インパクトがあることはよくわかる。やっぱり、必要なのだろうな。

・地名や小道具はいかにもありふれていたりして、それがリアリティを盛り上げるのだが、実は、日本が舞台でありながら、すでに日本ではない。この辺がコスモポリタン的で、多くの国で翻訳され、多くの読者に支持される要因になっているのだろう。

・面白いか面白くないか、と言われれば、圧倒的に面白いと思う。このような世界があることを知らないで時間が過ぎていくよりかは、このような世界と感覚があることを知っておいたほうが、絶対、人生は深みが増すと思う。(今更だが)

・この小説では、そう強くもなかったが、1970前後の「敗北感」というものが、世界共通で、その同時代体験が国際的にハルキワールドをささえているのかな、と思っていたが、実は、各国におけるその「敗北感」のようなものは、実は、1970前後と限ったものではないことがわかってきた。たとえば中国の天安門事件とか、韓国のデジタル・デモクラシー以後などの社会状況が、時代を超えて、重なっているようなのだ。

・この小説にはいくつものストーリーが重なっており、これを分割していくつもの小品をつくることもできるのだろうが、このように一つしてしまうことによって、かなり厚みのあるものになることが分かった。ほかの村上作品を読んでみないとわからないけれど、結局は、他のひとつひとつの小説を含めて全部つながってしまう、ってこともあるのだろうか、と興味津々となってきた。

・その他、読み進めていて、そういえば、こういうこともあった、ああいうこともあったと、まったく忘れていたいろいろな体験が思いだされてきた。あちこちにバラバラに忘れてきてしまった情景が、この小説を読んで、ひとつのプラットフォームに並んだように思う。しかしながら、それらを全部つなげて、ひとつのストーリーには仕上げることはできない。ここはさすがに、プロの小説家であるからして、このようなストーリーができるんだなぁ、とあらためて感心した。(またまた今更だが)

・その他、いろいろある。社会的事件を巧みに取り込んでいるとか、小道具の採用が細かく計算されていたりしているとか、登場人物が縦横、各層をシンボル化しており、読む人にとっては、どこかに感情移入できるように、チャンネルを多くしているのだろうと思う。そして、集合的な無意識層をかなりつよくプロボークして、それまで沈潜しているものを揺さぶって、どんどん浮き上がらせているのだろう、と思った。

・だんだん忘れてしまう内容もあるだろうし、自分の中で、もうすこし後になって整理がついてくることもあるのだろう。村上春樹がこれだけ話題になっていることの一端が、すこしだけわかった気がする。

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2010/01/08

「人生という名の劇場」加藤和彦の死をめぐって きたやまおさむ

加藤和彦ラスト・メッセージ
「加藤和彦ラスト・メッセージ」
加藤和彦 /松木直也 2009/12 文藝春秋 単行本 188p
Vol.2 No901★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 きたやまおさむが「『人生という名の劇場』~加藤和彦の死をめぐって」、という文章を精神科医・作詞家として巻頭に贈っている。もとは産経新聞09/10/26に掲載された文章で、ネットで全文が読める。

 もうここまで読み込めば、あとは特にメモしておくことは残り少ない。やっぱり、私は「人生は劇場」ではない、と思う。

 すぐに整備屋に持って行って、僕は眺めたり、掃除したり、ミカが運転したりしていたよ。そのロールスは、5~6年乗ったんじゃないかな。それから違うロールスからベントレーを行き来して、十数台は乗っているんじゃないかな。昔から好きなんだよね、ロールスやベントレーは。今だに乗っているけどね。 p125

 ミニは、昔のミニはそのままは乗れないんで、やっぱり修理とか大変だからさ。で、今のBMミニじゃなくてね。昔のローバーのときのミニのほとんど最終型を買って、部品だけを全部古いミニに改造してあるっていう(笑)。 p126

 「もうミニを持っているなら、セカンドカーはロールスロイスがいいだろう」ってことだよね。追悼として、一曲贈りたい。それは残念ながら加藤+北山の曲ではない。早川義夫 「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」1969年 から、「もてないおとこたちのうた」。 

 冥福を祈ります。  合掌

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ノルウェイの森 <2>

<1>よりつづく 

【重版予約】 ノルウェイの森(上) 【重版予約】 ノルウェイの森(下)
「ノルウェイの森」(上) (下) <2>
村上春樹 2004/09 講談社 文庫 302p 293p

 解説本を読む前に、まずは小説本体を読むことが大切だろう、ということで、次は「ノルウェイの森」を図書館にリクエストしようとして、はた、と気がついた。この本は我が家にあったはずである。文庫本ではあるが、もう何年も前に家族が読んだものが本棚に並んでいる。さっそく取り出して見ると、あれ、私自身がすでに読んだ形跡がある。付箋があちらこちらに張り付けてあって、これは私の読み方だ。

 読んだばかりではなく、なんとすでにブログにもメモを残しているではないか。なんという頓珍漢か。読み方が読み方なので、あんまり印象に残っていないのかも知れない。ということで、散漫に読み進めているが、結構、村上春樹関連書き込みも増えてきているので、とりあえず、書き込みリストをつくっておく。こうしてみると結構読んでいる。村上? Who? とばかりカマトトぶってばかりはいられない。そういえば「1Q84」も4月にbook3がでるようだ

村上春樹関連一覧リスト 太字は長編

「風の歌を聴け」1979/07 講談社 

「1973年のピンボール」1980/06 講談社

「ウォーク・ドント・ラン」村上龍 VS 村上春樹1981/07 講談社

「羊をめぐる冒険」1982/10 講談社

「カンガルー日和」1983/01 平凡社

「中国行きのスロウ・ボート」1983/05 中央公論新社

「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」1985/06 新潮社

「回転木馬のデッド・ヒート」1985/10 講談社

「羊男のクリスマス」1985/11 講談社

「映画をめぐる冒険」川本 三郎と共著 1985/12 講談社

「‘THE SCRAP’ 懐かしの一九八〇年代」1987/01 文藝春秋

「ノルウェイの森」1987/09 講談社(単行本版)

「螢・納屋を焼く・その他の短編」1987/09 新潮社

「ダンス・ダンス・ダンス」1988/10 講談社

「村上朝日堂はいほー!」1989/05 文化出版局

「TVピープル」1990/01 文芸春秋

「雨天炎天」アトス-神様のリアル・ワールド 写真・村松映三1990/08 新潮社

「雨天炎天」チャイと兵隊と羊―21日間トルコ一周 写真・村松映三1990/08 新潮社

「村上春樹をめぐる冒険〈対話篇〉」笠井潔他 1991/06 河出書房新社

「村上春樹とドストエーフスキイ」横尾和博 1991/11 近代文芸社

「村上春樹の二元的世界」横尾和博 1992/07 鳥影社

「国境の南、太陽の西」1992/10 講談社

「ねじまき鳥クロニクル」1994/04 新潮社

「村上春樹×90年代  再生の根拠」横尾和博 1994/05 第三書館

「ねじまき鳥の探し方―村上春樹の種あかし」久居つばき 1994/06 太田出版

「本など読むな、バカになる」安原顕 1994/07 図書新聞

「夜のくもざる」絵・安西 1995/06平凡社 

「うずまき猫のみつけかた」1996/05 新潮社

「村上春樹イエローページ」加藤典洋・編 1996/10 荒地出版社

「レキシントンの幽霊」1996/11 文藝春秋 

「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」 共著1996/12 岩波書店

「アンダーグラウンド」1997/3 講談社

「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」絵・安西水丸 1997/05 朝日新聞社

「約束された場所でunderground2」1998/11 文藝春秋

「スプートニクの恋人」1999/04 講談社

「神の子どもたちはみな踊る」1999/8 新潮文庫

「村上春樹スタディーズ (05)」栗坪良樹他 1999/10 若草書房 292p

「そうだ、村上さんに聞いてみよう」2000/08 朝日新聞出版

「海辺のカフカ」2002/09 新潮社

「僕たちの好きな村上春樹」2003/02 別冊宝島743 宝島社

「少年カフカ」2003/06 新潮社

「村上春樹イエローページ」 PART2加藤 典洋・編著 2004/04 荒地出版社 

「思春期をめぐる冒険 心理療法と村上春樹の世界」岩宮恵子 2004/05 日本評論社

「アフターダーク」2004/09 講談社

「ノルウェイの森」2004/09 講談社(文庫本版)

「象の消滅」2005/03 新潮社

「村上春樹スタディーズ2000ー2004」今井清人・編 2005/05 若草書房

「意味がなければスイングはない」2005/11 文藝春秋

「これだけは、村上さんに言っておこう」絵・安西水丸 2006/03 朝日新聞出版

「村上春樹論 『海辺のカフカ』を精読する」小森 陽一 2006/5 平凡社

「ハルキ・ムラカミと言葉の音楽」ジェイ・ルービン 2006/09 新潮社

「世界は村上春樹をどう読むか」2006/10 文藝春秋

「村上春樹はくせになる」清水良典 2006/10 朝日新聞出版

「ひとつ、村上さんでやってみるか」絵・ 安西 水丸 2006/11 朝日新聞社

「村上春樹ワンダーランド」宮脇俊文 2006/11 いそっぷ社

「はじめての文学 村上春樹」2006/12 文藝春秋

「村上春樹はどう誤訳されているか」2007/01 若草書房

「村上春樹、夏目漱石と出会う」半田淳子 2007/04 若草書房

「村上春樹にご用心」内田樹 2007/09 アルテスパブリッシング>

「村上春樹―『喪失』の物語から『転換』の物語へ」黒古一夫 2007/10 勉誠出版

「走ることについて語るときに僕の語ること」2007/10 文藝春秋

「謎とき村上春樹」石原千秋 2007/12 光文社

「アメリカ  村上春樹と江藤淳の帰還」坪内祐三 2007/12 扶桑社

「村上春樹スタディーズ」(2005ー2007) 今井清人・編 2008/03 若草書房

「What I Talk About When I Talk About Running」2008/07 Knopf

「MURAKAMI 龍と春樹の時代」清水良典 2008/09 幻冬舎

「エルサレム賞受賞講演2009/02

「1Q84」2009/05 新潮社

「読まずに済ます村上春樹『1Q84』」 「サンデー毎日」 2009/06毎日新聞社

「東アジアが読む村上春樹」藤井省三 2009/06 若草書房

「村上春樹『1Q84』をどう読むか」安藤 礼二他2009/07河出書房新社編集部/編 

「村上春樹の『1Q84』を読み解く」村上春樹研究会 2009/07 データハウス

「群像」 2009年 08月号 講談社

「文學界」 2009年08月号 文藝春秋

「村上春樹と物語の条件」 鈴木智之 2009/08 青弓社

「村上春樹・戦記/『1Q84』のジェネシス」鈴村和成 2009/8 彩流社

「村上春樹『1Q84』の世界を深読みする本」 空気さなぎ調査委員会 2009/09 ぶんか社

「村上春樹を読むヒント」土居豊 2009/12 ロングセラーズ

「1Q84スタディーズ」(book2) Murakami Haruki study books 2010/01 若草書房

「芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか」市川真人 2010/07 幻冬舎

DVD「ノルウェイの森」 トラン・アン・ユン (監督) 2011/10 ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」 2013/4/12 文藝春秋 

「女のいない男たち」 2014/04 文藝春秋

<3>につづく

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東アジアが読む村上春樹

東アジアが読む村上春樹
「東アジアが読む村上春樹」 東京大学文学部中国文学科国際共同研究 Murakami Haruki study books
藤井省三 2009/06 若草書房 全集・双書 367p
Vol.2 No900★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 村上春樹をめぐるさまざまな動きの中で、村上本人、村上ファン、ハルキニスト、ハルキワールド・クラウドソーシング、文芸評論家たち、などなどが様々なかたちを形成している。この本は「世界は村上春樹をどう読むか」の類書として、クラウドソーシングに近いようではあるが、さらにより外周部である「文芸評論家」たちへと退いた形での「研究」である。

 発行されたのは2009年6月でもあるし、決して古い書物ではないが、研究者たちの常として、処理されている情報は古い。この時点では「1Q84」についての研究も盛り込まれる必要があるのだろうが、そこまでは手が伸びていない。

 この他さまざまな研究書や評論本はあれど、まずは小説そのものも読み進める必要があるので、当ブログとしては、車の両輪のように小説と解説を並べて読んでみようと思う。そういう地点から見れば、この本の中で「『海辺のカフカ』は日本でどう読まれたか---カフカ少年と『少年カフカ』」島村輝p300あたりが一番面白く読める。

 「海辺のカフカ」も「少年カフカ」も今手元にあるので、これらをひととおりめくり終わってから、そして、自分の中でゆっくり醸成したものを持ってして、これらの「解説本」と再対峙する必要があるだろう。その点、同時進行的な「世界は村上春樹をどう読むか」に対する姿勢とは、自ずと違ってきているように思う。

 つづく

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2010/01/07

ビートルズを知らない子どもたちへ 北山修

ビートルズを知らない子どもたちへ
「ビートルズを知らない子どもたちへ」
北山修 2009/09 アルテスパブリッシング 単行本 233p
Vol.2 No899★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 わずか数ヶ月前に出た本なので、北山のもっとも最近の書であろう、と期待していたのだが、開いてみれば1987年に講談社からでた「ビートルズ」を改訂増補したものだという。う~ん、ちょっと残念な気持ち。この人、いよいよ「改訂増補」がお好きなようだ。とくに、還暦を迎えられた後あたりから、一生懸命、自分の過去を化粧するのか塗り替えるのか、とにかく昔の「表現」を「改訂増補」しつづけている。

 71年にでた「戦争を知らない子どもたち」を読んで、「かっこいい人はかっこいいな」とコメントしておいたが、実はこれは、単に賛辞というだけではなく、ちょっとした皮肉でもあった。なぜに、かっこつけるのか。

 ビートルズは、「ヤァ! ヤァ! ヤァ!」と笑顔で恋の唄を歌いながら、いっぽうでは「ファンのことなんかどうでもいい」と思うこともあっただろうし、「愛の唄もたくさん歌うけれど、本当はオレは悪いやつさ」とやっていた。そんなふうに自分をさらしながら、苦しみもがき、のたうちまわるようにして演じていたのではないでしょうか。p219

 これは改訂増補を終えたあとの、2009年の北山の本音である。

 最近、マイケル・ジャクソンがなくなりましたが、またひとりこの苦しみの延長線上に犠牲者が出てしまったことに、とても心が痛みました。彼はどんなに大きな苦しみを抱え、それを乗りこえるためにどんなふうに生きていたのだろうか、そこにもはかり知れないものがある。p220

 この「とても心が痛みました」という台詞は、この本の出版後、もっと強まったのではないだろうか。

 何においても、まずひとりの人間を見つけてくることだけでも、大変だと思うんです。たとえば加藤和彦ひとり見つけるだけで大変。きたやまおさむみたいなのもあまりいない。誰ひとりとして同じ人間はいませんから、それを探してくることは本当に大変。p224

 このあと、昨年12月にでた「加藤和彦ラスト・メッセージ」を読む予定である。そこになにかのヒントをみつけることができるだろうか。

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戦争を知らない子供たち 北山修

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「戦争を知らない子供たち」 深夜放送・大学・歌・旅をとおして求めつづけた青春
北山 修 1971/03  ブロンズ社 単行本 286p
Vol.2 No898★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 例によってウォーキングがてら、ぶらぶらと散歩しながらいつもの古書店に行った。するとなんだかとても懐かしい本がワゴンセールになっていた。そうだなぁ、こんな本もあったよ。もう40年近く前のことになるんだね。時あたかも当ブログでは、北山修追っかけがまもなく終了するところである。いとおしい気持ちになって一冊買ってきました。

 ブロンズ社。なつかしい。この出版社に10代の時に原稿を書いたこともあったし、この会社が出版していた「ジ・アザー・マガジン21」に取材されて、写真つきで数ページも掲載してもらったこともあった。当時「若者文化」なんていう初々しい言葉で語れていたカウンターカルチャーを支持していた、当時としては数少ない雑誌であった。

 同じ頃、同社からでていた「TBSパックインミュージック もう一つ別の広場」も愛読書だったし、ディスクジョッキーだった桝井論平の「ぼくは深夜を解放する」も読んでいた。この論平の本の中で、ひとりの高校生とのやりとりが確か4~50ページに渡って掲載されており、この高校生Rと、この一年後、一緒に共同生活をすることになるのだから、人生の赤い糸はどこに張り巡らされているか分からない。彼と他の数人と小さな共同体をつくり、旅をし、ミニコミをつくり、さまざまな活動に参加した。

 Rとは今でもやりとりがあるし、今年も4日遅れくらいで年賀状(らしきもの)をくれた。お互い顔を見合わせては過ぎた年月を思う。さらに、このRの高校時代の同級生にPがいて、その人物をなんとなく知っていたのだが、さらにその数年後、Pはインドに行った。そして帰国後Oshoの「存在の詩」を出したのだった。こうして私はOshoを割合早い時期に知ることとなり、思えば結構早い時期に、人生は運命づけられた、と言えなくもない。

 さて、北山修のこの本、表の帯には加藤登紀子が推薦の言葉を書いており、裏には「北山修を医者にさせない会々長」としての桂三枝のメッセージが載っている。時代をいっぱい感じさせる一冊である。

 北山修、当時25歳。かっこいい人はいつの時代でもかっこいいな。若くして表現を任せられる立場にあったのだろう。彼の人生を一つの鏡として、自分の人生を振り返る同世代の人間たちも多くいるに違いない。

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世界は村上春樹をどう読むか <2>

<1>よりつづく

世界は村上春樹をどう読むか

「世界は村上春樹をどう読むか」 <2>
柴田元幸他 2006/10月  文藝春秋 単行本 315p

 この本こそ、目下の当ブログが見つけようとしていたクラウドソーシングとしての「ハルキワールド」の尻尾になるかもしれない。少なくとも、ほとんど何事も知らないままその作業を始めたのだが、直感的に言って「これだけは、村上さんに言っておこう」では、あまりに「ファン感謝デー」になりすぎているし、「思春期をめぐる冒険」では、あまりにハルキニストとして、自らの世界に小説を引き寄せすぎている。適度な距離感と、周囲を見渡す余裕が必要だ。

 その点、この本は注目に値する。世界の村上春樹翻訳者たちが名前を並べている。そしてシンポジウムなどの報告も適度に紹介されている。

 わたしは、1980年代には村上春樹を呼んでいたはずである。だが多くの文芸評論家がそうであるように、90年代に入るともう読むことをやめてしまった。巷にはハルキ・ブームを当て込んでさまざまな解釈本や研究所が溢れていた。ハルキについての本を出すと必ず売れますよと、編集者から親切な助言を受けたこともあったが、心はもっと別な方角に向いてしまっていた。

 どうしてだろう。今から考えてみると、ひとつには80年代に、アメリカという社会と本格的につきあうようになってからである。彼が描いているある種のアメリカが、急速に陳腐で凡庸なものに思えてきたことを、わたしは素直に告白しておきたいと思う。だが別の理由を思いつくことも不可能ではない。わたしはそもそも都会的とか距離感とか達観とか個人主義とかいう言葉に、関心を喪失してしまったのである。

 わたしが村上春樹についてふたたび関心をもつようになったのは、2000年を過ぎてからのことである。もっともこの場合の感心は、正確に言うと彼の作品というよりも、彼の存在のあり方をめぐるものだった。

 かくも国際的にベストセラーになった日本作家とは、いったいいかなるものなのか。それ川端康成や三島由紀夫の翻訳が海外で評価されるのとは、どう異なっているのだろうか。わたしは行く先々の国で、ハルキが翻訳され愛読されていると知った。

 香港では、ハルキを理解できるのは、日本と同じく高度な大衆消費社会を実現させた香港だけだと言われたことがあった。そしてわたしにはまったく予期できなかったことだが、韓国では何十種類もの翻訳が海賊版で刊行され、90年代初頭には村上の影響を受けてそのエピゴーネンとして作家活動に入った「ハルキセデ(春樹世代)」といった小説家たちまで登場していたのである。そしてわたしは、本稿の冒頭で記した自分の予想がみごとに外れたことを、ある快感とともに受け入れるのだった。p249y 四方田犬彦

 四方田は1953年生まれだから、たぶん私と同学年。時代体験的にはおなじような道筋をたどっているだろう。もっとも私は、最近まで村上春樹と村瀬春樹、ふたりの春樹の違いにまったく気づかなかったのだから、比較しようがないほど、頓珍漢である。

 もっとも村上龍と村上春樹、ふたりの村上の違いは知っていた。村上龍はたしか1976年の群像の新人賞を取ったときに、私は、日本にギンズバーグの「吠える」が誕生したと思った。翌年だったか、芥川賞を取ったときには、当然だろうと思った。しかし、その後、インドに渡った私は、急速に「文学」作品に対する関心を失った。

 たぶん村上春樹が登場したのは1979年の頃で、それ以降の「小説界」については、まったく知らないと言っても過言ではない。もっともそれまでも決して詳しくないし、いまでも進んで読もうとも思っていない。しかし、現在私が村上春樹に関心を持ち始めたのは、この「彼の作品というよりも、彼の存在のあり方」をめぐるものであることは間違いない。

 この本には多くの人々が関わっている。アメリカ、フランス、マレーシア、ハンガリー、ノルウェー、韓国、カナダ、ロシア、ポーランド、インドネシア、ブラジル、ドイツ、デンマーク、チェコ、台湾、香港、イタリア、セルビア・モンテネグロ、タイ、中国、などなど、多くの国々に村上春樹を紹介した翻訳者たちが顔を並べている。まさに圧巻である。

 日本の関係者も四人並んでいるが、1954年、1954年、1952年、1953年生まれ、というように、きわめて私と同じ学年の世代がこの本に関係していることも、なんとも心強いものを感じる。同時代人的にこの本を読めたことをうれしく思う。

 当ブログはまず、この本をクラウドソーシングとしての「ハルキワールド」の典型と見る。この研究、この報告から、何かが見えてくる気がする。しかし、本当のところは、当ブログの主点は、「ハルキワールド」にはなくて、「クラウドソーシング」にある。つまりきたるべき真なる意味の「クラウドソーシング」に向けての、まずは第一報告、第一成功例としての「ハルキワールド」としての認識である。一般的な言葉使いとは、違っているかもしれない。それはいずれ調整する。しかし、現時点での当ブログの関心は、そのようになっている。

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思春期をめぐる冒険 心理療法と村上春樹の世界

思春期をめぐる冒険
「思春期をめぐる冒険」 心理療法と村上春樹の世界
岩宮恵子 2004/05 日本評論社 サイズ 220p
Vol.2 No897★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 女性臨床心理士による村上春樹論。相談室を個人開業したりもしているらしいが、大学で教えてもいるようだ。頭の中で小沢牧子「『心の専門家』はいらない」を思い出しながら、読み始めている自分がいる。

 ずっと前から、村上春樹の作品は、新作がでるとすぐに購入していた。そして三カ月くらいの間、ヘビーローテンションで毎日毎日、暇さえあれば読み返すのである。さらには文庫本になると、また本のとじ目がバラバラになるまで読み返し、また買い直す・・・・というようなかかわり方をずっとしてきたし、今もしている。p215

 このような人はハルキニストと呼ばれることになるに違いない。少なくとも当ブログとしては認定状を差し上げたい。

 物語と心理療法のことを論じるにあたって、村上春樹の作品を取り上げる理由は三つある。まず、冒頭で紹介したように、対談やエッセイなどで村上春樹自身が小説を書くときの自分のスタンスが自己治療的なものであるとはっきり言及していること、第二に、治療場面でかなりの数のクライエントが彼の小説を話題にすること、そして第三に、(これが一番強い動機だが)村上春樹の小説を読んでいると、まるで心理療法の現場で起こっていることそのもののように感じられるからである。piii

 ふ~む、ここまで来るとかなり重症ですね。もともと村上春樹と心理療法には直接的なつながりはない。たしかに作品を書くことは自己治療的ではあるが、それはなにも村上小説に限ったことではない。たとえば一連の末永蒼生の書籍を読んだりしてもわかるように、表現自体が自己治療的なことは、別に文章や絵画や音楽に限ったことではない。小説家という存在にしたところで、自己治療的なのは村上作品に限ったことではないだろう。

 第二に、著者は心理療法家として、村上春樹を「読んでいる」世代をクライエントの中心に抱えているのだろう。たとえば、北山修みたいに、高齢者を中心とした(単にイメージだが)クライエントを抱えていて、その人々が全員いきなり「村上春樹」を語りだしたら、それこそ驚いてしまうが、著者はそういうことを意味していない。単にその時代のその世代に村上春樹が浸透している、ということである。

 第三に、心理療法の現場とは、そのケースの数だけある。村上春樹的な展開だけがあるわけではない。むしろ心理療法家によっては、そういうケースはまったくなかったと自信をもって返答する人もいるに違いない。

 つまり、ここで私がいいたいのは、この人はあまりにハルキワールドに突っ込みすぎて、その幻影をクライエントに投影しすぎている、ということ。つまり、極論すれば、心理療法家、失格である。もっと、無心にクライエントに対峙しなくてはならない。

 変に倫理観を持った規範のつよい態度でクライエントに接するのも問題だが、反倫理的、反規範的であったとしても、ひとつの世界観に引き寄せすぎるのも、いかがなものであろうか。

 この本においては、当時出ていた村上春樹作品が十冊以上「解説」されているが、まだそれらを読んでいない私としては、あまり先入観が入ってくるのもよくないので、そこそこにしておく。一度自分で読んで自分なりにイメージがつかめたら、他の人はどう読んだかな、という関心は湧くかもしれないが、その時に、この本を再読したくなるかは、微妙なところ。

 この本は「思春期をめぐる」心理療法について書かれているが、カウンセラーとしての私は、思春期のクライエントを扱うことは専門でもないし、決して中心でも好きでもない。むしろ、自我の形成が終了していない、という意味では、私のクライエントの範疇からみれば埒外の世界である。だからこそ、この本に感じる違和感というものがあるのかもしれない。

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ふりかえったら風3 北山修の巻

<第2巻>よりつづく

ふりかえったら風(3(北山修の巻))
「ふりかえったら風3」(北山修の巻)) 対談1968ー2005
北山修 2006/02 みすず書房 単行本 ページ数: 275p 
Vol.2 No896★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 当ブログにおける「フロイト 精神分析」追っかけ、そして北山修ふりかえりは、ほぼ中間地点をすぎて、あとは落としどころを求めて、高度を下げる段階にきている。この「ふりかえったら風」シリーズは三部作で、きたやまおさむの巻キタヤマオサムの巻に続き、この北山修の巻で完結という運びで、それぞれの名前の表記の仕方になにごとかの意味あいがあったはずだが、当ブログにおいては、それほど重要なポイントではない。

 ここまでめくって来て、この巻で特筆しておくべきことは「私はどうして心を扱う医者になったのか」p248あたりだろうか。

 具体的に言うと、思春期の時に理髪店に入って、髪を切ってもらっていると鏡の中で別の人物が私を見ているんdねす。それを言うとみんなに笑われるんだけども、これが野菜なんです、必ず。トマトだとか、ナスビだとか、リンゴだとかが私に話しかけてくる。もちろん鏡だから私の分身でしょうけど、語りかけてくるんです。それで、周りを見渡すと全然そのことに気づいていないし、おかしいな、どうしてみんなはこのリンゴたちと話さないんだろうとか思っていたんですけど、みんなが知らないふりをしているから、こういうことは黙っていたほうがいいだと思っていましてね。それは、そのうち消えていきました。いつ消えたのか全然覚えていません。でも一時期ずっと続いていました。p249

 少年期、あるいは思春期における「鏡」では、私も私なりの思いでがある。どこかに書いておいたが、後でまたメモすることにする。「鏡の中のアリス」などでも取り上げられるテーマでもあるし、また茂木健一郎なども、少年の時に、「ただいま」と我が家に帰ったときに、誰もいなくて、ふとこの「ただいま」と言っている自分は誰だろう、という思いにとらわれたという体験を、繰り返し語っている。

 そういう経験があったんで、私はこういうものを取り扱うっていうか、そういうものを一緒に考えてくれる人が欲しいなと思ったんです。今から振り返ると精神分析家になった原点はいくつもあるけれども、これはその一つです。目に見えないものに関心があったし、それを一緒に共有してくれる誰かがとても欲しかった。そうすると安心するしね。そういう経験が理由としてあります。p250

 それが精神分析家になったきっかけの最大のものではなかったとしても、その思春期の思いをずっと持ち続けている、ということは精神分析家としてはとても重要なことであると思う。

 今、これから医学の中で主流になるのは精神科と整形外科と眼科と言われているんですが、なぜか言うと高齢者が増えるからで、だから、治すと言っても、クオリティ・オブ・ライフという言葉があるんですが、より良く生きるということを一緒に考えているんです。p250

 精神分析医としての北山を考える時、この「一緒に考える」ということをなぜもう一歩進めないのか、不思議に思うときがある。自分を「治療者」の立場に置き、「患者」の「病気」を治す、という視点から、たとえば寝椅子(カウチ)に横になった患者の背後でその自由連想の話を聞く、というスタイルをいつまでとり続けるのだろう、と思う。

 このスタイルを劇的に変えたのはたとえばカール・ロジャース「エンカウンター・グループ」だけれども、それは誰かが誰かを治す、ということではなく、ひとつの集団性の中で、グループ・ダイナミクスの中で「気づき」が起こり、「癒し」が起こる、というメカニズムを、もっと積極的に採用してはどうなのだろうと思う。

 エンカウンター・グループは、ファシリテーター(促進者)として、数名の専門家が入るわけだが、誰かが誰かを治療する、というより、もっと「自然な」エネルギーの動きに身をまかせることができる。もちろん、ファシリテーターとしてそのグループの中に「いる」ことによって、ファシリテーター自らが「癒される」ことも多くある。あるいは、それでなければ、ファシリテーターは長くはつとめることができない。

 北山は、随所で、精神分析医としての苦労話を語る。一日に限られた「患者」しかみることができないし、仮に見たとしても、長期的には10人程度の「患者」としかつきあうことができない。そして、他人の「悩み」を聞くのは疲れる、という話を連発する。この辺が、北山の限界であるし、いわゆる「フロイト 精神分析」の限界でもある。

 精神医学をやりたかったんですが、すぐには精神科ができなくて。また、何にも体の治療ができないまま医者になるのも変な話だなぁと思ったものですから、やっぱり注射を打ったり、血圧を測ったりがある程度自然にできるような医者になろうと思って、まず内科をやったんです。p252

 揚げ足をとるようだが、注射を打つ程度なら、看護士にもできるし、血圧を測るなら、私などのドシロートでも毎日自宅で計測できる時代になっている。もちろん資格などはいらない。ただ、この辺に、精神医学、というものの「科学性」が問われる。いや「科学」そのものが問われているのだろう。体そのものを「修理」するだけなら科学オンリーでも問題がなかろうが、精神となると、そうは行かない。あるいは、精神を扱うなら、本当は「医学」でなくてもいいのではないか、と思えてくる。

 それから二年間過ごして、それでもやっぱり精神医学をやろうと思いました。ところが大学はさっきのような状態でしたので、ある日図書館で外国の医学雑誌の一番最後のアナウンスメント欄に「研修医求む」という広告が出ているのを見て、これは外国に行こうと思いました。p252

 この辺で留意すべきは、彼はここではまだ「フロイト 精神分析」を自らの道として選んでいないことである。

 精神医学の知的な勉強は一応日本でもやっているわけだから実習に何を選ぶかということで、見渡したところ、行動療法という治療法が目にとまりました。(中略)その病院では精神分析的な治療法もやっている一方で、行動療法もやっていたんです。p254

 時代は1970年代中盤から後半にかけてのことである。

 その後、個人分析を受けて、精神分析医となる。

 今から考えるならけっして十分なトレーニングではありませんでしたが、精神分析的な精神療法家になったんです。だから人を癒すとか、人を治すとかが私の仕事だとは思っていないんです。一言で言ってしまえば、精神療法とか精神分析を商売にしていますけれども、私がやっているのことというのは自分の言葉でああだこうだと考えるための時間を保証し、そのことによって人生の物語を紡ぎ出し、それを生き直していくという、そんなことを目標にしたいわけです。p256

 すでに還暦も迎えられてからもうだいぶ経過した人に、2002年当時のインタビュー記事とは言え、それをもとにああだこうだいうのも失礼だが、どうもこの「人生の物語を紡ぎ出し」というところは問題あるのではないか、と思う。本来、人間は、この物語性を遠く離れて生きていく必要がある。人は自ら作り出した「物語」を「城」だと思っているが、実は「牢獄」であることが実に多い。人生の物語性は、破棄されなければならない、というのが、現在の私の主張である。

---精神分析を選ぶ時に影響を受けた人とかはいたんでしょうか。
 精神分析と言うとS・フロイトなんですけれども、フロイトはあまりにも堅い人で。もう一人、遊ぶことや私の音楽をやっていることなんかも受けいれてくれたD・W・ウィニコットちう、イギリスの精神分析家で、小児科がいたことが大事です。
p261

 一回限りの人生である。それぞれの人生の場面において、それぞれの出会いは変えようのない事実として残る。もし北山が、ビートルズを追いかけてイギリスに行かず、アメリカの大学に留学していたら、きっと違った精神科医が誕生していたのではないか、と想像するのは、単に一読者の自由連想にすぎない。

 もし、エンカウンター・グループのファシリテーターのような役割を果たしているような存在になり得たら、彼は、きたやまおさむ、キタヤマオサム、北山修、なんて、みっつの分裂した自己を抱える必要はなかったであろう。むしろ、北山修、という名前にさえこだわらない、もっと透明な存在になり得たのではないか。そう思う。もちろん、一読者の、自由連想であるが・・・・・。

 P152には小此木啓吾との対談「現代社会と境界パーソナリティ---隠喩としての病理現象」が収録されている。1990/10「イマーゴ」誌上の対談の再収録だが、突っ込みどころは多い。小此木について思うところもあるが、別な機会に譲る。

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2010/01/06

世界は村上春樹をどう読むか<1>

世界は村上春樹をどう読むか

「世界は村上春樹をどう読むか」 
柴田元幸他 2006/10月  文藝春秋 単行本 315p
Vol.2 No895★★★★★ ★★★★★ ★★★★★

 最近、近くの駅の裏側にスーパーができた。開店ホヤホヤだから来店客も多い。新鮮なイベントもある。二階は衣料品店チェーンもあり、書店もある。ウォーキングがてらにたまに遊びにいくのだが、今日何気なくみたら、パソコン本コーナーのとなりが、医療本コーナーになっており、さまざまな医療関連の専門書籍コーナーがあり、そのなかにカウンセリングや心理療法関係の本がどっさりあった。

 反対側の隣をみると、そこは洋書コーナーだった。なにげに見てみてみると、なんと、そこには世界のMurakamiの英文書籍がずらりとそろっていた。

Murakami

へぇ~、世界はHaruki Murakamiをどう読んでいるんだろう・・・。

<2>につづく

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「これだけは、村上さんに言っておこう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶつける330の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?

Photo
「これだけは、村上さんに言っておこう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶつける330の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?
村上春樹 /絵・安西水丸 2006/03 朝日新聞出版 ムックその他 205p
Vol.2 No894★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 出版は2006年なのでちょっと眼には新し目なのだが、実際はネット上「村上朝日堂ホームページ」1996/06~1999/11に寄せられた読者=アクセス者からのメールに返信を書く形で構成されている一冊。類書の「そうだ、村上さんに聞いてみよう」2000/08が好評だったので、余った材料で、もう一冊こしらえました、というフェイクな本なのかな。いやそんなこともないだろうが・・・。

 このプロ野球のファン感謝デーにも似た、穏やかな雰囲気は、普段のペナントレースの真剣さを欠いたものだが、ファンにはこたえられない魅力のあるものなのだろう。村上春樹ファンに取り巻かれた村上春樹、という構造は、当ブログが追っかけしようと思う「クラウドソーシング」としての「ハルキワールド」とはかなり違う。

 この本に書かれている質問は、実際にHPに寄せられた質問であろうが、どれひとつとして生のまま掲載されているものはないだろうし、場合によっては全文が編集者によってねつ造されたものだろう。二つの質問を寄せ集めたり、ある質問の一部分だけをとったり、うまく意趣替えをして、別な答えを村上春樹から取り出そうとしたりしているに違いない。

 だから、ここに書かれている村上春樹を追っかけることは、当ブログにおいてはほとんど意味がないし、ここには村上春樹はいないだろう。

 さはさりながら、330の質問はそれぞれに面白い。私なぞは、まずは車の話題を拾い読みをする。

1)、BMWとメルセデスの比較

2)、オープン2シーターの乗り心地

3)、ホンダS2000がほしい

4)、夏の2シーターの心得は?

5)、車の運転はどうしてあんなにむずかしい?

6)、有料道路の料金所でいらいらしますか?

 という一連のクルマネタを拾い読みし、大体の人物像を想像する。「1Q84」でもそうだったが、トヨタクラウン・ロイヤルサルーンのタクシーとか、赤いスズキアルトの群馬ナンバーは、バンパーがへこんでいたとか、殺害すべきDV株屋男は、新車のジャガーに乗っているとか、まぁ、村上春樹は、超常的なストーリーを書きながら、卑近な小物をひっぱってきて、原寸大のリアリティを増加させようとする。

 だから、これらの質問に対する答えは一連のフィクションのながれのなかで読まれるもので、村上春樹に「あなたはだれか」などと質問していることにはならない。むしろ、ここで得られる答えよりも、その質問している「群衆」たる村上ファンにこそ関心を持つが、これらの一群を理解するには、レヴェ=ストロースの文化人類学の手法でも持ってこないと理解できないだろう。すくなくともその雑多性は、「クラウドソーシング」と呼べるほどまでには高まっていまい。

 次なる関心ごとは、パソコンネタだ。

1)、振袖かパソコンか

2)、マックを選ぶ生き方

3)、マックに追悼?

4)、ワープロか手書きか

5)、ホームページの現状

6)、マックユーザーの理由

7)、英文メールでの注意点は?

8)、メール友達ができない理由

9)、手書きからワープロにきりかえると、違和感は?

 などなど、すでに10年以上の前の設定なので、質問自体が意味をなしていない部分もあるが、まぁ、大体の想像がつくような答えが書いてある。このへんも「ファン感謝デー」でしかないので、取り立ててなにも言うことはない。しかし、ひとつひとつの質問に「答えている」というファクターが、リアリティを盛り上げるのだろう。

 その次は、ドストエフスキーへの言及だったり、当ブログが現在読み進めている「海辺のカフカ」についてのQ&Aだったりするが、そこはうまく斜め読みして、ネタばれ的なところは読まないようにする。「日本の読者から」の次は、「台湾の読者から」や「韓国からの読者から」へと続くが、この作家が最初からグローバルな読まれ方をしている、というところには、大いに着目しておく必要を感じる。時代性を国境を越えて体験しているとすると、そこには大きなクラウドソーシングのベースとなる「ハルキワールド」の基礎が作られつつあるからだ。

 私は村上春樹「ファン」ではないので、この本は別に「ありがたい一冊」ではないが、彼はこういう読まれ方をしている、ということを記憶しておく必要はありそうだ。

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現代フロイト読本 <4>

<3>よりつづく 

現代フロイト読本(2)
「現代フロイト読本2」 <4>
西園昌久 監修 北山修 編集代表 2008/07 みすず書房 単行本 p403

 現在、机の上には、この「現代フロイト読本2」と、「ヘッセへの誘い」と、「海辺のカフカ 上」がある。こちらを読みすすめ、飽きたらあちら、気を取り直して、今度はこちら、と、移り気のまま、目を移動させている。自分の中では思考のチャンネルが反応したり、1ページ1ページを画像として捉えていたり、あるいは、心地よい眠気を誘ってくれたりする。勝手気ままな読書は、何かを運んでいるのか、単に漂流しているだけなのか、すでに沈没していることさえ気づかないでいるのか。

 同じ、書物というメディアでも、持っている意味は相当に違う。すべてを一元的に並べて同列のもとすることはできない。しかしながら、それらは日本語で書かれていて、近くの図書館から借りてきて、自分のブログのネタになりそうだ、という意味では、まったく一連なりのステップストーンのひとつひとつでしかない。

 まずインターネットがあり、ブログ機能があった。そして公立図書館があり、近年、図書館ネットワークが発達した。この二つの要素が、当ブログの大きな推進力である。すでにその威力は我が身を持って体験した。しかし、ここにきて、世の中の人はどんな本を読んでいるのだろう、私はそれを読んでどんな感じがするのだろう、というレベルの視点だけでは、当ブログはどんどん減速してしまうだけだろう。

 小森健太朗「ネメシスの哄笑」09/05/02からスタートした当ブログのカテゴリ「表現からアート」も、あと一冊を残して定量の108に達しようとしている。ドストエフスキーやトルストイ、リチャード・バックやヘッセを変遷しながら、今は村上春樹でその幕を閉じようとしている。さて、村上春樹については、これから少しづつひもといて行こうとしているのだが、今後はどのカテゴリにて読んでいけばいいのだろうか。

 当ブログは、カテゴリを多く作ることはあまり好ましいことだとは思っていない。できれば、同時進行するカテゴリを3つ程度に押さえていきたい。最終的には、カテゴリは一つしかない、というところまで絞ろうと思っているのだ。

 とするならば、「表現からアートへ」カテゴリが終了したあとに残されるのは、「地球人として生きる」 「クラウドソーシング」「私は誰か」、の三つのカテゴリしかない。「地球人として生きる」カテゴリは、最近は疎くなってはいるものの、政治や経済、環境問題も含めたかたちで具象的なテーマを扱おうとしている。今後はどう展開するかわからないが、すくなくともいずれまた活発になってくる可能性もある。

 「私は誰か」カテゴリは、当ブログのメインのテーマであるし、最終的にはこのカテゴリに集約されるものであるので、ここに村上春樹をぶち込んでも特に違和感はない。だが、最適だとは思えない。逆に言えば「私は誰か」を追っかけるなら、まどろっこしく村上春樹などを読んでいる必要は、本当はない。

 さて、三つ目の「クラウドソーシング」だが、もともとは、常にIT関連、インターネット関連として存在してきたカテゴリ達の後裔として、「クラウド・コンピューティング」としてスタートしたものだった。最新の技術やら、ネット社会の動向などについての書籍を収めてきた。

 しかしながら、このところ、当ブログは急速にその分野から足を遠のけつつある。ITやインターネットの技術的な進化が一時的な踊り場状態にあるのではないか、という推測と、どこまで追っかけてもキリのない技術革新と情報流動。これらを1老ブログ子が追っかけていくことは、しょせん最初から無理がある。

 そこで途中からカテゴリ名を「クラウドソーシング」へと変更した。この意味は大きい。同じクラウドでも、片や「雲」であり、片や「群衆」である。日本語おけるカタカナ表記は同じでも、英語ではまったく違う単語だ。つまり当ブログにおいては「雲」→「群衆」へと、方向転換したのである。

 しかるにこの「群衆」という翻訳とともに、その意味合いもまだ本当の意味でこなれたものにはなっていない。当ブログとしては、初期的に追っかけてきた「マルチチュード」の意味合いも込めているのだが、この本家のマルチチュードも、スピノザやネグリ&ハートを含めた形においても、いまひとつ推進力を失っている。

 つまり、このまま放置すれば「クラウドソーシング」カテゴリは座礁し、沈没してしまう可能性もある。現在総数44。残る64個の空きスペースはそのまま意味を失ってしまう可能性もある。

 そこで、当ブログとしては、「表現からアートへ」カテゴリの後継として「クラウドソーシング」カテゴリを活用することに決めた。この方法が一番よさそうだ。「フロイト 精神分析」を「私は誰か」という手術台の上で「分析」していくように、たとえば今後は、村上春樹を「クラウドソーシング」という広場でみんなと語り合う。

 つまり、一作家・村上春樹、一小説「1Q84」、という、ぶつ切りの読み方ではなく、村上春樹・的な広がりそしてその一連の小説をとりまく、同時代的なもの、そのようなものを意識しつつ、一個人と群衆、一作品と世界、という対峙を追っかけてみようと思う。

 思えばこの「現代フロイト読本」も、「ヘッセへの誘い」も、一書物としては、「クラウドソーシング」の所産であると思える。OSリナックスの各ディストリビューションが存在するのは、それを支える各パーティがあったればこそである。OSとしてのリナックスは、すでにその創始者リーナス・トーバルスの手を離れて「クラウドソーシング」によって運用されているように、フロイトも、ヘッセも、すでに「クラウドソーシング」によって、現代の21世紀社会で運用されている。

 早晩、村上春樹も、ひとつの「クラウドソーシング」の核のひとつになろう。いや、すでにそうなっている可能性がある。当ブログが今後村上春樹を追いかけていくとすれば、この小説を離れて拡大傾向のある「ハルキワールド」を追いかけていくことになるだろう。つまり、小説家・村上春樹と、クラウドソーシングとしての「ハルキワールド」は、当ブログにおいては、明確に峻別されていく必要がある。

 ということは、フロイトにも同じことが言える。「フロイト 精神分析」というお題は二つの方向性を持っている。一つはフロイト著「精神分析入門」と、その一連の書物や研究、という意味。もうひとつは、フロイトを契機にスタートした、ひとつのディストリビューション・パーティとしての「クラウドソーシング」としての「フロイト 精神分析」である。

 ただ、すでに「クラウドソーシング」としてのネーミングとしては「フロイト 精神分析」はラベルが古すぎている。その意味合いを忘れることなく、重要なポイントと居続けながらも、この分野のラベルは「ブッタ達の心理学」とならざるを得ない。つまり、当ブログにおいては、「フロイト 精神分析」は、次第に「ブッタ達の心理学」の中に、解体され、吸収されていくことになる。

 この「現代フロイト読本」は、老舗レストランのシェフ達の「意地」が見える、一冊である。好著である。しかるに、やはり100年も経過すればほころびが見える。「城」を造ったつもりが、いつの間にやら、そこが「牢獄」となってしまい、出たくても出られないという悲哀も感じられてしまうのである。

 この本には随所随所に「ブッダ達の心理学」への芽が見える。その意味では、要再読の一冊(いや二冊組だった)であることは疑いようがない。

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2010/01/05

村上春樹の「1Q84」を読み解く<1>

村上春樹の「1Q84」を読み解く
「村上春樹の『1Q84』を読み解く」 <1>
村上春樹研究会 2009/07 データハウス 単行本 217p
Vol.2 No893★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 村上春樹研究会に属するのは平井謙、綾野まさる、藤枝光夫、の三名。この本を出すために作ったチームだろう。それぞれが第一部、第二部、第三部を担当している。はて、このような「解説本」の存在の是非を考えると、痛し痒しのところがある。

 ヘッセとフロイトのせめぎ合いのように、村上春樹を解析されたり分析されたりしても、本当のところはあまり面白くない。できれば勝手自由にそのフィクションの世界を味わっておればいいわけで、とやかく「読み解かれる」必要などないのである。

 とは言いながら、たとえば、ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」などは、「続編を空想する」だとか、「謎とき『カラマーゾフの兄弟』」「小説家が読むドストエフスキー」などなどの副読本があったればこそ、小説嫌いを自認してやまない私でも、なんとかあの長編小説を読了することができたのではなかったか。

 とすれば、今回ようやく「1Q84」を読了し、ハルキワールドに手をつけようと思い始めたのも、これらの周辺の解説本があったればこそ、ということもできる。なにも全部を活用する必要もないだろうが、とにかく本体を読むのに役立つ範囲でなんらかの手がかりを他の本に求めることも悪くないだろうと思う。

 ということで、さっそくこの本を読んではみたのだが、まぁ、私には私の読み方があり、思い入れもある。いくら「研究会」の面々が「読み解いて」くれても、納得できないところも山ほどある。どちらが正しいのか、今度読み返してみよう、・・・・などと、気がついてみれば、いつのまにやら、まんまとハルキワールドにはまりつつあるのだった。

 白すると、初め何度もトライしても僕はこの「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読み進めることができなかった。一章を読み終えて二章に進む所で違和感が芽生え、止まる。何ヶ月か後にまた一章から始め・・・・・の繰り返し。それを何度やったことだったろう。今度読み進めることができなければもうやめようと再再再度? チャレンジしたある日そのハードルをすっと超え、この交互に展開する小説構造を持った作品を待ち望むようにまでなった。p19 平井

 ふむふむ。解説本を書くような御仁でも、小説を「読めない」時もあるのだ。この部分を聞いて、ほっとした。そんなもんなのか。みんな、もっとすーすー読んでいるものと思っていた。たしかに、面倒だなぁ、と思っていたが、こんど「1Q84」book3がでたりすれば、他の人を押しのけても、一番先に読んでみたい、と思うかもなぁ・・・。

 僕は20年近く前に、ある出版社から現代文学に関する評論集を刊行する依頼を受けた時、一つの章として村上龍の「限りなく透明に近いブルー」と村上春樹の「ノルウェイの森」を中心に論じることを予定していた。そしてその章のタイトルを「脳なき時代のソフトポルノ」というようにつけた。何故ならその頃、女のコたちがオナニーをするときにもっとも感じるのが「ノルウェイの森」で、男がずりネタに使うのが「限りなく透明に近いブルー」であるというアンケート結果が出回っており、それがとても印象に残っていたからである。p68 平井

 「限りなく透明に近いブルー」は、私も印象深く読んだ小説であり、記念碑的な作品であるとは思うが、あの小説をそのような目的で使ったことはない。というか、そういう使い方があったのか、とあらためて感心した。そして、ふむふむ、「ノルウェイの森」とやらは、そんな使い方もあったのかい・・・。そういえば、うちの奥さんもなんだか、やたらと小説に没頭しているときがあるが、小説嫌いの夫が、中身を見ないことをいいことに、トンデモナイ世界を浮遊している可能性もある。今後は、要観察だな。

 ヤナーチェックの管弦楽曲「シンフォニエッタ」とやらも、曰くありげになんども登場する。その他の小道具類も、それぞれのハルキニスト達にとっては、重要なポイントなんだろうなぁ。いろいろな楽しみ方があるもんだ。

<2>につづく

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1Q84 <4>

<3>よりつづく

【重版予約】 1Q84(イチ・キュウ・ハチ・ヨン)(book 1(4月ー6月))  1Q84(book 2(7月ー9月))
「1Q84」book 1(4月-6月) book 2(7月-9月)<4>
村上春樹 2009/05月 新潮社 単行本 554p

 正月休みを挟んでいたとは言え、すでに数週間の我が家滞在を終了しようとしているこの二冊の本から、要所要所に張り付けた付箋をはずしながら、本当は延長したいのにな、と思う。でも、自分の後ろにすでに並んでいる1000にも及ぶブッキングを眺めてしまえば、そのようなわがままは許されない。

 もっとも、再び予約し直すということはないだろう。さらに半年を待つほど気は長くない。ただ、いちど、半年予約待ち、という体験をして見たかった、というところにポイントがあった。本当に読みたければ、奥さんの言うように「買って」読めばいいのである。書店の店頭には未だに平積みで山積みされている。

 ただ、当ブログは、ネット上の公開ブログであり、また図書館から借りてきた本を読んでメモを残しておく読書ブログである。ほとんどがモノローグではあるが、できるだけ読み手との共有感覚を増やしたいので、可能な限り図書館から借りだしてきて読むことを第一議としている。(こづかいが少ないのも、大きな理由ではあるがw)

 さて、私は「1Q84」を買って再読するだろうか。それは大いにあり得るが、今回は私なりにゆっくり「精読」したので、すぐには買わないだろう。その前に、他の村上作品を何冊か読んでみたい。他のものならこんなに混んではいない。リクエストすればほぼ数日で手に入る。だから、それらに一度目を通してからまたここに戻ってくることのほうが妥当性がある。

 以下、ランダムではあるが、この小説を読んで感じたことをメモしておく。

1)、天吾、青豆、男女二人の重要登場人物とも、1954年生まれである。二人は小学生時代、10歳の時に同級生だった。奇しくもというべきか、読み手である私も1954年生まれである。そのような意味では、男性登場人物・天吾にはシンパシーを感じながら、読み進めることができた。

2)、時代、とくに1984年という年代は、二人とも30歳になりかけるところであり、また、読み手である私にとっても、重要な年代であったということはできる。個人的なメモはすでに「湧き出ずるロータススートラ」という短文にまとめておいたので、繰り返さないが、29歳時点での自分にはとても興味ある。そして、登場人物たちにそのイメージをオーバーラップさせながら読んでいる自分がいる。

3)、天吾は、進学塾で数学を教える人気講師でありながら、休日には小説を書いている文学青年である。ここに右手に「科学」、左手に「芸術」を抱えた一人の存在がある。この青年が、ブラックライターとして「空気さなぎ」のリライトを担当することによって、「意識(あるいは)神秘」へと誘われる。いままさに神秘の扉を開こうとしている。この設定には大いに関心を持つことができる。

4)、当ブログは、プログラマー、ジャーナリスト、カウンセラーという三つの職業の融合、あるいは、コンテナ、コンテンツ、コンシャスネス、というメディアの三つの側面、あるいは、科学、芸術、意識(または神秘)などの三つのカテゴリ、そしてその具象化であるフロイト、ヘッセ、グルジェフの三人など、秘数3をたよりに、1、あるいは0の発見に努めてきた。現在は、なんと北山修、村上春樹、中沢新一(あるいはケン・ウィルバー他)という、あまりに無謀な比喩をつかいながら、試掘を繰り返しているところである。

5)、村上春樹は、この「1Q84」で、科学、芸術、神秘の融合を描こうとしているかに見える。あるいは、科学や芸術を通じて神秘へたどり着こうとしているかに見える。見事に神秘の中に消えていくのか、芸術の領域にとどまるのか、軟弱な読者でしかない私には、現在のところよく分からない。しかし、今後ハルキ・ワールドを読み進めるとしたら、その辺の関心を維持しながら、前後関係を意識しつつ読み進めることになるだろう。

6)、当ブログは、各カテゴリを108で締めることにしている。今回のこのエントリーで「表現からアート」カテゴリへの記事数は106となる。残るはあと二つ。どのような形でこのカテゴリが終了するのか、興味深い。ただこのカテゴリがもってきたテーマは次なるステージへと引き継がれる必要があるだろう。どのような形に引き継がれるのか、そこも興味深い。

7)、パソコンのソフトウェアのOS、そしてそのOSのもっとも最初の始まりとなるカーネルの部分がもっとも大切なところなのだが、小説「1Q84」のカーネルの部分にあたるのはふかえりが口承した「空気さなぎ」だった。当ブログにおけるカーネルはなんであろうか、と思いめぐらすと、「アガータ:彼以降やってくる人々」がそれにあたるのではないか、と思う。思えば、この言葉がやってきたのは1984年に遅れること2年、1986年であったことを考えると、当ブログは当ブログなりに、すでに「リトル・ピーブル」たちに見張られていたことに気づくのである。

<5>につづく

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現代フロイト読本<3>

<2>よりつづく

現代フロイト読本(1)
「現代フロイト読本1」 <1>
西園昌久 監修  北山修 編集代表 2008/05 みすず書房 単行本 395p

 フロイトは1881年に医学部を卒業し、神経学の研究者を志したが、さまざまな事情で1886年に開業医となった。彼は今でいう神経内科の医者だったわけであるが、開業医として多くのヒステリー患者と出会うことになった。身体に基礎づけることのできない神経系機能の脱失、意識の変容、乖離性の健忘などを示す女性患者たちを治療しようとするとき、身体的な治療はほとんど役に立たなかった。やがて彼は、年長の同僚でしばしば彼に経済的援助も与えたヨゼフ・ブロイエルの仕事に刺激を受けて、催眠や暗示を用いるようになっていった。p15藤山直樹「フロイトの著作について」

 フロイトの場合、開業医として治療にあたり、まずは目の前に「多くの患者」ありきのスタートだったわけだから、彼の精神分析を「病者の心理学」とばかり強調するのも、フェアではない。多くの症例を体系づけ、自らの発想を実証づける中で、共同研究者も増え、またリーダー的立場に置かれた時、その時代においての記録とネットワークを残そうとする努力をしたし、彼自身の持っている才能をフルに活用したと思われる。

 それにしても、この本のタイトル、「現代フロイト読本」のなかの、「現代」、「フロイト」、「読本」、とは何であろうか。

 もはや現代は、フロイトの精神分析に熱狂的に飛びついて、フロイトを真に受けて、そして信じて、裏切られていく、というような「フロイト・ブーム」の時代ではない。精神分析に関するそういう幻滅体験はすでにフロイト自身にもあったのである。(中略)今や、フロイト著作について「役に立つ」という言説は頭から疑われていると思う。すでに多方面でフロイト自身の病理、神経症、偏り、というものが論じられている。それでも、精神分析は胸を貸す形でその批判を受け止めることができていて、だからこそ、今世紀になって後から読まれるフロイト読者は、実用性や功利主義に振り回されないでいられるのだ。今では、甘い夢は抱かずに、冷静に、そして落ち着いてその知恵から学びながら、自分の居場所で読めると思うのだ。p368「私有化された『フロイトを読む』」北山修

 責任編集者である北山のここの文章を借りるかぎり、「現代」とは今世紀、つまり2001年以降のことであろうし、「フロイト」とは「疑われ」、批判的に「論じられ」、それらに「胸を貸し」ながら受け止めている存在、ということになる。また「読本」とは、その「フロイト 精神分析」に対して、「甘い夢は抱かずに、冷静に、そして落ち着いて、自分の居場所で読む」ことを助けるための補助教材、という意味なのであろう。

 当ブログは今後、個人的メモ「OSHOのお薦め本ベスト10(私家版)」などをたよりに、「ブッタ達の心理学」なるものの領域に入ろうと試みている。正直言って、フロイトの「胸を借りる」というつもりはないのだが、21世紀においても「心理学」といえば、一度はフロイトについてさわっておかなくてはならないので、そのアウトラインくらいは把握しておかなくてはならない。ユングやライヒ、アサジョーリやアドラー、あるいはアラン・ワッツやケン・ウィルバーといった広範囲な後継時代の活躍者たちを俯瞰する意味でも、フロイトの位置関係は、きちんと座標軸に収めておく必要がある。

 しかし、当ブログへのアクセスログから導き出した「フロイト 精神分析」という検索ワードからのナビゲーションは、そろそろ、ここの北山の括りの言葉で、その返答としてもいいのではないだろうか。

 フロイトに対しては、「実用性や即効性」を期待せず、「甘い夢」を持たず、「冷静」に、「自分」の場所で読むこと。それにつきるということだ。以前に、冷めたピザ、と揶揄しておいたが、まぁ当たらずとも遠からず。それでもなお、これだけの日本人研究者たちが、その冷めたピザを温めなおして、「しょうゆ味」で提供し直すところに、なおこの老舗レストランの「意地」を感じる。

<4>につづく

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2010/01/04

劇的な精神分析入門 <3>

<2>よりつづく 

劇的な精神分析入門
「劇的な精神分析入門」 <3>
北山修 2007/04 みすず書房 単行本 301p

 そこに安西水丸というイラストレイターの書いた漫画で「普通の人」という作品がある。日本人の普通論を書くなら必読の書であろう。私はこの作品がよくできていると思っているのでもないが、実はその漫画集の巻末に載せられた村上春樹の解説が実に秀逸なので、引用しておきたい。さすがに小説家の文章である。

 「しかし僕は思うのだけれど、このように相反的なるものの同時存在の中にこそ、私たちの偉大なる”普通性”があるのではないか。よく考えてみれば、私たちは実は適当にまとめられる借り物の自分と、借り物ではないけれどうまくまとめられない自分との奇妙な狭間に生きているのではあるまいか。私たちははっきりとどちらにつくこともできず、どちらにもつこうという決心もできないままに、”普通の人”としてこの世にずるずると生きているのではあるまいか。私たちの笑いを誘うのは、その相反性の中で不安定によたよたと揺れ動きながら、自分の目でそのよたよたのおかしさに捉えられないと冷厳な事実の持つ滑稽さではないのか」 p81

 当ブログにおいて、この部分を引用し、また孫引きしているのは、別に村上のこの部分がとくに気にいった、ということではない。たまたまフロイト---ヘッセ、というラインを見つけたので、その後継キャラクターと勝手に認定した北山修---村上春樹、というライン上に、このような文章をみつけたから、忘れないようにするためである。

 きっと、もっともっと読み込んでいけばこのようなラインは頻繁に見つかる可能性もあるし、また北山→村上、ラインばかりではなく、村上→北山ライン、も見つかるだろう。ただ、それは互いを相対化して、その位置関係を確かめるだけに必要なだけであって、ここにおける北山の「普通論」は、当ブログとしては、とても採用できない。

 ウスペンスキーは人間の7つの範疇を紹介した上で、人間1号、人間2号、人間3号を説明したあとにこのように書く。

 われわれが日常的な人生で出会うのは、この三つのタイプの人間に限られている。あなたもあなたの知っている人も、誰もが1号か2号か3号である。高次の範疇に属する人間もいるが、生まれたときから高次の範疇に属しているのではないあ。彼らはみな1号、2号、3号として生まれ、スクールを経てはじめて高次の範疇に到達することができる。ウスペンスキー「人間に可能な進化の心理学」p68

 7つの範疇分けに異論がないでもないが、だが、北山の「普通論」を聞いていると、この人間1~3号あたりの範疇をなぞっているようで、どうも上昇気流をつかむことができない。いやもっと、ベーシックな部分で人間0号とでもいうべきところを右往左往しているかにさえ思ってしまうのである。

 そういえば、Oshoタロットカードに「普通であること」という一枚があった。

Photo

11. 普通であること

The master, the gardener, and the guest

 ただ普通であることが奇蹟です。何者かになろうと渇望しないことが奇蹟です。自然が自らのコースを取るに任せましょう。それを許すことです。

 禅のマスター、盤珪(ばんけい)は、たまたま自分の庭で庭仕事をしていた。ひとりの求道者がやってきて盤珪にたずねた。「庭師、マスターはどこにいる?」
 盤珪は笑って言った。「あの扉――あそこからなかに入るとマスターがいる」
 そこで男は入っていって、なかで肘かけ椅子に坐っている盤珪、外で庭師だったその男に出会った。求道者は言った。「からかっているのか? その椅子から下りろ! 神聖を汚すことだぞ! お前はマスターに敬意を払っていないではないか!」
 盤珪は椅子から下り、床に坐って言った。「もう椅子にマスターはいないだろう――私がマスターだからだ」
 偉大なマスターが、それほどにも普通でありうるということが、その男にはむずかしすぎて分からなかった。彼は立ち去った……そして逃した。
 ある日、盤珪が自分の弟子たちに静かに教えを説いていると、別の宗派から来た僧に話を遮られた。その宗派は奇蹟の力を信じていた。
 その僧は、自分の宗教の創始者は筆を手に河岸に立ち、対岸にいる助手が手にしている紙きれに聖者の名前を書くことができると自慢した。そして彼はたずねた。「あなたはどのような奇蹟を行うことができるのか?」

 盤珪は答えた。「ひとつだけだ。腹が減ったら食べ、喉が渇いたら飲む」
 唯一の奇蹟、不可能な奇蹟は、ただ普通であることだ。マインドの望みは並外れたものになることだ。エゴは認められることを渇望する。あなたが自分の誰でもなさを受け容れたとき、あなたがほかの誰とも同じように普通でいられるとき、あなたがどんな証明も求めていないとき、あなたがあたかも自分は存在していないかのように存在しうるとき――それが奇蹟だ。力はけっしてスピリチュアルではない。奇蹟を行う人びとはどのような意味においてもスピリチュアルではない。宗教の名のもとに魔術を広めているだけだ。それは非常に危険だ。
 あなたのマインドは言う。「このどこが奇蹟なのか? 腹が減ったら食べて、眠くなったら眠るとは」。だが、盤珪はほんとうのことを言った。あなたが空腹を感じると、マインドは言う。「いや、私は断食をしているのだ」。空腹を感じていないと、腹が満たされていると、マインドは言う。「食べつづけるのだ。この食べ物はとてもおいしい」。あなたのマインドが邪魔をする。 盤珪は言っている。「私は自然とともに流れる。私の存在がなにを感じようとも、私はそれをする。それを操っている断片的なマインドはない」
 私もひとつだけ奇蹟を知っている。自然が自らのコースをとるに任せること、それを許すことだ。

Osho ROOTS AND WINGS, P.212-221

 そういえば不思議なのだが、北山は、盛んに日本人論や意識論をやるのだが、なぜか「禅」という文字がでてこない。京都に生まれ育ったはずの彼に「禅」は見えないはずはないのだが、「精神分析医」の彼は意識して、丁寧に「禅」を排除しているかのようだ。読み落としているかもしれないが、少なくとも、いまのところ、そこにウェイトは置いていない。

 巻末に「付」として「詩人と空想すること」--芸術家に対するフロイトの羨望、嫉妬と創造性、という一文がついている。フロイトの芸術論について書かれているが、とても興味深い。時には笑える。

 フロイトの羨望
 a、作家になりたかったフロイト
 第一に、フロイトは芸術家になりたかった。「分析技法前史について」(1920)という匿名論文で明かしていることだが、実は自由連想法ちう思いつくまま思い浮かべて報告するという精神分析の方法は、彼が14歳のときに読んでいる「三日間で独創的な作家になる法」(ルードヴィッヒ・ベルネ)という本から受け継がれたものである。
p263

 先の高橋(義孝)によれば、フロイトにとって科学というものは芸術と比べて同じ材料を「もっと楽しみ少なく扱う」という意味だと解説している。つまり、彼は科学者となって、詩人との違いを明言してこれとの訣別を表明しているのである。だからこの「詩人と空想すること」の中の「詩的素材選択の諸条件や、詩的創造技術の本質をどれほどよく知ったところで、それによって我々自身が詩人になりっこはないということを承知の上でも(・・・・・)」という文章は私の目をひくが、どれほど芸術家についての洞察を得たところで「詩人になりっこはない」というところに、詩人になりたかったフロイトのそういう断念の思いがある。p269

 この本、場合によってはもっと引っ張ろうかなと思っていたが、意外にというべきか、予想通りというべきか、あまり当ブログとしては長逗留するような本ではないようである。現代におけるフロイト、日本におけるフロイト、身近に名前の知られた北山修という人の「フロイト 精神分析」が、どの程度のものであるのかが、漠然とわかれば、この書を開いた目的は達成されたことになる。

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魂の科学 <4> Osho

<3>よりつづく
魂の科学
「魂の科学」 <4>パタンジャリのヨーガ・スートラ
OSHO/沢西康史 2007/04 瞑想社 /めるくまーる 単行本 301p

 当ブログのナビ・ログにおけるこの本へのアクセスが最近高い理由のひとつは、ある特定の人が繰り返しここにアクセスしてきているからだ、ということが分かった。つまり、お気に入りに登録するときにこの本のページを登録したので、毎回そのページからアクセス開始になるということになるようなのだ。つまりブログという機能の特性上、そのようになってしまうのだが、それはそれ、どっちみち、書いている本人も、この本は、最近とても気になっているところではある。

平均的な人なんて存在しない。
「平均」はこの世でいちばん欺瞞的なものだ。
平均の人なんていない。
だれもが自分自身だ。
「平均」は数字の上だけのことだ。
それには実体ががない、それは現実のものではない。
Osho p195

平均は数学的な現象数学的な現象であて、数学は現実のなかには存在しない。
それは人間の心の中になかにだけ存在する。
現実のなかに数学を探しても見つからない。
だからこそ数学は唯一の完璧な科学なのだ。
なぜなら、それはまったく現実的ではないからだ。
現実的でないものについてだけ、あなたは完璧になることができる。
Osho p195

 「普通」であるとか、「30年ローン」が組めるとか、「平均」的であることが「私」なのではもちろんない。

平均になろうとしてはいけない---なれる人はいない。
人は自分のやり方を見つけなければいけない。
平均を学ぶのはいい。それは便利なものだ。
しかし、それを規則にしないこと。
暗黙の了解にとどめておきなさい。
それを理解したら、忘れてしまいなさい。
p196

 フロイトの精神分析が病者の心理学であるなら、ブッタ達の心理学の「ブッタ」はどこにいるだろう。

グルジェフは、この時代に到達された最高の頂、ブッダのひとりだった。p176

 ウスペンスキーが「人間7号」という時、Oshoから見ればグルジェフこそこの「人間7号」のひとりであろう。いや、本当は7号のステージにおいては、「何人」と数える意味はすでに失われている。

パタンジャリはまったくもって科学的だ。
彼が第四を使うことはないが、それは三つのものを越えていると言う。
パタンジャリにはきっと、ブッダが擁したようなすばらしい弟子たちの集団がいなかったのだろう。
パタンジャリは、もっと体指向の人たちと活動していたに違いない。
そしてブッダは、もっと心指向の人たちと活動していた。
パタンジャリは、彼自身がそれを使うことはないが、第四は三つのものを越えていると言う。
彼はヨーガに関して言いうるすべてのことを言い尽くそうとしている。
彼はアルファにしてオメガ、最初にして最後だ。
彼はただひとつのポイントも見逃さない。
パタンジャリのヨーガスートラは改良の余地がない。
p230

 混沌のマスターが長期にわたって講義したこのパタンジャリについてのレクチャーをコンパクトにまとめたのがこの本で、しかもほとんど脈絡なく部分をアフォリズムのように引用しても、意味をなさないところも多い。しかし、当ブログにおける流れにすれば、そのインパクトはかなり大きい。

 当ブログは現在、「フロイト 精神分析」をお題としていただきながら、北山修「劇的な精神分析入門」を読んでいるところだった。うかうかしていると、ひとつのドラマツルギーに取り込まれてしまって、そのパラダイムにからめ取られ、閉じ込められてしまいかねない。なにはともあれ、この本をそばにおいて、避難口を確保しておかなくてはならない。

<5>へつづく 

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2010/01/03

劇的な精神分析入門 <2>

<1>よりつづく

劇的な精神分析入門
「劇的な精神分析入門」 <2>
北山修 2007/04 みすず書房 単行本 301p

 ログ・ナビをたどっていくと、思わぬページに出会うことがある。たとえば今日はこんな頁に出会った。「Osho Vlog」。誰がどんなカタチで作成したのか、よく調べもしないが、へぇ~と思う。なるほど、こういうやり方もあるなぁ、と思う。私もOshoの門下であってみれば、おのずと当ブログの行く末はほのかに見えている。なにも、ここでフロイトやヘッセやグルジェフにかかずらっている場合ではなく、直線的に結論に向かえばいいのではないか。

 そうも思うが、そう思わない部分も同じくらいある。ひとつのアンチテーゼにはなるが、当ブログはあのようなカタチを自らの次なるステップだとは思わない。なぜかといえば、それなりに理由はある。まずは、個体としての自分にこだわりをもっていること。「私は誰か」という問いかけに、仮にすでに答えはでているとしても、時間軸と空間軸の交差点にいる「私」にはこだわりを持っている。

 そして、どのように完成度が高かろうと、マスター、あるいはそれに類する存在の表現を借りて、自らの表現が完了したとは思わない。自らがなにかに溶けていくことになんの異議もないが、すくなくとも溶けていくことを、感触として知っておく必要がある。直線的に、ほかの表現を借りて、終わり、とすることはできない。

 さてまどろっこしい思いをしながらも、「フロイト 精神分析」というキーワードを追いかけて、その現代的日本における指標としてのナビゲーターを、北山修という存在にお願いした。とりあえずその表現物をいくつか手にして、今、この「劇的な精神分析入門」を手にしてみると、これは現在の当ブログの目的になかなか即した一冊と言えると思える。

 私たちの患者たちは、普通に生きろ、普通にやれと言われて困っている。私たちは普通とは自明のことのように言い、心理学の質問紙調査では「普通」とすぐに記入し、成績も「普通」だと簡単に言うが、それは普通が分かっているということだろう。しかし、そもそも普通って何なのだろう。p69

 この本における北山修は精神科医であり、精神分析家としての、大きな病院の(あるいは個人クリニックの)心療内科の先生である。「治療者」として「患者」に向かいあう。もちろん職業として確立された世界のことであり、その「効果」も実証されていると推測していいのだろう。もっとも、そのことは著者自身がなんども言っているように、「治る」とはどういうことなのかを明確にしなくてはならないが・・・。

 当ブログの現在の文脈では、心理学をかならずしもフロイトに始まる科学とは規定していない。むしろ、心理学は古代からつづくもっとも古い科学の一つであり、100年ほど前にフロイトが立ち上げた「精神分析」はその中の一つの潮流である、と捉えている。そして、ここでの北山修の言葉にもあるような「患者」と向き合うことは、つまり、病者の心理学である、と見ている。

 当ブログの枠組みでは、フロイトは「病者たちの心理学」をより明瞭にしただけであって、「健康者たちの心理学」にまでさえ達していないと見ている。だから、さらにはその次なる「ブッタ達の心理学」など、まったく埒外として、研究の対象にすらなっていない、と見ている。

 先日読んだ小説「1Q84」において、女性スポーツインストラクターにして特殊刺客である青豆は、資産家である老婦人のボディガードである元自衛隊特殊部隊の猛者タマルに、自決用の拳銃を入手できないか、相談する。

 「念のため言っておくが、俺はこれまで刑事責任を問われたことは一度もない」とタマルは言った。「言い換えれば、前科はないということだよ。司法の側に見落としのようなことがいくつあったかもしれない。そこまではあえて否定しない。しかし記録の上から言えば、俺はまったく健全な市民だ。清廉潔白、汚点ひとつない。

 ゲイではあるけれど、それは法律に反していない。税金は言われたとおりに納めているし、選挙だって投票もする。俺が投票する候補者が当選したためしはないけれどな。駐車違反の罰金だって期限以内に全部払った。スピード違反で捕まったことはこの十年間一度もない。

 国民健康保険にも入っている。NHKの受信料も銀行振り込みで払っているし、アメリカン・エクスプレスとマスターカードを持っている。そんなことをするつもりは今のところないが、もし望むなら三十年の住宅ローンも組むことだってできるはずだ。そして自分がそのような立場にあることを、俺としては常々喜ばしく思っている。

 あんたはそういう社会の礎石と言ってもおかしくない人物に向かって、拳銃の手配を頼んでいるんだ。それはわかっているのか?」 村上春樹「1Q84」Book2 p28

 「普通」とはなにか。精神的においても、社会的においても、何が普通であるか、という定義付けは難しい。診療内科を訪れるだろう「病者」に対して、どのような「治療」がほどこされ、どのように「普通」な生活へ戻っていくのか。じつはこれは大変難しい問題である。

 ウスペンスキーは「人間に可能な進化の心理学」において、人間のタイプを7種類に分けて番号づけている。ここではいきなり順番をはしょって人間7号を抜き書きする。

 人間7号は、人間が獲得しうるすべてを達成した人である。彼は一定不変の「私」と自由意志をもっている。彼のもつすべての意識状態を制御でき、獲得したものは何ひとつ失わない。太陽系の範囲内では不死であるとも言われている。ウスペンスキー「人間に可能な進化の心理学」p68「講座2 人間の4つのセンターと七つの範疇」

 一時グルジェフの影響下にあったウスペンスキーだが、独自の体系を持っており、かならずしもグルジェフとまったくおなじ体系を使っているわけではないが、その類似性はかなり高いものと思われる。しかしながら、ここで問題なのは、どうやらこの人間7号というステージまでグルジェフは到達したと一般的には思われているが、ウスペンスキーはそこまでは達していなかった、と思われることである。つまり、ここでのウスペンスキーの表現、とくに「人間7号」については、想像で書かれているにすぎない、ということになる。

 北山修がこの本で書いている「フロイト 精神分析」は、「病者の心理学」である。「人間7号」に到達するための道筋が書いてあるわけではない。むしろ、まったくそのような領域があることまで、想いが巡らされているわけでもない。また反面、一般的にウスペンスキーがここで語っている「人間7号」についての考察が、現代でいう「科学」になりうるのかどうか、まだ十分に検討されているとは言い難い。

 しかし、ここでウスペンスキーが表現した「人間が獲得しうるすべてを達成し、一定不変の「私」と自由意志をもち、すべての意識状態を制御でき、獲得したものは何ひとつ失わず、太陽系の範囲内では不死である」という存在が提起されていることをまずは把握しておく必要がある。アメリカン・エクスプレスとマスターカードを持っていて、30年ローンを組むことができることを「普通」というわけでもなく、もちろん、それは「ブッダ」の定義でもない。

<3>につづく

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2010/01/02

1Q84 <3>

<2>よりつづく

【重版予約】 1Q84(イチ・キュウ・ハチ・ヨン)(book 1(4月ー6月))  1Q84(book 2(7月ー9月))
「1Q84」book 1(4月ー6月)  book 2(7月ー9月) <3>
村上春樹 2009/05月 新潮社 単行本 554p

 すでに半年前にいつもの図書館に予約しておいた本だが、12月になってようやく私の番が巡ってきた。同時に予約したのに下巻だけが先にきてしまった。下巻から先に読むわけにはいかない。一週間ほどずれて上巻も届いたが、年末の繁忙期にゆっくり長編の、しかも話題になっている小説を読むわけにはいかない。

 ところが、年末年始の図書館の閉館期間を加えると、ちょうど私のところにこの本が滞在する期間は3週間ほどになる。通常なら、延長すれば2週間プラス2週間で、4週間ほど独占することができるのだが、今回はそういうわけにはいかない。なぜなら、私は800人待ちでなんとか読めるようになったのだが、すでに私のあとには、すでに800人以上の予約が入っている。

 この人たちは、あと半年後にこの小説を読むことになるのだ。地域の図書館ネットワークには上下巻全部で各30冊づつ入っている。800人÷30冊で各冊約30人づつが待っているとして、受取期間を入れると30人*3週間=90週間。全員が最大の「占有期間」を使えばのことだが、90週間÷4週間(1ヶ月)=20ヶ月。半年は6ヶ月だから、みんなはそれほど占有していることにはならない。でもすくなくとも一人一週間は占有している。

 私がこの本を占有していたのは3週間ほどだったが、実際読んでいくのにかかったのはほぼ1週間だった。もっと集中して読めばもっと短い時間で読めただろうけど、まさか以前のように書店店頭の立ち読みのように読む意味はない。かと言って、途中で挫折して頬売り投げることもなかった。

 もうだいぶ前になるが、夏頃、我が家の奥さんが自分用にこの本を借り出してきて傍らで読んでいた。彼女も数日から一週間ほどかけていたのではないだろうか。読み終わったあと、「この本は買ってもよかったね」と言った。自分が読んで、私が読んで、子供達にも回して、そして自宅にあれば、また読み返せる、と思ったのだろう。

 そのあとその本は、彼女の借り出し期間の残りの部分で私が読めるように、一週間ほど我が家にあった。だが、私は読まなかった。正確に言えば、「読めなかった」。他の本、それは特に新しい新書本だったりしたし、政権交代とかで外側の世界のにぎやかな雑踏についてのことが多かった。

 「空気さなぎ」とは、正確にはなにを意味しているのかわからない。フィクションだし、小説の中でも、明確に書かれているわけではない。その上、私のようなそそっかしい人間が、あわただしく長編小説を読んでも、頓珍漢な読み方しかしていないことも大いにありえる。しかし、それであっても、やっぱりこの小説は面白いと思う。ノーベル文学賞がどれほどの価値があり、どのような小説や作家に与えられるのか知らないが、もし村上春樹、1Q84、ノーベル賞、というキーワードが次第につながっていくのなら、それもありなのかな、と思った。

 僭越な言い方だが、私にとっては、当ブログもまた、ひとつの空気さなぎなのではないか、と思う。山羊の口からでてきた。リトル・ピープルが何を意味するかも、まだ明確ではない。また、ひょっとすると読み落としたのかもしれないが、天吾の母親についても、まだ明確ではない。レシヴァである「さきがけ」の教祖の生死も、実はまだ明確ではない。もちろん、青豆の生死も定かではない。

 いく人かの評論家は、この本の続刊が出される可能性はある、と言っている。つまり、「book3」だ。続刊がないことには落ち着かないところがいくつもある。それを書くためのインターフェイスは全部残されたままになっている。もっとも、小説なのだから、これで終わってしまっても構わない。

 2009年において、この本がベストセラーになった理由がわかるように思う。たしかに「村上春樹にご用心」だ。

<4>につづく

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2010/01/01

謹賀新年 2010年 元旦

   謹 賀 新 年
Hitifukujin
本年もよろしくお願いいたします。
    2010年 元旦

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