レキシントンの幽霊
「レキシントンの幽霊」
村上春樹 1996/11 文藝春秋 単行本: 235p
Vol.2 947★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆
初出作品としての発表年代と、単行本としての出版年を考えれば、大きくわけた村上春樹の前期と後期のちょうど境目にあたる短編集と言っていいだろう。まさにパラレルワールド「1Q95」の上に、ドカンと座っているような一冊に思える。
もともとの作品は1990~1996年に書かれ、「めくらやなぎ~」はもともとは1983年に書かれ、その後改定を経て、95年の夏に神戸と芦屋での朗読会用に書き換えられた、ということだから、まさに阪神淡路大震災後の状況を強く反映しているはずである。もちろん、かの麻原集団についても。
ジャーナリズムなら、裏を取るとか、一次情報を重視するとか、精確を期すためにとるべき手法はさまざまあるが、小説や文学、という世界は、文字となって発表されたものを、読者として読むことが原点だから、まず読んでみなくてはならない。解説本や評論などをいくら読んでも、文学における「一時情報」や「裏を取った」というような精確なものにはならない。
この短編集を読んでいて、なるほどさすがに面白い。まぁ、もっと言えば、村上春樹を知るためなら、村上春樹を読む、とこれしかない。評論や解説などは、なくたって構わないのだ。この短編集では「トニー滝谷」が一番ピンときた。
作家の作品の場合、まず原稿用紙に書かれ、雑誌に収録され、単行本として出版され、文庫本として出る。そして改訂版がでたり、全集に納められたりする。その過程は当然のごとく作家本人の許可がなければできないわけだが、そのプロセスの中で、すこしづつ手が加えられ、装丁や文字組みも変えられていくことが往々にしてある。
だから、本当に気になる作品ならそれらのバージョンを追っかけてみる価値はあるのだが、当ブログとしては、単行本として最初に出たバージョンが一番、作家の息遣いが聞こえてくるような気がする。
逆に言うと、雑誌の連載は、毎号毎号おっかけなくてはならないし、それらがあとから全部順番に読めるとは限らない。作家も、連載が終わると、単行本化する前に、かなり加筆訂正してしまうことも多くある。もっとも、雑誌に掲載される前の、作家直筆の生原稿用紙などにこだわる向きもあり、原稿流出、なんてニュースが巷を駆け抜けることもある。
この短編集「レキシントンの幽霊」も、そう言った意味では、さまざまな時間系列の中で、どのように変わっていったかを「調査」するには面白い一冊だろうが、当ブログのおっかけの範囲外のできごとである。
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