戦争を知らない子供たち 北山修
「戦争を知らない子供たち」 深夜放送・大学・歌・旅をとおして求めつづけた青春
北山 修 1971/03 ブロンズ社 単行本 286p
Vol.2 No898★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆
例によってウォーキングがてら、ぶらぶらと散歩しながらいつもの古書店に行った。するとなんだかとても懐かしい本がワゴンセールになっていた。そうだなぁ、こんな本もあったよ。もう40年近く前のことになるんだね。時あたかも当ブログでは、北山修追っかけがまもなく終了するところである。いとおしい気持ちになって一冊買ってきました。
ブロンズ社。なつかしい。この出版社に10代の時に原稿を書いたこともあったし、この会社が出版していた「ジ・アザー・マガジン21」に取材されて、写真つきで数ページも掲載してもらったこともあった。当時「若者文化」なんていう初々しい言葉で語れていたカウンターカルチャーを支持していた、当時としては数少ない雑誌であった。
同じ頃、同社からでていた「TBSパックインミュージック もう一つ別の広場」も愛読書だったし、ディスクジョッキーだった桝井論平の「ぼくは深夜を解放する」も読んでいた。この論平の本の中で、ひとりの高校生とのやりとりが確か4~50ページに渡って掲載されており、この高校生Rと、この一年後、一緒に共同生活をすることになるのだから、人生の赤い糸はどこに張り巡らされているか分からない。彼と他の数人と小さな共同体をつくり、旅をし、ミニコミをつくり、さまざまな活動に参加した。
Rとは今でもやりとりがあるし、今年も4日遅れくらいで年賀状(らしきもの)をくれた。お互い顔を見合わせては過ぎた年月を思う。さらに、このRの高校時代の同級生にPがいて、その人物をなんとなく知っていたのだが、さらにその数年後、Pはインドに行った。そして帰国後Oshoの「存在の詩」を出したのだった。こうして私はOshoを割合早い時期に知ることとなり、思えば結構早い時期に、人生は運命づけられた、と言えなくもない。
さて、北山修のこの本、表の帯には加藤登紀子が推薦の言葉を書いており、裏には「北山修を医者にさせない会々長」としての桂三枝のメッセージが載っている。時代をいっぱい感じさせる一冊である。
北山修、当時25歳。かっこいい人はいつの時代でもかっこいいな。若くして表現を任せられる立場にあったのだろう。彼の人生を一つの鏡として、自分の人生を振り返る同世代の人間たちも多くいるに違いない。
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